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2022_1231記 枯葉が詩中でささやくよ
枯葉が近くでささやいていますでしょうか、大晦日となりました。
悲しいだろうみんな同じさ 同じ夜を むかえてる
風の中を 一人歩けば 枯葉が肩で ささやくよ
父は私にいろいろな心使いをしてくれたが、その一つが中学に入った時に買ってくれたカセット付きラジオだった。 購入時に地下鉄でそのラジカセは置き忘れ、しかし無事戻ってきた末、私の手に届いたものであったようです。父はたぶん「これからは英語を話せるとよい」だろうと、そのラジカセでラジオ英会話を学んでもらいたかった事と思われました。ですので当時のそのテキストと録音用のカセットテープも一緒にプレゼントされたように憶えています。
それで少しの間、NHKのラジオ英会話を身近にしました。しかし長続きしない日記帳のように私は細らせてしまいました。でもラジカセと云う機器は魅力的でそこから流れてくる歌たちに魅了され気に入った歌を録音していきました。曲をつくり発信している人たちには困った現象なのでしょうが、その作業は自分の宝物をそろえるような感覚でラジオ番組会話の中に流れる歌たちをタイミングをうかがいながら録音していった音巻物でありました。 そうやって撮り終えたカセットテープたちのほとんどは当時フォークソングと呼ばれていた歌たちだった。冒頭二行目三行目の詩は「どうしてこんなに悲しいんだろう」という吉田拓郎1970年代発表の一部です。
私は「詩がいいな」と思ったものを特に録音収集していたようでした。 拓郎の楽曲には拓郎と岡本おさみの重厚な詩が多く魅力的でした。
コロナですが、データとしてこの一週間で2294人の死亡数が発表されています。この大きさは国内だけでないWHOレベルでも報告されている国々の中でももっとも多い内容になっています。たとえその数をアメリカなどが上回っていても10万人あたりに換算すると逆に日本のほうが1.5~2倍ぐらい多いことになるようです。
昨年2021年年末からの年始期はアメリカからの空港検疫コロナ陽性者が多数で、その日本での居住地が米軍基地のある東京・神奈川に集中していました。今年はアメリカではインフルエンザが流行り12月上旬病床がコロナではなくインフルで埋まっていると記事がありました。インフルエンザ鳥処分はダイレクトにニュースとして伝わってもくるのですが、コロナと同じように人から海を越えてくることも保管しておきたいです。
「致死率がほぼ同等になったからコロナ2類相当を5類に検討中」の記事をしきりに見かけます。データとしてインフルエンザは日本ではこの50年間最多の死亡数の年々で年間3500~3600人です。現在の新型コロナは上記しましたようにここ一週間(12/24~30)で2294人出ています。致死率が同じでも感染者が多く、季節限定でなく新型コロナ年間切れ目がなく2022年日本では38000人以上の死者数の現状です。
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2022_1229記 風邪に吹かれて
2日ほど喉の奥のほうにチョッとの違和感はあったが、その朝起きると喉が明らかにいたくなりました。 それではじめて自分のことで保健所に電話してみた月曜日(12/19)。 「喉が痛いです、コロナの項目にあるので電話しました」 『年齢、基礎疾患はありますか?』
『その年齢らでは保健所でカウントされません。お近くのクリニックで診察してもらうか、キットを薬局で買って・・・』 らの説明を受け近くのクリニックに行くことになりました。かかりつけ医はあったのですが閉院したようだったので初めてのクリニックへ。クリニックとの電話応答では『お約束の時間にクリニックについたら、その駐車場から電話を入れてください』とのことだった。コロナに関する診察は院内ではやらず患者の車ナンバーを控え駐車場に先生の方が感染防護服を着て出てきてすべて行われました。駐車場には自分の他何台かはコロナ検査を待機している患者たち乗車の車があったようです。その日は好天微風でありましたが終日零下に近い寒い日、クリニック先生も大変なことでしょう。 自分の番がきて 車の窓越しにパルスオキシメータ・聴診器・喉の確認らのあと、抗原検査が行われました。抗原検査は鼻の穴から棒がさしこまれるやつですがかなり奥の方までさしこまれました。数分後 結果がでて陰性「コロナでてないみたいだけど100%じゃないから」と先生自ら話された。自分のほうにもコロナ3年目で抗体検査は50~60%の精度の保管はあったが、ひとまず安堵。
この後、精算し処方箋を近くの薬局へ。しめて初診料もあったがクスリも合わせ約4千円。クスリから感冒(鼻かぜ)の診断だったようでした。とはいえ感冒も感染症の一種です。けっこう気を配り空気感染まであるだろうと控え行ってきた私の個人的コロナ対策は、普通の風邪に吹きこまれたようです。
コロナ対策は国にとってもたいへんなお金がかかるのでしょう。今回私がクリニックでの診療費には抗体検査料は入ってないようですが、それなりの金額に感じました。30%負担だから国は70%、私が4千円なら国は9千円+抗体検査料金になる。それが日々何万人もの感染者(そのかげに同等数の検査陰性者がいるはず)が発生することを予想するなら、徐々に国民自己負担を増してもらいたいことはしごくわかる。65歳以上カウントはその第一策でもあったことだろうと、自分が受けてみて感じたこと。コロナ予算は感染症拡大防止から経済対策まで使い道は多岐にわたっているが、医療にまつわる費用はどれくらいかかり、どれくらいの予算がついているのだろう。できるなら削ってほしくないものです。
その後の喉の痛みは処方してもらったクスリでおちつきました。夜 咳が多少残っていたので、12/28クリニック本年最終診療日に通院し咳止め等をいただいてきたところです。
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2022_1226記 値上がり分で福を引く
金具を買いに上田まで出た。上田は戦前からの農民美術の下地があるので木彫に関わるものが今も残るところです。 なかなか昨今は工作に揃えたい道具備品を商う店が少なくなっているのは心細る思いです。
欲しかった金具はスケッチのものたちですが金物屋の親父さんとは顔なじみなので。顔を合わすなり親父さん「年末の気配がまったくないよ!」と切り出した。 「それは一年中、年末のようににぎわっているんでしょ?この金具200個下さい」 「今金具、値上がりしててね2000円になるよ。これから もっと上がるよ」 「しょうがないですね、無くなりかけているのでお願いします」
「2000円だから、福引券2枚。自慢焼きのとなりの会館で今やっているから福引やってって」
金物屋から数十m西にその会館があった。
店内正面にガラガラがあり、そのむこうに役を担ったお二人。ミカンをもって会館を出てくる人といきちがう『はずれはミカン一個だな』 福引機の出口の皿中には赤い玉が7~8個出ていた『赤がミカンということか』 「二枚お願いします」券を渡し、ガラガラ回すと赤玉が出、予想した通りミカンをいただいた。二回目ガラガラ、オッ緑玉だ。『ミカンじゃないぞ何が出てくるかな』
という次第でスナック菓子の詰合せをいただいてきました。 金具が値上がりしていなかったら一回の福引券だったろうから、少し取り返したかんじ。 スナック菓子は普段自分ではまったくかわない。当たった菓子袋を裏返すと原材料名が列挙されていた。最初にコーン(アメリカ、分別生産流通管理済み)と主原料が記されていた。
見慣れない「分別生産流通管理済み」の記述。
これは遺伝子組換え食品に関する新しき表示であるようでした。「分別生産流通管理済み」は今までの『生産流通管理において意図せざる遺伝子組換え商品の混入を5%以下に抑えられている⇒表示:遺伝子組換えでない』と同等のようです。これからは、産地・管理・検査などにおいて
より厳密に混入がないことが認められる場合にのみ「遺伝子組換えでない」と表示ができるとのことでした。 これらの取り組みは関心のある人々の要望がなければ形にならないのでしょうから、動いてくれている人々には感謝いたします。
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2022_1221記 七つの窓から〒を覗く
郵便番号が7桁になってから来年2月で25年となるようです。1998年冬期長野オリンピックが始まる5日前のことだったようです。
その前は5桁。この5桁郵便番号の始まりは、さらに30年前の1968年7月となっています。この年もオリンピックイヤーでメキシコとグルノーブルでそれが開かれています。しかしニュースでおぼえているのは「三億円強奪事件」でありました、12月に事件が起こっています。 さて その前は郵便番号はなかったのです。 私も郵便番号のない年賀状を書いていてもおかしくないのですが、父母たちは都道府県から丁寧に住所を書き年賀葉書を書いていたことでしょう。 今の7桁の葉書なら、郵便番号があっていれば市町村名や大字小字まで省いて番地だけ書けば届きそうです。でも なかなか思い切ることが出来ず市町村名ぐらいから住所を書くことが多いのであります。
今日のスケッチは、ストーブの上で焼き、ほくほく頂いたヤマイモのむかごでありました。 郵便のことで調べていて、私事でもある項目がありました。 それは「信書」というものです。信書とは「特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、又は事実を通知する文書」とあるが、この文面を読んでも何が信書に当たるか否か?。具体例を見ても基準が素人には?、よってその具体例に沿って信書を判別するのがよいのだろう。この信書を送る事には許可が入り法で定められ、破ると罰金罰則が定められています。 一時、コンビニにて宅急便で安く書簡が送れるものがありましたが、あれがなくなったのもこの信書取扱法によるものと思われました。その法の施行は2003年4月。郵政民営化第一段階のタイミングでそれが発せられました。
そして私事と思ったのは、その信書の具体例の中に「納品書」「領収書」「見積書」・・・らが入っていたからでした。信書具体例に「結婚式の招待状」なども含まれていました。 そして郵便局からのサービスの中でも、定型郵便、定形外郵便、レターパックでは信書は送れるが、ゆうパック・ゆうメールほかからは送れないとなっています。お金を封筒に入れ送るのはいけないんだよぐらいは感じていたが、厳密には身近な物の中に注意が必要な物たちが数多あるようでした。
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2022_1213記 名残柿
道というのは川に沿って続くことがよくあります。 千曲川の支流の依田川、その依田川に流れ込む武石川もそのように道との語らいを近く美ヶ原北側の山々を水源としています。
武石川の周辺も田んぼが目立ち、それらの田はすでに刈り取りを終えているので土色が目立つ。柿は、そんなに頑張らなくてもと思うぐらいたわわに実を実らせ健気な秋の名残が目に入りました。 この川筋には萱葺きにトタンをかぶせた民家がけっこう残っていました。
それらの集落の中には「垣根」が現存し巾が1mもありそうな分厚い垣根もありました。垣根を意識して見たのは久しぶりのこと。 そうやってペダルを漕ぎ上り行き、沢水の跳ね返りが日陰では凍っていました。橋を渡ると直線の道となった。
その道のまわりは12月に入っているというのに青々としている。黒い牛が4~5頭その緑の牧場の中に見えました。今日のスケッチはその一頭ですが、何か足元の物を食べているようだった。撒かれた干し草をたべているのか、生きた草をたべているのか。標高の低い里は収穫が終わり土色だったのに、1,000mの牧場は青々としている意外性を見ながら、さらに武石谷を日ざしの当たる所まで行くことが出来ました。
本日、朝起きると雪がうっすらありました、初雪。
データとして紹介すると、厚生労働省空港検疫における変異株患者発生において、12月(たぶん)2日発表までのカタール経由の陽性者18名、その内17例が変異株感染患者。その17例が一つのオミクロン変異株ではなくBQ.1.1(7例)/BN.1(4例)/BA2.10.1(2例)/BA.2.3/BA.5.2/
BF.5/XBB.1と7種類の判別で開示されていました。 カタールはスポーツの大会ですが商談を含めた国際的なイベントでは変異株も多様なのかな。
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2022_1206記 君もカタールを見たか
