2020千曲川原スケッチ 
スケッチとつづり方でblogとしています。
その日の題材について、私にとって「新しきを知る」スタンスで週1~2回程度の更新予定です。
 

2020_1230記
スキー板と象

 子供用スキー板と靴を父が譲り受けてきたことが、私とスキーとの出会いでした。父としては広い世間を見せたい思いもあったのでしょう私たち兄弟を色々な所につれていってくれました。
 そのスキー板は木製で青く塗られたもの、靴は登山靴のように紐で締め上げ結び固定するものでした。それまで父もスキーをやったことはなかったのである日知り合いのお誘いで突然そのようなことになったのでした。団体旅行の一親子として初めて宿泊した所の夕飯はフォークとナイフが幾つも並んでいて「外側から使う」など体験させてもらった。ツララが下がる軒を初めてみた思い出。あの頃の旅のお土産は旅行地が印字デザインされた三角のフラック(旗)、ペナントと呼ばれるものを買ってきては居間の高い壁に一枚一枚画鋲でとめていた。布団に入り寝転がるとその旗たちが意識しないでも目に入ってきていた。
 現在スキー板は純木製の材質ではないようです。主要部に木を使うにしても雪との接地面はプラ製(グラスファイバーやポリカ―ボネートなど)となっています。ポリカーボネートなどと言うと?なのですが「象が踏んでもこわれない」筆箱もその系統のものであったようです。

 今日のスケッチはカエデ属オオイタヤメイゲツの冬芽です。
 カエデはスキー板材料としても知られています。カエデといっても沢山の種類があるので、やはり太くなるイタヤカエデあたりになるのでしょうか。カエデはけっこう木陰に定着している低木が多いのですが、イタヤカエデやハウチハカエデ、それにスケッチのものはまだ低木でしたがオオイタヤケツメイも大きくなるカエデのようです。
 12月中旬まで雪の無かった今冬のスキー場は年末に間に合ったようで、それなりのにぎわいが駐車場にもあるようです。
 コロナ変異種の1.7倍感染をどのように受け止めればいいのか、それ以上の説明がないので個人々々で考えてみる。例えば「濃厚接触者の定義がこれまでは『1m程度以内で15分以上接触』であったので、1.7倍として「1m程度以内で8.8分以上接触」などと考える一例。

2020_1226記
灯油の季節

 先物取引などいうと縁遠いものと感じるのですが、普通に暮らしていてこれらで仕入れられた物を私たちは利用しているようであります。
 先物取引とは、ある商品を求めるとき、商品を手渡す日を将来とし、取引時点での値により行う取引のようです。家具屋が注文制作の品を前金でもらい3ケ月後完成品を渡すようなものだろうか??
 日々の暮らしで知らずに利用している先物取引の品に原油があるようです。原油はガソリンなどの動力・灯油などの熱燃料・ポリ製品などの原料など用途で多用されています。
 この熱燃料の一つとして電気の原料ともなっています。電気代の内訳にある燃料費調整単価に関わる項目で12月の額は数か月前3ケ月間(7-9月)の平均価格から算出されるとのこと、時事変動する原油等価格が上がれば数か月後にプラスされ、下がればマイナスされます。現在は電気使用1kWhあたりマイナス5円強、安くなっている。原油だけではないが原料は安くなっている傾向のようです。ここでの原油安は新型コロナ発生時よりはじまっています。世界的に人の移動が制限され飛行機・自動車の利用縮小、工場の稼働停止などでエネルギー原料の需要が減少したことに起因するようです。
 電気料請求書の燃料費調整額がマイナスとなることは消費者にとって朗報でありますが、今回の場合、マイナス巾が縮まり原油をはじめとする原料の需要が世界的にあきらかに増え始めたときコロナの終息へのシグナルとなっているかもです。
 いつになるのでしょう。

 電気においての燃料原は原油だけでなく石炭・天然ガスもあり、日本は石油に依存している割合はあっても10%、むしろ40%ある天然ガスの下落が調整単価を引き下げたのかも知れません。
 今日のスケッチは、冬の日常品灯油ポンプです。
 灯油などは、原油からつくるのでしょうから原油が安くなっているならその反映を期待したいです。

2020_1221記
クサツツキをみる

 冬になると景色が開ける。木々の葉が落ちることで枯れ木のむこうの景色があるのです。それにしても寒さが例年より10日から2週間も早い。コロナの影響で工場や飛行機・車が控えめ操業だろうから温暖化にブレーキがかかっているとかの噂はないのだろうか。早くからの冷え込みは、寒さの深さを深くする可能性もある。
 今朝は快晴のー10℃の朝でありました。
 少年が友達が近くの橋の上で転んだからと消毒液を借りに来た。一昨日数cm程度の積雪、それが解け凍り道路はブラックアイスバーン状態のところが日陰の車道にもすでにある。
 自転車での行き来の時の注意ポイントは、道脇のバカことアメリカセンダンソウの種を靴やズボンに付けることから、地べた凍結の見極めへとうつってきたようです。
 今日のスケッチは葉を落とした木に来ていたコゲラでした。
 鳥たちは冬 隠れる場所が少ないので見つけやすいです。
 スケッチのコゲラははじめ樹木にいました。軽量のコゲラは次に近くの草原の太い草にキツツキが直立する樹の幹に止まるイメージで草茎に止まりました。そしてその草の茎を突いたのです。
 食料となる虫が あの枯れ草の茎中にもいたことでしょう。
 そして再び樹木に飛び移った姿が、スケッチの体勢でした。
 ニュースでは変異型コロナが報じられていました。新型コロナが新型に変異したと云う、新型コロナウイルスの最もたる特徴なのかも知れないです。報道には大きな波をつくらないように徐々に伝えるところを感じるときがあります。今のところ感染力が強い変異型までの報道です、後報がないことを願いたいです。

2020_1217記
パンプキンスープをストーブにのせて

 昨日の朝は野外でー8℃、今朝はー5℃。
 室内でも寒い時間帯が続いています、日影の一階の部屋は今朝+3℃でした。
 昨日は12月中旬だというのに台所の水が薄く凍ってもいました(これは当地でも珍しい)。そんな中石油ストーブが焚かれています。
 ストーブの上には昨夜から鍋が載せっぱなしになっています。まだ鍋の中身をすすってはいないのですが、カボチャを割いたので それをスープに煮込んでいます。カボチャを主体にした野菜を煮崩し市販のシチュウの素を入れればそれらしくなると聞いたのでやってみているのです。
 最初カボチャ半分を切り刻み煮込んだがスープの色がまだシチュウ(クリームシチュウ)の色に近かったので、残り三分の一を追加しストーブの上にグツグツやっているところです。

 今日のスケッチは、寒さきびしくなってきたタイミングで飴の小袋が小指にくっ付いたまま離れませんでした、その静電気発生の模様です。
 静電気は、乾燥によりなお起こりやすくなるということ、試しに手をヤカンの蒸気に湿らせてから飴の袋に近づけてみると、くっ付くことは無かったです。
 静電気が起こりやすい素材の組み合わせと云うものをweb上で見れたのですが、プラ製の物は人肌によくくっつくようです。飴の小袋など一般のプラ製の袋はポリプロプレン製のようです。これは不織布マスクの本体の素材と同じになります。そうなると花粉やウイルスが静電気によって引き寄せられる作用もあるのかも、でも使用中は息で湿るから要らぬ用心かな。
 帯電しにくい素材に綿や麻、木材が上げられていました。家の造りなどによっても従来の木造建築と新建材でのものとでは、塵埃・エアロゾルの動きも冬期は夏期とは違うのかもです(すべて素人の思い付きです)。

2020_1214記
こびとの伝記

 一寸法師は小さき青年に成長し、鬼をこらしめるストーリー。
 かぐや姫は、竹の中から登場しました。
 桃太郎は桃から生まれた桃太郎。
 かぐや姫や桃太郎はその後 人の背丈へと成長していきますが、現れた時には「こびと」の国から迷い込んできたような大きさだったことでしょう。
 現北海道のアイヌにはコロボックルと云う小人が伝説化しています。
 ひそかに忍び込んでいる小人(こびと)を警戒する昨今。
 こびとの「こ」は「corona(コロナ)」の略、「び」は「virus(ウイルス)」、そして「と」は「disease(病気)」。昨年2019年の後期に発症発見されたとされcovid19(コビット19)と世界的には呼ばれ、一寸法師のごとく、口それに鼻や目から侵入し、身体の内側からの攻撃が警戒されつづけています。
 昔の人々も小さきものたちへの畏怖をもっていたことでしょう。また自分たちが他の生命たちにとっての鬼とならない戒めも感じたりしました。

 今日のスケッチは薪材の窪みについていたゲジゲジ(正式名はゲジだけとか)の脱皮あとです。
 よく足の数でクイズになるのはタコの足の数です。つづいてイカぐらいですね。
 ゲジの脚の数は成長しきると15対ですので30本。しかし生まれた時は4対8本、その後 脱皮のタイミングで増えていくそうです。スケッチのゲジは成長しきる前のようでした。ゲジはムカデの一種とのことでムカデも15対がベースのようです。これがヤスデとなるとその倍ぐらいはゆうにあるとのことです(キシャヤスデ32対)。ダンゴムシ・ワラジムシ・フナムシの仲間は逆に約半分の7対。胴体形状がムカデらに似ているチョウやガのイモムシの多くは5~7対のようです。
 クイズになりにくい小さきものたちの足数でした。

2020_1211記
またと云ううしろめたさをまとい

 “また赤いブーツをはいた”と云う旅のコラムを読んだことがあります。
 旅にふたたび出てしまったニュアンスをまた赤いブーツをはいたとしたのだと感じています。書き手は岡本おさみ(襟裳岬・旅の宿ほか作詞)。旅先は掘削中の青函トンネル本州側の竜飛崎周辺。
 青函トンネルの構想は戦前からあったようですが、戦後海峡内での洞爺丸台風以降に本格化したようです。調査から列車開通まで四半世紀を費やしています。
 岡本さんが竜飛を訪ねたのは、たぶん国鉄「ディスカバージャパン」の頃と思われ そのキャッチは1970年から77年まで使われました。丁度団塊の世代の方々が20代にあたる頃、岡本さんもその世代にあたる。若人が日本を闊歩し団体ではない旅を謳歌したころではなかったか。青森北海道間は当然まだ連絡船で渡るころだったが、現在の福島浜通りのような明らかな分断箇所はなかった。日本一周と称して若人は列車や自転車・徒歩で地図通り、また制約少なく旅に出られた頃。
 岡本さんは青函の労働者たちと交わるそのコラムの中で“また来てしまった しょせん帰りゆくこの旅なのに・・・ああ悲しみも海の汚点しみか”と旅のうしろめたさをほんのり盛り込んでいます。

 団塊の人たちの動向がいつも世の中の関心ごとになってきたように思います。70年安保闘争から、フォークソングを含む表現する文化・本文ディスカバージャパンの旅ブーム・・・消費税への税体勢の移行、そして今、後期高齢者医療対象年齢となろうとするときがやってきているようです。
 今日のスケッチは、作り損ねた木のボタンを自分の繕い物に取り付けた様子です。元はプラ製のチャックでありましたが機能しなくなったので、ボタンに付け替えまたこの衣服を使うようにしたのです。
 繕い物をする時“また赤いブーツをはいた“の気持ちになるのです。「もう使うのをやめようとはせず、また使えるように直してしまった」の多少のうしろめたさを持ちながら。

2020_1209記
かぜの大砲

 冬に至ろうとする昨今、太陽の高度が低い。
 日が差さなければ寒い低い太陽でも、日が差せば温かい。
 そんな日差しに恵まれた日に、窓を開け、室内作業部屋のハタキを掛けたのは12月の声を聞いたころ。
 『パタパタパタ』
 冬の日差しが室内に入っているので、叩かれ浮遊した塵ホコリの動きが良く見えました。ホコリたちが室内から外へと動いていることを確認し『パタパタパタパタと天井から壁・棚とハタキを掛けたのです。
 すると、無数のホコリが差し込んだ日差し中、舞い踊っています。このホコリが落ち着いてから床の掃除機掛けのセオリーだろうと、ホコリがしずまるのを差し込んだ日差しの中に見ながら、しばらく待ったのです。5分以上10分未満しずまるまでかかった。ホコリ程度の大きさのものでも飛び立つとしばらく着地しないのだ。

 今日のスケッチは植物のうすいオレンジ色の毛をもった種でした。
 この種も大空に投げはなしたら微風の中10mよりむこうの枯草の中に入って行きました。
 くしゃみでは一回あたり約4万個の飛沫と飛沫核が生じるとされているものを読みました。咳では約3千個。そしてそんな動作はないが5分間話したとしても約3千個の飛沫+飛沫核が生じるそうです(飛沫核は空気感染因子)。
 新型コロナでの濃厚接触者の定義に「1m程度以内で15分以上接触」と云うものを聞いたことがあります。先の5分間会話で約3千個の飛沫類なので、15分で約9千個の環境になる。これを正しいと思うなら[くしゃみ]の4万は大砲の威力がありそうです。

2020_1205記
毛虫は冬にも適している

 カーテン代わりの幕をあげると、向かいの屋根に白い物が今朝わずかにありました。
 霜で白くなることもあるのですが、今朝のは雪が舞ったようです。12月に入っているのだから里においても初雪の便りも不思議ではないでしょう。

 最近は毛糸のセーターなど着る人はあまり見かけない。
 そんな野外で毛に覆われた方たちにお会いしました、たくさん。今日のスケッチがその方です。ササやヨシ・ススキ類を幼虫時の食草とするヨシカレハの幼虫です。写真で撮ってきた時はそんなには思わなかったのですが、スケッチに写す時、毛に覆われている様子を感じ描きました。
 それもそのはず、このヨシカレハ幼虫たちは、幼虫の姿で越冬とあります。陽のあたらない時など何処で何をして過ごしているのだろう。今日あたりは雪を横目に日向ぼっこを決め込む個体もおられるかもです。

 人の衣類でも最近は化学的な工夫のものが利用されています。
 マスクにおいても、以前のガーゼを重ねたマスクとは別に、不織布やポリエステル・ポリウレタン、自作と思われる布のマスクもよく見かけます。
 それぞれの特性はどうなのだろう?
 一番目が細かいのは不織布のマスクとあります。スポーティーなポリウレタンらのものは伸び縮み自在性に富むことの利点と大きめな塵ホコリまでの効果の不利を兼ね備えているようです。自作のものたちは中にどんなものを縫い込むかもあるのでしょうが、やはりホコリや花粉対策、喉の保温保湿効果とあります。
 ですのでマスクの場所や用途に応じ選び使いたい感じを持ちます。通常病院での看護の方たちの不織布マスク着用(使い捨て)は参考にできるだろうから、感染リスクの高い用事・立場の時はせめて不織布、個人での行動の時は自家製布マスクおよびポリウレタンらの着用で喉を守ると、今日のところは思っています。とある病院編集の感染症関連書の文中にN95マスクには及ばないが不織布マスク二枚重ねで対応などの記述もありました(12年前発刊の本ですが)。

2020_1201記
カケスのわざわい

 日本語で発音しやすいのかカラスの鳴き声はカーカーと聞き分けられ異論をとなえる人は少ないことでしょう。
 カラスの仲間とされている森林にすむカケス(今日のスケッチはカケスの羽根)は日本語ではジァージャーとかギャーギャーとか表しにくいのですが英国では「ジェー、ジェー」と聞きなしされ、それがこの鳥の名: Eurasian jayの一部になっているとのことです。
 その国や地域で違う言語が育まれ継承されてきたことは、ある物が他の地域に持ち込まれる時、持ち込まれた地域なりに同じように発音しているつもりでも元来の発音を離れていることはあることなのでしょう。そのような事が2回3回と重なると以後の地域においてもカスタマイズされるので、なお離れた発音にて同じ物を言うことになるのでしょう。時の流れの中、そんな長い列においての伝言ゲームのようにして定着している外来語もあることでしょう。
 一説によればジャパンと云う日本を国際的に示す言葉も、もとはニッポンと発音されていたものが中国から欧州へと伝言伝言の末、英語でのJapanとなったのだと。

 日本の国コードはJapanから「JAP」でなく「JPN」が使用されています。
 これは伝言故でなく歴史的心遣いからこのような表記に落ち着いているとあります(ジャップは差別的言語)。
 わたしたちの中にある差別されたくない意識は、差別してはならない意識と釣り合いが取れていると思いたいのですが、バランスを失うことが無意識にあるのかもです。
 被災者を、わざわいこうむる人をそんな計りの上に載せないようにしなければ。
 カケスは森においてドングリを浅い地面に蓄える習性があるのだといいます。長野の森はドングリが少ない本年でした。カケスにとってドングリの凶作はわざわいとなっていないのか、どこか豊富な地へと渡っているのだろうか、スケッチの羽根は梅雨明けの8月上旬拾い一昨日スケッチしました。

2020_1126記
交易

 氷点下の朝もしばしば、草たちも地上から少なくなっています。冬越しの葉を広げる草たちが目立つ昨今となってきています。
 その中で夏から葉を落とさずにある草たちもあり、ミツバやカタバミ・シロツメグサはそれにあたります。
 シジミチョウのヤマトシジミ(スケッチ)の幼虫はカタバミの葉をたべるらしい。
 そして体から蜜を出し 蟻たちをひきよせ、幼虫時代を過ごすのだといいます。蟻においては植物の蜜に集まる事もあるそうで、花でない蜜腺を葉に持つ植物として身近なものでは桜の葉っぱがあります。
 そんな植物たちは蟻たちに病原菌を含む外敵から守ってもらったりの恩恵を受けるとのことです。
 ですからカタバミにとって、シジミチョウの幼虫に自らの葉を食べさせる事は、蟻たちを引きつけ、守ってもらっている一面もあるのかもです。そう考えると植物の防衛は直接的でなく間にワンクッション・ツゥークッション入り、高度な思考本能で実施されているのかもです。

 シジミチョウとカタバミと蟻とのやり取りを交易としてみました。
 スケッチのヤマトシジミの子孫たちはその後、どのような形で冬を越えるのだろう。卵で越えるのか、幼虫や繭だろうか、目に見えている生き物たちにしても私は何も知りえないのです。またシジミチョウからすると知られない事は生きる極意なのかもです。

2020_1123記
トチノキの粘々マスク

 ガキンチョたちが、よく棒のような枝を拾ってくる。
 アニメはいつの時代にも剣を持つストーリーが取り上げられているからでしょう。しかし棒と云う字は木を奉ずると書くのだから、本来粗末にはしがたいものなのでしょう。
 立冬が過ぎたが今年は木の葉の落ちが早いです。すでに枝だけの姿になっている木々を里においてもあちこちに見かけます。
 枝は木の支と書くので四肢の言葉もあるので木の手足である事が盛り込まれているのでしょうから、枝の字は現在でもへんつくりで分かりやすいものとなっています。

 この冬は冬芽を観察してみようと思っています。
 図書館のポケット図鑑で冬芽をまとめた物があり、それを参考に枝先をのぞき込めば、花も葉もない状態でも木の種類が判別できるものが多いことを感じたのです。
 見過ごしていたアイテムが有効に機能することは面白い。冬枯れの木は山にも里にも町の公園にもあふれているでしょうから身近な発見がありそうです。
 とりあえず 今日のスケッチはトチノキの冬芽です。
 トチノキの冬芽は粘々したものでおおわれていました。スケッチでの芽の先に細い棒のような物が前後に描かれていますが、これは近い上層から舞い降りてきたカラマツの落葉です、はりついていました。
 この粘々は越冬のためだろうか?それとも動物たちに食べられない工夫だろうか?ナラやケヤキには小さき虫が体内に入り込み虫こぶが良くつくられているので感染症まがいの防虫目的とか(トチノキの虫こぶはあまり見かけない)?

2020_1119記
身近な旅心を求めて

 スズメバチの巣がカラマツの枝の付けねにあったのを見つけたのは10月の内でありました。
 カラマツの葉はすっかり黄変していたがまだ枝にも残っているころ。青空をバックに地上15mぐらいに掛けられた丸々とした大きな巣は、遠目に見上げちょっとした発見をしたようで気持ちよい風景でもありました。こういう時、日常ではあっても旅をした気持ちになれるものです。
 巣は過去のものとなっていたことでしょう、道路上に動作の緩慢なその巣と同じ種のキイロスズメバチが這ってもいました。

 11月に入り同じカラマツを見上げてみると、その巣が見当たらなかった。
 「落ちたのだ」と思い、その木の根元まで近づいてみると巣があった真下にバラバラになった破片たちがそこにありました(スケッチはその一欠片)。
 「どうして落ちたのか」風か、雨か、それとも巣に住み着き食べる寄生虫が元でおちたのか、何者かがおとしたか?
 巣の破片の大きな物を手に持ってみると、スズメバチの剛毅なイメージからもっとズッシリとした感覚を期待したが、非常に軽かった。周辺に落ちている赤や黄色の落葉たちと変わりはしなかったです。発見には小さな旅心がある。

 リンゴの季節となったようですね。
 遠い昔♪ボクたちに今一番必要なものは…まぶしい空から降ってくる白雪姫の毒リンゴ♪というくり返しがある歌を聞いたことがあります。
 枝に引っかかっている一枚の枯葉のように心に引っかかる歌詞はあるものですね。

2020_1116記
アンダーコントロール

 小学高学年になったその子は休みの日にやってきました。
 洗濯を洗濯板にて行っていた最中、「洗濯機が壊れてからこうして洗濯をしているのさ」
 その子は以前もその風景を見ているので続けて「大きな地震が東北であった時、原子力発電所が壊れた。その時から、あまり電気には頼らないようにしているのさ」と付け加えた。「原発は原爆を造れてしまえる恐ろしい機械だ」とまでは話さなかった。
 キョトンとしている彼。
 事故の時、その子はたぶん1歳か2歳。親たちがそれについて語らなければ知らない年齢なのだが、まったく知らない様子だった。
 わたしは大東亜戦争が終わってから15年後に産まれている。親たちはやはり戦争のことは進んでは話さず、ただ将来のため就学することを求めていたのかもしれない。その原発事故を知らない子の親族も同じような心持なのだろうか。日々はめまぐるしく、日々のテレビもめまぐるしく架空の物語を交え少年少女たちを魅了する。

 今日のスケッチは、その後その子とひと時を楽しんだアボガドの種と空となったサバ缶。
 どちらも頂きものでした。アボガドは不思議な味がしたし後に堅いピンポン玉大の黒い種が残りました。これをボールに、サバ缶はカップとして土に埋めゲートボール風ゴルフをやってみたのです。15年ぐらい前だったか小学校帰りに女の子が拾ってきた野球のバットがクラブとなりました。
 原発事故のすごさは現在も危険な汚染が心配されているところです。汚染水が溜まり増え続ける対策として「水をかけなくてもよい状態にする」ではなく「海に放出を考える」は、野に放たれた原発が人の世界を深い所で制御していると感じられるのです。

2020_1112記
山は宝

 山々の中には財産区と称した山野を各地に見かけます。
 昨今は山野の利用はほそぼその感じをうけますが、昭和前期までは多岐にわたり利用していたようです。
 燃料として薪・炭。肥料としての青草、草灰。家畜のエサとしての干草。屋根材としての萱。焚きつけ用でいいのだろうか柴。これらはその後の生活スタイルの変化からそれぞれ化学的物品を使用するが容易な昨今となっています。
 しかし以前は 文字通り山は財産として、それら生活に直結するものたちの採取場所として各入会地(≒財産区)で境界のもめ事・訴訟があったようです。
 昭和前期のある山野の取り決めに次のようなものたちがあります。6月5日より 青草刈り山の口。9月2日より 干草刈り山の口。10月20日より月末まで 草灰焼期間。11月13日 萱刈り山の口。11月20日より月末 茨炭焼期間。秋彼岸より春彼岸 柴採取期間。それぞれの解禁日(山の口)が決められたもようです。
 それらの山野の中では、野焼きにより木の生育を抑え草原を維持した所もありました。草原からは肥料飼料屋根材としての草を利用しました。日本の湿潤な多くの気候からすると草原は人の管理の上で存続するものが多かったようです。かつては日本の10%程度をこのような半自然草原が人の関りを持って存在していたとか。現在その割合は1~3%程度のようです。九州の阿蘇はその代表格ですが、長野には霧ヶ峰と云う草原が観光化され存続しています。また各地のスキー場なども半自然草原にあたりそうです。それらの草原化が長期にわたり維持された高地には高山植物が根付き、まちの人々を引きつけている所もあるとのことです。

 今日のスケッチは、千曲川原に生えていたスカシタゴボウ。草原というか湿地を好む草のようです。
 新型コロナのワクチンニュースが国民総人口に匹敵する数を出し流れているのを耳にしますが、完成承認されても100%は無い将来のワクチンより、現在の検査(検査の精度が100%で無いにしても)において国民すべてが早期に行えるような予算の使い道はないのかと思ったりします。出てきたら数え手を施す的な現在のやり方は季節によって終息するタイプの病ならまだしも そうではない事が分かってきたのですから。今はまだその時期に至っていないの判断なのか・・・ニュースはいつもコロナ禍のニュースの最後にも株価が知らされ「最高値」などと聞くのです、株価とはいったい何なのだろう。

2020_1107記
上はくるま道、下はみずの道?