私がサッカーWカップを初めてテレビで見たのは1978年のアルゼンチン大会決勝だった。Jリーグは1993年開始なのでその15年も前に見ていることになります。
サッカーが特に好きであったわけではなく、高校時分 廊下ですれちがう時 片手をあげ「ベッケンバウアー!」と宣言したり、肩で小さく体当たりしては「正当なチャージ」とあいさつするサッカー通の友人がその決勝戦のことを話したので、日本時間で夜明け前の試合だったと思うが決勝戦:アルゼンチン対オランダを家のテレビでひとり見たのでした。
その一戦だけが私の見たWカップの決勝戦です。やはり わたしはサッカーを好きなのでなく日本が躍動するときだけ関心を持つタイプの視聴者です。高校の時「ベッケンバウアー!」とドイツの名選手を宣言した彼は素晴らしいプレイを見ることを楽しんでいる、真のサッカー好きの視聴者であったことでしょう。にわか視聴者の私ですが今回のWカップ、日本サッカーを楽しませていただきました。
今日のスケッチは、ヌマエビ・小魚、ボール空気入れ針です。
土曜日の朝は-5℃の今冬最低気温でしたが、昼は温かなものとなり少年二人が遊びに来てくれたので、千曲川原に下り水たまりに網を入れると水草の下にエビが沢山いました。川原から戻り部屋の中で遊びたいといっていたのですが「コロナがまだ流行っているから部屋の中はダメ、玄関まで」と何度目になるのか同じことを話すと「いつまでも(コロナ)終わらないじゃん」と言いました。そのやり取りに戦中の標語「欲しがりません勝つまでは」が思い浮かびました、不思議ですね。 そんな訳で玄関にあった空気の抜け気味のサッカーボール(以前千曲川で拾ってきたボール)で二人はわが工房前の路で「残り時間あと3分です」とか自分たちで実況を交えサッカーをやって帰りました。スケッチのボール空気入れ針はそのサッカーボールに使ったものです。
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2022_1201記 寒気のインデックス
ホームページを作ったことがある人は多くの人が、トップページのアドレスを~/index.htmlとしたことと思います。 そういう約束事なので私もそうして現在に至っているわけですが、このindex
(インデックス)と云う単語と思わぬところで再会しました。 新型コロナとインフルエンザで、罹ると重症化しやすい人というもので、微妙に内容が異なっていましたが、幾つかの持病、免疫不全者と肥満が共通のものでした。肥満はBMI値でコロナは30以上、インフルは40以上と。BMIのIがindexの頭文字でありました。Body Mass Indexです。 BMIは[体重㎏]÷[身長m×身長m]で求める値です。身長はメートル単位で計算するので1m67cmなら1.67で計算します。私は現在BMI値は18.8と計算できました。18.5から25未満が中ほどの値で、それより下だと[やせ]、上だと[肥満]。コロナ重症化注意ラインは30となっているので身長1.67mなら83.7㎏、インフル同ライン40は111.6㎏。
BMIの項目ではコロナの方が厳しい数値ですが、妊婦に関してインフルでは妊婦とあるがコロナは妊娠後半期とインフルのほうが厳しい期間が注意期間になっていました。
今日のスケッチは、冬も葉を残すスイカヅラの黒い実たちです。
あとコロナは65歳以上の高齢者が重症化しやすいとなっているのに対し、インフルは50歳以上または生後6ケ月から5歳とズレがありました。
長野県内でも11月下旬から死亡者数が伝えられています。死亡者数がこんなに多いのは県内では初めてです(週に50人以上)。ほとんどが重症化しやすい人の65歳以上で持病を持っていたようです。
死亡者に関してはWHO11/30発表のものに、世界で最も多くの死亡者がこの一週間で出たのはアメリカの2,611人、二番目が日本の1,000人となっています。アメリカは日本の2.67倍の人口を持っているので日本の1,000人はアメリカの2,611人とイコールに近い人数です。
カタールでのWカップ風景ではマスクを付けている人をあまり見ないのですが、こんなデータも紹介します。カタールの人口において65歳以上の人が全人口に占める割合は1.5%、日本は28%。カタールでもっとも多い年齢層は25-40歳。またWHO11/30発表には日本は世界で最も多い一週間での新規感染者698,772人、中東地域での最多はカタールの1,794人。ずいぶん中東カタールは抑えられている印象をもてますが、データとして紹介すると、日本入国時での空港検疫においてこの1週間で全部で37人の陽性者が開示されていますが、その内の16人がカタールを経由している方々でした。
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2022_1126記 景色の一部に雪が登場
11月下旬まとまった雨が数日の間に二回降り、裏庭のペットボトル雨量計で19+24=43mm降りました。これが雪であったなら20~30cm積もったのだろう、そんな季節もすぐ先を予感させる浅間山の新雪風景が今日のスケッチです。
里で19mm降った20日の次の日 浅間山は筋模様の残る雪景でしたが、24mm降った23日の翌日は真冬と同等の雪景となりました。しかし まだ里には雪は舞ってはいません。でも粘り腰でしがみついていた木々の葉たちもほとんどが落下し、その落ち葉に雪が着地するのもあとわずかと思われます。
ここで寒波がくるようなので、本州広く冬の風邪注意と思います。
さて24mm降った23日は勤労感謝の日でありました。 雨の今年の勤労感謝の日は、我が家にとっては靴下感謝の日となりました。 靴下の踵(かかと)部に穴が開いてしまったものを繕う日となりました。
似通ったトーンのひどく傷んだ靴下を充て衣の材料として、穴を覆う大きさで円形に切り、周辺部を縫い付けました。繕い事はやってみると何とか出来るのですが時間がかかり2時間ぐらいで3足6枚を復旧。よく耳にする「買った方が安い」、普通の化学繊維素材も承知の上で素材の尊さを大切にします。 勤労感謝の日のもともとは新嘗祭(新しくとれた穀物を神に供える祭)なる起源と検索できます。
新嘗の「嘗」には、「なめる・あじわう」などの他「こころみる・ためす」の意味もあるようです。ここでの試みとして網戸を横にし干し棚と利用、多めに頂いたダイコンの2本半を千切りにし
切り干し大根作りをためしています。
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2022_1118記 立冬、冬の日ざしはありがたい
月食から8日後の月は半月でありました、下弦の月。 下弦の月は南の空にあるとき右側(西側)が半分欠けている月になりますが、夜おそく東の空に現れ、日の出のころ南中にあり白い昼間の半月とし残るのであります。その朝の半月が見上げるように高いところにありました。 冬の月と裏腹に太陽の高度が冬になると低くなって、日ざしが南側の部屋は深くまで届くので太陽さえ出ていれば南側の部屋は暖房なしでポカポカですごせます。 我が家の北側の部屋と南側の部屋の温度計を比べると、朝起きると両部屋とも例えば12℃とすると。北側の部屋はずーっと12℃±2℃ぐらいで夕方になります。しかし南側は日ざしが1mほど入り10時ころには15℃、昼過ぎ20℃、2時45分25℃まで上がります。その後低い空を行く太陽は南西側に建つ家に隠れるので室温は徐々に低下していきます。 という感じで冬の日ざしはありがたいわけです。 先日、こんなに北と南で違うなら、温まった南の空気を北側に送れないかと両部屋の間に扇風機を起動させてみました。
そうしましたら・・・
今日のスケッチは、落葉の季節となってきました、落下縮み丸まった半月のようなモクレンの落葉です。 そうしましたら・・・1℃ぐらい上がったかな?ほとんど効果が上がりませんでした。南側の日ざしを北側へ送る冬の裏技を工夫してみたいものです。 さて長野県のコロナ感染者が最多(全国的には水面下のニュースですよね)となり、佐久においても100人に1人は有症で感染している状況と推測しています。クラスターは高齢者施設だけが並びますが、感染者の年代別では常に10代が最も多いと発表されている毎日です。こういう国内状況の中 空港検疫はここ一ケ月毎日一桁の感染者です。国境を越える感染症は新型コロナだけではないのでしょう、そういった人員を確保するためにコロナ検疫を簡素化したのかもしれないが、その辺はどうなっているのだろう。
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2022_1111記 山蛙の妖力
コロナ禍という言葉で「わざわい」には色々な字が充てられることを知りました。ふつう「災」や「厄」が思い浮かぶのかと思いますが、禍のほかに害などもそう読ます時があるようです。妖怪の妖にもわざわいの読みがありました。 先日11月のカエルに山で会いました。あれは妖怪が変化したカエルの妖力であったのかもしれない。 その水場には雪が解けたか解けないかの4月上旬に卵を産むカエルがいます。それでその道を通る時は いつも覗いてみるチェックポイント。 水中に動くものが見えた、目で追ったカエルは雪どけ水に卵を産むヤマアカガエルに相違ない。久しぶりの親ガエルとの再会!と思った瞬間、バランスを崩し左足を水場に一歩踏み入れてしまったのでした。浅いのだが底は泥が堆積していて靴下までマックロ。 これは妖のわざわいに相違ない。
今日のスケッチは、その妖力蛙?ヤマアカガエルと思われます。 このカエル改めて調べてみると「早春にいったん冬眠から覚め、湿地に産卵し、再び寝る」となっています。 ふつうのカエルは最高気温が10℃を下回るようになると冬眠するものが多いそうです。そしてそんなカエルたちも産卵はしないまでも途中に何回か目を覚ましているのかも知れない。 人や天敵のヘビたちが来ないのを良い事にカエルたちは真冬の「酒盛り」をしているのかも。 さて禍のわざわい、コロナ。今回の長野県内での感染者増加(ほぼ本年8月の最高値に感染者数はたっしている)は今までのとは異なるように思うのです。それは海外から猛威の変異株が県内にも入りこみ増加しているのではなく、この島国の中で自発的に増えている要素がつよそうなところが今までと異なると感じます。
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2022_1105記 月を食べるイヌ
イヌは、犬と書くのがふつうですが干支などでは「戌」とし、戌の刻というと日が暮れて少し経ってからの時間帯、現行長野11月上旬では日没後67分後から日没後3時間22分の時間枠。イヌを表すものに「狗」というものもあります。
この狗はテングの漢字書きの時「天狗」と用いられています。天にいるイヌをさし天狗としたのか、tenguという音をこの文字に置き換えたのかは知らないが、古代の天こと空の出来事に次のようなものがありました。「黒い天のイヌは空に住み月をたべる」
月を食べ、吐き出すまでの間を現在は皆既月食と呼んでいるようです。
11月8日、天気が良ければ日本でもその皆既月食が見られるようです。8日は5時少し前に日没となり、6時過ぎに欠けはじめ、7時過ぎ皆既月食となります。ちょうどその天体ショーは、昔の戌の刻に重なります。
私が小学校時分だったと思うのですが、父らと皆既月食を庭から観察したことがありました。大学ノートに月の欠けた様子を写しながら何度も庭に出て東の空を見上げました。東側には木造平屋の隣家があり、その上の空に月が欠けていきました。 その皆既月食を今検索してみると、2つ可能性のあるものがありました。1968年10月6日と1972年1月30日。
両日とも日曜日で父が在宅だった可能性が高く、戌の刻にあたる日没後数時間での皆既月食。たぶん1972年のものを見上げたのだと察します。
それから50年の歳月が経った2022年の月食は見える夜空となりましょうか。
皆既月食のあいだ月は、明るさを失いますがわずかに鈍い赤色をしているとあり、これは夕焼けの赤と同じような作用のためとのこと。寒さほどほどなら久しぶりに東の空に双眼鏡でも向け体験してみようか。
今日のスケッチは曲がり角の垣根の枝です。
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2022_1030記 明治から5つ目の令和にて
現在、東京新橋から横浜桜木町までJR京浜東北線は約40分要しているようです、間に12の駅があります。
この区間は、日本で一番最初に鉄道が明治5年に開業した所とされています。当時は間に4の駅だったものと思われますが53分で走ったようです。これらの所要時間は駅での停車時間も含まれますので、年月の隔たりほどかかる時間は変わらない印象を持ちます。
この鉄道の車窓から考古学の新しい扉が開かれました。アメリカ人モースによる大森貝塚の発見でした。これだけ知るとモースは考古学者と思ってしまいますが、動物学を研究の主としていたとのこと。貝塚以外でも日本の風俗や民具・日本文化もスケッチし整理したようで初期の東京大学と関りが深そうです。
今日のスケッチは墨壺と云う大工道具です。これは私が木工を始めたころ自作したものでありますが、モースは墨壺のスケッチも残しているようです。
私の墨壺は、作ってから十数年使わずにホコリをかぶっていました。ここでコクタンの木を加工製作してみようと云うことになり、墨壺に白墨を入れ黒いコクタンの印付けに使ってみようとしたものです。
墨には黒だけでなく、習字の添削でお馴染みの朱墨のほか白い墨もあるわけです。このような事は木工以前の仕事で建設現場の測量らしきをやっていたので知っているのですが、測量士などとは呼ばれず墨出し大工と呼ばれていました。墨壺は糸巻部に巻き付けた糸を
池と云う墨が満たされた綿の中を通過するとき、糸に墨がつき、糸を真っすぐに張り両端を固定し糸をはじくことで真っすぐな線を容易につくれる道具であります。墨壺の使用痕跡が法隆寺の中にもあるとのことです。 長野県のコロナ感染者が少し少しまた増えてきています。
秋は最も旅行客が多い季節なので、そのせいかと思われがちですが、長野は高地であるため寒さもほかより早め早めに訪れ、遅れて去っていきます。インフルにしても早めにその流行が始まる年があったようです。ですのでコロナも人の出入りだけでなくウイルスが動きやすい環境が海岸部より早く訪れることも考えにおいています。観光客の多いはずの京都辺りはそんなに感染者数が増えず、寒い地方で10万人あたりの感染者数が昨今は上位にきている傾向がみれます(とあるデータサイトでは1位北海道・2山形・3秋田・4長野・5岩手・6福島・7青森・8宮城…と東北+北海道+長野が占めています)。
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2022_1024記 千曲川にカバの逆立
少しコロナが抑えめになってきたので、子供たちと千曲川原におりました。 久しぶりの川原はミゾソバの赤白の花たちが盛りでありました。 水害後一回目の夏は石ころばかりが目立つ川原だったが、3年目ともなれば川原は、草色に埋まるようになってきています。 これはたぶんなのですが、わずかな土が護岸や上流から運ばれ、それに草の種も運ばれ芽吹いたものと思われます。アスファルト舗装の道路の割れ目や、道路のすみにたまった土から育つ草をよく見ます。あれと同じように土がわずかにあれば草たちはたくましく育つのでしょう。
草が生えれば小さな生物が寄り付き、すこしづつにぎやかな千曲川になっていくことと思われます。
その証拠に秋になり、サギとカワウが沢山いた朝がありました。 子供たちは、川原に出来た池に網を入れると、小さな2㎝ぐらいの魚やエビを掬っていたようです。
今日のスケッチは、川原に下りる法面に実っていたバカことセンダングサの種子です。 秋の川原遊びには、このバカの実をお土産にくっつけて帰ることが多いです。バカは川原に下りる石垣の斜面隙間から育ち延々と覆っているので、川と人界を隔てる有刺鉄線のようにトゲトゲの球を作っているのであります。
スケッチのように一種類ではないようです。圧倒的に左側の棒状のものが多いが右のようなヘラ型も混ざっていました。虫メガネで覗けば棒状のほうは上から下までひっかかる毛が下向きについていますが、ヘラ状のものは突起部は下向き、本体部は上向きの毛がついていました。衣類を着た人間には下向きの毛がふんだんについている左の物のほうが付きやすいことも考えられます(株数として圧倒的に左の種が多いとも考えられる)。 気をつけて歩いても付くのですから、だいたいで歩けばバカだらけになり、掃除機の登場。かなりそれで取れるが取れない物もある。それでお土産に帰ることになるのです。
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2022_1018記 鱗(うろこ)の空は秋の内
ちょうど一週間前の11日のベランダから見上げた夕焼けは、鱗雲の空を赤く染めていました。
鱗雲のような高い空での細かな雲陰をもたない白い雲の群れは、天気が崩れる前ぶれになる事が多いのだといいます。崩れる時は、だんだん雲の大きさが大きくなり灰色の雨雲の下に入るようです。 11日の翌日は、雨らしいものはなかったようですが、曇りがちな日照時間の少ない一日となりました。その後も日照時間が少ない日が続き土日は穏やかな晴れた週末となりました。 夏空の代名詞が入道雲なら、秋空の代名詞は鱗雲。 信州の峻険な山々は、県外からの多くの雨雲を四季を通じてガードしています。しかし雨雲の先見部隊の鱗雲は高度5,000m以上の上空をスイスイと越県し信州の空にもはいり込めるのでしょう。山々の高さより低い雲たちは迂回せざる おえないので、信州長野県の空は、鱗雲のビューポイントでありそうです。
今日のスケッチはヘビの脱皮跡の皮の一部です。 千曲川堤防法面にあったのでシマヘビのものかなと推測します。
鱗雲の鱗は、多くの人が魚の鱗を思い浮かべるでしょうが、ヘビも鱗を体表に持っています。しかし脱皮したスケッチからも分かりますが、網目状になっています。魚の鱗は前や上下の鱗と重なり隙間なく体表にあります。本来は違った構造の部位を人が便宜上、同じ「鱗」の言葉を当てたにすぎないのかも。それらを思うと鱗雲の鱗は、魚よりヘビら爬虫類の鱗に似ている。 11日の夕焼けの鱗は燃えるような大蛇を見ていたのかも知れない。 でも「鱗」と云う字は魚偏だ。大鮭の腹だった幻想も捨てがたい。
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2022_1012記 天空のスバル、地上のスバル
秋本番の10月です。 夜中から朝には冬の星座が天空にあるはず。オリオン座がもっとも目立つがその周りに大イヌのシリウス・小イヌ・双子座・ぎょしゃのカペラ、そして牡牛座。 牡牛には一等星のアンデバランをしのぐ知名度のスバルがあります。 スバルは星たちの集合する一帯でブレアデス星団と西洋名ではなっています。ブレアデスはギリシャ神話にでてくる7姉妹となっていますので、スバルの一帯に7つの星が集まっているとしたのかと考えます。それが日本では昔、この一帯をスバルと呼ぶ一方「六連星」と呼ぶこともあったそうです。ですので6つの星の集まりととらえたと感じます。
10月そうそう、車が故障しました。 家を出て、すぐクラッチが入らずギアー変更ができない状態に・・・ こういう状態は依然 旅先福島会津であったのですが、その時はセカンドギアーだけが入らず、現地の自動車屋さんに診てもらうと「セカンドだけならセカンドに入れず長野まで帰るのがいい」と長野まで帰宅した次第です。
今回のはすべてのギアーがエンジンがかかっている時入らず、金バケツの中で缶カラがあたるような音も聞こえたのですぐ止め、いつもお世話になっている地元の自動車屋さんへ「クラッチがやられました」と電話。すぐ駆けつけてくれ、自動車整備場に移動。
「こりゃ、クラッチもそうだがミッションもやられてるな」 という経緯の末、代車として使わせてもらった軽ワゴンが「スバル」の車だったわけです。そのエンブレムをスケッチです(左下だ円部)。
スバル車のエンブレムは6つの星なので、日本で伝わる六連星が元にあるのかもしれないです。スバルのエンブレムは年代によって変化しているので、このエンブレムは2001年以降のようでした。
「治すのには10万かかるかもしれないよ、よく乗ったってもんだ。よかったら、この代車に乗らないか?」と車整備場の方がすすめたので、試乗期間を経てスバルの車に乗ることになったのでした。 中古の新車のエンジンは良好、塩カリによるタイヤまわりのサビ穴を自前修繕中です。
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2022_1006記 Wの後には色々ある
スケッチは9月に見たエノキダケのように細くもきれいなキノコでした。 昼夜の温度差が出はじめた9月下旬から霧の朝を見かけるようになっています。 あきらかに近い所が見えなくなって、はじめて霧を身近に感じます。 あきらかに近いところとは私の近くだと千曲川があるので対岸が見えないような状態、川幅(右堤防から左堤防まで)は120mぐらいだから私の場合「濃霧注意報」の手前の状況で霧を感じているようです。 しかし気象においての霧の定義は1km未満が見えない時となっていて、多くの日本国内では100m先が見えない時に濃霧の言葉が使われているようです。 この霧の定義はWMOに加盟している国・地域ではほぼ同じだということ。世界保健機関のWHOはよく知られるところですが気象に関するWMOと云う国連と連携する機関があるようです。 一方 濃霧注意報の統一はないようで、日本国内においても北海道では200m先が見えない、また海上では500mとなっています。
少しづつ寒くなっているようです。霜の朝もそろそろあることでしょう。 コロナの方は少しづつ減少傾向のこの頃です。 ここでのコロナ情報閲覧で感じたことは、年代別の感染者数で20歳未満の割合が全体の3割を超えていることです。長野県内での10月1日~5日発表のものでは、その年代が37~40%となっています。特に10歳未満の感染者が思っていたより多かったです。全国的にも感染者の数では大人世代の40~20代が最も多いのですが、10万人あたりその世代で何人が感染してきたかという統計では10代20代はほぼ同じですが年代が下れば下がるほど多いデータとなっていて10歳未満が最もグラフの帯が長かったです(40代の約1.6倍、60代の約3.1倍)。それらの世代との接し方もていねいに行いたいです。
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2022_0929記 夏の木、秋に有り
榎と書くエノキは小さな赤っぽい実を実らす、その実は鳥たちが口に入れやすい。 町中にもよく見かけるヒヨドリやムクドリ・オナガなども好物とするとのこと。食べた実は周辺の薄い果肉(?)だけ鳥たちの食料となり種子は消化されず排出されるそうです。
家の周辺でも野放しになった野や空家周りには、エノキの子木をけっこう目にします。種から雑草たちの草丈をこえるスピードが速いようで気がつくと50㎝ぐらいになっています。 江戸五街道の一里塚において半分以上がエノキだったそうなので、旧中山道界隈であるので、その末裔が命をつないでいるのかも知れない。
エノキの枝葉にはアブラムシ(雪虫)やカイガラムシ、葉には何種類もの蝶や蛾の幼虫が食草にしているとのこと。今日のスケッチは、エノキの秋の葉に見かけたオオケンモンなる蛾の幼虫のようでした。今の時期のこの姿なので繭や蛹で冬を越すライフスタイルなのでしょう。
9月は本州中部まわりにおいて2つの台風がかすめまた通過していきました。1つめの台風は日本海を横切るコースだったので、それが抜けたあと冬に吹くような北西の風が吹き冬のさきがけを感じました。 2つ目の台風は太平洋側通過、60数ミリの雨が一夜に降りました。 コロナ関連で全数把握をしない方向性が開始されました。長野県内では各保健所単位では発表するが各市町村単位での陽性者発表が無くなりました。県のHPプレスでは27日555名の陽性者(長野市・松本市保健所含まず)で、但し書きのように届出陽性者数と云うものが表示されるようになり、その数136名(内容:65歳以上の者、入院を要する者、重症化リスクがありかつ、新型コロナ治療薬の投与が必要な者又は重症化リスクがありかつ、新型コロナ罹患により新たに酸素投与が必要な者、妊婦)となっていました。同日65歳以上陽性者54名。同日陽性者の多い年齢層は40歳台の99名、ついで10歳代の83名。
将来的には全数把握をしない136名に移行していくのだろうか、秋は長野県にとって一番の行楽シーズンになります。
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2022_0923記 10年目の自粛 「キツネノチャブクロって食べれるのかな。おいしいの?」 キノコに詳しい人に電話をしました。 「ホコリタケのことだね。うまいよ。マッシュルームのような感じだよ」 「食べれる頃合いがあるってネットに書いてあるんだけど?」 「割ってみて粉っぽかったら、やめた方がいい。でも食べられないわけではなくうまくないってこと」
9月になり間もなくキツネノチャブクロと思われる白と薄茶色のまん丸としたキノコを山で見かけたので、写真だけ撮り持って帰り、調べると食用とあったので電話したのでした。
『マッシュルーム』の例えに 断然食べてみたくなった。電話したのは写真を撮ってから2週間ほど経っていたので今年の食用期は過ぎてしまっただろうから何かが笑うかもしれないが来年に覚えておこう。