 国道16号線は関東にある東京をとり囲うように神奈川(三浦半島・横浜・相模原…)→東京(町田・八王子・昭島)→埼玉(川越・さいたま・春日部)→千葉(柏・千葉・房総半島)とを結ぶ環状道路です。三浦房総の半島部を除けば東京駅から半径30~40kmのコンパスの円の中を通っています。
 その埼玉県内東部この16号線道路地下を大きなトンネル(地下50m内径10m強)が通っているのだと言います。これは列車等の利用目的でなく、豪雨時に周辺河川が増水した時の放水路としての用途で掘削されたとのこと。北春日部(大落古利根川)から千葉と境をなす江戸川とを結ぶ6.3km、放水先は江戸川になります。
 この地下放水路(首都圏外郭放水路)は2006年完成以来、年6~7回稼動しているとの事。昨年10月の台風19号でも稼動し埼玉や東京東部の水量をやわらげたようです。

 わたしの行動範囲で3件の家がこの一年で取り壊されました。
 その大雨をもたらした昨年10月の台風は、令和元年東日本台風と命名されたようです。
 河川・道路・田畑の改修工事など細部は?ですが、わたしの近在では今年の秋口ころまでに大方行われたようです。
 千曲川の河川敷も石ころだらけの川原となり、そのせいでもないのでしょうが今年は晩秋によく発生する川霧の回数が少ないように思います。
 今日のスケッチはその川原の石の間に咲いていた草:オオカワジシャと思います。
 首都圏外郭放水路の片方の起点「大落古利根川」は古き利根川の川筋とのこと、現在の利根川は千葉県銚子へと向かいますが中世までは現千葉県に入る前に南進し東京現荒川放水路河口へと下ったようです。首都圏外郭放水路は家康らが始めた利根川東遷事業の意図を引き継ぐ事業だったことでしょう。

2020_1104記
田も湿地なのだ

 広重東海道五十三次において旅というハレの場に、日常を連想させる田の風景はあまり登場していません。たぶんこれは田なのだろうという所は簡略化され描かれているようです。
 26宿目の掛川の背景で田植えをしています(今日のスケッチ)。27宿目の袋井・29宿目の浜松でやはり背景に稲わららしきを積んであるのが見られます。44宿目の石薬師で前景部に刈り取られた後の田仕事を思わせるものが見れます。明らかに田を連想させる物はこの4つ。

 ところでラムサール条約と云う特に水鳥に重要な湿地に関する条約があります。この条約の湿地の中には「自然・人工…」とはずとなっていて、湿原や干潟はもちろん水産養殖池・水田・水路・塩田・ダム貯水湖も対象にしているとなっています。
 日本の中で指定を受けているものの中にも兵庫県の「円山まるやま川下流域・周辺水田」と云う地域があるようです。また人工的に造られた東京都の葛西海浜公園も指定を二年前に受けているようです。東京湾最深部に造られた葛西海浜公園には2万羽を越えるスズガモらが渡来する地として認められたものと思われます(ラムサール条約基準の一つに[定期的に2万羽以上の水鳥を擁している場合]がある)。

 少年の頃、埋め立て前の東京湾葛西の海を知っていますが、防波堤の向こうに怖いような黒い海が広がっていたイメージを感じていました。その海の漁師たちは漁業をあきらめ埋め立てられ、その海岸部に公園や行楽施設(葛西と隣接浦安の海にディズニーランド)が出来たのでした。その葛西の海が鳥を大事にする人たちの働きかけ大と思われますが、ラムサール条約に登録される地となっていたなんてビックリです。
 そのラムサール条約は3年に一度のペースでCOPと云う会議が持たれています。次回開催は来年COP14が中国武漢での開催予定地との事です。武漢には水鳥が行き来する広大な湿地があるようです。

2020_1030記
旅に暮らしに峠あり

 広重53次「油井」さつた峠の旅人たちは外套らしきを羽織っている。
 外套は合羽とも呼ばれるが南蛮蓑とも呼ばれていたようです。手をかざす向こうには真白な富士があります。
 薪を背負いあげる杣人。

 私の家では10月中旬から朝方を主に石油ストーブに火を付けています。とともにインフルエンザの話題もチラホラです。知人の中には仕事の関係もありワクチンをうつ予定とか・・・
 インフルエンザは一昨年度までは日本でも約1割近くの人が感染していたとのこと(1200万―1000万人)。感染後重症化するケースは高齢者に多いらしいが、感染者自体の総数では15歳未満が4割を占めているのだといいます。ここに注意点があると思います。感染者数1200-1000万人の4割ですから480-400万人です。日本での人口比率で15歳未満が総人口1億2500万人で占める割合は12%ぐらいとの事、よって1500万人です。1500万人で480-400万人の感染者が出るという事は、15歳未満においては3割前後(27%-32%、3~4人に1人の割)がインフルエンザ感染者という事になります。
 入院するぐらいになると高齢者(60歳以上)が入院した人の6割を占め、15歳未満が2割5分を占めるとのこと。高齢者では肺炎をこじらせ重症化が多例あるようですが、若年層(10歳未満)では脳症が例として告げられています。過剰な免疫反応で脳がむくむとあり、「意識障害・けいれん・異常言動‐行動…」とこれらは山遭難で調べた時の低体温症が悪化した時の症状と同じものが並んでいました。脳内に異常が来たすと狂ったような言動や行動をするようです。このインフルエンザ脳症により2018-2019年時は二百数十人が亡くなっています(この内の7割が10歳未満)。予後においての重軽の後遺症をあわせると約3割の方が元の生活に支障をきたしているようです。
 新型コロナ対策で日常になっている感染症対策ですが、コロナでは話題の外だった「うがい」が予防項目にあがっていることに気づかされます。

 「油井」さつた峠へは何度か通っているのですが、いつの時だったか海沿いでもあるこの辺で捕ってきた魚を数人で分配しているのに出くわした所でした。広重の構図と同じような風景があり訪ねている人も多いのかと思います。
 新型コロナ感染者数、人口で比率を求めると東京で現在発表では0.22%が感染しています。大坂では0.14%、愛知0.08%、北海道0.05%、福岡それに私の住む長野などでは0.01%。ただ沖縄では東京を上回る0.23%が感染しているようです。東京はただ単に人口が多いから感染者が多いわけではなさそうなのです。東京と沖縄が特出している状況は どのような分析がなされているのだろう。また本文の15歳未満での実態はどの程度把握できているのだろう、新型コロナ年代別棒グラフを閲覧できるものがあるのですが、東京の例だと20代以上は20代をピークに斜面を下って行くように高齢者になるにつれ感染数が減っています。ところが20代と10代とでは崖を上り下るような劇的変化があります→参考グラフ

2020_1025記
長野の日和山

 山の名で一番多いのは城山だそうです。次が丸山。
 烏帽子岳とか駒ケ岳とか云うのもよく出くわす山名です。ところで日和山と云うのも結構多いのです。この日和は「いい おひよりで」などの時使う日和(ひより)です。海に近いものがほとんどで、その高台から空を見、天気を予測した所の説明も出てきます。天気予報以前の江戸時代には、高台から空の状態を見る「日和見」と云う役の人がおられたとか。

 さて現在は人口衛星を駆使し雲のかかっている状況を把握し、地上の気象レーダーでその雲の中で雨(雪)が降っている範囲を調べられているようです。レーダーは、コウモリのようにはね返ってきた電波を解析し私たちが見なれた図に制作されているようです。単体のレーダーでは日本すべてを見るには精度が悪いので現在は20の気象レーダーで動いているようです。
 私の住む信州においては通称:長野レーダーがほぼ県中央の高地:霧ヶ峰の車山(1925m)に動いているようです。日本で一番高い気象レーダーになります。車山は長野県人にとって現代の日和山といったところでしょうか。

 国土地理院のweb地図で「日和山」を検索すると13箇所でてきました。
 天気観察を表した「日和見」の単語は「日和見感染」としても用いられています。これは普段は免疫機能により問題にならない超低リスクの常在細菌が増殖 し病気を引き起こす病となっています。体内の免疫機能 健康でありますように。
 長野車山レーダーは、静岡の牧之原レーダーと合わせ1999年役目を終えた富士山レーダーの代替えとして設置されたようです。気象衛星も併用されていましたので富士山ではメンテナンス等に経費がかかりすぎると判断し、35年で運用を終了。
 今日のスケッチは、そろそろ長野では気になる雪の景。広重東海道五十三次、雪の「蒲原」に描かれた3人をスケッチしました。スケッチでは3人を重ねましたが、一番奥の人はスケッチの中でここに配置しました。足元を見るとその奥の人は下駄(このスケッチでは隠れている)、前の二人はくるぶし近くまで雪で隠れていますので分かりません。しかしスケッチでは真ん中の人は見た目では肌色の足を見せています。肌色の服?素足?温かいイメージがある現静岡県蒲原の地。広重は太平洋側のその一集落自体を 五十三次の中で まるごと日本海側へ旅させてしまっている。

2020_1022記
令和の門付け

 門付かどつけと云う芸能スタイルがありました。
 直接人々の家を訪ね、芸を披露し、その芸を金品米にかえたとあります。
 それはテレビラジオが広まる前の世において、祝い事を招き入れるような芸目であったようです。
 歌唱を伴ったものではストーリー性の強いものもあり娯楽が少ないのが当たり前の時代、旅の芸人たちがやってくることを心待ちにした家もあったとか。
 その門付けの一つのスタイルとして瞽女(ごぜ)がありました。瞽女は盲目の女性たちが数人で三味線をもち、弾き語りで行ったとのこと。江戸時代から昭和初期を盛りに衰退し、くしくも自生トキの終焉地となった新潟県に細ったようです。

 今日のスケッチは、前回ブロブと同じく広重の東海道五十三次より切抜スケッチました「二川宿」のものです。二川は江戸から33番目の宿で現在の愛知県豊橋市内になります。
 瞽女3人衆の前方には「名物かしわ餅」の看板を下げるお店があり、ここで一服の構図だろうか、それとも芸を披露する相談風景? まさか柏もち屋店頭で客寄せの演奏はないよね?瞽女は広重作画のころ広く活動されていたようです。
 令和の
にはマスクを付けた宅配の方が小包を届け、手短にサインをもらい次の門へと向かっていくのです。

2020_1017記
いつか通った道を

 広重の東海道五十三次は有名であります。
 私がこのシリーズに出会ったのは、お茶漬けの付録に一枚づつ入っていた五十三次でした。今でもやっているようですが、形式が袋に刷られた応募マークを数個お茶漬け等製造元永谷園へ送ると抽選により五十三次一セットいっぺんにもらえるようです。

 広重の東海道の描写は、風景として目に入ってきていました。「こうやって歩いて目的地にむかうことが旅というものなのだ」とどこかで憧れていたのかも知れません。乗り物はせいぜい馬や川を渡る時の舟や蓮台。描かれてから200年以上たって見た昭和生まれの私には時空の旅も楽しかったのです。

 最近五十三次の刊行本を見る機会があり、それには全景とともにトリミングされた人々が見やすく編集説明されていました。一枚一枚に登場する人々は様々で大名行列あれば薪を背負う地元民あり、旅の僧や芸人・行商人・・・がいたようです。今日のスケッチは日本橋から二十七宿目袋井の一場面です。出店の前に焚かれたヤカンの火の世話をする店の女性(左)とキセルに火をもらおうとする男性はここで休む駕籠屋のかたわれです。吊るされたヤカンの下側が黒くなっています。これはそういう暮らしを経験された方なら直ぐ分かるのですが煤で黒くなっています。たぶん当時の人々が見たら絵の細部に暮らしとつながるものがあったことでしょう。そのことは一枚の絵(作品)を見るにも、現代人が見るより多くの物語を感じ取っていたことでしょう。

 子ども時代、付録で五十三次の絵たちはお茶漬けの袋と同じ大きさですから、全体の雰囲気を見、いいなと思っていた。
 大きく印刷された絵で細部を見直してみたい気になっています。そうして再び新鮮な心持でいつか通った道を通る事ができるなら、素敵なことにも思うのです。

2020_1013記
炎の干支

 コロナ下での国勢調査が今行われていますが、長野県の戦後の人口推移を見てみると年月のわりにほとんど変わっていないです。
 昭和21年で203万人、現在(令和2年7月にて)204万人とのことです。この間74年間で最大人口は平成11年(1999年)の219万人、最小人口は昭和41年(1966年)の195万人です。
 その昭和41年は丙午ひのえうまの年にあたりますが、その前後の年も同程度です。
 丙午は江戸時代初期、恋人に会いたい一心で火を付けた娘「おしち」が丙午の生まれであったこととされ以後の芸能(浄瑠璃など)が扱ったことにより、「丙午にうまれた女性は気性が激しく、夫の命を縮める」と特に丙午生まれの女性を警戒する言い伝えが出来上がったようです。
 お七は罪人として火あぶりの刑に処せられたとのこと。次の丙午は2026年。しかしお七の誕生年は丙午より後年であるとするものもあるようです。

 浄瑠璃のシナリオを描いた方々は物語として丙午の設定を当てはめたのではないかの指摘もあります。丙は陰陽五行説では火性の陽に、午もまた五行は火気にあたるとあります。火と火を情念の炎とも重ね物語を印象付けたとか。「それにちがいない」と聞き手は面白いと受取ったまま審議もしないことは往々にしてあることでしょう。
 今日のスケッチはリンドウの花です。
 リンドウの花が咲くと秋もどっぷりという感じです。
 このリンドウ、長野県の県花になります。この県花が制定された年に県木(シラカバ)や県獣(カモシカ)県鳥(ライチョウ)県章も制定されています。その年が昭和41年になります。
 この年は昭和の東京オリンピックの2年後にあたり、国立劇場がこの年 開場しています。

2020_1010記
寒露のカマキリ

 先日、二階ベランダ南側に立てかけているスダレの上の方に卵を産みつけたばかりのカマキリを土壁に見ました。
 その4日後、力絶えていたカマキリを隣家との間に見つけました(スケッチ)。
 二匹が同じカマキリであったかは分からない。でも秋が進んでいる証、寒露。

 その二日後、図書返却の折、カマキリの本を借りてきました。
 借りたのは幼年向けのファーブル昆虫記でありました。その8巻目にカマキリが取り上げられているようでしたので、8巻目を借りる事にしました。
 幼年むけは5~7才用とあり、これぞ日本の書物というように「ひらがな」満載で、ときおり使われる漢字にもよみがながふられています。一文字も行間も大きく広く。ひらがなだけと云うことで 言葉と言葉の間にふんだんにスペースが使われている「広げた翅をブルブル振るわせています。」は「ひろげた はねを ぶるぶる ふるわせて います。」となります。
 それで大人が読んでも、悩まず(難しい漢字とか)ページをめくっていける魅力がある。読み切れるという完成した形で借りた本を返せる事は気持ちがいい、私は5~7才の幼年なのだ。

 今回のカマキリをあつかったファーブル昆虫記では、主にメスの生態について紹介されていました。産卵の描写では、粘々した液をお尻から出しお尻の先には2枚のスプーンみたいなものがあり、それでかきまわすと泡状になる。卵はその泡の内部に産み込まれる。となっていました。
 スケッチでは→の2本がスプーンのようです。カマキリの卵と今まで私が大雑把に見ていたものは、卵を守る柔らかめでも温かい殻のようなもののようです。
 カマキリが卵を産みつける頃は台風シーズンに重なります。台風の本州上陸はなさそうですが、変な動き方(時計の針のような円軌道の予想進路)をしそうな14号がきていますね。自作の雨量計一昨日の降りはじめから80mmぐらい降ったようです。

2020_1005記
砥石仕上げだった我が家のヤブ蚊の刺し針

 刃物を使うとき砥石のお世話になります。
 個人宅での庖丁にしても鎌にしても。
 木工、木彫りにおいては、その使用頻度は多いことから、砥石は水を張った容器に沈めていつでも使えるようにしておくのが普通と思います。粗い砥石は3~5分ぐらい水に付けておいてから刃物を研ぎます。

 その砥石の水ぎわにやぶ蚊が一匹とまっていた。
 仕事場は室内なので「どこから入ってきたのだろう?」とはじめは思った。
 そうこうしているうちに砥石を浸した水の水面に干からびた小さな抜け殻が2つ浮いているのに気づきました。それを掬い上げスケッチしたものが、今日のスケッチの右端の2体です。
 「これはボウフラの脱皮跡だ!」

 本年は春先から蚊が室内でも多く、蚊取線香を焚く回数が飛びぬけて多かった年でした。蚊の季節が終わり頃になって、その原因の一つに気づいたようでした。絵筆を浸しておく容器もあるので、その辺も蚊の発生源となっていたのかも知れません。室内の不手際がなくても今年は蚊が多い年だったです、その傾向は去年からあります。
 私がスケッチした抜け殻は、たぶんボウフラ(スケッチ左)の次の蛹状態のオニボウフラ(スケッチ中)と呼ばれているものの抜け殻と思います。ボウフラを改めて調べてみれば、7~10日間ボウフラの姿で細菌や色々な死骸や役目を終えた生体組織をエサとしているとありました。人の頭のフケその他もそのようなものなのでしょうから、砥石の水をきれいにしてくれていた一面もあるのかも・・・室内に見かける小さき生き物たちには同じような生態があるのかもですが、一緒の部屋にはあまり住みたくない思いもあるわけです。掃除不足にて候。蚊が卵を産み付けてから約2週間ぐらいで次の成虫が孵化するようですので1週間程度で蚊の発生期は室内(室外)の水を換えるがいいのかも。

2020_1002記
今日は昨日の上にある

 9月に読んだクマの本にこんな事が書いてありました。
 クマの目撃が多い年は、その年のドングリらの不作凶作もあるのですが、その数年前からドングリ豊作(三年前)→平年作(二年前)→豊作(昨年)の恵みがクマたちの順調な出産保育を容易にし出没年は1m程度の個体数が増えていたというものでした。
 その年のドングリの増減ばかりに目が行きがちですが、数年前からのクマの個体数増加を可能にした前年までのドングリらの恵みも関係しているのではないかというのです。ですから明らかにドングリらの豊作を伝える年があったならその数年後の不作年はやるせない若クマが人前に出没するケースがあるのかもしれないといいうのです。
 あと親子グマはよく危険と話にききますが、その危険が自分の思っていた内容と違うものがありました。それは母グマが子グマを守るため人を襲う危険とは別に、親離れ前の子グマが訓練として初夏のころ襲うケースがあるというのです、親グマはこれを見守るようにすると。
 安全が保障されるなら野生のクマを見てみたい気もありますが色々な性格のクマがいるようで、疾病と同じで出くわさない事を心がけたいです。

 今日のスケッチは、生きたヤナギの幹に生えていたキノコ、ヌメリスギタケモドキ。
 今年唯一覚えた食べられるキノコです。たぶん間違いないと自分の判断だけで食べたキノコはめずらしいです。キノコ採りに行ったわけでもないのですが人の目の高さにあるのに採られて無かったので、大丈夫かなの思いもあったのですが、ヤナギに生える・笠にぬめりがあるを決めてに「えい、やー」とみそ汁にいれました「おいしい(一日たってもなにもない)」。
 周辺にはドングリの木:ミズナラが沢山ありました。
 ちなみに私が一人山に入った時する用心の仕草は、手を叩きながら歩くことです(叩き続けると疲れます、鈴らの用意がない時)。いつだったか谷の下の方からシカの警戒音がかえってきたことがありました。クマにもとどいていると思いながら。本にはラジオや鈴をつけていても、また犬を連れていても襲われた事例が載っていました、過信は禁物です。

2020_0929記
手を擦る仕草

 今朝は11℃の朝でありました。
 そういえば昨夕スーパーへ買い物に行った時、店から出てきた家族3人がそれぞれの手をすりすりしていました。あれは寒かったのか、それとも消毒の仕草だったのか?
 その行きすがら、暮れかかった車窓から見渡す山々の輪郭が冴えわたり、そんな所にも秋を感じられました。浅間山系もきれいな稜線を見せていました。

 一つ前のブログで北海道トムラウシ山での低体温症による遭難をみてみました。低体温症による遭難事例が他の本にも載っていました。それには北海道、日本海側東北地方・北アルプス、八ヶ岳、それにまじり浅間山の山名も入っていました。もう20年以上前の里では桜が咲く頃の浅間山での遭難だったようです。予定では日帰り登山だったようですが登り口側の町:軽井沢でもその日は最低気温でも5℃以上あり、曇のち雨となっています。その軽井沢での午後からの雨が登山道ではどうだったのか、雪または濃霧が発生したのではの指摘もありますが、4名すべてが遭難してしまったので推測するしかないようです。トムラウシのような台風なみの風に気象の凶暴さを感じますが、やんわりとした気象に思える霧にも性質の違う魔物がひそんでいるようです。