キツネノチャブクロは、成長するとカサ頭頂部に穴が明き、そこから粉を吹きだす楽しいキノコですが、幼いものは今日のスケッチのように白い小さいキノコのようでした。この上部が風船がふくらむように丸く大きくなり頭頂部に穴が明き、やがて温泉饅頭のような茶色に変わっていきます。茶色になったころには食べてもまずいようです。 さて「現在も自粛は継続中です」と聞くと、まだまだコロナに環境を支配されている感じなのでコロナ関連かなと思われる方が多いのかと思いますが、「野生キノコの出荷制限及び採取・・・」においてであります。これは平成24年(2012年)9月に呼びかけられた内容が、続いていることになります。そして「原子力緊急事態宣言」も事故後発せられ、解除宣言の見通し効かぬまま継続中です。 なおキノコの…採取自粛は、市町村単位で発せられていて、キツネノチャブクロのあった山の町には出ていません。
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2022_0919記 山のハードル
長野県は山・山・山であります。
しかし森林がなくなる山となると意外に登ってないことに気づく。 「森林がなくなる」という表現は分かりにくい、高い木たちがなくなるそんな所です。 もともと山好きではありますが、ハイキングの延長であり、そんなに高い所には登ってないのです。県内では浅間山の山頂付近、八ヶ岳の天狗岳あたり、それと乗鞍岳のエコーライン経由の山体ぐらい。 浅間山は活火山でもあり、その噴出物の影響で高い木々がなくなる標高が低いのかと思います。一般に高い木々がなくなる所を高山帯と呼ぶようですが、長野県を含む本州中部ではだいたい標高2500m以上が高山帯の様相になるとのことであります。
高い木々がなくなっても低い木は存在し、今日のスケッチのミヤマハンノキは1.2mぐらいの低木ブッシュとなっていました。乗鞍岳位ヶ原2500m付近に自生していました。
この本州中部での高山帯2500mは、人では高山病が心配される標高になるようです。この高さ平地に比べ気圧が低いため酸素を含めたすべての空気要素が少なくなるためとあり、30%近く低下するようです。コロナ判断でよき効くパルスオキシメーターは酸素飽和度を測定する器具かと思いますが、2500mはその酸素飽和度が下がりはじめる環境とあります。人の体はそれを感知し安定を保つようですが、保てない人も中にはいるようです。
私事では今回乗鞍岳エコーラインを自転車で上りました。これは6回目で過去のデータがあるのですが。6年前の1回目の記録と今回のタイムを比較すると2500mから上の区間に大きな遅れが出ていました。ここ3-4年でその傾向があり、今回は体調・天候よい日に登坂したわけですが、年齢もろもろにより高山は手ごわくなっているようで、少し悔しい。
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2022_0914記 あずさの流れ
梓川は信濃川の片方の最上流部、上高地の奥を源とする川であります。 「あずさ」の響きは山岳への旅をかきたて、特急列車の名にもなっています。 梓は木の名前にあり、ウィキペディアには梓の木の産地がこの流域にあったがゆえ川の名になったとありました。 梓の木は、弓の材料として尊いものであったようです。梓弓は神事などに使用され、矢をおかず弦を引き、音を鳴らすことで魔除け気祓いをしたとなっています。 梓の字が示す樹木は数種類あるようなのですが、この弓の材料になった梓は木工仲間たちがよく「ミズメザクラ」と言う木のようです。敬称のようにサクラがついていますが、カバノキの仲間です。カバノキの仲間は堅く緻密で粘りけのあるものが多くミズメもその一種。木曽地方の櫛工芸もカバノキ科のミネバリが知られるところです。 今日のスケッチは、カバノキ科のヤマハンノキの葉です。
皇族と云うと「菊」が連想できます。これは家紋にあたるものです。
これとは別に、ひとりひとりの方々がお印というものをお持ちなのだといいます。身の回りの品などに用いるシンボルマークとなっています。歴代のお印は植物が多く、現天皇陛下のお印は「梓」となっているようです。
わたしなどは「あずさ」といえば中央本線の特急の名を連想するだけの子供でしたが、幼いときから「梓」をお印とされた陛下は児童のころ、すでに梓の木をご存じだったのでしょう。
ただ本文にも記しましたが「梓」の名は数種類の樹木にあてられていて、ミズメザクラの梓が有力とは思いますが、他の梓がお印となっているかもです。
ウィキで梓の木が列挙されています→ミズメザクラ・キササゲ・アカメガシワ・ミネバリ・リンボク・アサダ・ナナカマド・ニシキギ。今工作室の中にボタンでも作ってみるかと手に入れたアサダの材が少量あります。アサダの工作はサクサクとは削れなかったが仕上がり感は良好のボタンとなりました。
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2022_0909記 チョコレートに感じる秋の気配
昼をはさんで出かけるときは おにぎり3つを握っていきます。 それとおやつに菓子少々。 菓子はチョコレートになる事が多いです。甘いものでエネルギー補給。 野に食べられる実があるときは それもかじります。秋口の今はサルナシの実がまだ熟してはいないが青りんごのような味覚。
チョコレートにも秋が来た。 リックに詰めて持ち運びするにしてもチョコレートは夏の気温が高いときは山地にしてもトロトロにとけてしまうことが多いです。チョコレートの包装紙の注意書きを見てみると「保存方法:28℃以下の涼しいところ」が目にとまります。 夏の出先では その注意書きが守ることが出来ていないのでしょうチョコレートを銀紙を開くと、すでに原型を失いリラックスまたはバテバテ状態、とろけている。 チョコレートは堅いものを口にふくみたい、そして噛みくだき口の中でとろけさせたい。チョコレートの食感を楽しむには夏は暑すぎるようです。
そのリックに詰めたチョコレートが9月に入り溶けなくなりました。チョコレートは秋を知らせる温度計のよう。
チョコレートに含まれるカカオ豆からとれるココアバターは油脂があり融点は33~38℃と検索できます。それで体温はそれとほぼ一致するので すみやかに融解し吸収されていくようです。バターはそのまま口に入れませんが、バターに似た特性があるようです。ちなみに普通のバターの融解温度は28~38℃となっています。マーガリンの融解温度は高く45℃となっている。
今日のスケッチのチョコレートの注意書き原材料には「砂糖、全粉乳、カカオマス、植物油脂、ココアバター…」の順番で記されている。多い順に記されているのかと思う。少し高価なチョコレートの成分は「カカオマス・砂糖、ココアパウダー、ココアバター」普及型チョコレートにはココアバターと共に植物油脂が使われているのでマーガリンの原材料に通じるものが使用されているのかも。 どちらも28℃以上で保存は変わらない。スケッチの小型チョコを脇の下に体温計のようにはさんでみると、ジワジワとやわらかくなってきた。。。
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2022_0905記 "しんごう"を変換すると信号になってしまう
その登り口には、大ぶりな豆の莢が、実入りはほどほどにぶら下がっていました。今日のスケッチsはそのネムノキの莢たちです。 数十メートル歩くと鳥居・石段があり社がありました。 権現社となっていました。その地は江戸初期の大坂夏の陣などで反徳川側についた真田幸村についた一族であったそうで、その後窮地にたたされた一族は領内にこの社を建て、徳川への忠誠を現したとありました。 「権現」にはいろいろな筋があるようですが、徳川家康の没後朝廷から頂いた神号が権現なのであります、東照大権現。神号とは神の名の最後につく尊称とあり、秀吉は明神を受け賜わっています、豊国大明神。 江戸時代、権現:家康こと徳川を祀る社が全国に出来たそうです。
江戸が終わり明治になると廃仏毀釈の波は寺だけでなく神社の絞り込みもされたようで、徳川由来の権現社・東照宮らも多くが対象になったようです。また神社は存続しつづけたが社名の変更をさせられたところも多いようです(例:浅草寺←三社権現社)。
私の訪ねた権現社は長野県中部:鹿教湯の北斜面森中にあるものでした。
私のふるさとにも「権現様」と云うものがありました。家康を祀ったものであるかは不確かですが、江戸時代以降新田開発が進んだ地でもあるのでその可能性は強そうです。家康が力を入れ掘った河川・水路もいくつもあり、そういう土地柄が基盤にあるのか?小学校の林間学校は日光に行きました。小学校時分は日光には華厳の滝、中禅寺湖・・・とわくわくする所が沢山あった。そして東照宮を観てまわった。
徳川家康以降の徳川崇拝を近くに受けてきた集落の子孫たちが、東照宮(東照大権現)の地を林間学校地に選んでいることは、偶然なのだろうか。 また今もあるふるさとの権現様は、明治の廃仏毀釈をも生き抜いてきたことになるのかもしれないです。
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2022_0831記 風は友だち
数日前の風が山の木々たちと会話を交わしていったようだった。
道にいくつものまだ青い葉が落ちていました。
今日のスケッチは、その一枚:ポプラの一葉です。
ポプラを見るとどこか異国に行ったような思いをもちます、幼少時関東での暮らしの中で見ることはなかったこともあるでしょう。異国はやはり北国のイメージ。
ポプラは他の木より背高で、防風林に用いられてきたようです。ですから風との語らいは宿命のようなポプラの暮らしの重要な一部でもあることでしょう。 約半世紀前の車のテレビコマーシャルで「ケンとメリーのスカイライン」シリーズがありました。その中の一つにセピアがかった中 一本のポプラの大木が映し出されていました。その映像をバックに「風って言葉がわかるんだろうか」のコメントが入っていたようです。 北の大地では今日も風とポプラが出会い別れをくり返しているのかもです。 ポプラは古代ローマで集会場の近くに植えられたのだとか。目印や風除けの意味があったのかもですが、その集会場に古代の風も集まり友人として言葉を交わしていたのかもです…
コロナ対策で、国内全数把握をしないとか、緩和の方向を伝えようとしています。もし緩和がすすみワクチンや検査も通常の保険体制の30%負担となっていくなら、個人におけるコロナ対策はこれからが本番になるのかもしれない。私が本年6月に一回受けたPCR検査は国負担だったので費用はかかりませんでした。その検査を担ったクリニックのページには実費なら15,000円の検査料が見れました。単純にこれの30%なら4,500円です。ワクチンはいくらになるのやら。インフレのニュースが片方で流れる昨今、どのくらいの人々がコロナ対策を自ら実行していけるのか不安定、を私の感覚では感じます。
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2022_0826記 ツノのある砂糖の話
若い人は「角砂糖」と云うものを知っているだろうか。
念のため「ツノザトウ」ではなく「カクザトウ」です。 歌詞の二番に“コーヒーカップに角砂糖ひとつだったね”と出てくるレコード大賞曲“襟裳岬”は約半世紀前の歌になります。
この角砂糖を日本にいち早く導入した実業家の銅像がサイパン島に今も立っているのだといいます(砂糖王と呼ばれた松江春次の像)。角砂糖をはじめたのは内地大坂明治40年は、歌曲「襟裳岬」の出来るさらに約60年前になります。角砂糖製造後、ご本人も紆余曲折があったようですが、世界情勢も第一次世界大戦を経て大正年間になるとサイパン・テニアン(原爆機出発島)を含むマリアナの島々は日本統治下にうつり、そのサイパンを主に製糖業を起こされ成功したようです(銅像は昭和9年建立とのこと)。
サイパン島はその頃「彩帆島」と漢字書きされたようですが、サイパンでの海外人の関りはマゼランの航海時代からで、日本でいえば前期戦国時代あたりからスペイン領としてはじまっています。元の状態に戻すのがどれだけ難しいことか原住民の方たちは身に沁み最善の道を歩んできたことでしょう。今私たちがコロナのない世界に戻りたいと最善の道を模索するように。
今日のスケッチは「角」がらみで山の木:ツノハシバミの葉と実の入った鞘です。 ツノハシバミの実≒ヘーゼルナッツです。他にもオニグルミ・クリ・トチいろいろな実が地上に目立つようになってきているようです。暑さ残る中ですが、徐々に高地ではヤッケなど羽織ることになることでしょう。 ちなみに角砂糖ひとつは一般的なもので3~4gだったそうです。現在はこちらの方が馴染みのスティックシュガーも一袋3~6gだそうです。歌詞にスティックシュガーが入る歌もあるのかな?