 今日のスケッチは、先日買った食材:カイワレ大根のような豆苗の食べ残しの豆から葉が出てきた様子です。何となくカタツムリのよう。
 10月から、タバコ、酒類の一部が値上げ予定とか。
 同じくニュースで来年の予算概算要求なるものに新型コロナウイルスの項目が新規事業として要求されていました。手をすりすりは来年の夏もやっているのだろうか。

2020_0927記
長袖とのお付き合い再開の今日この頃

 野外で活動を予定するとき、天気予報を確認します。
 わたしの場合、雨か晴かと共に風の予想もよく見ます。天気が変わる時、風向きが変わることが多いので注意します。
 登山において雨風が重なると厄介になることは想像できますが、盛夏においても高山でそのような物たちに遭うと遭難のケースがあるようです。
 北海道大雪山系トムラウシ山では、十数年前の盛夏の一日に大量遭難が起きたようです。前線を伴った低気圧が通過後のことだったようですが、遭難した峰付近でも5~10℃前後の気温はあったと推測されています。雨は朝方10㎜/h前後で後は夕方まで一時間に数ミリ。しかし常時稜線部では20m前後の風が吹き続けたとのこと(これらは気象現象としてトムラウシでは特異なものではない悪天)汗・浸水による濡れた身体も合わせ多くの低体温症を発生させその内の8名の命を奪ったとありました。
 ツアー登山だったため極力一帯となって進む強風の中、長い待ち時間も生じたようです。低体温症は35℃以下に体温が下がった病態とあり、氷山にて沈没したタイタニック号や八甲田訓練中の惨事も急性慢性の差はあれどこの低体温症があったようです。
 それが北海道とはいえ夏山で起こったのです。59歳以上の方々、食べ物は携帯食ではあったが装備はある程度の山経験のある方々だったようです。道に迷う・滑落の遭難ほどではないにしろ、自身の体の異変による遭難も多いようです。

 今日のスケッチは雨上がりの林道に落ちていたアケビの実の殻。中はすっかりなかった。
 低体温になると、身体は熱を作ろうと筋肉を震えさせるそうです、それが「震え」となって現れるとか。その回復作用に体内の血液・酸素が集まろうとする、と 脳へのそれらの配給が少なくなり「ねむたくなる」とのこと。これは食べた後、消化器官に血液・酸素が集まり眠くなるのと同じだと書かれていました。
 寒冷の中 眠くなるのは疲れたからとか長い時間起きているとか通常時の眠気とは異なるのかもです。

2020_0923記
控えめ速度で遭遇

 普段は閑散としても連休になるとにぎわう道があります。
 山間の秋口の道は気候もよく、四輪二輪の車両が走破していく。
 早熟(?)のハウチワカエデが一本赤く色づいていました(標高1350m)。そんな色づいた葉たちがアスファルトの道に落ちるのもそう遠くないことなのでしょう。
 道を機械仕掛けの乗り物で行くと通り過ぎるだけの途中の道にも、徒歩や上りの自転車なら否応なしに時間がかかるので足元やら林に目をやり進むので色々な物が情報として入ってきます。林中のハウチワカエデの紅葉は車からも見えるでしょうが、その周辺に落ちているシカの糞は到底見えない。食べられる木の実:サルナシが葉陰になっている、それらは「ここにあります」と置かれる自販機のように目には入ってこない。

 タイヤの下敷きになってしまった動物たちも目に入ります。昆虫類が主なのですが、この日はシマリスが横たわっていました。そしてスケッチのものがアスファルトの道に横たわっていました。枝かと最初思いましたが、この60cmぐらいあった大ミミズは無傷でありました。両者とも後続の車に轢かれない道脇に移動させ通りすぎました。
 長野県内(八ヶ岳東西にて)それなりに連休は車が入っていたように感じます。
 Gotoトラベルを申請していない宿屋さんもあり「手続きが少し面倒だから」と話されていました。手続きを面倒にする加減で人の移動を抑制している政策も含まれているのかも。連休が終わりました、どんな日々になりましょうか。

2020_0918記
ヤブレタテハ

 秋を感じさせるものがあちこちに出始めています。秋の彼岸も近い。
 昼もそうとうに短くなってきていますし空に筋状の雲をみるようになってきています。
 あの暑かった熱気が引き人によっては過ごしやすい季節が訪れようとしている。しかし一年を一生とするものたちはそうも言ってはいられない。そういう生き方を授かった生物たちにとって秋は人でいえば老であることでしょう。
 ひと夏をとびまわった蝶たちの翅が傷んでいる。
 ウラギンヒョウモンチョウ(スケッチ)はその代表的なボロ翅となり、図鑑にも載ってない蝶に遭遇したような変身ぶりを毎年見せてくれます。
 あのボロボロの翅に自身の身体を映す人。
 あのボロボロの翅に自身の気心を映す人。
 今年も私が個人的に呼ぶヤブレタテハ(翅の傷んだウラギンヒョウモン)の季節にはいったようです。

 ヒョウモンチョウもタテハ蝶の仲間。タテハ蝶は山地において12色の色鉛筆のように多種がいます。
 オレンジ色のウラギンヒョウモンチョウは盛夏前の白いウツギの花に群れる姿は美しいです。
 スケッチのヤブレ翅のそれは、私の腕にとまったものです。
 あなたの命をおだやかにまっとうしてください。

2020_0913記
ナラとオオサカ

 標高1000m辺りまでコナラの木を見かける。
 それより高くなるとミズナラの木の生息地になるように感じています。
 コナラとミズナラは共にドングリを付ける樹木です。葉の形もすこぶる似ていて一見区別がつきにくいです。スケッチはミズナラのものですが葉の付け根に枝との隙間がなく、コナラは葉に柄が多少あるのでそれで自分は見分けてみています。
 今年は季節感が一か月程度遅れていると話す方がおられました。そう言われてみれば私の裏庭に毎年出てくるツユクサの花が9月に入ってから盛りを迎えた感じがあります。季語ではツユクサは秋ではあるのですが。
 ドングリも秋の季語とあり、もっと押し迫った晩秋だそうです。早い今年のドングリがコナラ・ミズナラともふくらみはじめたようです。

 テニスの大坂なおみさんがアメリカでの大会で活躍されました。
 彼女は黒い肌の人たちへの差別的扱いに抗議の行動もとられた。そういう点からも彼女は日本人を超越している。日本の著名人たちは大きな舞台であのような政治的アピールをしてきたのだろうか。それは大坂さんの大きさ純粋さを感じると共に、ご本人の中でのアメリカの大きさも同時に感じたりします(国籍は昨年まで日米二重国籍、昨年より日本国籍とのこと)。
 大坂さんは肌が黒いという事で、アメリカあるいは日本で自身が差別や侮辱を感じた経験はなかったのか。日本の国・町・人にも形は違えども古くから今にしても偏見や差別は存在すると感じる。新型コロナが大坂さんの黒いマスクのパフォーマンスを引き出し、そのメッセージはアメリカを含む世界それに日本人へのニュースとなった。

2020_0911記
読書の秋、葉の知らせ

 日本で発表されている新コロ感染者7.4万人。中国のそれは8.5万人。
 けっこう近い数字になっています。亡くなった方は日本1409人、中国4634人で中国のほうが3倍より多い。でも人口は中国の方が12倍もおられるようなので(発表の数字がすべてではないかも知れませんが)・・・です。
 その中国(東アジア)との交流は日本においてどの国よりも長くなるのでしょう。漢字と云う道具を今も重宝し日本の日常で使っています。古き書物の一つに万葉集があり、それはすべて漢字で書かれているといいます。
 そして万葉集の中から現在の元号の「令和」が浮かび上がってきたといいます。調べいれば令和という並びはなく“于時初春令月 氣淑風和…”の令と和のようでした。この場合の令月は善い月の解釈とか、「れい」の音は冷を私などは一番に連想してしまっていたので「少し寒々しい元号だな」と思ったりしたものでした。万葉集巻五にあるそうです。

 万葉が届くと困り果てるでしょうが、四葉が我が家にとどきました。
 子ダヌキ2名が「はっぱのお便り」と届けてくれた。
 葉の形に魅力があったのでしょう、円形に近い同じ種類の4枚でした。
 「ありがとう」と、その届いたまだ無地だった葉っぱの裏に「ソフトクリーム」の上部だけを黒いマジックで「湯気マーク」も添え描き送り返してやった。
 子ダヌキたちは「ニタッ」と笑い、それぞれマジック描きした葉を持ち帰っていきましたとさ(スケッチはその一枚です)。

2020_0907記
クマの果異

 食べる物によってかたくなったり柔らかくなったりする。人のウンコの話です。
 人は肉も菜も食べる雑食性なので、肉が多い時と野菜が多い時ではウンコの容姿がかわるのでしょう。
 ところで野生での雑食性動物は、否応なしにその季節にある獲物をたべることになるのでウンコの季節変化はけっこうあるのではないかと思うわけです。
 日本本州での野生動物の大なるものにツキノワグマがいます。クマは植物食に依存する割合が高いようですが、雑食性とのことです。
 わたしたちは算数の答えのように回答を一つにしたい教育を受けているのであります。しかし答は一つではない現実が至る所にあり、クマのフンはこれですと明確な見分け方は素人にはむずかしそうです。先日訪ねた避暑地には本年8月のうちから沢山のクマ目撃情報が出ていて、森中の知人宅では毎晩暗くなってから一匹のクマ(1m50と話されていたので立派な成獣)が現れ雑排水の鉄蓋を開け物色していくのだと聞きました。鉄蓋の上に重しを置いてもみんなどかしてしまうとのことでした。2階からおどかすと一時東隣りの森に退避し、しばらくして戻ってくるとのこと。
 今日のスケッチは、そのクマが敷地隅にしたフンなのですが、初夏のころ別地で見た堂々とした大きなフンではなくせいぜい15㎝のベチャとしたものでした(スケッチ:排便され3日ぐらいたつ、落とされたばかりの時はお腹をこわしているように感じたとは現地の方のお話)。すぐ近くの道路上を黒いシミが点々と横切ってもいた、外からくる人たちはその一つ一つがまさかクマのフンとは知らず轢き通り過ぎたようでした。黒い基色の中、木の実の種が明らかにいくつも混ざっています。スモモの種だそうで、植物としてはこうやって新天地へ広がって行くしめしめもあるようです。しかしスモモの実の大きさは知れている、種は消化しないのだし。一晩でどれだけの食料が必要なのだろうか。

 今秋は木の実が不足しているようです。クルミが落ちていないと話されていた。
 火山活動が心配される地から、クマたちが周辺へ入り込んでくることもある経験則も話してくれました。よってクマの多い山は噴火しないとも。
 本年はどのような現象なのか、切実な思いで里に出没しているのでしょう。その事はその土地の人たちも充分わかっているようで、役場への届け出はギリギリまでしないと言っていました。クマ注意のようです。
 「米異なる」と書いて糞(フン)ですので、今回のクマのフンは「果物が異なった」のタイトルです。

2020_0904記
沢水冷却

 現在千曲川本流の朝の水温は20℃ぐらいです。それに流れ込む水路の水温も同じく20℃でした。しかし堤防の護岸(石積みの間)から湧き出している水は17℃といくらか冷たいようです。サンダルの素足で千曲川に入れば湧水のあたりだけヒンヤリしています。

 山に近い場所、湧きだしてから間もなくの水はなお冷たいです。沢と呼びたくなる細い流れのものであります。 その場所はおおよそ標高1450m。水源から1kmも下ってきていない森中の沢でした。手を沈ませ「1・2・3・4・5・・・」と数を数えると20で手を引き上げました。冷たさにがまんできなかったのです。それほど源流部に近い水なら、その水を汲みあげ飲むこともするのですが、リックに持ってきたペットボトル水筒に水が残っている時は、そのボトルを数分沈ませ飲むこともします。数分でいいのです。そんな涼の取り方を本年夏発見しました。

 画家六郎さんの絵で井戸水にスイカを冷やしているものがありました。井戸の深さなど条件にもよるのでしょうが、それはそれで憧れる涼の求め方のひとつに感じます。私の暮らし地での身近な水場(川)でそれを求めることは難しいようです。
  さて現代の涼場:冷蔵庫の中は何度ぐらいなのだろう?外気より涼しいのは想像する範囲なのですが。
 温度計を入れてみると13℃ありました。これは庫内温度調節つまみを冬季設定の1にしたままだったことによります、夏季用につまみを戻すのを忘れていたのです。それで標準のつまみ位置5に戻すと7℃となり冷蔵庫の規格温度(5-10℃)に入ったようでした。
 まあそんな手違いの冷蔵庫に保管した水でありましても盛夏の頃は涼を感じさせてくれました。信州での夏は後ろ姿を見せはじめています。

2020_0831記
花びらの白い色はマスク人の色

 マスクが最近は手に入るようになりました。
 消毒液などもコンビニでも買える世の中となっています。
 マスクのない頃は5枚ぐらいごとに煮沸し再利用していました。
 ほどなく太陽紫外線の本を読んだ時、紫外線には殺菌効果があるとあったので、できるだけ日向で3~4日ぶら下げては再利用するようになっています。これでいいのかどうかは分からないのですが、煮沸にしても紫外線干しにしても耳ゴムがゆるんできたら廃棄しています(注意として紫外線干しは殺菌はしてくれるかもですが、排気ガスなどマスクについた化学物質はそのままになる)。
 紫外線の本には、殺菌効果とともに、人が多量に浴びると一時的に免疫機能の低下があるらしきが書いてありました。日陰でも日向の半分ぐらいの量はあびているのだとか。半袖でもできるだけ手首まで覆う工夫をし野外に出ています。9月初旬の紫外線量は3月下旬ぐらいと同じとのこと(ピークは7月)、時間帯では午後1時ぐらいがピーク。標高1000m高くなると6-10%紫外線の量が増す。
 標高の高い避暑地に、去年までは無かった点景に、道脇の白いゴミがマスクであることをたびたび目にしました。行商地では一日世話になるのでできるだけゴミが落ちていれば拾う心がけで散歩するのですが、今年はどんな経歴のゴミか判断できないのでスルーしたゴミが多々ありました。

 ろこぎの舟が瀬戸内を行く風景を見た事があります。静かな海だった。
 折り紙で折る「ほかけぶね」が幼い記憶に残りますが、帆掛け舟が実際に使われている姿はみたことはない。
 その帆掛け舟の姿に似ている花の容姿から花の名前が付けられたというツリフネソウが今日のスケッチです。ツリフネソウは普通赤または黄色の花が一般ですが、スケッチの物は白い姿でした。葉は赤いツリフネソウに似るものでしたので、その変色かと思っています。

2020_0825記
止めオリンピックの山影で

 手の指をパアと広げた時親指の先と小指の先は私の場合21㎝です。
 それでは親指と人差し指をL字に曲げた時、その先端と先端の距離はと云うと18.5cmでした。
 1、2、3回L字を作り進むと18.5×3=55.5㎝、この仕草に似ている事から名が付けられたという尺取虫。
 彼らは進み上で全身を使い距離を稼いでいきます。尺取虫の腹筋や背筋はさぞかし鍛えられていく事でしょう。しかし尺取虫のwebページには前方の足3対はカギ状で後方の足2対は吸盤状になっていて、吸盤の後方の足の役割を強調していました。
 先日、日影の鉄棒の上を1ピキの尺取虫が移動していました。途中で観察している私に気づき前方の足を浮かせピンと身体を伸ばし斜め45°で動かなくなりました。2020オリンピックは中止になりましたが、見事な棒状の立ち姿に高得点が期待出来そうな鉄棒演技でありました。

 今日のスケッチは、トンボエダシャクという蛾のようでシャクガの仲間。
 ヤマブドウの葉の上にいました、幼虫の時は尺取りであったのでしょう。
 シャクガの類には人に対して毒をもたらすものはいないようで「手にのせてもいいよ」となっていました。天敵は多く、生命のトーナメントを日々クリアし、私たちは出会っている。生命のトーナメント上では攻撃力の強いもの、また卓越した防御力をもつもの、総合力で勝ち残るもの、それらに加え運を味方につけたものたちが2020の夏空の下、躍動したものと思われます。

2020_0821記
とりあえず新しい

 エアコンがない、扇風機がない(買えないわけではない)。
 ひとりで暮らすが故 出来る生活スタイルがある。
 今年の夏は暑く蒸す。室温で32℃、夜明けころでも28℃。暖蔵庫と云うものがあるのなら、その中に昨今の暑さを保管し真冬に出してみたいものです。
 冷蔵庫はある。よって密かに最終冷房機として、冷蔵室の扉を開放続けたらのアイデアはあるが、試したことはない。
 よってウチワをあおぎながら寝る。数年前気づいたのですが寝苦しい時、ウチワを自分であおぎながらも寝むる事ができるのです。そのウチワの手が何時まで動いていたのか分からないが朝になると止まっている、消し忘れは今のところないようです。
 電気(エネルギー)を使わない方向性をもつようになったは、福島の原発事故以降。
 幸せはほどほどでいい。原発は原爆をいつでもつくれる施設として保持しておきたいとweb上で読み聞きしたりした。広島の原爆が落とされた時、日本の新聞は「原子爆弾がおとされた」とは即時には当然書けなかった。なんて書いたか・・・
 「新型爆弾が広島に落とされた」としたのです。
 そこで新型コロナなのです、。

 今日のスケッチはキリギリス系の虫たちも成虫をあちこちに見かけるようになっています。セスジツユムシかと思います。
 わたしの父は、キリギリス採りの名人でした。夏、内房の海に泊まりで連れて行ってくれた帰り間際、海辺の草むらに入って行きキリギリスを数匹採ってきてくれた人でした。海から帰るとしばらく木造の家にキリギリスの鳴き声があった夏が数年ありました。

2020_0817記
夏の季語、ゲンノショウコ

 裏庭に見覚えのない葉がこの春生えてきました。
 そのような事はよくあることですよね。
 形に特徴があるとそのままにしてどんな草木になるか抜かずに様子を見る事があります。今年は新コロ緊急事態宣言のころ、1つの気になる葉が生えてきました。
 切れこみの深い葉型だったので、自分の知っている野草ではニリンソウにでもなるのかなと初期は思っていました。しかしニリンソウの通常の花期をすぎても葉を増やすだけで花は咲きませんでした。
 長い今年の梅雨は観察もずぼらにし盛夏になりました。久しぶりに見ると白い花が咲いていました。そこで初めて「これはゲンノショウコに似ている」と解明の糸口を見せてくれたのでした。ゲンノショウコと即断できなかったのはこの界隈の里にはほとんど見かけない草であったことと、山で見るものより葉も茎もがっちりし立ち上がってもいたことでした。
 ゲンノショウコは山でもほぼ同時期に花を咲かせていたので梅雨明けの頃咲きはじめ盛夏を花期とする野草のようです。

 昨年の記録では7月18日に山でゲンノショウコの花画像があり8月いっぱい花の姿、9月上旬鉛筆のような鞘となり、その下旬にメリーゴーランドのような姿にはじけ種を飛ばしています。
 本文でも書きましたがこの界隈には見かけなかったので、私が山でスケッチ用に採ってきた種付きのゲンノショウコをスケッチの後、裏庭隅に捨てたことも考えられます。地を這う姿が普通のゲンノショウコが、立ち上がるように育ったのは板壁際の日影に生えたため少しでも背伸びしたのかと思っています。
 山ではクマの出没ニュースがいくつかあり、長雨の影響でエサとなる木の実が少ない可能性があると解説を読みました。ひとつ前のブログのオニグルミの実は七輪での煮炊きの火種にするつもりで道路上の多数を採ってきては保管しています。その実の大きさが小さい物が多いように感じています。現代日本人は自給自足ではなく商店で食料品を調達できるのでコロナ禍においても、野生動物たちに比べるといくらか容易なことでしょう。野生とは明暗を兼ね備えて、人の暮らしは明るさを装った中間色。大きな貨物船が1万km彼方で座礁、重油大量流出のニュース。あの貨物船の油の一滴が私たちの運転する自動車のガソリンやら何気なく手にするプラ製品の一片になるのだろうと考えるとクマとヒトはどちらも悲しくやりきれない。

2020_0813記
あの時のただちではない今の影響は

 長野県内独自のコロナ感染情報レベルが提示され発せられています。
 現在は直近一週間で10万人あたり新規感染者が0.4人(=25万人で1人)でレベル2の[注意報]、1.2人(≒8万3千人で1人)感染のレベル3[警報]、・・・、10万人で5人(2万人で1人)の[(県独自の)非常事態宣言]の目安とのこと。
 10万人の人口を持つ市町村は長野、松本、上田の3市。9万人台の市が3つ、その次が6万人台になっていきますので、それらを思うと上記レベル設定はかなり厳しく、かりに市町村単位で発令されたなら町村内から一人出れば非常事態宣言に相当する内容です。
 実際には圏域単位=県内10か所の保健所単位で情報がだされています。現在 北信・上田・佐久の3保健所圏域で[警報]、他は[注意報]の情報です。

 この3圏域は奇しくも原発事故のとき山越えの放射能が心配された(る)ところで、未だに放射能検査でシカなど検体数が報告されない、もしくは著しく少ない地域になります。
 放射能汚染の時 年間で1ミリシーベルトを浴びると5.5人がガン死リスクがあるだろうとするものがありました。これは冒頭のコロナ記事と同じく10万人対象で5.5人です(一生涯で10万人で5.5人がガン死リスク)。原子力緊急事態宣言のもと 現在20ミリシーベルトまで引き上げられ暮らし可能とされているらしいです。

 コロナも放射能も、病として自分の目の前に現れないとその存在が不確かです。コロナにしても約半年前から研究が始まった事柄でしょうから、ただちに命や生活に影響はなかった無症状でも不確かです。治った後もウイルスが潜伏し免疫力の低下する高齢時に再発する水ぼうそうと帯状疱疹の例もあるのですから。

 今日のスケッチは、オニグルミの実が落ち始めました。それをスケッチです。
 クルミは梅干しで云えば種の中の仁を私たちは食すようです。果肉の部分を付けたまま緑色の実は落下していました。落ちたばかりの緑実を拾い上げると少し粘々しています(かぶれる人もいるとか)。中を割ってみるとまだ柔らかい仁が出てきました。きっと乾燥が進み粘々が気にならなくなった頃 中の殻も強固になるのでしょう。
 野のクルミひとつにも、知らない事にあふれています。

2020_0810記
炎天に跳ぶ

 部屋の中も暑い。意表をついてこんな時は外で運動をして身体をいつも以上に暑い思いをさせたら部屋に戻った時、涼しさを感じられるのではないか!
 と、炎天の中10分ほど縄跳びをした。
 縄跳びは10日ほど前さがし見つけたのですが、跳んでみると以前と比べると全く飛べなかったのでそのリベンジも兼ね二重まわしに再挑戦しているのです。
 行った後、おしぼりの要領で熱いぐらいのタオルで身体を拭くと、いくらか過ごしやすい時間帯があった。まあそんな邪道を試すほど身体は一時の凹み状態から油断はできないが回復してきているのでしょう。
 野外の温度計は35℃を示していました。室内は30℃。
 高校卒業時分仲間たちとフォークギターを持ち寄って自作の歌を録音した思い出があります。その歌の中に〔暑いさかりの風景〕と云う詩があり、その冒頭は「正午の天気予報では31℃を越えたという・・・」当時の気温やニュースを元に31としたと思うのです。
 その作詞から約40年ちょっと、現在広域で35℃を上回るニュースを見聞きする日本列島となっています。