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2022_0822記 ムジナ遭遇記
8月の沢、大きく成長したオシダの下に何かいる。 アナグマだ。 真昼に出会えるなんて。ポケットからデジカメを取り出すころには、こちらの存在に気づいたようでお尻をこちらにむけ、すぐ後ろの岩の下の隙間に潜り込んでいきました。
帰ってから知ったのですが、アナグマの視力はあまりよくなく嗅覚にすぐれているとのこと。動作もゆっくりなので巣穴からそんなに遠くへは行かないとなっていました。なによりも夜行性が強いとのこと、私は生きたアナグマを昼に見たのは初めてだったのです。 アナグマと名付けられたこの動物、イタチ科の動物に分類されているようです。タヌキやキツネのイヌ科、クマはもちろんクマ科です。なんとなくイヌには見えないがタヌキに近い感じ、このへんは昔の人も同じだったのか日本書記にはタヌキとアナグマをまとめて「ムジナ」と呼称されていたようです。幕末期にシーボルトが持ち帰りオランダの学者さんがアナグマはイタチ科であるとしたとのことです。
アナグマは穴掘りの名手、その分 走行は遅いとか。 そのアナグマの掘った穴をタヌキが使うなどということもあるそうです。同じ穴のムジナ。
今日のスケッチはサワガニの住処を裏庭の大石の下にみつけました。水を撒いた時その穴に水が入り「これはたまらん」と横顔を出したところをスケッチです。 この穴のあたりによくモグラが穴というか隧道を通していたので、その残道をサワガニが利用したのかもなどと想像しています。 まだまだ残暑があるのでしょうが、だいぶ朝明るくなるのが遅くなってきています。摘んでは天ぷらなど食材にする桑の葉の成長がいくぶん盛夏に比べゆっくりになってきたようです。
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2022_0817記 夏草の中にすでに七草
ハギ、キキョウ、クズ、フジバカマ、オミナエシ、ススキ、ナデシコ、秋の七草といわれている草たち。 これらの花を山間部では目にするような季節になってきています。
とりわけ今 クズの花が目を引きます。クズは弦植物ですので他の草や高い木をかけ上り垂れ下がり花をつけます。散った地面が赤紫に樹木の影のようにできあがります。クズの花はサクラの花びらのようにバラバラになりませんので少々の風では影響を受けず真下に落ちるためと思います。 ススキは盆のころ、穂を見かけるようになり七草の中では一番おそく、七草の大御所といったところでしょうか。 今日のスケッチのママコナも秋を告げる草花と思います。
長野県のコロナ発表情報で「疑似症患者=みなし陽性」に加え、ここにきて「自己検査オンライン登録」というものが加わりつつあります。 長野市が先行しはじめたようで、全県で行うとのニュース記事がありました。記事では「新型コロナウイルスの抗原検査キットなどで陽性となった市民が、医療機関の診断を受けずにオンライン申請で陽性者として登録する制度を始める。新規感染者の大幅増でひっぱくする外来診療の負担軽減を図る」とされていました。 先行している長野市では14日からのこのオンライン登録の数を開示していますが、本日17日発表分では長野市の感染者266例、このうち自己検査オンライン登録は106例となっています。約4割が自己検査となっています(今日だけでなく15~17日すべて約4割)。かなりの割合と思うので自己検査した抗体検査キットはリスク高い方々を主に今のところは行政が配ったのだろうか。オンライン登録により感染者数がより増えることも考えられるだろう、そうした時、そのひっぱくを抑える工夫がなされるのだろうから、初期に広がらない工夫がなされていることを信じたいです。
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2022_0813記 神さま仏さま
アスファルトの山道を自転車で登るリハビリトレーニングコースは、だいたい峠や峰まで7~9㎞。そのコースをのらりくらりとゆっくり登るのです。3時間ぐらいかける時もあります。 「歩いている方が早いぐらいだね」と言われそうですが、その道すがら季節の移り変わりに足をとめているものですから・・・
登り行く道はスピードも出せないので足もとならぬ前輪周りが目に入ってきます。すると色々なものが落ちています。花びらや落葉・実は想像がつくことでしょう。獣のフン、生物たちも道を横断していることがよくあります。
8月に入り、路上にイナゴほどの大きさのバッタや緑金色のコガネムシをよく見かけるようになっています(今日のスケッチは峰折り返し付近に生えていたビロードモウズイカの葉上にいたバッタでした)。 いくつかあるリハビリトレーニングコースには道途中にどこもお地蔵さんや石の祠があります。それらは さまざまな思いで建立されたものと思われますが、私にとっては山の神として入山と下山の時、「今日の山行の無事を祈り」「ありがとうございました」とそれぞれペダルを止め 手を合わし通る習慣としています。
ここ何十年もトノサマバッタを見ていない。 少年のころ 故郷の空き地にはトノサマバッタがとんでいた。とびたったそのバッタを追いかけた原っぱ。草野球のボールが草に消えた原っぱ。 千曲川原にも大型のバッタは見たことがなかった。少年のころ遊びはいった環境はトノサマバッタに都合がよかったのでしょう。 水田は見かけなかったが畑がまだ多かった当時。トノサマバッタといっしょに草野球ができた原っぱは、その畑が整地され宅地化されるまでの数年の環境だったのかもしれない、有刺鉄線が囲う原っぱも点在していました。 お盆の入りであります、そんな古き故郷の遊びあいてにも合掌です。
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2022_0809記 カマキリとヤブ蚊
バナナの皮を日干しにすると、アッという間に燃え尽きるけど火突きがいいので煮炊きの時の燃料に春から使ってみています。 トウモロコシの季節になり、頂いたモロコシの食べた後の芯も細かく切り日干しにしバナナの皮と同じように燃料にしました(こちらもよく燃えました)。 天日で乾かすといっても低い波トタンの屋根にのせておくだけ、夏の日ざしならバナナ皮なら1.5日モロコシなら3日程度。
その乾かしている途中のものにハエが何匹も集まってくる。特にトウモロコシの芯にはよく集まります。そこにまだ翅のないカマキリが来てはジィーと狩りの機会をうかがっている。その姿をここ一週間ぐらいいつも見ています(今日のスケッチ)。 カマキリの鎌は私の見ている時間帯には動いたことがない。ハエたちの中にはカマキリの足元を歩いて横切るものもいたし、あろうことかカマキリの背中に一瞬止まったものもいました。朝起きてその場所を覗くと、カマキリはすでにそこにおり、一日の多くの時間をそこで過ごしているようです。ただ日なたとなる午後の時間帯はいなくなるようです。
カマキリの狩りの瞬間に遭遇できるのかと、つい私も距離を置きジィーとカマキリの行動に注目します。すると、カマキリは体を小さく揺らすが一行に動かず、動かずに見ている私の膝までズボンの脚にヤブ蚊がやってきて観察は終わることがおおいようです。カマキリとヤブ蚊の連携プレーに私が獲物にされているのかも。 それにしても、カマキリがエサにありつけるのはどれくらいの確率なのだろう。
長野県のコロナ発表情報で変化が見られるのは、7月終わりごろから陽性者の数を知らせる中で[疑似症患者]と云う内容を伝えるようになっています。これは「厚生労働省通知により、同居家族などの感染者の濃厚接触者が有症状となった場合に、医師の判断により検査を行わなくとも、臨床症状で診断することが可能となり、当該内容を踏まえ医師が疑似症患者として取り扱ったもの」となっています。 この内容に一致するものに「みなし陽性」と云うものがありました。この「みなし陽性」の取扱について、次のように記されています「この取扱いは、陽性者増加に伴い、医療機関の業務のひっ迫や検査の試薬やキットの不足により、検査の実施に支障が生じている場合に限ります」 長野県内、本日今までの最多の2,695人発表陽性者がある事と思いますが松本市と長野市を除いた圏域で疑似症患者が159人掲示されています。
追記:10日の朝 カマキリが自分の体重と同じぐらいはあるだろうアマガエルを捕らえていました。目当てはトウモロコシに来るハエではなく、そのハエを捕まえにくるアマガエルであったのかもです。
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2022_0805記 メスゼミは次の日鳴く
裏庭のイヌホウズキの葉にその日の朝 セミの抜け殻を初めて見つけました(スケッチ上)。
どこからともなく生えてきたイヌホウズキの草は便所外の臭い消しに良いのではとそのまま生やしておいたもので、すでに白い小花を咲かせ黒い実がなっています。 マメガキの木しかこの辺にはないので、マメガキの根をかじりながらセミの幼虫は何年か暮らしてきたのだろうか。 陽が上りはじめれば、そのマメガキの茂みから「ミンミンミンと鳴き声が聞こえるかも」と期待をしたが、その日は鳴かず。次の日に「ミンミンミン」を聞いたのでした。
「きっと、昨日は出てきたばかりで鳴けなかったんだ、もしかしたらセミと云うのは羽化した翌日から鳴くのがふつうなのではないか」
空蝉の殻を手のひらに載せ、webで調べてみました。 すると腹部の先端近くの様子がメスのようであった(スケッチ下)。 またメスは鳴かないと。
それでも小学2年生あたりだったら「なんでうちのメスは次の日なけたんだろう」と思ったことだろう。
小学校夏休み前からコロナが長野佐久地方でも他人事ではないぐらいに増えていたので、遊びにくる子にも「コロナが今増えているから川にもいきません」と伝えてあります。 そのまま夏休みに入り、コロナはふえたまま。今年の夏休み期間は少年少女らと川に下りることはないことになりそうです。
今 佐久圏域でなく佐久市においてなお増加している、一週間で838人陽性者の届け出が県の方にあるようです。このことから市内においておおむね117人に1人が有症で感染していることになるので、届けてないものや無症状の陽性者を考えれば数十人に1人が佐久市においてコロナに感染していてもおかしくないと私は思っています。子どもたちとの川あそびは、一日20人程度・一週間で140人程度に佐久市における発表陽性者数がおさまることを再開の目安にと考えています。
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2022_0801記 湯の富士
川に架かるものは人が渡るための橋だけでなく、人のライフラインに関わる色々なものが架かっています。 水(上水)や下水の管が対岸に渡っているものもあります。 この水を通す管を、古くは懸樋(かけひ)と呼ばれ各地にあったようです。東京中央部にも神田川(神田上水≒江戸城外堀)をまたぐ懸樋があり、それに近い橋を水道橋とされたようです。
その水道橋界隈の銭湯で、大正時代ですから今から100年ぐらい前に「富士山」の絵が壁に描かれはじめたとあります。今では大学や古本屋が建ち並ぶ裏手にあたるようで、その銭湯内ペンキ絵所縁の跡地に「キカイ湯跡」のプレートがあるそうです(キカイ湯は往時の銭湯名)。
今日のスケッチは、遅れて咲くアジサイ:タマアジサイのつぼみがほどけてきた様子です。
信州が寒冷地だから遅れて咲いたのではなく、品種として遅い種のようです。皇居周辺での7月中旬開花の画像が見れました。
このタマアジサイは、長野県中央部:鹿教湯温泉街近くの山に7月下旬咲き始めたものでした。鹿教湯温泉中央通りから東側の空を見れば富士山型の山が目に入ります。標高で1000mちょっとの山は全山緑でした。この山、地図上の地名もそのまま富士山となっています。改めてみて見ると九州から東北まで富士山と呼ばれる山体が沢山あるようでした。 タマアジサイの画像クリックで鹿教湯からの鹿教湯の「富士山」画像にリンクします。
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2022_0728記 暑中の雨のオアシス
蒸し暑い日々が続き始めていました。山寺ではヒグラシ、里ではミンミンゼミも数日前から鳴きはじめています。 本日午後2時51分、雨が降り出した。
遠くの空でゴロゴロ鳴っている、やがて待ち望まれた夕立ちとなりました。 3時38分、電気が一瞬消えた。41分、土砂降りとなりました。
4時半ぐらいまで、我が家のペットボトル雨量計では14-15mm降ったようです。この程度ならいいお湿り、オアシスのような風が今夕は少しある次第です。
今日のスケッチはツノアオカメムシです。 アスファルトの路上で停滞していました。覗き込むと3cm程度のカメムシは、その下の2.5cm程度の鳥のフンを物色中でありました。 よくキツネなど獣のフンにハエや蝶が、来ているのを見かけます。鳥のフンも魅力あるものがあるようです。鳥はオシッコ(まわりの白っぽい)とフンを一緒にするようなのですが、中ほどの固形物のあたりに口吻をあてていました。
このように昆虫たちが、アスファルト上に落とされたフンに集まっているのを見ると、まるでフンの落とされた場所はオアシスのようです。 わたしたち人間も、他の排泄物を貴重なものとしているのかも知れません。その姿を見られては「ほら見てごらん、あんな醜いものをあの生き物は好物にしているよ」などとカメムシやタテハチョウたちに陰口されているかも知れないのです。
夕立ちの降りが控えめになったころ、市内に放送が入り「コロナの警戒レベル5に引き上げられました」と、伝える事が行政ともとれインパクトに強くない。
でもここで現在の長野県HPを閲覧してみる。すると感染者数では長野や松本には遠く及ばないが、10万人当たりの新規陽性者数では長野圏域659人、松本圏域410人に対し、佐久圏域は777人
がこの一週間で出ていると発表されている。この10万人あたり777人は計算してみればおおよそ130人に1人が有症で陽性となっていることになる。カウントされてない無症状者、さらに佐久圏域の中での陽性者が佐久市小諸市軽井沢町の3市町に集中していること(佐久市人口9万8千人で一週間で671人の陽性者発表)を考慮すれば、佐久市において数十人に1人が感染している可能性が現在でもあることになりそうです、気を付けましょう。