 当時の詩は記録となってもいるようです、友人たちにも感謝します。
 今日のスケッチは縄跳び行のとき、炎天の中でもカエルが何匹が目に入りました。アマガエルが多いのですが、スケッチは地面草陰にいるトノサマガエルと子供のころ呼んでいたトウキョウダルマガエルと思われます。7月のうち雨が多かったせいか小型のカエルが多く、それを目当てに小型のヘビ(ヒバカリ)も見かけました。アマガエルは自分がもっているカエルのイメージとかなり異なり日中炎天の日向にけっこうジッとしています。それに「よろこぶかな」と自家製ジョウロで水をかけてやると、どんどん逃げていく。逃げる方に回り込みジョウロ水を再びかけると方向転換して水から遠ざかろうとするのです。あれはカエル輩が「よろこび」の感情を伝えようとする行動仕草ですか。それとも「おまえの縄跳びはなってないぞ。こうやってとぶのだ」と手本を示してくれているのですか。

2020_0807記
霧ヶ峰は実際涼しい

 セミの鳴き声が身近になってきました。夏です。 エアコンでは日本語の商品名で著名なものがいくつかあるようです。「白くまくん」「霧ヶ峰」・・・
 その霧ヶ峰に友人の案内で行ってきました。現地八島湿原駐車場に8時集合時は霧の中であった高原が歩きはじめると視界が開け、まるまる一日歩いたので脛やふくらはぎに筋肉痛が残りました。
 八島のビジターセンター展示には夏季において天気はよいが快晴が極めて少ないグラフがありました。集合時間を8時としたことで霧ヶ峰の霧を体験できたようでした。友人からは「八島湿原の北側の山を歩こう」と聞いていたので歩き終えてはじめて「どうやら霧ヶ峰の主要地をまわってきた」と気づいた次第です。私は今まで白樺湖ぐらいまでの車山東側一帯を霧ヶ峰と思い込んでいたところがあり、初めての車山西側の路たちでありました。
 平日ではありましたが登山者・旅人は適度にすれちがい、控えめながらある人はマスク越しに「こんにちは」とすれちがいました。急登の箇所は少なく、登り切れば草原風の一帯の中 大らかなハイクで「北の耳」「南の耳」なる丘を経由しました。

 今日のスケッチは、そのどちらかの「耳」で休んでいる時、左手指先にとまった蝉でした。標高で1800m以上ある場所、コエゾゼミなる蝉のようです。Wikiには通常は薄暗い山の中に生息とあるので、たまたま彼も通りがかりの旅人であったかもです。
 高原霧ヶ峰、無料で利用できる八島ビジターセンターもコロナ下の夏。入る時、名前と電話番号を書く紙がありコロナ感染者発生時の連絡資料にするとのことでした。その横にプッシュ式消毒液も。
 草原部ではコウリンカ。湿原部ではシシウド・シモツケソウ・チダケサシ・メタカラコウほか花は盛りの中にありました。
 エアコンの「霧ヶ峰」第一号は1967年発売とのこと、同時期に「上高地(床置タイプ)」「軽井沢(窓枠タイプ)」と云う機種も出ていたようで霧ヶ峰の壁掛けタイプが一般家庭では主流となったため今にあるようです。霧ヶ峰、エアコンというかクーラ―の名としてうなづける夏の山行でした。

2020_0804記
ニュースは数字を伝えつづける

 高崎郊外で戦時を小学生で過ごした方が空襲の体験を話してくれました。生家の近くには弾薬製造所があったためそれを標的に落とされた爆弾がシューと云う音を立てて頭上を飛んでいったとのこと。
 空襲警報は付けっぱなしにしておいたラジオからの「・・・(敵機)横浜から侵入・・・」といつも始まり横浜から先は何処に来るか分からないがラジオを消し竹藪の防空壕にすぐに入ったとのことです。郊外であったこともあり身内にけが人も幸い出なかったとのことでした。
 この標的にされた岩鼻火薬製造所は東京砲兵工廠の管下に置かれていたとのことです。東京砲兵工廠は現在の後楽園界隈、すなわち東京ドーム周辺にあったようです。関東大震災で被害寛大のため徐々に九州小倉にその役割を移したようです。それが完了しすぐ(昭和12)職業野球場後楽園球場+遊園地+競輪場などに工廠跡地は姿をかえたようです。
 岩鼻の火薬製造所は工廠が東京から小倉に移った後も火薬製品を製造続けたので昭和20年の空襲時の標的となったとのことです。こちらの施設も戦後 姿をかえ県民の森として美術館博物館を備える公園となって今にあるようです。

 空襲警報は住民また配置されていた軍への警報であったようです。関東において小笠原および房総半島などに電波探知機を備えた監視、および目視により皇居隣接竹橋の東部軍管区司令部内で判断され待機していた放送員(NHK)が直ちに報じたとのことです。新コロ感染者の数を知らせるニュースはこの警報に似ているように思います。どちらも用心しなさいの趣旨とは思いますが、有効な政策対策は国として出せないのである程度の情報を開示するので自分で守りなさいという意味合いでです。視聴者たちがそれを欲しているといえばそれまでですが、100・200・300と膨らんだ数まわりの要請を知らせるニュースの日々。
 今日のスケッチは東京砲兵工廠のweb上古き画像に煙突を見たので、私が十数年前の旅先でみた煙突のある風景であります。煙突の向こうはオホーツクの海がありました何の工場だったのでしょう。

2020_0731記
森中の物々交換

 草場に黒い蝶が見え隠れしていました。
 あわよくばカメラに収めようとペダルを漕ぐ足を止めシャッターチャンスをうかがっていると、黒い蝶が草場から道に出てきました。黒い蝶と云うとジャノメチョウかカラスアゲハですが、大きさからはアゲハほどの大きさはない。
 ヒラヒラ、スィーと私の方に近づいてきました。飛んでいるうちはシャッターが切れないので「近いどこかに止まってくれないかな」と思っていると、何と私のカメラを持ってない左手の甲に止まったのです。 黒い翅の外周部がベージュで太く縁どられていました(スケッチ)。体形から見てジャノメ系でもアゲハ系でもなくタテハ蝶の仲間のようでしたが、自分は初めて見る蝶でありました。着地と同時に管を肌に下ろしました。しばらくこの体勢でいてくれたのでいい写真が撮れました。

 「さあ、出発しよう」と自転車のペダルに足を載せ、蝶のまだ止まっている左手を1・2度振るが一向に飛んでいかない。「しょうがない」と左手もハンドルを握り発車したのでした。
 数百メートルの間、二人(二命)乗り状態で走行ののち、その蝶は森中に飛んでいきました。

 翅を開ききってはくれなかったのですが、わずかに開いた内側には青い斑がいくつもありました。キベリタテハと云う名が付けられた蝶のようでした。手に止まっていたのは汗に含まれる塩分などミネラルを求めていたものと思います。
 薄曇りとはいえ上り坂であったので汗を適度にかいていたようです。私からすると珍しい蝶を身近に見れ、キベリタテハは栄養を補給できた森中の物々交換でありました。
 今 木の葉に関する本を図書館から借りてきています。キベリタテハの森にはミズナラや白樺の木が沢山あります。それらの木々はこの蝶と生態系でつながりがあるようです。私が利用する図書館の市町村内で感染が報告され図書館が再度閉じたようです。遠い昔の単線の鈍行列車がこんな風に少し走っては止まりをくり返し終着駅へむかっていましたっけ。時刻表がないのはつらいものですね。

2020_0729記
坂途中の教育施設

 長野県中央部にその分校はありました。
 校庭や運動場に草が伸び放題だったので今は使っていないのは分かりましたが、ガラス越しの室内の様子が埃っぽくなく、廃校ではなく休校扱いなのかもしれないです。国土地理院のweb地図にも文の記号がその場所にはっきりとあります。山辺小学校美ヶ原分校がそれであります。
 校庭と運動場は坂道を挟んで東西にあり、校庭にはすべり台や雲てい(スケッチ)、ブランコ・シーソーの遊具があり、ワラビ・ホタルブクロ・アラゲハンゴンソウらの夏草が足の踏み場もないほどでありました。運動場には埋め込まれたタイヤの列あたりにヒメジョオンが林立しモンシロチョウ・ヒョウモンチョウら蝶たちでにぎわっていました。高いフェンス越しに伸びた大樹の枝にマメコガネが休んでいました。
 校舎は木造では無かったが全体として私が持つ分校のイメージに重なるものが多かったです。教科書を開かずとも野山に教材が溢れていそうなこと、それが私の分校のイメージなのかな。

 雨の季節が続いていますが、ここでカブトムシを飼い始めたという少年がいました。長野の小学校もあと数日で夏休みに入ります。
 夏休みを対象にした巡回ラジオ体操は全日程を中止するとのこと、そして休み明けの状況はどうなっているのでしょう。4月と7月の新コロ感染を比較すると接待を伴う飲食店がよく取り上げられますが、保育を含む教育施設での感染も増えています。4月のうちは3月からの休校がほとんどだったのでしょうから登校の7月に感染児童生徒が出るのは不思議な事とは思えません。そういう観点から7月の感染状況には新しいルートが出始めているように思うのです。

2020_0725記
君の夢は未来の調理師

 少年たちは野原で虫をつかまえたようでした。
 籠の中にはバッタとカナブンが入っていました。「飼うつもり、食べる物はなんだろう?」とやってきてくれたのでした。
 そうやってサワガニやらオタマジャクシやら幾つかの生物の食べ物をしらべさせてもらってきたが、バッタを飼いたいというのは初めてだったので「しらべてみよう」と話しました。
 バッタやカナブンの種類をまず図鑑でしらべてもらい、私がネットで食べ物をしらべたのです。そうこうしている内に籠に入れられていた土や枝の中からコオロギらしきものも現れた。それぞれ調べてみるとバッタは土色のショウリュウバッタ(スケッチ)の幼虫はイネ科の草の葉「ネコジャラシとか、ちょうどショウリュウバッタの身体と同じような形の葉っぱを食べるみたい」。カナブンは果物とあったので、台所にクズ袋に捨てたバナナの端を与えました。コオロギは動植物を食べると調べ着き三種のうちでは最もどう猛な食性であったようです。

 チョウやトンボも捕まえ一時籠に入れたそうですが、蓋を用心しながら明けたとき逃げてしまったようです。君の夢に翅が生えているなら、そういう事もあるというものさ。
 それから4人で来た内の一番小さい君は一年生。兄ちゃんたちが虫の図鑑を調べている時、君は台所で三分クッキングをしたみたいだね。みんなが帰った後気がついたのだけど、白いあら塩のビンとちょっと黄色い砂糖のビンの中身が混ざっていましたよ。なんか湿っぽかったので水も入れたのかな。雨続きで乾かすのにフライパンを使ったら塩はよかったけど、砂糖はサラサラになるどころかコチコチに一塊になったのさ。
 調理師になる修行は自分家の台所で以後お願いいたします。

2020_0721記
カナカナ蝉まだ鳴かず

 梅雨が明けるとヒグラシの鳴き声が数日聞こえるのが常でありますが、本年はまだ梅雨明け前でもありまだ聞いていません。
 ヒグラシの鳴き声は涼しくなる夕方聞こえてくるイメージがありカナカナ蝉の別称も受け入れたいです。ヒグラシの別名に「クツワゼミ」と云うものもあり、クツワはクツワムシと同じく馬の口に付ける金具の鳴る音の連想からと思います。どちらかと云うと騒がしい音に思うのでヒグラシも至近距離で鳴かれるとミンミンゼミやアブラゼミのような迫力があるのかもです。

 青森県十二湖なる所には「日暮」と云う地を表すものがあります。そこは白神山地の上り口の一つにもなっているような場所で白い崖が露出した日本のグランドキャニオンと案内される一帯であります。十二湖は12以上の池沼が山間に点在している地域になります。その一角湖畔(正しくは池畔)で行商をさせて頂いたことがあり、駐車した所にエゴノキの白い花が沢山落ちていた記憶があります。

 今日のスケッチは、エゴノキの実です(数日前信州で見たもの)。
 「日暮」の解釈のひとつには「日没を忘れてしまうほど夢中になるもの」があり、十二湖の日暮は眺望が良いが故に日が暮れるのも忘れる地の説明がありました。
 この国定公園に指定されている十二湖の景勝は、江戸前期に起きた地震が背後の山を崩し数多の湖沼をつくったそうです。芭蕉の「奥の細道」で「東の松島 西の象潟」と称えられた象潟(秋田県南西部)も芭蕉発句の百数十年後の地震で地形を換え陸地化しています。自然地形が素晴らしい名勝地の生い立ちを探って行くと地震や噴火に行きつくことが多いです。日本と云う国は海域まで含めるとけして小さい国とは思いませんが、地震や火山活動を考えた時、長期間リスクの少ない陸地は絞られてきそうです。

2020_0717記
雨の日のカニ

 さるかに合戦はカニとサルがお握りと柿の種を交換することから始まります。
 そのお握りはお母さんカニがつくった?のではなく拾ったとなっている物語が多いようです。
 先日我が家の土間にサワガニが一匹いました(スケッチ)。そのサワガニは左手が大きかったので雄≒お父さんカニのようでした。土間はノブのついたアルミ製ドアで外界とは仕切られているはずでしたが、カニは穴掘りの名手、家も古い作りでもあるので下から潜り込んだようです。こんな事ははじめて多雨のせいだろうか。
 私が発見しカニを見た時、カニは何かテレパシーを発し私に話しかけていたのかもしれない。が、それを理解できるはずもなくサンダルに載ったまま外に放たれたのです。
 カニのテレパシーは「何か食べる物をおくれ、お握りなんかだと最高なんだけど」と話していたのかも知れない。アルミ製ドアの外3m先にはマメガキの木が青い実をふくらませている。

 さるかに合戦をつくった人や それを伝えた人々の家にも、この日の私のようにカニを室内土間に見ることが日常としてあったのではないでしょうか。
 サワガニは我が家周りによく見かけるのですが、いつも地面に見られ昔話の通りカキの木に登っているカニを見た事がありません。カニは柿の実を積極的に採りに行くことはしないようです。しかし水路の石垣などは上り下りするし、柿の幹に貼り付いてもらえば落ちず歩を進めるので人が寝入ったころ、密かに物色しているかもです。
 人は他種他人のことは大体しか知りえてないです。人と人とでは意見が分かれていた時、一方にかたよらず中をとって良しとする事を時にやります。中道の考え方は多くの人の妥協的賛成を得るのに優れているのでしょう。でもそれが人以外の物に対する時 妥協してくれない物語もあり、人知の管理能力を超える物に対してはリスクを承知で共存を強いさせ模索してきたこの9年間、また半年前からのこれからになるのかな。類似点が見え始めてきたように個人的には感じます。

2020_0714記
つかみにくいもの

 サンショウの木は見慣れると見つけやすい。
 葉の並びとか、その形に特徴があります。そのサンショウに実が付き始めていました(スケッチ)。
 サンショウの木は雄雌があるとの事、それでかすべてのサンショウの木に実がなるわけでも無いようです。ヤマブドウもそうなのですが、実を付ける雌の木の割合が少ないように思います。 サンショウというと香辛料として、ウナギの蒲焼などによくついています。そうであったか、土用の丑の日にはサンショウも旬であったのだ!
 と思いきや香辛料としてのサンショウはもっと熟したころの実の皮を粉にするとあり、ウナギにおいても脂がもっとものるのは冬前のものだそうです。現在のウナギは養殖がほとんどでありますので盛夏に旬となるように育てているとか。

 今年の土用の丑の日は7月21日と8月2日の二回だそうです。土用の考え方は五行思想からきているようで、一年を春夏秋冬とせず土用を加え五時としたようです。土用の期間は連続していなく季節の変わり目の18日間をそれにあてたようです(夏なら立秋前の18日間)ので、一年に4回あることになります。自然のウナギの旬から言えばむしろ次の立冬前の土用がよさそうですが、そこには日本江戸ならではの事情があったのでしょう。
 沖縄の基地内で感染者が出ることはつかみどころがありません。なぜなら成田や羽田などから入る外国からの方々には検疫を整えることはできるのでしょうが、米施設に来日の方々は直接その施設に入ることがほとんどなのではと思うからです。日本各地にあるその施設そして自衛隊施設との行き来もあるのでしょうから大切なニュースに思います(米国に限らず特権のある方々の入国時を考えるニュースにも思います)。100年前のスペイン風邪が軍隊の移動により広く伝染したことを教訓に思うのです。

2020_0710記
水にわずかな消毒成分

 小学生の頃金魚を飼っていました。
 水槽でも飼いましたが、透明なビニールを底に敷いた木箱に金魚すくいで取ってきた魚たちを放ってはヒブナ・ワキン・リュウキン・シブキン・ドイツゴイ・・・皆金魚すくいの網にのる大きさの魚たちでありました。当時古里は日本の金魚三大産地の一つでありました。
 飼う水は、水道水を数時間くみ置きしてから金魚たちを放ちました。水道水のままではすぐに死んでしまう事を体験として、また大人たちの教えとして知りました。くみ置きしておくことで「何か悪いものが抜けて行くのだ」

 最近、その「何かわるいもの」のお世話になりつつあります。
 その悪いものとはカルキと云われるもの。これは水道水を提供する規則として殺菌・消毒目的で一定濃度の塩素を含んだ石灰:次亜塩素酸カルシウム(最低0.1ppm以上)という物質を入れることを定めているようです。ということは蛇口をひねって出てくる水道水には放水され間もなくなら多少の殺菌効果があるのかもしれない?
 この次亜塩素に消毒液として、ここで再会しました。国のwebページに自分で作る消毒液が紹介されていたので、その中からキッチンハイターをうすめ作るものを試し行っています。家には時折少年少女が寄ってくれますのでブザー・ドア・なぞなぞ答えコーナーの鉛筆・玄関内絵の尻取り多種マジックペンが主なふき取り箇所にしています。このキッチンハイターの主成分が次亜塩素酸のナトリウムと云うことでした。

 今日のスケッチはキッチンハイターのキャップです。
 1Lの水にキャップ1杯(25mL:購入から3ケ月はキャップ半分10mL)で通常時の消毒に布巾等に湿らせ拭くとのこと。次亜塩素酸ナトリウムは時間と共に変化するみたいなので作り置きは適さないらしいです。
 私のようにごく小規模で使うときは1Lも一回にいりません。その5分の1、200mLの水にハイター5mLで試しはじめ数日たちました。ちなみに消毒液の次亜塩素酸ナトリウム濃度は0.05%以上のものを作ると紹介されていました。水道水カルキの次亜塩素酸カルシウムとは塩素濃度がちがう(…カルシウムのほうが5~6倍高いみたい)ようですが水道水濃度の0.1ppmは0.0001%に相当します。消毒液は生物にとってそれなりに高く危険な濃度なのでしょう、余ったものの廃棄方法場所も私案しています。
 強くはありませんが東信濃でも雨の日が続いています。浸水ニュースが広範囲でしかも痛々しいです。

2020_0707記
クワと満州

 7月は開拓団にとって入植の月でありました。
 先遣隊から一年おくれて本隊も7月に大日向開拓団は満州に渡っているようです。
 大日向村は長野県にあった村で養蚕や炭焼きを生業にしていたそうです。その養蚕の繭の値が大正中期15円だったものが昭和初期には2円に暴落したそうです。昭和初期の世界大恐慌が重なり出稼ぎもままならなくなり、養蚕に投資していた借金は山村にしても一戸あたり千円程度あったそうです。
 その当時、大陸では関東軍がすでに満州にあり大正期には満州を紹介する映画がつくられ内地各地で放映されていたようです。軍は武力だけでは統治は難しく民間人を農民として入植させることを政策としたとのこと。時は失業のはびこる時世の中、満州への入植者を募ったようです。初期は個人々々に呼びかけましたが、現地は匪賊なる地元集団の無法地帯でもあり、容易に離反する入植者が多かったとあります。
 それでコミュニティ単位で入植を促せば相互の眼が脱落者防止につながると村単位での入植が計画に上がったようです。そしてこの辺は戦前も戦後も同じなのでしょう、その標的というか打診は経済にひんした各地に波紋を投げかけました。渡満にあたっては惜しみない資金、また満州入植地において内地では考えられない耕地を一戸々々がもてたようです。
 大日向村先遣部隊37名は匪賊の襲撃を受けていたにしても、その情報は巧みな統治者の言葉に内地に伝えられず本隊が合流する翌年となったようです。

 今日のスケッチはヤマグワの実です。
 その後戦時下での満州はしばらく内地より取締りはゆるやかで入植各団も強き関東軍を信じていたようです。そのあと時の大きな荒波が満州の開拓平原におそいかかったようです。満州の本やwebページは結構ありそうです。
 昭和初期の養蚕の暴落ぶりは父方の祖父が残した手記にも見られるようでした。祖父もまたその後大陸に一時期渡り帰還した方になります、匪賊の単語もその手記に見られました。匪賊に関しては”ゲリラ的襲撃集団”または”自分らの暮らしを侵した者たちに抵抗した集団”らの説明がweb上にありました。

 「開拓」という言葉には、希望のようなものを感じます。しかしそこに人が居まいと居ようと侵入していくわけですから難しい内容が合わさっています。開拓の意思は個人々々が持つこころの荒野に向けることがいいようです、幸時においても禍時においても。

2020_0703記
夏の峠に花が咲く

 今 夏至にあります。
 朝が早く夕が遅いことは分かるのですが、日本では雲が多いこの頃。夏は雨雲がとれる梅雨明けをもって夏に至るイメージがあります。その頃例年なら夏休みも始まるもしくは気になる時期になります。
 地域小学校HPの今年度の更新がないので同市内の小学校のものですが、夏休みの始まりが1週間ほど遅れるようです(7/31終業)。その小学校においては夏休みのプール開放はなしとなっています、2学期の始業は変更行事に入っていません(昨年は地域小学校ではお盆明けの21日)。
 再度の変更もあるかも知れない。夏は一つの峠のように四季の中いつもあったように思います。この峠どのように越えていくのか。
 今年夏至で感じた事は、植物たちの中で、夏至を目安に地上部を枯らしていく物、また花を咲かせる物があることでした。信州において山は近いのですが標高差があれば下の方から花を咲かせていく事がやはり多いのでしょうが、夏至時期に咲く花たちの中には標高差を苦にせず全山同時期で開花するものもあるように感じられたのです。それらには気温や湿度だけではなく昼の長さが関係しているのではないかと思うのです。

 今日のスケッチはケナツノタムラソウなる草です。
 白い花弁に白い毛が沢山ついていて、やわらかです。
 この花は標高1500m付近にいつも見かけますが夏至の頃咲きます。山のオダマキなども標高差があってもほぼ日を違えず咲く草花と感じています。
 裏庭の雑草たちの中では、キュウリグサが夏至前に枯れました。ハコベの多くも一度ここで枯れたようです。夏に至る。