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2022_0724記 カゴはお客とお店のために
どこのスーパーにもカート形式の買い物カゴ載せがあります。 アメリカでは、戦前からあのような物がはじまっていたのだといいます。 あのカートは買う人にとって楽な用具と今は当たり前なのですが、初期は説明を重ね普及していったようです。結果として一人が買う数が増えお店のためにもなっているのとか。数々のアイデアが報われなかったのだろうが、やはり商人はすごい。 カゴは、日本では「籠」とか「篭」とか書いたりする。 その漢字からも竹製のカゴが主流だったことでしょう。 運搬用の籠、保管用の籠・・・
金魚鉢に対し虫かごと言う。元来 竹などでつくられたオリのような箱であったとか、そんな虫籠に鳴きはじめているキリギリスなど入れ軒に吊るしてみたい気もするのです。
魚獲りの時にも籠を応用させた魚籠(びく)と云うものがありますね。 今日のスケッチは魚ではなく蝶です、左前翅が一部欠けているジャノメチョウをスケッチしました。
この欠けた部分、もしかしたら鳥のくちばしによるものかもと考えました。くちばしは英語でbeak(ビーク)と言うそうです。それで欠けた形状をビークマークというそうです。
それでビーク→魚籠→籠→カゴ の本日のblog。
ワクチンは私たちが思っているほど効いてはいないのかも、ウイルスが変異しているにしても徐々にその効用を感染しない(集団免疫を獲得する)から感染はするが重症化しないなどと説明が変化している。高田渡さんの「値上げ」と云う詩を思いかえします。でもすこしでも危険から遠ざかれるなら打つしかないのかな。再感染を短期間でしてしまう程度ならワクチン接種数年後の人体に対するリスクなどをあわせて解説して頂きたい思いもあります。
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2022_0721記 金魚すくいの思い出
私の小学校時分の登校の道は、南北に伸びた用水路に沿う路でありました。車は通れたかも知れないがほとんど歩人が利用する路。 その用水路の多くは浅く10-20cmぐらいの深さしかなく、そこに用水路まわりにあった金魚養殖池から逃げ出した金魚がよくいる事があり、下校時はそれを探し いた時は家に帰ると網を持ちすぐに獲りにいった記憶があります。すぐにいかないと他の子も獲りに行くことも当然あるのです。
そうやって、掬ってきては家の水槽に放し飼っていたようです。金魚は買ったことがない少年時代だった。ただこういう金魚たちは、養殖池からいらないと放たれた病気持ちが多かったかもしれません。
ヒブナが多かった。オレンジ色したフナのような最も一般的な金魚。ちなみに私はマコイやマブナのような黒っぽい土色の魚を掬ったことは少なかった。多くは赤い魚たちだったのです。
しかし、土色のものを掬おうとした記憶が確かにある。それは大きなオタマジャクシが二匹下校の用水路に見つけたのです。いつも掬う金魚たちよりひとまわり、いやふたまわり大きい。網の長さは限られているので、腹ばいになり手を伸ばすことが多かったと思う。用水路はけしてきれいとは言えず用水路奥地に造られたベーコン工場からのブヨブヨの排出物が目につく水路だった。その水路私が5年生の時に埋めたてられ二車線の道路となったので用水路での金魚すくいは主に小学3-4年生あたりの思い出になるのでしょう。
今日のスケッチは、昨日見たオタマジャクシがカエルになりかかっていたものです。 まだオタマのものもその長野山間の貯水池にはいました。たぶんウシガエルと思われます。このウシガエルのオタマこそが本文でのオタマと思われます。当時はウシガエルなどとは呼ばずショクヨウガエルと皆が呼んでいたカエルです。 この山間でのカエルの成長を思えば、きっと小学校時分遭遇した大きなオタマジャクシたちも夏休み前の出来事だったのでしょう。 コロナ感染者、長野県でも千人を越え、当地佐久はその中でもかなり多い地域となっています。佐久の夏休みは7月28日からですが市内小学校も休みとする学校も現れてきているようです。注意し暮らしましょう。
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2022_0715記 岬をめぐる三つの指で
春の行商と称して西へよく旅をしました。西は九州・四国・山陽山陰になります。これらの地域は長野より暖かく、夏に旅すると蚊に悩まされることがあるので春なのです。GWをはさみ2-3週間行くと、アザミがすでに咲いているのをよく見ました。印象に深いのは山陰の海辺で咲いていた風景。
そのアザミ、信州では盛夏に近づかないと咲きません。同じ種かどうかは分かりませんがノアザミが今信州の高原で咲いています。 山陰の初夏の海はうつくしく、所々で緑がかった青い海でした。
おだやかな威圧感のない漁港を過ぎると半円形の半島がはじまり、その半島を時計回りに道がまわっていました。そんな中見た日本海をバックにした野の花の中に赤紫のアザミたちが咲いていたのでした。 オレンジ色のガードレールが海側をガードし半島をめぐる道は、そのままその北端にある白い灯台をめぐる道でもありました。 地層状の岩盤が海岸に露出しており、その岩の上に釣り人がひとり、そこに波が押し寄せ白い飛沫をあげていた。 ふと♪岬めぐりのバスは走る 窓に広がる青い海を♪のうたをその時 思い出したことを覚えています。 岬めぐり の岬はどこなのだろう。岬なので灯台があるとは限らないのですが、わたしは東京や大阪らの街からは入りにくいその山陰の岬にイメージを持ったようです。
高山岬(こうやまみさき)と云う岬だったようです。 岬めぐりの歌はほぼ50年前の歌、ギターで特に前奏部のスリーフィンガー(右手親指・人差し指・中指の三つの指で弾く演奏方法)が手ごろな難しさで、よく練習しました。50年たってもギターはそれほど上手くなってないな。 詩も素敵ですが、曲や歌唱も好きな歌です。きっと これからも岬を旅する時、思い出す歌と思います。素敵な歌をありがとうございました。
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2022_0712記 百足、二百足、六百では不足
ヤスデのイメージは小さい。
幼少のころ、家の裏手がコンクリートの堤防だったが、その堤防との間にイチジクの木が2本 枝を広げていて、その下の木陰を2cmぐらいの土黒いヤスデが沢山はっていました。 ムカデは生家付近ではまったく見たことがなく、はじめて海水浴に連れて行ってもらった海の家の畳の上を駆け抜けていったスピード感抜群のムカデとの出会いが最初だったので、ビックリし子どもながらに怖さを感じたようでした。
ヤスデの整然とした脚の運びは人を恐れさせなかった。私が身近としていたヤスデが日本標準の2cm程度だったからかもしれない。ヤスデはダンゴムシと共に友だちにできる生物だったように思い返します。
山、林道に脚の沢山ある5cm以上ある長い物がのびていました。
写真だけ撮り、長さ大きさからムカデと調べ始めました。今日のスケッチがその脚の一部です。 この脚の並びの通り1か所から2本づつ脚が左右にそれぞれ出ている。 この特徴はヤスデのそれであると知りました。 ムカデは1か所から1本づつの脚で「百足」と漢字書きします。 それに習えばヤスデは2本づつの脚なので「二百足」と書きたい。 しかしヤスデの漢字書きは「馬陸」となっています。馬と陸で熟語を作った時だけヤスデと読ますようで、このような読みを熟字訓と言うのだとか。
それにしても思いのほか大きなヤスデもいるようです。
この夏一番の夕立ちがきました。その中コロナ感染者が長野県内だけでも600を大きく超えてしまったニュース。空港という蛇口からは以前より(6月以降)多くの開栓が実施されるようになった今、入ってくる量が増えている事は想像できるところです。川の水は山から海へと下るが、コロナの山は港であり、そこから下々に下って、海のない長野県にも望まない海を再びこしらえかけている。
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2022_0708記 たたむ
「たたみ」は畳と書き、これは「たたむ」時 用いられる畳むと同じであります。 「たたみ」は現在たたまないのがふつうであります。
大昔はたたんだのだとか!というか「たたみ」と云う単語は古代「むしろ」や「ござ」などを総称してそう呼んでいたようです。現在の「たたみ」はたたまないのだから「たたまず」とか「畳に非ず」と呼ばれても良かったのでしょうが、畳としてあるわけです。 平安時代あたりから現在のような厚みのある様式の「たたみ」が現れたようなので、その頃から定住というか、しっかりした家が一般化し始めたのかもです。
今日のスケッチは、小さき森中の昆虫でしたアオバアリガタハネカクシです。 葉の上の状態がふつう見る姿。小さく地味な昆虫でもありますので、この葉上の姿がすべてで翅は持ってないと思っていました。今回調べ行くと名の「ハネカクシ」のように腰部(?)の黒い箇所の下に翅が格納してあるとのことでした。下の翅を出した姿は、わたしが想像を交え描いてみました。腰部の黒い箇所に収めようとするなら3回もしくは4回折り畳まなければ葉上の姿にはならないはずです。 カブトやクワガタは外側の硬い翅が腹部背側を覆い隠しますが、ハネカクシは腹部背側の一部を覆う形に進化したようです。 わたしたちが普段 見過ごしているモノたちには、思いもよらぬ能力が備わっているものがあるようです。このハネカクシ類は潰した時出る体液に触るだけで皮膚に炎症を起こし、激しい痛みが続く事がある別名やけど虫とあります。 ハネカクシは翅を折りたたみ持つように、生きる能力をいくつも折り畳んで今の姿にあるようです。
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2022_0704記 わたしの中指空港にて
汗は、普通弱酸性に保たれているとかPHで5.7-6.5。
成分的には水分がほとんどで約1%がアルカリ性のナトリウムらになっていると。夏に沢山汗をかき、乾くとアルカリ性のより高いものになりあせもなどの原因となるようです。 汗は皮膚に空いている穴と毛穴から出るようです。暑い時 体温を保つために出る汗は毛穴より主に皮膚に空いている穴から送り出されているようです。汗は多量になると、気持ちのいいものではありませんが、この汗がしてくれている効果により暑い空間に長い時間滞在できるようなので、体毛が他の哺乳類よりきわめて少ないヒトは、汗を分泌できる皮膚を得たようです。
今日のスケッチは梅雨が明けたといっても頃合いですね、汗をかき乾いた手の中指にジャノメ蝶が舞い降りました。 そのヒメジャノメをスケッチです。
蝶に聞いたわけではないのですが、アルカリ性の物質を探しあてやってきたのではないでしょうか。ヒメジャノメのいる右手をそのままに数百メートル歩いたが離陸しそうもないので、そこで離れてもらいました。 蝶が蜂やアブ、蚊だったら話は別ですが、私の汗かきの後の手をとことん好いてくれて、ありがとう。
多くの国・地域からの検査をしない方向とした6月から空港でのコロナ検疫数が大幅に減少しています。5月は一万あった検査数が、7月にはいり六百数十に収まっています。入国者数は逆に増えているのでしょう、6月上旬二万人を受け入れるのニュースを聞いています。 その空港検疫での陽性者の内容に変化が見られます。それは症状がある感染者の割合が増えていることです。5月までは無症状陽性者が8割程度だったものが、7月に入ってからのここ数日は約5割です。これは空港検疫においても国内検査と同じように症状がある人を対象に行っていく方向性が感じられる。無症状での行き来は増えていることでしょう。
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2022_0704記 汗を求めて
汗は、普通弱酸性に保たれているとかPHで5.7-6.5。 成分的には水分がほとんどで約1%がアルカリ性のナトリウムやらになっているとか。夏に沢山汗をかき、乾くとアルカリ性のより高いものになりあせもなどの原因となるようです。 汗は皮膚に空いている穴と毛穴から出るようです。暑い時 体温を保つために出る汗は毛穴より主に皮膚に空いている穴から送り出されているようです。汗は多量になると、気持ちのいいものではありませんが、この汗がしてくれている効果により暑い空間に長い時間滞在できるようなので、体毛が他の哺乳類よりきわめて少ないヒトは、汗を分泌できる皮膚を得たようです。 今日のスケッチは梅雨が明けたといっても頃合いですね、汗をかき乾いた手の中指にジャノメ蝶が舞い降りました。 そのヒメジャノメをスケッチです。 蝶に聞いたわけではないのですが、アルカリ性の物質を探しあてやってきたのではないでしょうか。ヒメジャノメのいる右手をそのままに数百メートル歩いた、はねれそうもないので、そこで離れてもらいました。 蝶が蜂やアブ、蚊だったら話は別ですが、私の汗かきの後の手をとことん好いてくれて、ありがとう。
多くの国・地域からの検査をしない方向とした6月から空港でのコロナ検疫数が大幅に減少しています。5月は一万あった検査数が、7月にはいり六百数十に収まっています。入国者数は逆に増えているのでしょう、6月上旬二万人を受け入れるのニュースを聞いています。 その空港検疫での陽性者の内容に変化が見られます。それは症状がある感染者の割合が増えていることです。5月までは無症状陽性者が8割程度だったものが、7月に入ってからのここ数日は約5割です。これは空港検疫においても国内検査と同じように症状がある人を対象に行っていく方向性が感じられる。無症状での行き来は増えていることでしょう。
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2022_0630記 夏草に育つものがいる
私たち現代日本人の多くは、食料をスーパーやコンビニに行き購入しエネルギーを確保していることでしょう。その食品は多岐にわたり肉から野菜、菓子…。野菜においてはナスだキューリだトマトだホウレンソウと色々な物を食す生物として人はあるようです。
これが昆虫、特に草木を食べ育つ昆虫たちにおいては、限られたものだけを食べ成虫になっていく物たちが多いです。モンシロチョウの仲間はアブラナ科(キャベツなど)の葉を、黄色い翅のモンキチョウはマメ科(シロツメ草など)の葉をたべるそうです。長い生命の歴史の中で、そんな食べ分けが出来上がってきたことでしょう。それは食べられる側:植物たちの戦略や淘汰の末でもあったことでしょう。