2020_0630記
涼のある場所の買い物袋

 5月のうちだったコンビニで買い物をした時、店の人が「袋は必要ですか」と聞くので、普段は要らないとするのですが、山菜を持ち帰るのに使いたかったので「お願いします」と言うと「7月から袋が有料化になる」と店の人が話されていた。
 その後ニュースなどでプラスチック製ゴミ袋の有料化はそのコンビニの方針でなく、国の規制によるものと知りました。
 経産省のHPでは[プラ袋は1枚1円未満とすることは有料化とは認めない]となっているので、袋の大きさにもよるのでしょうが、1円もしくは2円でスタートすることも考えられます。すでに何年も前から意識して自分で袋を用意し買い物をすませている客も相当数いると思うので、1~2円の代金で大きな変化があるとも考えにくい、どんな形でスタートするのか様子をみたいです。

 今日のスケッチは、十数年ぶりにありついた魚:カマスです。
 カマスは大きな口で小魚を食べるようです。口に入ると書いて「叺」と云う漢字があり、これもカマスと読みます。こちらの叺は用途として昔の大きめなワラ梱包袋。時代は便利なものを求め、プラスチックにたどり着いているのでしょう。
 明日から7月。当初夏になれば感染症もインフルエンザのように落ち着くと希望的観測をしていたのですが、エアコンの風による室内空気の流れが注意されているのをニュースとして見ました。夏期は原発事故の時、節電が呼びかけられるぐらい電力を使う頃、その電力の多くは空冷によるものなのでしょう。そう考えると新型コロナは冬よりはむしろ夏の病として切れ目なく北半球各国で第一波の戻り浪が行き来しないか心配です。

2020_0626記
山犬と呼ばれた生き物

 日本にオオカミがいたと言います。
 今から250年ぐらい前ですから江戸時代中後期のオオカミの話をここで読みました。昭和初期生まれの方が祖母から聞いた話として書きとめたものでした。 その中ではオオカミが野山で人をおそったことが書かれていました。山を二つも三つも向こうから来た行商人がおそわれ亡くなった出来事がありました。またオオカミに太ももを噛まれた村人が傷跡に細菌または狂犬病が発症し3ヶ月後に亡くなった出来事も。
 狂犬病は江戸中期に港長崎から伝搬しているようです(もっと前にも流行ったかもしれないが記録にはないそうです)。狂犬病は改めて調べると恐ろしい病で発症するとほぼ100%で亡くなっています。東また南アジアでは現在も報告があり、そこに渡航する旅人はその予防接種を受けるケースもあるのかもです。犬に噛まれ発症が大多数のようですが、野生に限ると犬・猿・猫による危害からの発症数に多大な差はありません。噛まれてから発病までの時間が1~3ケ月と長く、5月に日本国内で10数年ぶりに発病した就労入国した方は8ケ月前にさかのぼるとのことです。
 ニッポンオオカミにとって、狂犬病の伝搬は大きな出来事だったのかもしれないです。人のオオカミに対するイメージはより悪化し、長い年月標的と撃たれ、姿を消さざるをえなかったようです。最後のオオカミ目撃は明治後期。その頃から昭和初期まで狂犬病の全国的発症があり、野犬対策が各地で行われたようです。

 今日のスケッチは昨年の今頃、私の行商先でスケッチした白花のシコクカッコウソウかと思っています。その地への行き来ではもちろんオオカミとの出くわしはありませんが、山道で交通障害・車故障など経験しています。
 オオカミの習性をしらないと、体の大きなクマの方だ人の危険に感じてしまいます。オオカミは「送り狼」といい、山道で人の後ろ2~3mの所を一匹がついてきたのだそうです。その周辺の藪に隠れ二~三匹の仲間が待機していて人がつまずき転びでもしたなら一斉に襲い掛かってきたと書かれていました。クマは積極的に人を襲わないので、オオカミが先に怖がられた事は納得がいきました。

2020_0622記
そうじと探しもの

 しばらく家には掃除機がなかった。掃除の手伝いをしたとき、手伝ったお宅と同じ型の掃除機を家に購入したのが約2年半前。
 はじめての紙パック交換タイプのもので吸引力もまずまず、少しは余計に掃除をするようになったようです。 木工部屋は木くずも舞い溜まるのでたまにその部屋も掛けることになります。先日、暗部を掛けていた時大きなものがブルブルブルと吸い込まれたのでした。気になりホース・紙パックを覗いてみるとホースには詰まりはなく、紙パックの方に靴下が入っていました。その靴下はしばらく行方不明だった靴下の片われでありました。木工部屋の南側にはベランダがあり洗濯物を干すので取り込んだ時落としたものと思われます。忘れていた探し物 見つかってうれしい。
 また、吸引力が落ちてきたので「紙パックがいっぱいになったんだろう」と交換品を家内で探すと切らしていました。まだ塵ホコリを掃除したかったので「しょうがない紙パックで集めたゴミを欠き出しゴミ箱に移し、紙パックを空に再生し使ってみよう」と中の塵ホコリを欠き出した時、長いこと見つけていた耳かきが出てきたのでした。さがしていた見つけ物 その2。
 そんな、二つの見つかってうれしいを我が家の掃除機は演出してくれたのです。一つの紙パックで2~3か月は使っていると思うので耳かきは何処で吸い込んだか謎ではありますが、替えのパックが無かった事が吉に転じたようでした。禍を転じて福と為すまでは期待しませんが、禍の勢いが抑えられる方向に転換していることを願いたいです。県を越える移動が解かれたのだからマスク手洗いを注意しないとと思いますが、結構マスクなしの通学児童・大人が多くなって来ているように見うけます。

 今日のスケッチは、掃除機紙パックの中から見つかった靴下と耳かきです。
 大きさにもよりますが気になる探し物があるとき、掃除機を掛けるがいいかもです。覚えていたことを思い出せない時、それを探しだす魔法の掃除機、ないですか?

2020_0619記
密になると罰金もある

 車を信号待ちで停車するとき、前の車とどれぐらい距離を空け止めるでしょうか。わたしは郊外がエリアでもあることもあり都心の車より広めに空けていると察します。東京などで距離を空け停車すると、通勤時はたちまち割り込まれるはめになりそうなので距離をつめるイメージがあります。わたしはもし前の車で異変が起きた時ハンドルの切れる距離。軽ワゴン車でもあり小回りが効くので1m50cm程度なのかと思います。
  今 車を下りた時、その1mから2mの対人関係において距離を取りましょうとされているのは社会的距離ソーシャルディスタンス。
 車間距離に話を戻しますと走行している車間においては「車間距離不保持」と云う道路交通法違反項目があり、高速道路においての取締り件数では%としては現在「少」の部類ですが5番目に多い項目と見れるものがありました。煽り(あおり)運転の罰則が強化へ法改正が近いようなので、これからはより身近に、一般道でも気に留める項目になるかもです。
 ちなみに、道路交通法で明確な車間距離基準はないようですが、止まれる距離として時速55kmで40m、80kmで80mとのことです。

 草のソーシャルディスタンスが、とれなくなり密になってきました。
 今日のスケッチは裏庭に茂るヤブスゲと思われます。
 ちなみに道路交通法違反項目で高速道では「速度違反」「携帯電話等違反」「通行帯違反」が上位。一般道を含めたそれは「速度違反」を上回る「一時停止違反」がNo.1になっています。一般道では「車間距離不保持」は10位にも現行では入っていません。

2020_0617記
シロツメグサ、ざわわ

 シロツメグサはマメ科の植物。
 シロツメグサの葉の茎をハムシのジャックが登って行く朝でした(スケッチ)。
 このシロツメグサは数年前、川原から移植したものでありました。川原は昨秋の洪水で表土を剥がされ石ころだけが目につく世界となっています。植物はたくましい一面をもちますので流された草たちも下流どこかで今年の太陽を浴び、梅雨間の風に揺れているのかもです。

 沖縄では梅雨が明けたのだといいます。夏の長い沖縄において「暑中見舞い申し上げます」の風習はあるのでしょうか。
   一年を通し辺野古のニュースが伝えられる沖縄ですが、6月になるとその近代史が少し身近になります。
 太平洋戦争での日本軍の組織的沖縄戦が終了したのが6月下旬。三線の伴奏による沖縄の言葉(うちなーぐち)で語られる歌詞に「(日本語訳で)家も親兄弟も艦砲射撃の的になり…私もあなたも艦砲射撃の食い残し…」と云うものがあります。自軍と島民らとのやり取りにも厳しいものがあったようです。日本復帰前の1959年昼下がりの小学校校舎に整備不良の戦闘機が墜落した事故(2年生をはじめ20名近くが命を落とす)も6月の出来事。
 歌『さとうきび畑』をつくられた寺島尚彦さんは栃木県出身のようです。歌詞に出てくる「ざわわ ざわわ」の風の擬音は沖縄の風、内地の風、それとも東洋の風。

2020_0613記
まんかいぜんかい

 桜は、とうに忘れ去られている。
 梅雨入りし裏庭のクルマユリ(スケッチ)が咲き誇っています。
 クルマユリは40数本たち上がるのですが、その内の3株が開花したのが6月9日。翌日には約半分の株で開花。その次の11日今年の信州梅雨入りとされた日、約7割の株で開花。12日は9割の株で開花。クルマユリは咲いたばかりの香りは控えめですが数日すると人の感覚でも強い香りを感じる「香りの満開日」があるように個人的に感じています。今朝13日香りは控えめ、いつその日が今年は来るのか。
 冒頭で桜の一文をおいたのは「満開」までの定義、開花>三分(3割)>五分(5割)>満開 において満開とはその流れから察すると十部咲きをイメージします。しかし「満開」と発表された時は8割の蕾が開いた状態とあります。今年はじめてクルマユリの開花を数えていた時「満開」とは?と思ったのです。最初に咲いた花は最後に咲く花まで残っているとは限らないだろう??の疑問でした。クルマユリを桜の定義に当てはめると今年は6月9日開花、10日五分咲き、12日満開。雨の中見ごろが続いています。クルマユリは毎年梅雨を知らせる花となっています。

 「満」で身近な月の満月は、もっとも大きくなった時なので用いる分野で異なる解釈が存在することを改めて知ったところです。
 紛らわしい公用語?に、こんなのもあります。
 災害にあった時、建物被害を認定してもらう「り災証明書」において被害を、全壊>大規模半壊>半壊・・・らの言葉で判断されるようです。何も知らないと半壊は5割、全壊は10割と直感してしまいますが、証明書において全壊は50%以上が壊れた時、半壊は20%以上40%未満壊れた時となっています。
 それじゃ、2人の前に冷たい飲み物があった時「半分は君の分、残りは私の分、お先にどうぞ」と言うと私なる人は60~80%飲める?するとすかさず君なる人は奥ゆかしい人でこう言い返したのだった「あなたからお先に半分どうぞ」??行政の文章にも独特の言葉理解がありそうで手品みたいな事を感じる事がありませんか。

2020_0611記
山は腹痛をおこす

 噴火と云うと山頂の火口から噴き上げる様を想像しがちです。しかし古代以降の富士山の大規模な噴火は山腹からのものが多いようです。江戸中期の宝永の噴火は山頂の南側、平安期2回の噴火は北西側と東側山腹であったようです。その山腹の標高も1500mから2500m付近とケースバイケース。
 平安期の山頂から東側標高1900m付近噴火では、古代東海道の道筋を閉鎖したようです。それは足柄峠として知られる路。それ以降足柄越えは復旧したようですが箱根越えのルートが併用され、江戸以降は険しくも短距離である箱根越えが主なる東海道として知られています。
 足柄峠は「♪…足柄山の金太郎…♪」でなじみの地域になります。その金太郎:坂田金時の息子は金平(キンピラ)というらしいです。金太郎飴、金時豆、金平(ゴボウ)、きっと頑丈であった坂田親子にあやかり健康を願い、それを求める人たちに定着した呼び名ではなかったか。

 今日のスケッチは山ウドの新葉つぼみたちです。
 ウドは土から芽を出すころのものをもぎ調理するのが一般的、販売されているものもそのようなものと見かけます。ウドの調理法の中に金平があります。
 スケッチのウドたちは天ぷらにする予定であります。だいたい足柄山:金時山頂ぐらいの標高(1212m)の山ウドであったと思います、私の胸ぐらいの高さまで育っていた枝先です。
 私が暮らしている所の防災マップは浅間山対象のそれですが、その被害予想範囲(空震、火山噴出物30cm以上堆積)はすべて山頂からのkm数で線引きされています。本文の富士山のように山腹が割れそこが噴火口となる想定は文面の注意書きにもないようです。防災マップ想定外の山腹からの噴火を知り控えておきたいです。。

2020_0608記
旅の今昔

 一度、5月下旬の催事を終えその稼ぎを資金に、数日して北海道を旅したことがありました。
 船は新潟から小樽へ。かつて店頭で行商をやらせて頂いたところへ顔を出したら、店主は山のカラスを「カー子」と名付け友達になっていました。6月上旬の北海道は、旅人も暮らし人もまだ長袖を着用し、学校の校庭にはチューリップが赤く霧の中に咲いていました。
 十勝から根室にかけて白い本州に自生するものに比べれば2倍はゆうにありそうな大花をつけるエンレイソウを見る事になりました。十勝海岸部の森ではそれが森の所々にあるという状態ではなく森床一面に咲いているのです。歩きやすい路であったので、もしかしたら人の手が入った公園的要素があったのかもしれない。一面に咲く水芭蕉を見るように森の妖精がそこにいるような感じだった。エンレイソウは本州信濃山里ではGW頃見ごろとなるので種はちがうがほぼ1ケ月遅れのオオシロバナノエンレイソウとの出会いでありました(正式にはオオバナノエンレイソウらしい)。
 北海道では6月に春が一度に花開くのでしょう、オオシロバナノエンレイソウは十勝から根室にかけて本州の人々がサクラの開花に寄せる思いと重なるものがあるのではと思います。それはローカル線無人駅に地元の子供たちが駅舎の外壁をキャンパスに描かれたデザインに虹と魚と鳥に混じりオオシロバナノエンレイソウが大きく描かれていた事に感じました。

 今日のスケッチはタラノ芽です(本年5/8スケッチ)。
 本文の旅で、自炊のみそ汁に道端のタラノ芽を何度も摘み具にさせて頂きました。タラノ芽は日本東西広範囲にあり北海道では信濃よりなお1ケ月遅い旬となっていたようです。
 タラノ芽と共に信州で好まれる木の芽にコシアブラがあります。コシアブラはセシウムを貯め込む特性があるようで今年取れた物から基準値とされている値さえ上回るものが隣町であったようです。コロナと並走しいくつもの出来事が時空を今、旅している。

2020_0604記
テントウムシのハンモック

 武漢での気候は今どうなのでしょう。
 6月にはいってから最高気温は30℃を越え、最低気温も20℃を下回っていないようです。来週は雨の予報が続いています。武漢の梅雨入りは6月中下旬だと言います。
 中国では梅雨はメイユー。7月前半には明けるようなので日本の梅雨よりは期間として半分弱のようです。両国で共通の病が明けるのはいつ頃になるのでしょう。
 昨日6月に入りはじめて図書館に行きましたところ、開放の度合いが広がり貸出だけでなく、資料を閲覧できる机椅子が利用可能となっていました。貸出期間は3週間とまだ長いまま。
  帰路の山路でガマズミの葉にアオガエルがお尻をこちらに向け昼休みの最中でした。

 5月下旬から昆虫もよく見かけるようになっています。蟻や蜂などは日常ですが、蝶において6月に入り借家裏オオバノギボウシの大葉の上にジャノメチョウを見るようになっています。この蝶は信州で梅雨入りまじかとなる頃、例年見るようになります。今は使う人を見ませんが蛇の目傘活躍するころ現れる蝶。童謡「あめふり」:ジャノメでおむかえうれしいな…が発表されたおおよそ100年ほど前は一般的な傘であったのでしょうね。
 今日のスケッチはウンモンテントウムシです。
 蔓性の草が立ち上がった葉上で、わずかな風に揺れ時を過ごしていました。テントウムシくんにも疾病・天敵、悩みがきっとあるんだよね。お互い気を配り夏に向かいましょう。

2020_0531記
いい仕事をする女(ひと)

 毎年秋には、保管していた薪材を七輪用の長さに切り割ることをします。昨年も2年ぐらい前に運んであったケヤキ材でその作業を行いました。40㎝ぐらいにすでに切ってある直径10~20㎝ぐらい材を七輪にくべられる長さ7~8cmに切り、スティック状に割ります。最初の安定した火をつくれたなら、湯をわかすぐらいならスティック3本ぐらい、少量の薪で沸かせるようです。
 さて、その昨年の作業で一本40㎝のままにしておいた材がありました。それは芯部が自然に出来た深い洞になっていて、その洞に小型のハチ類の出入りが見られたのでした。「巣でもつくっているのかも?そのままにしておいてみよう」

 春がきて、夏が立ち、「そろそろハチの巣としての役目を終えたころでは」とその材を刻みました。するとスケッチのような葉巻状の物が出てきました。太さは薬指程度。葉っぱが何十枚もくり返し貼り付けられているようでした。そしてその一枚々々は生えていたそのままの葉をはこんで来たわけでなく、スケッチ右上のような大きさ2×3㎝に虫が自分で切り運んできているようでした(葉脈が不規則だったが大きさがほぼ同じだった)。その切り葉の大きさはその虫:ハキリバチが持って飛べる効率のいい大きさでもあったことでしょう。同じものを沢山作るのは結構大変な仕事になろう、虫の世界に職人(職虫)を感じた。

 葉巻状の中は、まだ幼虫がいるのかもしれなかったので雨の当たりにくい所に洞のある木に詰め直し今しばらく置いておくことにしました。職人と云うと男のイメージもありますが、ハキリバチが葉を切り巣をつくるのは雌とのことです。
 ここ2~3日、買い物で品薄のものに出くわしました。
 一つは朝食べているオートミール。これは3軒のスーパーに行くが棚に姿がすべてなかった。もう一つはデジカメがトラブッたので電機屋にてF値が3.0の比較的低価格の物があったので給付金をあてこみ「これ下さい」と店員さんに尋ねると「在庫を確認したのですが今当店にはありません。お取り寄せになります」「いつ頃届きます?」「いつになるか分かりません、コロナの状況もありまして・・・」

2020_0527記
払うこと、もらうこと

 「すす」払いは今では大掃除に置き換わっている年末の行です。
 神社などでは、昔ながらのすす払いを行っているようです。それに使う道具は笹竹の先に葉や藁を束ねたものを見ることがありました。その風景を見ていると煤(すす)もホコリと同じように払い落とせるものと現代人は思ってしまうかもしれない。
 しかし、実際 煤はそう簡単には取れないだろうと七輪の煮炊きの経験から思うのです。煤は手ごわく用具・室内を黒くしたことでしょう。
 今日のスケッチは40㎝ぐらいある鍋です。この鍋の煤らをここで大雑把ですが落としました。
 煤らとしたのは長年コーティングのようにこびりついていた油汚れもあり外側は真っ黒の状態でした。
 スポンジで取れるはずもなく、スチールブラシ、やがてノミや金剛砥石を駆使し銀色の素面が出てきました(鍋の素材も傷めるのでスチールブラシ・大工道具は使いたくなかったが)。所々、黒い跡が残ったままです。
 そんなわけで、すす払いは容易ではなかっただろうし、すべてを落とし取ることはせず少しづつ梁や天井を黒いものとしていったことでしょう。すす払いとしながらも当時からホコリを落とす事を主とし、心中のすすを年前に払おうとする心持ちだったのかな。

 この鍋は私が木工を習った初めの親方から譲って頂いたものでした。その親方のそれ以前の職は料理人で、木工はもとより調理も凄腕でした。ゴボウのささがきを4~5本いっしょに削いでいく方でありました。
 頂いた時から黒い外装?の鍋でした。この鍋、カレーなどの時重宝するのですが、野外でのお好み焼きの時もきまってこの鍋の蓋の方を使わせて頂いています。
 払うよりもらう方が安堵できる時がある。
 本日、我が家にも特別定額給付金申請書在中の封筒がとどきました。

2020_0524記
いつか見たドラム缶

 最近は気象にからんだ色々な指数が見れるようになっています。不快指数や洗濯指数、アイスやビールの指数も。
 今夏は新型コロナによる世界的な産業の休止や航空機の減少が二酸化炭素の排出量を減らしているといいます。持続的では無いにしろ根幹の気象に変化がでれば、それぞれの指数で回顧的な現象が起きるかもしれません。 二酸化炭素に注目する現代日本人ではありますが、古来二酸化炭素への感度のいい生き物が日本にもいます。それは蚊です。蚊は二酸化酸素の濃さを重要な目安の一つとして吸血相手を探すのだといいます。ほかに体温・においなど。コロナ環境の低稼働の産業において、温暖化が防止されるかもしれない事は蚊にとってどうなのだろう?人は二酸化炭素を同じように出すのですから見つけやすくなる??
 文頭の色々な指数の中には「蚊ケア指数」と云うものが2018年から製薬会社と気象協会のタッグで5月1日から8月31日まで出されているようです。この指数の算定には過去10年間の気象情報と蚊対策製品の売り上げ実績から蚊刺されの注意をする物のようです。長野県の蚊ケア指数→小諸
 単純に気温が高ければ指数が上がるわけではないようです。かなり多くの市町村での指数が見れそうなのですが、同市町村内でも色々な環境が存在するのであくまでも参考。自身の感覚を育てたいです。

 蚊は感染症において、たいへん沢山の病をもたらしています。
 日本脳炎。デング熱。
 日本にかつてあった土着マラリアは、屯田時代の中部北海道で報告がのこっています、暖かい地域のイメージは禁物のようです。
 その他伊豆七島内、八丈小島を主とした風土病:象皮病も蚊の役割が大きかったようです。
 今日のスケッチは、ドラム缶。幼い時に見たボウフラの残像がドラム缶上に溜まった水の中にあります。八丈小島での象皮病は蚊の媒介によるリンパ節に宿ろうとする糸状虫の病のようですが、例として脚が象の脚のように肥大化してしまう。島では水確保のため天水を貯める枡や、海辺岩場の水たまり(海水汽水でも育つボウフラがいるみたい)で蚊が発生しやすかったようです。
 下水道が整備された世と思いますが、溜水の処理・定期的入れ替え(空き缶、鉢の受け皿等)や草刈り(草陰に成虫は潜みたいとの事)は蚊を増やさないことへの気配りのようです。

2020_0520記
いつか冷たい雨が

 野生の動物に出会う事はたのしい、迫ってくるクマでなければ。
 車で通りかかる時見る動物も郊外に住んでいれば少なくないことでしょう。ところで最近は電気じかけの車なのかエンジン音がほとんどしない自動車が行き来しているので、私が自転車で下り坂急カーブを曲がる時左端を通行しているにしても対向車にドキッとすることがあります。
 そんな新しい事情も加わり、動物たちの轢死後の姿をしばしば見かけます。先日はタヌキのそれに遭遇し、こちらは自転車で山道だった。その四肢は硬直していたので太い枝二本に載せ道脇に運び枝葉をはぶせてその場を後にしました。
 道路でのロードキル(轢死)は鳥たちにも多いようで、轢死した哺乳類をエサとして集まるカラスやトビの例がweb上では報告が多いようですが、私は昨夏、小鳥が目の前で通過するバイクの列の一台に衝突即死(頭を割られていた:アオジに似ている鳥)したのを目撃しました。

 道の通行にはこれからの季節、田園地帯ではアマカエルに注意です。
 雨後の朝は家前の路上に必ずといっていいほど1ないし2のロードキル後のサワガニを清掃します、車のタイヤの巾より小さいサワガニは脚が原形をとどめるばかりの姿になっている。路の片側が石垣で組まれた水路が存在し、その石垣の造りが相当古く隙間だらけになっているのです。その隙間にサワガニが暮らす環境が整っているのでしょう、私の家の前はこれまで大変多かったです。
 昨年の台風災害を機に、水路の水位も下がる田に水を引くこの時期でもあるので、それらの隙間を余っていたコンクリで埋めてみました。隙間からは増水の時、水が入り込み路を陥没させ私の住処自体を傾かせるリスクがあると感じたのです。すべての隙間を埋めるにはより多くのコンクリが必要だったので高い位置の所々の隙間は点在するままとなった修繕です。しかし、その程度の修繕にしてもサワガニたちにとっては住みにくい環境になったのだろうから、カニたちの数は減るかも知れない、今後の雨後の朝のサワガニの轢死数でそれを見て行こうと願っています。
 今日のスケッチは亡タヌキの地域に立ち枯れていたオヤマボクチ、祈りの前傾姿勢。
 タイトルとした「いつか冷たい雨は」は46年前発表されたイルカ作詞作曲の歌タイトルから引用しました。

2020_0516記
天ぷらとアリ

 地域の小学校のコロナシフトは3月初旬から続いています。GW明けはA班B班に分かれた分散登校に移行したようですが、それぞれ週2日午前中の授業時間のようです。
 登校のない日は概ね午前中が自宅学習の時間のようで、午後は自由な時間も多いようです。日差しが強くなってきていますので軽い服装で午後外に出ている子供らを見ると夏休みと見間違うようです(コロナ用心期間にしても、生き生きとした感じ)。
  私の所にも、時に「川に下りよう」「火をたこう」と遊びにきます。「火をたこう」と云うのは裏庭野外での七輪で煮炊きをしようということです。火を焚くことはキャンプファイヤーのような気持になっているのでしょう。
 先日寄った3人とは豆炭の火で天ぷらをはじめてやってみました。食材は七輪周辺に生える草木でまかなえる季節になっている。弱火で揚げることは時間がかかるが美味しく揚げられるだろうとの予想のもと、まずは茂り始めたクワの葉。売っている野菜でなく野の物を食べる事に「だいじょうぶ?」の声をもろともせず、次はミツバ、そしてこの日の最終メニューはシロツメグサを揚げました。クワ、シロツメグサは特に新葉を食材にします。みんな小さな満腹を経て夕餉の家へと姿を消したあと、天かすが2つ浮かんでいたのでそれをつかみ取り七輪周辺の地面に投げ捨て、天ぷらの蓋を閉じたその日でした。

 その捨てた天ぷらカス(揚げ玉)に翌朝、アリたちが集まっていました。今日のスケッチはその朝の様子です。
 その後 約一日がかりでほぼ原型のまま地中に引きずり隠してしまいました。アリの好物は砂糖を思いつくところですが、小麦粉も大好物のようです。室内台所でのこれらの散乱には気を付けたほうがよさそうです。

2020_0513記
幸への旅

 落葉樹の新葉が芽吹き始めています。
 ほんのわずかなはずですが林道の日陰にボリュームが出てきていることが30℃に届きそうな陽気の中うれしい。
 足元も草たちの新芽が落葉を突き刺すように立ち上がっています。
 そんな林道脇にコゴミやワラビを頻繁に見かけるようになっています。コゴミは林道の日陰側にワラビは比較的日向に出くわす事が多いです。
 これらは持ち帰り頂き、家で調理して食べるものたちでありますが、その場で摘み食べれるものもあります。キイチゴには早いのですが、イタドリを頂く頃合い(スケッチ)。
 茎を折るとポンと音が弾けイタドリはスカンポの別称をもらっています。はるか前からイタドリは食べれるとは読み聞きしていましたが、口に入れたのはこの初夏が初めて。コゴミ・ワラビが近くに生え育つ新緑の山中でのイタドリであったから「そういえば前、生食できると読んだことがある」と口にしたのだと思う。その一本目が、思ったほど癖がなく美味しく頂けたのです。第一印象が良かったわけです。

 イタドリは、ポンと折り フキの筋を剥ぐように表皮をむき そのまま食べます。
 二本目三本目・・・は、やはり癖(酸っぱさ)が多少あったようです。一本目の時は個体差もあったのでしょうが、私の体調が酸っぱさを欲していたのかもしれない。イタドリを食べれる草のグループに自己の体験で入れられた事、新しいアイテムを得たようで、それだけで心はささやかに輝けるものであります。山の幸。

2020_0509記
甲斐の貝物語

 キブシの花が髪飾りのように林の縁に垂れ下がっていました(スケッチ)。
 キブシとの出会いは16年前、富士山麓山梨県上九一色村(当時)にあります。
 山梨での著名人は現在でも武田信玄と思いますが、彼の亡くなった病ははっきりしてなく幾つかの説があがっています。内臓の疾患にまぎれ感染症説も上がっているものがありました。それは「水腫脹満(すいしゅちょうまん)、はらっぱり」などと古くは言われた日本住血吸虫病によるものでした。
 この日本住血吸虫なる病は人の皮膚から成虫前の幼生の段階で体内に虫は入り成虫になり卵を産む、その寄生場所が血管内であるため卵らは血管を詰まらせ肝硬変・腹水などを生じさせ病に逝くこともあるとなっています。この病は稲作地に多く、田の水仕事から住血吸虫幼生の多くが皮膚に付着侵入したとなっています。住血吸虫のライフサイクルは体内(人だけでなく家畜含む動物体内)から大小便により体外に卵の形で出、孵化後 水中を主に活動するミヤイリ貝なる数ミリの巻貝に中間寄生します。貝の中でさらに成長し人らへの侵入能力のある体形をつくり幼生は貝から出て、遊泳・水仕事の人(動物)の皮膚に付着、虫刺されのような赤い皮膚炎を生じさせ皮膚に微細な穴を明け人体内に侵入する。この時の幼生の大きさは約0.1mmとのことです。
 日本国内において甲府盆地は最もこの病がはびこっていたようです。子供に感染した場合成長も妨げたので明治に始まった徴兵検査でこの地域の体格が劣る事が問題になり、富国強兵の国策の中 見過ごされず研究対策が始まったようです。その後中間宿主ミヤイリ貝の解明からその地道な駆除・同貝の住みにくい環境整備(水路のコンクリート化など)が太平洋戦争後はるかまで続き、昭和後期 日本住血吸虫病は報告例が無くなったようです。しかし中間宿主の巻貝はまだ国内にも細々といるようですし、海外(主に東アジア)では同族の吸血虫病があるようです。現在新型コロナウイルスの感染をおさえるため、国外はもとより都道府県をまたぐ警戒がされているのですから、吸血虫のような生物たちに対しても通常時警戒もしくは検疫がきっとされているのでしょう。

 スケッチのキブシは一週間ほど前、近く山で見たものです。
 上九一色村は、もう四半世紀前になるオウム事件で広く知れ渡った村でありましたが、現在は甲府市・富士河口湖町に分割編入されているようです。それは事件の影響ではなく、村の北部は甲府とのつながりが期待されながら、中部南部は富士五湖に属する本栖湖・精進湖があったため西湖・河口湖らとの連携を協議したようでした。このように一つの市町村が分割し編入されたのは平成の大合併では、この村一つだったとのことです。

2020_0506記
GW119

 GW前半の出来事「おとうとがけがをした、(ここからも)なきごえきこえない?」
 兄弟で川堤防道にサイクリング散歩にくるはずの途中、坂を下る所でスピードを抑えきれず1年生の弟は転び泣きだし、最寄りの我が家に飛び込んできたようでした。
 3年生の兄の話では普通のすり傷ではなさそうだったので、ヨモギの葉よりは消毒液がいいかもとティッシュと合わせ我が家から70m離れた現場に行ってみる。転倒箇所で座っていた弟は泣き止んではいた。手足、指は曲がりそうであったが両肘とホッペをすりきっていた。出血が多いようにも見えなかった(3か所だったが普通のすり傷)ので持って行ったティッシュに消毒液を湿らせ患部を濡らし家に送りました。
 この界隈の千曲川は二段構えの河岸段丘を形成していますので、その川に近い方の段丘を下りる坂道が今回の事故現場でした。以前も二人で来たことがあった坂で弟は足によるスピードをゆるめる技掛け(靴をタイヤにあて摩擦により止める技)に失敗したようでした。連休後半再び徒歩により遊びに来た二人はニコニコ顔に戻っていた。コロナGW中のコロコロ転がり体験を教訓に、7日小学校再開予定とのことです。

 今日のスケッチは道端の草:タネツケバナです。花が受粉するとピノキオの鼻が伸びるように棒状の莢がのびてきます。
 よく山道などで「急こう配10%」の道路標識を見かけます。今回1年生が転倒した坂は皆が急坂を承知している場所でしたが、今web地図上で計測してみると距離52mで7.9mの標高差があるので道路標識風に%にすると14.4%の坂になるようです。
 自転車なら上りは多くの人が押して行く坂になります。しかし14%勾配の坂は角度にするとわずかに8°。立夏の太陽は高度を徐々に上げ約1ケ月半後の夏至には80°近い日差しを浴びせるといいます。こちらの急勾配準備もしておきましょう。

2020_0503記
紫のひかり花

 朝夕が明るくなり昼が長くなってきました。
 外に出ていると日焼けをするようになります。紫外線が強くなってきているのでしょう。
 紫外線のことをUVなどと言うこともあります。これはultravioletの略だそうです。日本でも菫(すみれ)の外側の光線と書いて菫外線(きんがいせん)としていた時期もあったようです。
 紫外線は北半球において7-8月の夏に最も地上では増加しますが、標高があり木々の葉が生い茂る前の5月の信州は、紫外線が人の生活にもとどきやすいようです。
 皮膚への悪影響もありそうですが、洗い終わった食器を太陽光の下に置く事をよくします。紫外線と乾燥で、細菌やウイルスを夏場なら1~2時間でも消毒効果があるとのことです。

 スミレを信州の野山に多種見るようになっています。スミレの識別はむずかしいのですが、ヨモギみたいな葉の切れ込みの今日のスケッチはエイザイスミレかもです。
 日光消毒は、食器のほか、マスクを含めた衣類を洗濯後でなくても、外出帰宅後にすることもします。太陽が出ていれば雲の向こうの太陽でも紫外線は地上にとどくとのこと。何はともあれ、個人または政が色々な工夫をし始めているだろう立夏まじか。

2020_0428記
河童も箸を使うんだろうか

 上高地を旅すれば河童橋の上から見る穂高の山々が印象的であります。梓川に架かるそのつり橋から峰々まで遮る人工物がなく、心が晴れ渡って行く。1500m標高のその辺りにも4月下旬ともなればヤナギの穂が今年の春を知らせているのでしょう。
 上高地が多くに親しまれたのは、やはり車道が設けられた事と思います。釜トンネルと云う隧道を徒歩にてくぐり抜け初めて旅した上高地の思い出があります。歩いて行けば隧道の壁は人力で彫り進め造ったのだろうと云うゴツゴツした、それでいて古い石仏のような温かみのある感覚がありました。そこを抜け近づく上高地はどんなところなんだろう、期待通りの所だろうか…さらに歩いたのち大正池が見えてきた。
 徒歩であったり人力で近づいていく若い旅は、目的地までの過程というかプロセスを大切にできる利点がある、その反面時間や体力は消耗するのですが。私はそんな若き旅心をまだ暮らしの何処かに保管していると願いたい。

 大正池は焼岳の噴火により大正時代に出来た池とあります。その池の水を利用して水力発電設備を造った時、資材を運び入れるルートとして造られたのが釜トンネルの始まりとあります。上高地観光では穂高連峰槍ヶ岳に隠れがちな焼岳ですが、この火山の噴火があったればこそ上高地へのアクセスが早まったともいえるのではないでしょうか。
 最近この山の南東側で群発地震がおきています。過去にも似たような現象があったようです。この地震群の中で23日午後2時台に起きた地震の時、私の当時プリペード切れ携帯にも「緊急地震速報」なるメッセージが緊急音と共に届きました。結果震源から70km以上離れていた当地では大した揺れにはならなかったのですが緊急音にビックリ。震度4以上が予想されるとき知らされると調べました。
 また焼岳は火山としての警戒レベルは現在一番低い1ですが、昨年中には空振を伴う火山性地震が観測されています(夏以降多数回)。それらは一般の地震速報には上がらない微動なのでしょうが、空気の揺れが観測されたのですから山から何らかの超低周波音(≒強めの噴気かな)があったようです。
 今web上マップで上高地および大正池を覗いてみると〈臨時休業〉の文字が地名下に付け加えられています。今日のスケッチは河童橋からの穂高の景で、せめてblog上での旅の話題としてみます。

2020_0425記
木の芽の針仕事

 手縫いの針仕事は、けっこう時間がかかる。
 だいたいズボンの膝の部分が擦り切れ、繕いの始めとなる。左を繕えば、ほどなく右膝も擦り切れ繕う。次はお尻が薄くなっていることに気づき繕う。
 そうこうしていると膝の継いた所の周辺が破れそれも生地を充て繕う、しばらくしてその外側が破れ再び生地を充て繕う。
 充てがう生地は限界にきたと感じ現役引退となった古きズボン。ズボンの後ろ側は尻周辺部を除くと痛みが少ないようで、そんな古ズボン箇所を必要な大きさに切り充て生地にするのです。
 どこまで繕い使うかは、その人次第。最近はあまり繕ってまで着ている人を見かけない。針仕事はけっこう時間がかかり衣類も最近は手ごろな金額で買える。お金を出したほうが時間の節約になり買った製品となれば仕上りに気を遣う事もないのであります。
 仕上りを多少は気にしながらも、これはこれでファッションでありますと、小路を自転車で通り抜け裁縫店にまた行こう。黒い糸が無くなりかけているのです。

 針のような棘に触れたら二本の指に棘が刺さりました。
 今日のスケッチはその棘が抜けかかった様子です。
 棘はタラノキの棘。「あと(摘みとりまで)10日ぐらいかな」と自生のタラノ芽の蕾を見た時左手が当たり、中指と薬指にささりました。スケッチは薬指の物で、爪の生え際で棘を押し出せなかったので消毒し絆創膏(プラチナバン)で4日間覆っていたものを剥がしたとき棘が自然に出てきていたものです。4~5mm棘はあり、刺さった時はすっかりめり込んでいたのです。不注意といえば不注意ではあります、気を付けたいです。
 タラノキの生える所へと向かう国道道路電光掲示板に「県をまたいでの移動を控えて下さい」みたいな内容を見るようになりました。複雑な思い。

2020_0422記
日常と云う箱の中に

 サクラの花が咲いています。
 昨秋の台風災害復旧工事が尾をひく春。というか今 竹縄、河川敷改修工事がにぎやかであります。
 小学校は何日かおきに開校しているようで集団登校の朝を見る事があります。何日分かの課題宿題を帰りのランドセルに詰め昼ごろ戻ってきているのかと思う。
 行きつけの図書館も4月半ば本の返却に行ったら「休館」になっていました。納品先のお店も催事もみな病にうなされ寝込んでいる(開店休業、中止や延期)。
 とは言え春は春。野で摘む食草の種類もカンゾウ・ツクシ・ノビル・ヨモギと増えてはきています。ふと摘んでいる私はこれらの摘まれる草たちにとってウイルスのような存在にも思えてくる。
 そう思うときっと今流行るウイルスの人への侵入は、戦いを仕掛けてきているとか云うものではなく自然なふるまいの一部なのでしょう。つまりウイルスとしての暮らし。暮らしの中に日常があり、その平穏を願う日常は、どこかでどうしても他を巻き込んだ戦になっているのかもしれない?私の暮らしも。

 今日のスケッチは、木々の発芽です上はエノキ、下はクワ。
 3月下旬から、抑えめの気温だったので暖冬を引き戻すように、早くもなく遅くもない季節感になっています。

2020_0418記
春に届くカレンダーたち

 この冬から春にかけては彫刻刀を数本新しくそろえました。
 今までの刀では、刃が入り難い工作の物がありスケッチのような彫刻刀たちを購入したのです。
 そんな年度替わりのころ行政の配り物が届き、この時期にはゴミ出しカレンダーと健康カレンダーが届くのが常であります。
 健康カレンダーの方はこれまでほとんど活用したことがなく、一年間保管はしますが新年度の物が届くと真っ新な状態で役目を終える事が多いのです。今年もそのようになる事を願いつつ、サラッとページをめくってみました。時は感染症の頃ですので、予防接種のページに目が留まりました。
 現在では沢山の予防接種項目があり、それも0歳児が接種対象年齢となっているものの多さにおどろきました。定期接種と任意接種があり、定期だけでも(奨励見合わせの子宮頸がんワクチンを含め)10項目。ワクチン対象の病名を見ると改めて感染症と云うのは身近なものであったのだと感じます。
 その中でそうなんだ、と感じた予防接種に小児用肺炎球菌がありました。接種の仕方で4回の接種、菌を死滅させる不活化ワクチン。この菌はweb検索で小児の喉や鼻に住み着き、咳くしゃみにより成人にも飛沫感染させるとありました。そして65歳以上での肺炎リスクとして最も高いのが肺炎球菌によるとあり、2位のインフルエンザの2.5倍(全体の20%近いリスク)の統計があるようでした。
 予防接種の中でも新型コロナのように、空気感染までさせるものは結核・水痘あたり。同じく人獣共通の感染に注意はジフテリアがありました。

 日本脳炎は蚊の媒体。B型肝炎は血液・精液。破傷風は傷口から。タロウイルスは経口・糞口から。多くは飛沫感染の病気が多いようでありました。
 彫刻刀の思い出として最初の自家用軽自動車の時、当時はあったテレビで東南アジアにおいてタイヤの溝が無くなった時、すり減ったタイヤに溝を彫刻刀で彫り造る人がニュースになっているのを見て、自分のタイヤに実践してみた事がありました。今思うと少し怖いのですが、高速でバンバン飛ばすような乗り方はしなかったので次の車にかえるまで、そのタイヤで乗り過ごしたようでした。

2020_0415記
春雨の下のしずく

 13日の降水は里では雨でありました。4月も半ばですからね。
 でも翌朝の高い峰々は白くなっていた。蕗を採った林道も雪に埋もれたことでしょう。
 雨上がりの朝は、自家製雨量計を確認します。雨量計は屋根の庇(ひさし)から2mぐらい離した地面に直置きしています。ペットボトルを利用したものです。目の高さまで持ち上げマジックで書き込んである目盛を読む。「昨日は32mmだ、結構降ったぞ」
 ペットボトルを元の場所に戻そうとすると、置いてあった地面に2mm程度の球状の白い物たちが10数個あった。「小さな真珠みたいだ」
 みずみずしさが、そう思わせたのかきれいなものでありました。

 ところで今 図書館から「ミミズの本」を借りてきていて、その本でミミズの卵の写真を丁度見たところでありました。「もしや、これミミズくんの???でも本の卵はどれも茶色っぽかったよ?」
 何気なく置こうとしたペット雨量計を頭の高さまで持ち上げ、その底を覗いてみました。すると
 「いたいた、君がこの小さな真珠を産み落としたんだね」
 ペット底 中央部ナメクジ輩がおひとり、貼りついておられました。

 今日のスケッチは、その翌日計測器具ノギスで、そのナメ卵を測った様子です。
 生みたての時は球状でしたが、この日測ると2mm×1.7mmのややつぶれた丸となっていました。天敵の心配もありますが、そのまま観察してみようと思っています。一粒で二度おいしい、雨量計は二つを観るアイテムとしばらくなるようです。
 身近なところでも時間がすごせるものですね。

2020_0412記
蕗取峠

 自然は無駄がないと感じることがよくあります。 環境や状況が変わるとその変化に対応し新しい命が入り込んでくる。それは川の流れに似てもいます。
 冬期雪で閉ざされていた林道の雪解けが進むと、ほとんど同時にフキノトウが出てきます。フキノトウの緑色はキャベツの芯の方に近い色なので早春の山野には明るく、光っているように見え人の目には目につきやすい。そんな時「フキノトウはなんでこんなに目立つ姿なのだろう、採って下さいと言っているようだ」と感じる。
 フキノトウは蕾が少し開いたもの(スケッチぐらい)を自分は摘み頂いて来ることが多い。ひとつあると辺りに数個ちらばっていてもっと開いている個体もあり、そんな花には虫たちが来ている事がよくあります。人が食べれば、ちょっと苦みを感じるのですが、虫たちが食する花紛や蜜(?)はどんな感覚で虫たちに好かれているのか。 峠付近まで幾つかの群生地ごとに、好みの蕾状態のものを2~3コづつ摘み取り、全部で25個ぐらい頂いて来た。峠の標高は1600mぐらい、そこには里や町ではもう通り過ぎた早春が今ありました。

 里は、長野でもサクラが咲き始めています。
 山国では、季節の巻き戻しを山に上る事で出来る事がある。
 自然には無駄がないことは、ウイルスにとっても同じことなのでしょう。川の水が高い所から低い所へと流れるように動きやすい動ける方向にのみきっと動いているのでしょう。けれど人にはそのウイルスの川筋が見えない、その川の長さ、終着点を知りえない。
 コロナ用心お見舞い申し上げます

2020_0409記
カゲが伸びる春

 たまたま新型コロナウイルスのリンクで県のホームページをみることになり、プレスリリースと云うやつでありました。
 プレスリリースとは報道機関への情報提供らしき場であるようです。
 そこには、感染事例が明らかにされていました。長野県は4月8日現在19例であり、やはり県内でも本年度のオリンピック中止発表以降発表数が加速しているようでありました(16例がそれ以降)。未公開例も事情によりあるようでしたが20才代の事例が4割、20-50才代とすると8割から9割を占めていました。検査のきっかけは発熱(37-39度台)と同等に喉の痛みが目につきました、そして濃厚接触者ゆえの検査判明も複数。感染におよんだかもしれない行動履歴では首都圏関西圏との行き来(外国・北海道1例づつ)の記述が多かったです。今回は新型コロナですが、きっとインフルエンザなども同じような足取りでやってきているのでしょうから、まずはコロナを乗り切らなければならないのですが保管事項であります。
 4月のプレスリリースには県推進事業のお知らせ、県産の花・酒・蕎麦情報、地球温暖化に対するCOP25関連への県の方針や春の有毒植物誤食注意項目などもコロナの合間に見られました。リリースは4月に入ってから8日まで32項目あり、一日あたり4項目平均で発表されているようで、約半分がコロナに絡んだ情報提供のようでした。