裏庭のミツバの葉にキアゲハがやってきて、あちこちのミツバの葉裏に1コづつ産卵していったのが24日の昼すぎでした。キアゲハ幼虫の食草はセリ科の植物なのでセリ科ミツバへの産卵はもっともなところです。
5日後の29日早朝には黒い小さな毛虫がその葉上にありました(スケッチ)。キアゲハの幼虫は孵ったら卵の殻を食べるとあるので、そんな食後のひと時に遭遇できたのかも知れないです。午後その葉を見ると小さな毛虫はもういなくなっていました。 またひとまわり大きくなった姿で再会したいものです。ミツバはできるだけ刈らずにはやしておくことにしよう。
昼時間が一番長い6月下旬に雲がかからない。 暦の上では夏至であり小暑・大暑にはまだ間がありますが、梅雨は明けたようなので実感として「暑中見舞い申し上げます」。
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2022_0626記 雨どうしたんだろう
「落とし文」という匿名性または秘密性の高い文書があったのは鎌倉時代から江戸時代とされています。 その文の中身は政治風刺から恋文と用途は多岐にわたったようです。
現在「落とし文」の語はあまり聞かないし、もっぱら紙を使わない通信手段が主流になりつつあることでしょう。ネットの中に落とし文的記事はあるのだろうが、大海の一滴を探すようで落とし方もエネルギーがいることでしょう。
昆虫のオトシブミは、きっと中世から近世まで流行った「落とし文」に樹上から落とす揺籃(ようらん:卵を内蔵した葉巻カプセル)が似ていることからその頃すでに名づけられた名前であったのではないか。幼虫の食草となる樹木の葉をロール状に巻き、その中に卵を産み付け、地に落とすとのこと。なので落とし主の親虫にとっては、その巻き物を開き解かれては困るので確かに封印しようとすることでしょう。
万葉集とした書物名に、葉は文字が書かれる台紙であったのではないかと感じたりします。オトシブミの落としたロール状の揺籃は次の世代への贈り物。
今日のスケッチはミズナラの森にいた、アシナガオトシブミと思われます。 一昨日、裏庭にアゲハ蝶がやってきて、ミツバの葉に繰り返し繰り返し接近、白い球状の卵を産み付けていました。葉に卵を産むのはオトシブミと同じですが、葉に一つ貼り付けるだけの産卵です。二日たち少しオレンジがかってきたキアゲハの卵。 6月中の梅雨明けも予想されているとか、「雨乞いの夏に物価がさらに高騰しませんように」これを書いて、落とし文。
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2022_0622記 カニは夏に至る旅人さ
子どもらがカニ族となっている。 サワガニが石垣の水路に出始めたのだ。 それを獲るカニ族。 人間は子どもも大人も同じく2つの手なので、だいたい2匹とってきては私の家で入れ物をねだることもあります。そんな時きまって、こう言うのです「サワガニは二匹だとケンカするよ」
カニ族とは ある年代から上の人たちは旅人をイメージする言葉であります。
大きな横長の荷を背負い旅する姿を後ろから見るとカニに見える。汗臭いカニたちであったことでしょう。大らかな印象をもちますが、不均一なモラルから自然を荒らした一面もあったともあります。 そんなカニ族が闊歩した時代、歌にも旅の詩があふれていました。 最近は旅心に響くような歌に出会えていない。
子どもらのカニ獲りカニ族は、ないしょの道草でカニを獲っているから、リックではなく、ランドセルが甲羅替わりになります。黒いカニ、赤いカニ。
今日のスケッチは、リックを背負ったように背が丸まっていた1㎝ぐらいの昆虫:セダカコガシラアブです。レンゲツツジの花弁の上に見つけました。 はじめてこの猫背の虫をみました。初めて君を意識したその時、私は旅をしたのかも知れない。きっとカニを獲っていた幼少の子らにとっても、旅の瞬間であったことでしょう。 3日間東京滞在、帰宅後、遠くない薬局でPCR無料検査(行政負担)をやってきました。
その薬局に電話をし、身分証明とメールアドレスを用意し行くと、手の消毒→手術用のような薄いゴム手を着用、webを含む記述多少有り、単3電池ぐらいの筒状の容器に唾液を満たし封印し終了です(30分ぐらい)。容器は東京の検査クリニックに送られ、そこで検査結果が出、メールアドレスに通知がくるとの事でした(判明に1.5~2日)。
抗体検査よりPCRの方が精度が高いと聞いているのでPCRを受け付ける薬局にいきました。帰宅後すぐに行ったことは反省材料(帰宅途中にもらっていても検査に反映されないのでは)、どういうタイミングがベストなんだろう。
追記:本夕6時過ぎ、陰性の判定が届きました。
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2022_0618記 夏に備えて
季節が進むにつれ土をおおった草木に昆虫たちがあふれはじめています。 冬から果物の端を鳥たちのために毎朝 皿に食べてもらってきていますが、最近は皿の中がカラになっていることはなくなっています。 それを感じ取り、アシナガバチが皿から1mぐらいの軒影に巣を作り始めています。
ハチなど毒をもった生き物に刺された時、応急処置として毒を吸い出す器具があることは知ってはいたが、それをここで購入してみました。 普通の薬局では「取り寄せになる」とも聞いていましたが、山近い町のクスリの量販店なら、置いてあるのではと寄ってみるとあったのでそのポイズン・リムーバーを買ったのです(1000円前後だった)。ポイズン=毒、リムーバー=取り除く、片手で操作できるバキューム感覚で傷口から毒をすいあげる器具のようでした。
毒を持つ生物は、ハチ・カ・アブ・ブヨ・ヒル・ダニなどが思い当たります。ヘビの毒についても説明書には噛まれ数分後なら、これにもある程度効果があると添え書きしてありました。 無傷の自分の腕や指先に、ポイズン・リムーバーを試してみる。指先など小さい表面積での傷口は小さい当て具側を使うがよいようだった。使わない事を祈りながら、野山に行くときはポケットに入る大きさでもあるので携帯が容易のようです。
今日のスケッチはアブの仲間でブロウドツリアブと言うらしいです。
春にしか成虫は現れないとありました(標高1450m付近6月上旬見る)。長い針のような口吻は花の蜜を吸うもので、ホバリングも巧みでいろいろな蜜を吸うとの事。春の気候に多いスミレなどの花の奥のほうに蜜を置く花たちでも、この長い口があればとどく事でしょう。
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2022_0615記 ハエと水滴
水しごと(手による洗濯)の水が床にとんだ。 その水滴に 開けっ放しの野外から 一匹のハエがやってきて、水を飲んでいる(スケッチ)。 湿っぽい何日かが続いている中、私の放った水滴にやってきてくれた。
こんな 人にとってはささやかな水分を大切にできる君はすごいね。 ああ、ありがとう。 そのハエは給水を終え、それより室内には入らず野に帰って行った。
小さな水滴に来る昆虫は、ハエのほかハチなどもよく見かけます。 ハチは室内の水滴を吸いに来ていることはなく、もっぱら大葉の上に溜まり残っているものを探しあて、給水しているようです。 ハエはその点、人を恐れないというか、室内への侵入も多いです。それはハチのように刺す事をしないハエは、人の方も警戒が薄いのかもしれません。 春の山菜シーズンがほぼ終了。
山菜採取への注意・自粛の呼びかけが原子力対策本部から継続して出ている地域が長野県においても新潟・群馬と県境を持つ市町村に今もあります(5月24日付長野県発表)。主にコシアブラから現在の食品衛生法基準値100q/kgを越えるものが碓氷峠近くで出ているようです。 11年前に端を発した物たちの影響を、人伝ではあるが、知ろうと思えば こうして知れるものがあり、警戒します。今日 水滴に来ていたハエは1年に満たない一生でしょうから、今年の環境がすべてとなることでしょう。ハエは人より環境のリスクを取り込む期間が少ないことになり、それは種をつないでいく工夫としては強弱でいえば強い面になるのかもしれないです。
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2022_0613記 梅雨なかの春
霧ヶ峰と言うところは高地でありながら、長い事人々が狩場や茅場として使ってきた場所でもあり、その標高をあまり感じない所であります。 しかし自然保護センターのあるあたりでも1650mの標高があり、これは上高地:河童橋付近の1500mを150mも上回っていることになります。上高地は背後に3000m級の山々が間近にあるが、霧ヶ峰は2000mに届かない車山がポツンと身近にあるのみ。そんな周辺状況もありちょっと高い里山に来た感覚をもってしまいがちな山地に感じています。
そんな霧ヶ峰の6月の野原に、スケッチの蝶を見ました。 地面にとまった蝶は、今までに見たことがないものだった。自然保護センターに蝶の標本箱が展示されているのは知っていたので撮ったデジカメ画像を見比べるとすぐに「ミヤマセセリ」と知ることができました。 家に帰りミヤマセセリを調べると「成虫は春だけ発生する」とありました。その記事では「コナラの若葉が出始める頃は、年に一度の繁殖期」と紹介されていました。私が遭遇したミヤマセセリも、コナラ属のミズナラが林をつくり、若葉をつくりはじめている一帯でありました。 「成虫は春だけ発生する」。標高1650mの霧ヶ峰は今、春の只中にあるということでしょう。
標高の高いところは寒さと快適さが行き来している春であります。 山は霧ヶ峰とは違いますが、林道を自転車で通り行くと、気を付けて漕いでいるつもりですが、一服の時漕いできた自転車のタイヤを覗けば そのタイヤの溝にイモムシを轢いてしまっているものを見ることがあります。 これはイモムシのアスファルト道路移動中に轢いてしまったとも考えられますが、陽ざしに暖められたアスファルトの道に出て体温調整をしているのではないかとも考えられます。 林道で自転車を漕いでいると、上りは当然ゆっくりなので、路面にいろいろな虫たちが視野に入ってきます。移動することは他の生物にリスクを与えながら進んでいることを感じる時があります。もちろん車は当然ですが、歩くことにしてもきっと 侵している小動物の権利みたいなものはあることでしょう。
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2022_0608記 イモムシの名にホタルの季節近し
草木にも、それぞれの名前(タンポポとかサクラとか)がついています。共有できる名前があるから「山ザクラが盛りを迎えてましたよ」などと人と会話ができる。
だいたい、名前の判別には花を見分けることが多いが、植物に詳しい方々は、葉や葉の出る前の芽の姿や実などで言い当てたりします。 梅雨前の山は白い5枚の花びらの木の花があちこちに咲いています。ネットや手元にある資料を元に、なんなんだろう、と調べるがなかなか確信が持てないものです。 5枚花びらのサクラに似た樹木はたくさんある。植物にも擬態のようなものがあり虫たちに人気の花の形を見せ受粉をはかどらせるとか。サクラタイプはどうなのだろう。もっとも人の目と虫の目とでは見え方が違うだろうが。
今回 樹木本体でなく 枝先にいたイモムシから5枚白花びらの樹種が分かりました。イモムシから樹種を知ったのは初めてのケース。
イモムシは小さめながら黒をベースにし白とオレンジのイボイボを体にまとう特徴あるものだったので、シロシタホタルガの幼虫としました。
このシロシタホタルガの幼虫はハイノキ科の幾種類の樹木を食べるとのこと。昆虫たちの幼虫期は植物食なら、限られた樹種のみを食べて成長するらしい。 ハイノキ科の木の中で、県内で見たことがあったのはサワフタギと云う木でありました。夏の終わりには青い実をつける低木であります。
今日のスケッチは、サワフタギ枝先のシロシタホタルガの幼虫です。
イモムシはシロシタホタルガに相違ないと思うのですが、まだ樹種のサワフタギは、たぶんそうだろうの感じなので、青い実が実るのを見てみたいです。
シロシタホタルガの幼虫は、サクラのような5枚白花びらたちの中、花見をしながら飲食をするようです。花味もするのだろうか。
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2022_0605記 ヤナギの綿魔球
山のヤナギが綿毛を飛ばし始めていた。 すわりこんで一服している目の前を 峰へとわずかに空気の流れがあるのだろう、時折その綿毛が通り過ぎていきました。 ひんぱんに行き交うものだから、手を開きそれらをキャッチしようとする。 しかし、けしてヤナギの綿毛たちは手のひらには収まらなかった。
綿毛というとタンポポを頭に思い浮かべるだろうが、ヤナギの綿毛はもっともっと軽いのです。それで手を近づける風圧でヤナギは手を迂回していってしまうのです。
この浮遊しているヤナギの綿毛をキャッチすることは、160㎞の快速球をとらえるより難しいのではないか。逃げてしまうのです。けして打つことはできないしつかむことも難しい。まして前にとばすことは不可能。
それで地面に着地したものを、手のひらにのせ写真を撮ろうとした。すると手のひらの上に置きデジカメをポケットから出す間に、わずかな空気の流れに綿毛は飛び去ってしまった。そんなことをくり返す中でようやく写真がとれ、それを今日のスケッチとしてみました(種だけの大きさ2mm程度)。
日本では杉花粉が春に話題にされますが、中国ではヤナギやポプラの綿毛が大量に飛散するようです。それに対し散水・噴霧器など搭載の車を北京あたりでは相当数備えているようです。水で湿らせ落下させ回収・清掃するとのことです。さすがヤナギ類綿毛の本場に智慧を感じます。 ヤナギの綿のことを、中国では柳絮(りゅうじょ)と古くから呼ばれているようです。柳絮は日本では仲春:陰暦2月の季語らしい、今の暦では3月であることでしょう。中国北京での柳絮は今の歴で4月中旬のようです。私が今回遭遇した柳絮は標高1600m近く、あの一帯にも、今年の春が到達したものと思われます。
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2022_0602記 夏を掬いに