  COP25関連、県内での会見の様子もリンクでのぞけました。その会見は去年の12月初旬でコロナ以前でしたが環境大臣がテレビ会談で参加されておられました。最後に質問コーナーがあり新聞社が3名のみ、少しあっさりとした印象。
 有毒植物誤食注意は、春の山菜シーズンになりかけていますので採取の時の注意でありました。
 今日のスケッチは、裏庭のオオバノギボウシが芽を出してきました。この草も野の菜として美味しく食べられるものです。そのカゲが長くなってきた昨今です。

2020_0407記
春の雨は少し黄色い

 ヒマラヤ山脈は高き壁となりその北側に乾燥地帯をつくり、広い砂漠地帯をつくったようです。タクラマカン・ゴビ・黄土高原。
 その砂塵を大量に舞い上げ東方に運ぶとき「黄砂」と呼ばれる現象が起きるようです。今年も4月になり九州で黄砂を観測したと先日ニュースにありました。
 発生源から3000km程度離れた日本に到達する砂は黄砂としては粒子の細かい物になるのでしょう、日本の中では北部九州から山陰地方が飛来回数多数のようです。風が回り込みにくい北日本ではその回数は少なく、高い山々に西側を囲われた場所でも少ないようです。
 もちろん日本列島手前の朝鮮半島やモンゴルを含む中国大陸にも黄砂は飛散していて、それに持つ感覚は地域々々で異なっているようです。日本では洗濯物の汚れ程度のものが、韓国では農産物被害・学校閉鎖の注意がなされ、中国ではさらに樹木の倒壊が加わり、モンゴルでは家畜の死亡や行方不明・線路施設の埋没があがっていました(共通項目で呼吸器疾患や航空を主とする交通マヒ・工業製品の不良が有)。
 黄砂の観測日決定は目視で視程が10km未満となっています。観測日の基準に達していなくても舞い込んでいるのでしょうから4月の雨は黄色い雨の成分が入っているのではないでしょうか。

 黄砂の観測は日本では目視を主とする人力にて察知しているようです。
 それにしても近い韓国では黄砂で休校もありえると云うあたりは知りませんでした。モンゴルでは積雪のように砂が何cm積もりましたなんてニュースされるのかな?
 日本国内では観測回数が少ない地域は北海道に加え北関東が少ないようでありました。
 今日のスケッチは、小諸の山に咲き始めていたサクラ、チョウジザクラと思います。

2020_0404記
修身の中の公衆道徳

 昭和3年生まれの女性が「修身の教科書は青い表紙の本だった」と話されていました。今日のスケッチは、青空の下 林道に揺れていたヒメヤシャブシの春姿です。
 修身とは昭和20年の大東亜戦争終戦まで現小中学生にあたる年齢の子供たちが学校で習った科目の一つです。
 戦後生まれの私は月曜日の一時間目に「道徳」と云う授業があったのは覚えていますが、さて何をやったのか雲をつかむような授業でありました。修身の授業も月曜日の一時間目だったと教えて頂きました、詳しい内容は覚えていないが「忠君愛国」の授業内容だったと即答で答えてくれました。
 歴史上の著名人(例:勝海舟・西郷隆盛・加藤清正…貝原益軒・二宮尊徳…)一人を主人公に千字程度(長短あり)のショートストーリーにて、努力・勤勉・奉仕・礼儀・愛国を教えたようです(人物を介さず徳目を教えようとしたものも有)。 明治の教育勅語発布直後の尋常小学校では修身の時間が6時間あったとありますが、後に週1時間程度に落ち着いたようです。修身の国定教科書は4回改められ5期の内お話をお聞きした女性は4期(昭和9~15年使用)の物を手にしたようです。図書館で読んだ抜粋された修身の4期教科書には次のような公衆道徳内容の一文がありました。
 「道路公園等が清潔に保たれ…紙くずなどがちらばってなかったら、だれもが気持ちよく感じるであろう。また、公衆のために衛生の心得が十分に守られたら、忌むべき伝染病の流行をふせぐことができよう。…めいめい心がけて公徳を守れば、社会はだんだん住み心地のよいところになる。」
 3期教科書は大正7年~昭和8年に使用。上記抜粋4期一文内「忌むべき伝染病」はもしかしたら大正7~9年に大流行した伝染病スペイン風邪からの教訓が盛り込まれたのかも知れない。

 スケッチのヒメヤシャブシですが、ぶら下がっている姿(雄花序)がかわいく 車道にはみ出していたのでやがて切られるだろうと一枝持ち帰り、机の上に置き翌日スケッチしたのでした。
 夜が明けると雄花序の下には見るからに細かい黄色い粉が沢山。はじめヤシャブシの雄花序である事も分からずその黄色い粉の匂いを嗅いだり枝を振ってなを落としてみたりしていましたが、時間がたつにつれ、くしゃみや目のかゆみ・鼻水が出てきました。ヒメヤシャブシはハンノキの仲間で、杉花粉に隠れがちですがこの仲間は花粉症の原因とされていると調べ着きました。それで家の中でもマスクをし過ごした一日となったのです。山国も春めいて来ました。

2020_0331記
〇×△、春の湿り雪

 一昨日の雪は約20cm積もったようでした。積雪としては今季最高でした。
 自作雨量計での雨量は57mmもありました。春の水っぽい雪にしても1mmの雨量で1cmの積雪の仮定義からかけ離れている。そこで最も近い公の雨量観測所が家から240m付近にあるので、そこのデーターと比べてみました。56mmとなっていて、差が5mm以内なので家の雨量計データーも信頼できそうです。
 それなら28日暗くなってから降り29日昼近くまで降ったようでしたが、雪でなく雨の時間帯があったのではないかの疑問を持ちました。案の定、遠くはない軽井沢の観測所データーでも降り始めは雨で、ミゾレとなり29日深夜に雪に変わっていました。軽井沢の雨量は60mmで積雪は28cmとなっている、その内の15mm程度は雨として地面を濡らしたようでした。
 家・住処あたりも、私がカーテンを閉めた後 降り始めた降水は雨であり、寝入っていた深夜過ぎきっと雪にかわったのでしょう。57mmのうち30mm程度が雪として積もったのでしょう。雨量1mm=積雪1cmの仮定義からすると、30mmで20cmですのでかなり水を含んだ雪だった事が気象データーからも裏付けできそうです。
 よって、雪かきは重かったですよ、錆びてもいましたがシャベルの柄持ち手近くが折れてしまいました。でもその後の融雪も速く、雪が上がると速やかに地面が広がっています。
 それにしても当地では乾燥期に入ろうとするこの時期、一日に50mm以上の降水は珍しいことに思います。湿度が上がることは空気も重くなるのだろうから、対新型ウイルスにはよいのかも?
 裏庭に生えているマメガキの枝々にも雪が積もりマメガキのガク片(ヘタ)を数多に落としました。今日のスケッチは、そのガク片たちです。ご覧のようにガク片の裂が6であったり5であったり4であったりでした。さてこの6・5・4の割合はどうだったと思います。興味のある方はスケッチをクリックで資料へ飛びます。

2020_0327記
川の流れと時の流れ

 昨年10月の台風洪水は堤防をも越え夜が明けたようでした。
 床上浸水のお宅も点在し、そのうちの数軒は柱梁など家の形を留めていましたが取り壊す選択をしたようでした。土砂が流れ込んだ田畑はこれから整備され再生されるようです。
 土砂がすっかり持っていかれ石だらけの川原は去年までの植生がすっかり途切れてしまいました。しかし、石で組み上げられた堤防の隙間に根を張っていたヤブカンゾウは剛流に耐え流されなかったようです。今日のスケッチはそのヤブカンゾウが芽を出し始めた様子です。流されなかったとはいえ表土を持っていかれたようで所々に根が露出していました。スケッチにあるように根にはコブのような膨らみがあり、初めてヤブカンゾウの地下の姿を目撃した洪水明けの春となりました。
 例年より10日ほど早いヤブカンゾウ季節の知らせ。食べごろの株を10ぐらいづつもぎ茹で炒め頂いているところです。

 小学校の閉鎖開始から半月ぐらいして、子供たちが遊びにきましたので数回午後の1~2時間川原をいっしょに散歩探検しました。千曲川川原は広々としたエリアなので青い空の下へ。鬼ごっこの鬼を受けもち4人の子たち(3人高学年1人低学年)を追いかけたひと時。逃げはじめると個々逃げるスピードに差がでて目が行き届かないことに気づき鎮まった流れとは言え遭難されては大変だと、すこし後に「かえるぞー」と降参を呼びかけた。
 ある時は柔らかい頁石の中に葉っぱの化石たちをみつけ、ある時は深みにいた大きな黒い鯉にちょっかいをだし、大岩にのぼり、飛び石を跳ねわたる時 足を踏め外し靴を濡らした。ワンドでの藻の繁殖、唯一みつけた水生昆虫ミズムシ。
 昨日遊びに来た子らは「4月6日入学式7日始業式」の日程を教えてくれました。いくぶん違う授業形態になるかもしれない。まだ流動的要素も感じながらも、長野県東部において日程としては4月から登校が予定されているようでした。

2020_0324記
まるがんも食べた

 高田渡さんの歌に「値上げ」と云うものがあります。
 渡さんの「ごあいさつ」というLPレコードに収録されている1971年。
 「値上げは考えぬ」からはじまり「極力値上げはおさえたい」となり「なるべく値上げはさけたい」→「値上げ…は検討中である」→「値上げもやむを得ぬ」として「値上げにふみきろう」でおわる歌でありました。

 作詩を改めて見ますと有馬たかしさんという詩人によるもので1971年発表の詩集「くりかえし」に収められている。有馬さんの詩集のなかでは「変化」と云う題名のもののようです。

  この「変化」する状況を、たびたびニュースや近い暮らしに感じ、そのたびに「値上げ」が始まったか、または始まっていたのかと感じるものであります。
 その値上げ内容は、お金によるそれであったり、それ以外による変化に値上げ的ステップを思ったりするものです。

 今日のスケッチはまるがんも。
 原発メルトダウンなど値上げ的ステップを踏み明らかにした物語と感じます。ここでの2月上旬からのマスク買いに殺到する状況などをみても、混乱を統治する方たちは望まないのでしょうから、徐々に情報を開示して行くのは常道なのかもしれません。オリンピックの中止延期も選手・観客のほか、協賛を含む運営の方々への配慮の中、『変化』の詩なら「値上げするかどうかは検討中である」あたりの一行、もしくは「値上げもやぬを得ぬ」のあたりになるのかな。

2020_0320記
コロナの春も春分だ

 冬期は通行止めの柵を設けなくとも寒冷地では道は閉ざされるものです。積雪や凍結に加え、落石・倒木の処理も氷雪のため厄介になる。
 そんな道たちも今期は暖冬のため入山がし易かったようです。冬期間は不便になる事をわきまえ自動車の台数は相当減るので人力で入ろうとする者にとっては空気がすこぶるよいのです。
 そんな人気を遠ざけた道では動物たちに昼間でも出会うことが度々ある。リスを至近距離に見たり、しかばねに来ていたキツネもいた。そのしかばねはシカのものであり体毛が辺りに散乱していたのですが、冬のシカは茶橙色ではなく灰褐色の地味な体毛になります。
 落葉松林の中にそんな冬の生きるシカ達が群れてもいました。その数は20から25頭。自分が見たシカの群れとしては最大級の光景。雪のない落葉らくようしきった森において灰褐色は保護色になり見逃しがちになる。春めいた日であったのでその辺りに草でも芽吹いていたのかもしれない。私の姿に気づくと遠ざかる方向に移動を急いだ。シカのお尻がこちらからは見られる事になった。その尻たちにはじめてシカの尻は白いを知る事になりました。順次森中の白い点々が遠ざかっていきました。

 シカのお尻は普段でも白い部分があるようです。周辺に異変を感じた時、群れの仲間にそのお尻で危険性を知らせるようです。それは自分が感じ見たものではつぼめていた白い傘を開くように白い面積がパっと広がったイメージでありました。数十頭いたので特にそう感じたのかも知れません。
 コロナコロナといいましても、それ以外のことも動いている事も確かなことでしょう。山でもフキノトウが出はじめた頃でありました。また蝶の姿も低い標高のところでは数種類活動を始めていたようでした。今日のスケッチはそんな林道に掛かっていたオニドコロの枯鞘たちです。

2020_0315記
虫の知らせ

 冬に行商箱を整理していると、箱に紛れ込んだ物が乾燥状態で見つかるものが少なくない。行商は野外が主なので それらは舞い込んだサクラの花びらであったり、シバの切れ端だったりする事が多い。ときに昆虫類があり今日のスケッチはそのようにして見つかったカメムシの仲間オオトビサシガメです(合掌)。
 さて今年の来月以降は・・・4月の催事行商は新コロ騒動で、ことごとく中止または暫定で5月以降に延期との知らせが入っています。

 ところで新コロニュースの合間に「中東での蝗害」が報じられていました。これは東アフリカでトノサマバッタに似たサバクトビバッタの大発生に端を発したようです。これらのバッタはいつも群れを成すとはかぎらず環境に応じ群生相をなし移動するとなっていました。群生のバッタたちも生きることを持続させたいので草木を食べ荒らし、故に人からの印象は群れをなすと凶暴になると受け止めます。このバッタたちが東アジアの穀倉地帯に移動するのではないかのニュースでもありました。

 群生相になると、それまでより凶暴になるは、人を含め広く言えるのかも知れません。
 今新型コロナウイルスの情報は、(人々の努力の結果と思われますが新型インフルエンザとの比較で)人への被害件数の割には大きめに警戒されているようにも感じます。ウイルス特にRNAコロナウイルスは変異しやすいと見れるものもありました。また過去のスペイン風邪において、その病期は日本では大正7年から同9年とあり、前期(大正7)の病状より後期の病状の方が重症であったともありました。それらから現在の新型コロナウイルス世界的警戒は今の感染拡大を抑える目的もあるのでしょうが、近い将来重症または劇症化ウイルスに成長しないようウイルスの群生化・変異を警戒する知らせとも個人的には思っています。仮に数ヶ月で鎮まりをみせても、数年は起こりうることをスペイン風邪の前例に思うのです。

2020_0310記
コウモリの記憶

 コウモリの記憶は数少ない。
 子供時分 家前の道で 近くの上級生の「コウモリだ」の声に見上げ見た一瞬の夕空コウモリだった。コウモリの羽ばたきには神秘的と云うか悪魔的と云うか得体のしれない心の不安定さを誘われます。
 家前の道は、私が小学校入学の時はまだ土の道で近所を見渡せばわらぶき屋根の家が3軒。1軒はトタンがをかぶせたわらぶき屋根、1軒は庭で鉄工を営んでいました。残り一軒の地番が私の本籍地に一致する。しかし私はその家に住んでいた記憶はなく、そのわらぶき屋根の道向かいのブリキ屋根の二階家が寝起きの場でありました。(アブラ)コウモリの住処は古い家が多いのだと大人になり知るところです。わずかな隙間があれば入り込み住み着くといいます。敷居にビー玉を置くとかってに転がって行くような地盤沈下と共存する町であったので、隙間はいたる所にあったはずであります。
 しかしコウモリの記憶は極めて少ない。超音波の使い手のコウモリは黄泉の世界から黄昏れの空に姿を現しては消しやって来る神秘性を大人になった今でも感じている。

 真実はどうだったのか、コウモリが保管していた新種のコロナウイルスが今回の感染症の元だったとの報道はよく耳にしました。
 コウモリはエボラやサーズ、日本では数十年発症例が無い狂犬病らのウイルスを保管しているケースがあったとのこと。コウモリの自衛方法は感染症ウイルスを体に保管することに思えてくる、その自衛するものたちが大きく外に出た形と今なっているのではないのか。「コウモリのフンはさわらない方がいいよ」となっています。感染者の飼い犬も感染した例があるとの事なので、人に身近な野生も含めた哺乳類のフンもしばし注目されるかもです。
 ところで コウモリは中国では縁起のいいものともされています。フクロウが日本でそうされるように。コウモリ=蝙蝠が中国では福に変わる意味の「変福」と同じ発音になるからだそうです。コウモリ入りのスープなどあるそうですが、めでたい鯛を食べ吉事を引き寄せる文化に似ています。

2020_0307記
感染汚染空気栓

 昨日夕、5時に防災行政無線放送が私の暮らす地域に流れました。私の住処から東方100mに火の見櫓があり、その上部にメガホンが見えるので、そこから無線放送は流れているものと思っています。
 前例なら温かいとはいえ冬が明けきらぬ頃は行方不明者の情報提供を求める放送が多い。朝がまだ-5℃以下になる当地では暖を近くに置かずに夜を越すのは大変なことだ。また高齢者対象のオレオレ詐欺が発生した日に即日それを知らせ注意を促す放送は一年を通して時折流れています。
 昨夕の放送は、いつもと異なっているようで聞き取りにくかった。2回繰り返すのが常なので、その2回目に「保健所」「新型コロナ」などの言葉が耳に残った。どうやら当地保健所管内で新型コロナウイルスの感染した人が確認され、その方の勤務先に告知日に行き来のあった人がいたら相談するようとの事のようでした。
 それでwebで詳細を求めてみると、
 当地から直線距離で35km南あたりに関係する感染者情報のようでした。そこは本当に奥まった高地で海から当然遠い広々とした酪農地域です。さらにその方の行動歴が報じられていた物には「大阪での(感染者を出している)ライブハウスに行った」とありました。大阪とは断定できないがその高原から大阪は300km以上離れている。
 整備された社会に便乗するウイルスの賢さ、怖さ。たぶんウイルスだけでなく目視不可能な放射性物質なども人々の事情を横目で見ながら賢く、にぶい怖さで移動定着しているのかな。

 今年も3月11日が来ますね。
 現行する新型コロナウイルスの状況次第では「緊急事態」を国が宣言するともニュースが流れています。
 9年前に発令された「原子力緊急事態宣言」を憶えているでしょうか。この宣言のその後はと考えると、まだ解除されていないようです。汚染土の処理基準とか遥か向こうまで元に戻せないのだろうから、遥か遠くまでこの宣言は解除されないのでしょう。
 日本と云う国は2項目の緊急事態を課せられる民となるのか。新コロナ、これ以上広がらないで下さい。
 今日のスケッチは浮き輪の空気栓です。

2020_0301記
占領下の日本

 温かくなっている、子供たちが遊びにきては「川に行こう」と誘うことが多くなってきました。昨年の台風で川原の植物群は根こそぎさらわれているので砂石だけの川原は開放的に感じられるのでしょう例年には無く多い。
 今日も少年がやってきて川原を散歩したのです。
 小4の彼は玄関で口を開いた「明日から外に出れない休みになるから、今日遊びに来た」と。
 「宿題沢山でただろう」「いっぱいでた。でも春休みの宿題はもうやっちゃった」
 この子は2月26日金曜日の夜から春休みの宿題に取り掛かり3月1日昼には終わらせたようでした。自分の方で少し気になっていた事を聞いてみた「学童はどうなるの?児童館は?」 学校を閉鎖しても同じような閉鎖空間に多数が集まるだろう学童がどういう扱いになるか少し気になっていた。「児童館も閉鎖!」と答え。
 その後、千曲川に下り1時間ぐらい探検散歩をしました。
 堤防法面から湧水が所々にあるが、その一か所でクレソンのようなロゼット状の草が芽を出していた。冬初皆無だった水鳥もカルガモが主だったが少し戻ってきているようでした。
 天気が良かったので途中から裸足で歩いてみれば、春先の川原は砂地は温かいが、石の上はひんやりの感触でした。

 今日のスケッチは前回の川散歩でみつけた千曲川原の新名称すべり台石。ほかにも大きな石が点在しています。
 インフルエンザを広めるのは子供の働きが大きいと聞いたことがあります。子供社会だけでなく家族・地域からつながる大人社会への効果も少なくないのでしょう。
 今日本をはじめ東アジアはマスク大王に占拠されている。町にでればマスク顔ばかり。風が吹き溜まったところにマスクが一つおちていた。

2020_0226記
BCGは9コの針跡

 2月は短いはずですが、今年の2月は長い感じがする。実際29日まであるのですが・・・
 今年に入り何冊か本を読みました、皆図書館から借りたものでありました。テレビ・新聞の情報は発信する側が伝えたい事を伝えている。裏を返せば伝えたくないことは控えめな情報提供の工夫をしている。最近ネット情報にも、きっと同じなのだろうと思うようになったので、それを解消するように本を読むようになったようです。
 ですから、以前は随筆集が多かったのですが、最近はルポであったり物書きというよりその道の専門家が書いたような本を借りてきては見ているのです(本質として読書は億劫な私です、少量読んでいる中でそんな傾向です)。
 今うちに「岩田健太郎」という感染医が書かれた本が2冊借りてある。もちろん新型コロナウイルスCOVID-19騒動から、この人の活動を知り、図書館に行き借りたのだ。もちろん図書館の本たちは幾らか古いのでCOVID-19の話には出会えない。でも感染症と云うものをこの人の書いた本から知ってみようと思ったのです。
 感染症とは微生物が原因として起こる症とありました。そしてその微生物の概念は大きさにおいてまざまで、小さいものはウイルスより小さいプリオンという物から、細菌類・・原虫、ぜん虫、回虫のサナダムシまで網羅されているようでした。
 人は自身体内の自然免疫でそれらが体に入ったら応戦するらしく、獲得免疫として予防ワクチンなりが上げられていました。昔懐かしいBCGなどと云う言葉に再会し「ふむふむ、あれは結核用のワクチンだったのか」と今更ながら9個×2の針跡を思い返したのでした。新型コロナはその有効な獲得免疫がまだないのでしょうね。それで旧型コロナウイルスたちに有効だったワクチンの名がたまに治療時のニュースであがっているのではないかと感じます。
 感染症予防の基本は、小まめな手洗いと感じました。また感染症の多くは発熱があるので体温を記録する事がチェック項目として感じられました、国が発表している「37.5度以上が4日続いたら・・・」あたりと重なるところですね。岩田さんの本で感染症をほんの少し近くに引き寄せ知識を得られました、貴方の著書・活動に敬意を表します。

 今日のスケッチはミツバの芽生えです。まだ1.5cm程度。
 心からの春がまちどおしいです。

2020_0222記
遅れ来る春もある

 内陸高地である長野県は乾燥ぎみの気候が楽器を含む木製品制作には良とされ、一時のフォークソングブームの時、県内の盆地にそのギター製作所がはやったといいます。
 冬期間の乾燥期間も臨海都県より長い、おおむね4月までおよぶのであります。それは近在東信の寺院の経典の風通しが4月中に行われる事にも感じられるところであります。
 その春(先)の乾燥のせいだろうか、インフルエンザ患者数において、長野県は近年のデータをみると全国平均より、遅めに終息方向に向かっているグラフを見る事ができます(県webページより)。例年だと1月下旬をピークに下降傾向が見られるケースが多いのですが、冬が周辺他県より緩やかに遠ざかるようにインフルも穏やかカーブで減小傾向に入って行くようです。
 そんな冬期には地域佐久医療センターでは、毎年のようにインフルエンザ感染予防にあたり、12/1から入院患者との面会制限が実施されているようです。これが2/19付けで「面会を原則禁止」とされたようです。新型コロナウイルス予防によるとあり、厳格な実施となったようです。

 この医療センター関連施設は、県内において第二種感染指定医療機関にも指定されているので、新型患者が県内あるいは国内で多数発生したとき受け入れる事が求められるのでしょうから、その事前処置の一つとも考えられます、本文面会を禁止する期間は2月19日~3月末日。米印状況によって期間の延期ありとなっています。
 気候との関連性は?ですが、武漢の気候は内陸でありながら温か目で「蒸す」とされる期間は4月下旬からとなっています(これは『Weather Spark』なるウェブサイトの比較になります)。東京ディズニー浦安では「蒸す」期間6月上旬。長野小諸では「蒸す」期間6月下旬となっています。
 今日のスケッチはその医療センターあたりから描いた、浅間山です(昨年のスケッチ)。

2020_0219記
タクアンむしゃむしゃ農民美術

 日本が初めて参加したオリンピックは第五回のストックホルム大会だといいます。陸上の2選手を派遣。シベリア鉄道で開催地に向かったそうです。その数年後、やはりシベリア鉄道で欧州から帰国した画家がいました。その画家はその後 東信濃を拠点に「児童自由画の奨励」「農民美術運動」を発信しました。児童自由画と云うのは、それまでの学校教育美術図画が正確に写すことを良とした臨画とは異なる美への体験方法を紹介したようです。
 その人は後項「農民美術運動」で知る人ぞ知る山本鼎です。 農民美術は農繁期の長い寒冷地での副業的事業を一時期担い、現在もその流れを継ぐ主にノミ刀をふるう木彫家を輩出しています。

 今日のスケッチは木彫りの獅子舞い(農民美術の流れかは?)。
 今 上田市立美術館サントミューゼで「農民美術児童自由画100年展」(期間2019/1130~2020/0224)が行われています。山本鼎が現上田市神川地区で活動をし始め去年2019年が丁度100年との事です。物作りの先輩に券を頂いたこともあり先日見てきました。
 洋画家版画家としての鼎の作品もあり分厚い展示でありました。本文ではシベリア鉄道経由帰国を書きましたがロシアの工芸に同調感化されたところもあるようでした。丈10cm程度の木っ端人形たちは今風に言うと木製フィギアとなりましょう。多くは台が付き木彫り人形と台とが一木で作られた暮らしを映した物が目につきました。「外貨獲得」、「昭和10年国の副業奨励援助金打ち切り」、鼎はこの運動を遂行するために経済的にも負担を負ったようでした(昭和21年永眠)。100年展は戦後流れをくむ制作家たち(県内広く)の作品群も見られ、券を頂いた方の作品も4点その父の作品も3点展示されていました。

2020_0214記
風が包む埃たち

 空気は体に取り入れるものですが、普段食べ物に比べると疎んじられがちです。食べ物の多くが価値(値段)が付けられているのに対し空気はそうでないのが普通です。
 人と人の関係において「空気のような存在」などと言う時、その空気には有益性は問わないけど無害な物の認識があるのだと思います。
 しかし何時の時代にも空気には時の産物が入り込むことでありましょう、原発を含む工業排気物、車社会故のその排気物、劣化ウラン弾による戦地周辺の子供たちの健康被害。それらの事柄をのぞき見た時 知ったエアロゾルと云う言葉。
 エアロゾルは「粉じん」「ばいじん」「スモック」「霧・もや」などの表記の中にもあるようで、気体中に浮遊する微小な粒子。粒子の大きさ重さによりある程度の距離を移動できるのでしょう。

 人には見極められない大きさの微粒子として呼吸を通じて体内に定着するものは厄介そうです。予防に努めるしかないのでしょうね。エアロゾルは昨今の病でも、目にした言葉です。ただ単に「くしゃみ」「咳」とせず、エアロゾルと云う言葉でニュースを知らせた事に注視します。どうしても冬期は湿度が低いのでその辺も注意しようと思っています。
 今日のスケッチは、風に飛ぶ前のガマの穂です。

2020_0209記
流氷接岸

 網走の海に流氷が現れたようです(2/7)。二週間ほどおそいのか、いつもなら接岸していてもよい時期のようです。
 オホーツク海は海上部において塩分濃度が薄いのだといいます。それが流氷を可能にしている要素の一つでもあるようです。
 海は一律ではなく、塩分濃度においても赤道に近い海域では濃度が高く(≒3.7%)、北極・南極に近い所では低くなっているのだといいます(≒3.3%)。これが水深で1000mより深くなると赤道域も高緯度域もほぼ同じ3.5%に近づくのだといいます。
 水中で暮らす生き物たちは、淡水魚、海水魚はよく耳にするところですが、細やかな塩分濃度により住み分けているのでしょう。東京湾・有明海などの湾奥では塩分濃度が外海より低く淡水と海水の中間的な汽水魚が豊富だということ。ハゼやボラ・スズキ、アサリ・ヤマトシジミ。どれも私の幼少の頃親しんだ東京湾の生き物たちはこの汽水魚または汽水に生きる貝になるようでした。

 台所シンク内にほったらかしにされたお椀の海にも、一か月遅れで時空の沖合から流氷が漂着しました(2/7朝)、完全結氷。いつもなら年が明けると結氷するので、すでに立春を過ぎていた今年は氷の景を台所で見ることなく過ごせるかと思っていましたが、真冬の景となりました。
 今日のスケッチはその氷結です。その日はお椀を鍋の中に置いて水を満たしていたので鍋の海も氷結しています。

2020_0205記
ことしの鬼は外

 最高峰3,026mの乗鞍岳も幾つかの頂を合わせ乗鞍岳とされています。その頂きの一つに2,876m摩利支天岳があります。そこには天文観測所があります。長野県側エコーライン登坂が最終急カーブを折り返したああたりから白いその天文観測ドームが稜線に迫ってきます。
 その観測所(少し前までは天文台)は太陽コロナを観測する貴重な場所であるようです。コロナとは太陽のまわりに見える光のことで、皆既日食:月の影に隠れた時もれる太陽のまわりのガスの光のことのようです。今連日耳にするコロナウイルスのコロナはこの太陽コロナのような外周組織をウイルスに確認できる故、コロナの接頭語が名につけられたウイルスのようです。
 単にコロナウイルスと云うと多種あり、自己増殖はできないが脊椎動物に宿ることで増殖すると読めるものがありました。
 ウイルスは100万分の1メートルというナノメートルサイズのカテゴリー外生物のようです。仮に太陽の大きさを1としたら1ナノは小学校4~5年の身長に該当する。それだけの大小差がありながらも小が大に影響を与えてしまう小さき物があふれだすことは不思議でもあり、いまでも宗教をこえた神さまがいるように思える。そこで人は今でも「鬼は外」を忘れてはいない。

 新型コロナウイルス気を付けたいものです。
 今日のスケッチは、太陽コロナのようなクヌギのドングリ(左)です、右はドングリでなくクヌギに寄生した虫こぶと思われます。
 乗鞍の太陽コロナ観測は、望遠鏡の中で光を遮る円盤で太陽面を隠し皆既日食と同じ状態を作り観測するそうです。現在のコロナ観測は人工衛星によるものが主流となっているともありました。

2020_0202記
暮らしの大動脈

 旅をするとき、県境や市町村境という辺りは魅力的な風景に出会えることがあります。またひと昔まえの家並みに再会するのもそんな所であるものです。
 旅人にはやさしいが、そこで暮らす人々にとっては工夫というものがあるのかも知れない。あの水俣にしても県境に位置する地域であり海でありました。

 東北地方の県境に最大級の不法投棄事件があったそうです。青森県と岩手県をまたいで「戸」の付く地名が存在しますが、事件は青森二戸と岩手三戸の山中で起こったそうです。この手の環境問題では瀬戸内海に浮かぶ豊島(てしま)が有名、青森岩手県境の廃棄物量はそれをも上回る投棄が広がり積もったそうです。
 普通なら許されない投棄が長年(10年近く)続いたのはただの投棄ではなくリサイクルを目的とした事業計画許可であったようです(中間処分物を堆肥原料化)。豊島の投棄もリサイクルを絡め知事の容認を得ていたようです。
 平成に入り間もなくより近くに首都圏とを結ぶ自動車道が開通し、青森岩手県境にそこからの廃棄物が運ばれていったようです。
 東京で使う電気を福島や柏崎刈羽でつくり送られていた事は知る所ですが、重量のある廃棄物が遥か500km離れた所に処理されていたことも現実のようです。道路が開通すると良いことも多いのでしょうが、様々な利用を考える方々がおられるようです。私の近くでも中部縦貫自動車道が完成を目指して工事中ですが、山水への関心が不在にならぬよう願いたいものです。

 物を作る産業を動脈産業といい、それとは逆に廃棄処理する産業を静脈産業というそうです。ゴミというものは廃棄リサイクルで大きなビジネスでもあるようです。
 青森岩手県境事件において不法投棄行為者に廃棄物処理を委託した排出事業者は主に埼玉・京浜首都圏の業者のようですが、その持ち込みは広範囲で長野県事業者も入っていたようです(全体の0.4%)。
 今日のスケッチは、容器包装プラスティックになるのでしょう、ふりかけの空袋です。

2020_0127記
バンダナは真四角がおちつく

 髪のぼさぼさあら隠しに、昔は帽子を後ろ前にかぶっていたが、今はバンダナを頭にまいている。
 帽子は耐久性があるがバンダナは一枚の布なので傷みが速く、破れては新しくをくりかえしています。
 その頭に巻く用途でのバンダナは使っているうちに 目の粗い物を選ぶようになっています。これは普通生活なら気になりませんが、自転車で坂を下るような風にあおられる時、帽子やしっかりした布のバンダナだと飛ばされてしまうのです。目が粗いと髪の毛先が布目にわずかに刺さるようで飛ばされないのです。
 そんな粗目生地のバンダナは、おきまりの画材店の小物コーナーにあったものをよく買い使っていました。しかしその画材店が閉店してしまい4年がすぎた。どこかに自分が求めるようなバンダナはないかと人にも聞き探していたのですが行きあたらなかったのです。
 ある日100円ショップにありはしないかと覗いた時、それに使えそうな紺色のサイズ50cm×55cmの布があったので買うことにしました。50cmに切り、布辺がほどけないように端々を折返し縫いして48cmのバンダナとし今つかっている次第です。

 48cmだと、やや短めですが私の頭サイズだと十分結べました。市販で多く売っているサイズは53cmのようです。
 50cm×55cmは、出来上がった座布団のサイズと一致するものがあるようです。なにか昔ながらの定番寸法のひとつなのかな。
 今日のスケッチは円座の座布団のように40~50cmにロゼット葉を広げていた冬越しの草。マツヨイグサ系統のロゼットと予想です。

2020_0122記
ギャー鳥の教え、食べ物の大きさ

 ギャー鳥ことヒヨドリのウンコが実を付けたマメガキの下に落ちていることは7日のblogに少し書きましたが、それが頻繁なので「なんか変だぞ」と感じるようになりました。
 その落下物たちは草や木の実がそのままの形で入っている物がほとんどでありました。「こんなに消化しないで身体の中を通過してしまうものだろうか?」
 今日のスケッチがその落下排泄物なのですが草木の実のほかに漬けた野沢菜のような色の葉物もありました。大きさは最大で太さ7mm程度。ペレットと云うものかもしれないと思うようになりました。
 ペレットは色々なところで使われる言葉ですが、鳥で使われる時、消化できないものを吐き出すその固形物となっています。

 私の朝食の残材:リンゴの皮と芯をマメガキの実を食べつくした頃、刻んで竹カゴに入れ高いところに置いてやっています。ヒヨドリは二日間警戒し寄り付きませんでしたが三日目食べにきたようでした。大雑把に刻んでおいたせいか周辺に食い散らかすように落ちている物もありました。
 そしてその周辺にもペレットが落ちていたのです(今日のスケッチはその時のものです)。そこで太さ7mmの排泄を口からするなら7mmより小さく刻んでやれば、もっとたべやすいのではないか?と試しました。
 するとカゴの中外きれいに刻みリンゴは無くなっていました。きれいにたべてくれてありがとう。たべやすい大きさ、結構重要なのかも。

2020_0119記
移民のダム史

 日本一長いとされている信濃川は上流では千曲川(または犀川)と呼ばれます。このように途中で名称を変える川は少なくない。
 東京湾を河口とする多摩川は上流部を丹波川と呼ばれています。丹波川は「たばがわ」と読み「たまがわ」に似ている指摘があります。
 小河内ダムによってできた奥多摩湖を境に西(上流)を丹波川、東を多摩川としているようです。小河内ダムは東京が帝都と呼ばれていた頃、上水源として計画され造られた巨大ダム。ダムに沈んだ集落:村名をダム名に残したようです。
 移転世帯は900世帯を大きく越え、これを東海林太郎「湖底の故郷」が補償合意の前年レコードにされているようです。昭和13年起工は大陸での戦争が本格化していく頃。この年の夏 幻の五輪となった1940年東京オリンピック開催権を返上しています。その後ダム工事は洋上での撤退・玉砕が目立ちはじめた昭和18年に中断。戦後再開は資材を運ぶ貨物鉄道を一時的に開通させ1957年竣工にこぎつけています。
 このダムにより水没移転を迫られた住民の数十世帯が八ヶ岳山麓に開拓に入られた歴史もあるようで、その地名に清里が上がっていました。

 今日のスケッチは、1957年発行10円小河内ダム切手デザインをスケッチしました。
 戦時をはさむダム工事はきっといくつもあったのでしょう。小河内ダム南方直線距離で20数kmにある相模ダム(相模湖:1964年東京オリンピック_カヌー競技会場)もその一つです。このダムは戦時物資生産基地である京浜工業地帯への電力・工業用水をまかなうものと優先順位の高い工事であったようです。その時世を映すようにダム労働者は周辺町村の者、学徒を含む動員、朝鮮・中国からの強制労働者が記録にあるようです。昭和15年起工、ギリギリまで工事は進められ昭和20年6月下旬中断(中止)、戦後再開し竣工は昭和22年。
 小河内、相模両ダムとも殉職者が残っている資料で80名をこえたとのことです。
 幼い頃 父方の実家に中央本線で新宿より山梨に行くとき、車窓から見えてくる相模湖は旅情を誘うものでした。身近な所に新旧の歴史が埋もれているものですね。

2020_0115記
小寒にしゃべる

 白夜の反対を極夜(きょくや)と言うらしい。北極に近い所では今 極夜の頃なのでしょう。
 ツンドラと云う地域はその中にあるようです。
 凍土の地。とはいっても一年中凍るのは地下で、地表は短い夏(コケや草本の緑の頃)があるのだといいます。
 そのツンドラと云う言葉を「最も暖かい月の平均気温が0~10℃未満」の区域にあてたのがツンドラ気候となるらしいです。当然のように単にツンドラと云われる地域も含まれるのですが、チベット高原や日本の富士山・大雪山もその気候の条件を満たしているとの事です。
 ちなみに富士山観測所の平均気温で+は6-9月の4ケ月で最暖月8月平均気温は6℃ほど。
 極夜とはならずとも12-1月は北半球で日照時間が短い期間です。日本最北稚内では最短の昼時間は冬至あたりで8.7hです。しかし稚内の冬は晴間が非常に少ないようで、12-1月の1日換算日照時間はわずか1-1.5hにとどまるようです。

 今年は温かめに冬が進行しています。朝方は凍っているのですが、昼ぐらいになるとシャベルが土に刺さり掘ることができます。例年だと野菜クズを埋めて処理することはできないのですが、1月中ほどにして、それが出来るようでした。
 今日のスケッチは、小諸の常緑の街路樹:シャリンバイかもと調べました。

2020_0112記
わたしも小さなクジラかも

 クジラの胃の中から何十kgのプラスチックごみが出てきたとか、海鳥からも同じようなことを見聞きすることがあります。
 内臓にそれらが溜まると、その臓器の働きを阻害し、痩せたり弱らせたりするらしいです。
 動物たちは自分周りの環境にあるものの中から食べられるものを探す。奈良公園のシカも、食べられる物が付着したプラスチックを食べクジラやカモメと同じような事があるようです。私たち人も同じであり、世間的に食べられると提示された食物を無意識に食べているのだと思います。
 プラスチックには5mm以下のものたちをマイクロプラスチックと呼ばれることがあるようです。そのような形態のものを日常的に現代人は微量づつ食品といっしょに食べているらしく、塵状のものは呼吸を通じても体内に入っているらしいお話がありました。
 今日のスケッチは、松本四賀の林道にぶら下がっていたカエデの翼果。このカエデ、カラコギカエデかもと調べました。カラコギは鹿子木となるらしい。
 マイクロプラスチックの身近なものは化学繊維衣類のチリ、合成洗剤・柔軟剤・消臭剤に。ちょっとビックリなものに消しゴムのカスが上げられていました。今多くの消しゴムは「PVC」と小さく紙ケースに刷られた塩化ビニル樹脂製であるようです(私も使っているがよく消え経済的機能的消しゴム)。これまた目から鱗でしたが、紙ケースが巻かれているのは使いやすさだけでなく、直接消しゴムに触れない用途もあると指摘するものもありました(消しゴム成分の特に可塑剤:フタル酸エステルに触れたくない説明でした)。

2020_0107記
ギャー鳥レストラン

 「鳥が食べるようになったら渋が抜けているから食べた」と昔話を年配の方から聞いたことがあります。
 裏庭にあるマメガキは柿渋に加工されるぐらいですから、生りたての実は渋いのです。今年はそれほど実が付かなかったが、そのまま枝に付けたままほおっておいたのでした。 すると年も押し迫る12月下旬、ポツリポツリと実が落ち始めました。そのうち朝裏庭に出るとその落ちた実を掃くほどになった。
 単独で落ちる実もあれば、スケッチのように小枝ごと落ちるものもある。これらは自然落下したものとは考えにくく、鳥が食べに来ては落としていくようです。「渋が抜けたのかな」と落ちたマメガキを破り中を味見してみる。とはいってもマメガキの実は小さく2cm程度。その2cmすべてが食べれるならまだしも、中に3~7個の柿の種が入っているので種ごと口に入れ 種にこびりついた わずかな果肉をすすると干し柿の甘味がした。人が食べれる部位はきわめて少ない。
 かくして渋が抜けたマメガキはほぼヒヨドリの独壇場となっているようです。
 元旦あたりが落下柿のピークで、ほぼ落としつくしたもようです。

 実は市販の干し柿より黒いです。
 ヒヨドリは取り損ねた豆柿を落としていると思われますが、まれにウンコも落としていきます。そのウンコには、数種類のマメガキ以外の植物の種が混ざっていました。マメガキも種ごと呑み込まれ、違う地で排泄されているのかもしれない。また落とされた実を他の小動物が食べその排泄場所で芽を出すこともあるのでしょう。マメガキの知恵と魅力にあやかりたいです。
 ヒヨドリはにぎやかなので私的にはギャー鳥としています。

2020_0104記
春を描いて

 家の前を水路が千曲川へと流れています。私の家を過ぎた辺りから暗渠化し千曲川堤防沿いの道の下を通り川に流れ落ちていきます。その出口付近は千曲川本流水面より約4.5m高い(堤防法面の高い所に出て法斜面を流れ落ち合流する)。しかし昨年10月の台風19号の時は6mの増水があったので この水路出口付近も水没していたようだった。
 水が引くと 本流からの砂礫が水路に逆流しすっかり蓋をした状態になっていました。通常時も水路壁を組んでいた石垣の間から抜け気味だったので、出口を塞がれても水路があふれる事はなく底の方2~3cmの水量が暗渠部に流れ込んでは抜け水のコースではけていたようだった。冬になれば雪かきの雪をこの水路に流すことで処理するので千曲川側から移植ゴテ(手シャベル)とシートで欠き出すことを試みた(15分掘っては、3時間おき、また15分・・・)。暗渠部は大人が這いつくばり多少余裕がある長方形の大きさなので大きなシャベルではやりにくく手シャベルにかえたのだ。その土を運搬用に敷いたブルーシートに載せ、いい量のところでシートごとひっぱり出すをくりかえした。3mぐらい掘った、あとは他の方々がやると云うことでお願いしたのだったが、その作業の際、洪水の水のすごさを感じる物があった。
 それは塞いでいたものはほとんどが砂礫であったが、たまに人の頭ぐらいの石があったのだ。その石は石垣で積まれる角ばった物でなく、川原にあるような丸い石だったのです。「この大きさの石が河原から4~5mも高い水路に飛び込んできたのか」
 火山弾が飛ぶように洪水時大き目の石でも水面近く移動していたのでしょう。洪水時はただ泥色の流れが見えるだけだが、大小色々な物が多面的に、それも速く力強く流れていたのでしょう。

 もう一つ水の力を感じたものが、今日のスケッチのものです。
 これは「舟つなぎ石」として伝えられる3~4mぐらいはある大石です。台風前はスケッチ左下部に描いた穴が真上にありました(その穴に昔 舟をつないでいたいわれ)。つまり90°横倒しになったのです。
 川原はごく一部のヨシを除き植物群が土砂と共にすっかり剥ぎ取られ石だらけの川原となっています。舟つなぎ石まわりの川原はなくなりました。今年あたり実を付けそうだったオニグルミも流され残念ですが、この石と砂礫の川原からどんな新芽が吹くか再生の春を待ちたいと思います。

2020_0101記
ジュゲムの庭

 ジュゲムの中には縁起のいい言葉がならんでいるのだといいます。
 あの「ジュゲムジュゲム ゴコウノスリキレ・・・チョウキュウメイノチョウスケ」の長い名前です。
 ゴコウノスリキレの五劫(ゴコウ)の劫とは長大な時の長さを表す単位のようです。「天女の羽衣が大岩に擦れわずかに岩は擦れ削るとし、それをくり返し大岩が無くなる期間」を一劫として、それを5回分ですから途方もないです。同じような句的表現で思い出すものに「さざれ石の巌(いわほ)となりて苔のむすまで」があり、ジュゲムもわが君も甲乙つけがたいです。

 ジュゲムが進むと「・・・ヤブラコウジノヤブコウジ・・・」が出てきます。
 ヤブコウジ(藪柑子)は、常緑で生命力感じさせる植物として登場のようです。
 そのヤブコウジが私の家裏手に葉を数枚茂らせているのを昨秋はじめて気づきました。今日のスケッチがそのヤブコウジと思われる植物です。-5℃を下回る朝を何回も過ごしました。昨年までは無かったので鳥が運んで来たのかもしれません。ヤブコウジの実はツグミ、ジョウビタキ、カケスが好むと閲覧できるページがありました。カケスは見ないけどツグミ・ジョウビタキはたまに見る鳥。現在丈10cm程度、赤い実をつけるまで何年かかるのかな。