ガキンチョらが遊びにきたので、千曲川原に下りてみました。 室内であそんでもらう、もしくは野草の天ぷらなどはコロナ禍において心が重いので、遊びにきたら「川に下りてみる?」と聞くのです。 すると「いく。大人といっしょなら川に下りれるから」となる。たてまえ上は子どもたちだけでは川遊びは出来ない事になっている。父兄ら大人は川に下りる方が極めて少ない現状があるため、ふるさとの川を眺めることは日常であっても、体験として触れたりする機会は極めて少ないことと思います。
千曲川には氾濫から2年半の現在、川原に出来た凹地が池となり様々な生物が戻ってきています。 今回川原に少年少女4人と下りると、シカの足あとが水辺に幾つか付いていました。シカの行動範囲は私たちが思っている以上に広いことがうかがえる。
「ニワトリのあしあとだ!」と子供らに発見されたのは、シラサギ(ダイサギ)・アオサギらの大型のサギの足あと。 いちばん小さい子は2回転げたので、足元不安定なところは私の背をタクシーとし私も含め5人は30分ちょっと川原で過ごしました。
小魚が川面をはねるのが見え それらは掬えなかったが、川エビ・ヤゴ・ゲンゴロウ・タイコウチ・トノサマガエル(トウキョウダルマガエル)・・と間をおかず次々に網に入った。これが夏というものかも知れないです。
今日のスケッチは、その網に入った生物の1種、小さいゲンゴロウ、キベリマメゲンゴロウ(2cmぐらい)です。
コロナの空港検疫が経済面を考慮し大幅に緩和されたようです。この措置の良し悪しは別に、内容だけは市民レベルでも把握しておきたいです。今回の緩和は一日の入国人数より、多くの国・地域から来られる方々の検疫を免除する内容を知っておきたいです。今までの入国時の検査においての陽性率などに応じて「青」「黄」「赤」グループに分け、「青」の国・地域は入国時検査と3日間の待機を免除とあります。青に米国・中国・ロシア・・・(98の国・地域)、黄はインド・北朝鮮・・・(99)、赤はパキスタン・フィジーなど(4)。
5/31空港検疫分6月1日発表は空港のみで「104」名の陽性となっています。そしてその半数の52が陽性率は少ないのかも知れないが米国からの入国者です。
検疫緩和発表がニュースの通りなら、この52は検査されないグループに入るので「無」扱いになるのだろうか?そういう制策のなかで生活が回っていく事をしばらくは心に置いておきたいです。
→pm6追記:6/1空港検疫分6月2日発表は「5」名。
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2022_0528記 白夜に舞うツル
北海道東部の道の駅での目覚めは早く、夏至近くでもあったので明るくなるのも早かった。 目が覚めると、大型トラックがエンジンを付けたまま仮眠をとっているのだろう、根室の夏は朝でも暖がほしい。
道の駅は海に出口を持つ風連湖に隣接して、遊歩道が湖に面した森中に延びていたので少し歩いてみた。白い小花が足元に現れる。その時 今日のスケッチのマイヅルソウに出会ったのでした。 前日、根室では森中にミズバショウの群生を見ていた。マイヅルソウは本州中央高地では梅雨の頃咲くので、北国の6月は春と夏が凝縮され野にあったようです。 今日のスケッチのマイヅルソウたちも多くがつぼみでした。この草はまさしく高山植物で、信州ではある程度の標高でないと見かけない草になります。 道東の海岸部での気候は、本州中央高地でのそれと同じなら、冬は厳しいものだろう。そんな原野に置き去られた廃屋が道脇に一軒あり。 その屋根に はるか南洋から渡ってくるというオオジシギが羽を休めていた。 そんな旅は十数年前、根室から知床にかけては茫漠たる雰囲気を感じながらも、一番心地よい季節を旅させてもらったのでしょう。
知床では生き物たちの気配が濃く、自然への緊張感がありました。もっとも小心者でありますので、本文の道の駅裏の散歩道でもヒグマの心配をし歩いてはいたのです。
この5月に、風連湖に注ぐ川の川原で釣人がヒグマに帰り路を塞がれ、ヘリで救出されたニュースがありました。今も捜索がつづく知床での海難事故は痛ましいです。
マイヅルソウの自生地は、ユーラシア北東部と北アメリカ北西部とあるので、シベリヤやアラスカでは。もしかしてマイヅルソウは白夜の下で咲く花となるのかもです。
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2022_0524記 5円玉はカエルの目のよう
浮世絵というとブロマイドのような美人画や北斎・広重の風景画を思い浮かべますが、それらは氷山の一角で様々なものがあるようです。 鳥山石燕(とりやま せきえん)という絵師は、江戸中期に妖怪をも描き残してくれています。彼の描いた妖怪や霊たちは現在の私たちが知っている妖怪の土台ともなっているようです。
「震々」と書かれブルブルという妖怪は「首筋がゾっとする」と感じる時、震々が人間の襟元に取りつくためとあり、現代でも存在を感じやすい感覚妖怪でした。
「日和防」なる妖怪は、晴を司る妖怪とあり「てるてる坊主を吊るして晴れを祈るのは、この妖怪の霊を祀るもの」と解説されていて、そうだったか!?
「百々目鬼」と書いてドドメキという妖怪は「盗癖のある女性の腕に、盗んだ銭貨の精が鳥の目となって無数に現れた…」、江戸時代の銭貨は現在の5円玉のように穴が空いている寛永通宝が一般だったので、当時の人々は銭のことを「鳥目」とよんだようです。この妖怪あたりが妖怪「百目」の下地になったようです。
寛永通宝は円形方孔の形体をとった江戸時代を代表する通貨で、二百数十年間鋳造され庶民向けの日常通貨だったようです。
「百々目鬼」は庶民の銭を度々盗み百目の体になったなら、大判小判にあたるものをかすめた者は何がしかの他の鬼になっているのかも知れない。
寛永通宝は、それまで流通していた中国の銭貨がそのような並びだったのか、表面に時計廻りに読めば「寛」「通」「永」「寶」と刻まれている。何も知識のない人がこれを読めと言われても「かんえいつうほう」とはけして読めないだろう。時々の約束事は様々のようです。 今日のスケッチは、百目にも見えたマツボックリです。
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2022_0520記 静かな川の流れを願い
千曲川が氾濫したのはコロナ騒動がはじまる前年の10月。 2年7ケ月ほど経過しています。護岸等の補修は多くのところでは修復されているが、個別には未修のままの所もあると聞きます。そんな箇所の近くの床上浸水したお宅では、今でも予報で雨が続くようだと心が落ち着かないようです。 石だらけだった川原は、年々緑が増えている。 早期にはびこったウスムラサキの外来種の草が今盛りをむかえている。その向こうにクレソンの白い小花。その横にセリが生えてきていました。3年ぶりに見る隣地千曲川原で見るセリ、旧友再会のような気分。 水とともに上流・護岸から土が運ばれ従来というか洪水前の植生に長い時間をかけて再生していくのではないか。その過程でウスムラサキの外来種はいつしか姿を消しているのではないか。そうやって植物たちの中でのやりとりで将来の千曲川原の生態系が作られていくことでしょう。数多の外来種が川にあっても配りもので注意喚起しても、そのあとは公も私人も関わらないのが普通の流れなのだから、植物を主とした生態系に頼ることになるのでしょう。 これは強弱はあれど他のことにもあてはまるのでは、注意喚起はするが、ある程度で時が流れていくのでは。そこでwithコロナのwithは、すでに世にあふれている事柄ではないかと思うところです。
ウイルスに生態系というものがあるのだろうか、本質的天敵はなんなんだろう。withは日常の川の流れのようなもの。洪水が起こらないよう願うことはけっこうありますね。
今日のスケッチは、セリが復活した千曲川原に、これも3年ぶりに見た水中のハグロトンボ系のヤゴ(左)と川エビです。今年の夏は黒い翅の細身のトンボをまた身近に見ることが出来るかもしれないです。シュレーゲルアオガエルの「コロコロコロコロ」という鳴き声も聞こえてきた初夏となっています。
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2022_0517記 5月のポケット
一昨日、タラノ芽をようやくゲットすることができました。 標高は1600m近くだった。低い所は皆取られていて春の山菜:タラノ芽を求める人は朝も早いのでしょう。
トレーニングとリハビリがてらの昼前後の自転車での林道登坂コースは、山菜が道脇に点在しているが、それが目的ではないので2-3食のオカズ程度に持ち帰えらせてもらっています。
今日のスケッチは、そんなふうに採ってきたワラビがポケットの底で干からびていた姿です。低山でタラノ芽盛りの5月上旬 早いワラビ・コゴミら地面から出る山菜も出ていたのでそれをポケットに仮置きしたものが干からびたようです。 ワラビのあく抜きは米のとぎ汁で私は煮たたせます。
あく抜きは、そうするものだと鵜呑みにやっている感じだったので、どんな毒性があるのか?今回は調べてみました。 牧場で牛がワラビを沢山短期間に食べると「骨髄の造血機能低下と全身粘膜の出血を特徴とする症状を起こし、発症後数日以内に高率で死亡する」 馬は「多発性神経炎が引き起こされ、起立不能やけいれんなどを起こす」とあり馬力を発揮できなくなるようです。ワラビ中毒はこれら馬牛での放牧時に心配されるようです。昔 馬飼いの人が「馬が食べる草は人も食べれる」ような事を話されていた。ワラビはそんな馬でさえ食べてしまうグレーゾーンであるがゆえ、人もあく抜きを工夫しなければ。
プレ梅雨のような空が今 上空にあります。本梅雨はいつになるのか、春山の山菜は少し早めだったように思う。梅雨が明けたらはしゃげる夏になるのだろうか。 ワラビを採った山にはシカがけっこういます。牛と同じように反芻し消化するシカもワラビを食べ中毒にあっているのでは?の疑問をもちました。でもシカはワラビが苦手としあまり食べないようです。シカの多い所ではワラビが増えるところが多いとまで書かれているものがありました。野生の知恵はどうやって受け継がれているのだろう。私たちには生の知恵がどれほど身についているのだろう。
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2022_0513記 パンジーの暗号文
玄関ポストそばに小さなトグロのような形状のものが伏せてありました。 薄暗くなったころ玄関の鍵を閉めのぞいたときそれに気づいたのであります。
よく見るとベイゴマサイズの花がふせてある。 玄関内、明るい所に移すと薄紫のパンジーのようであります。 パンジーの置いてあった近くに置き紙があったが暗号のように・・・「もへ」「20円」「パんじ」「かねね」「30」・・・解読できなかった。 でもなんとなく「パンジー置いてくから20円だよ」の内容なのだろう。
翌朝、ナゾの草花を描いた紙に「パンジーのおかえし」と添え貼りだしておいた。
そのナゾの花とは、パンジーからヒントを得たパンツの花。 これでパンジーとの物々交換は成立とみているのであります。
今日のスケッチは、その置いて行ってくれたパンジー(上)と山に盛りのタチツボスミレ(下)であります。 パンジーもスミレ科の仲間なので花の後ろにテングの鼻のような組織があります。タチツボスミレよりも短いですが、これがあったのでパンジーの花と見当をつけました。 このテングの鼻は「距」と云うらしくここに蜜がたまるそうです。蜜を吸おうとする昆虫が花びら深く来ると花粉が昆虫の体に付くのだそうです。この距という構造物は、スミレ類とは異なった形状で他の花たちも備えているともありました。イカリソウやオダマキの花から飛び出したようなツノのような部分やツリフネソウの丸みをおびた袋もそのようです。 人からみれば面白い形だねですが、野草たちにとっては世代をつなぐ工夫となっているようです。
コロナ空港検疫において陽性者の数はここ一週間平均で1日あたり101人、アメリカからの陽性者が最も多い日が続くようになっています。結果的にアメリカ経由で入ってきた変異株が過去複数あったわけですから注視します。また中国上海のロックダウン下のニュースを伝える中で「一ケ月半ぶりに3000人を下回った…」の中でその内容を「無症状者が2624人、症状がある人が234人と発表…」を数日前伝えていました。長野県の感染者数は450人前後で連休明け推移している。そして本日13日発表分では413人の陽性者で、無症状が13人、症状のある人:患者が400人となっている。 パンジーの暗号文のようにニュースは解きやすくないものがあります。
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2022_0509記 立夏のアラレ玉
木曽節にも いろいろな歌詞があり、ものによっては木曽五木が盛り込まれているものもあります。 五木はヒノキ・サワラ・ネズコ・アスナロ・コウヤマキの針葉樹たちです。 「木曽のなー 中乗りさん」は筏の中ほどにて筏を操作する人なので、それら五木を組んだ筏にも乗ったことでしょう。 この中で今でもメジャーなのはヒノキでありましょう。木曽節でも「木曽の名木 ナンチャラホーイ ヒノキにサワラ よいよいよい・・・」として一番最初にサワラと共に歌われ「ネズにアスヒに…コウヤマキ よいよいよい」と続きます。
ヒノキとサワラは似たような形状のようですが、材質は異なり、産地もヒノキは乾燥気味のところに対しサワラは湿ったところとなっています。
今日のスケッチはサワラの葉と球果です。球果は6mmのアラレ玉のようです。このサワラも湿り地にありました。湖の周回路に自生していました。
現在ではサワラといってもピンとこない人の方が多そうですが、古代からヒノキと同等に重宝した木材だったようです。貢物、年貢米のかわりに一定の規格で榑木(くれき)として納められたとあります。それらは原生の木々たちが切り出されたことでしょう。江戸時代にはこのような税としての切りだしが原生林を枯渇させていった所も多いようです。
以前、穂高の自然観察人に針葉樹の大木群を案内して頂きました。その方は大きな樹に“屋久島の縄文杉“のように個人的に名前をそれぞれ付けていて、それらを道なき森中
案内してくれました。その方の個性や意気が感じられ気持ちよかった思い出があります。
その大木群、うるおぼえなのですが原生のサワラたちではなかったかと思いかえします。
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2022_0506記 カゲロウのお願い
5月の洗濯は気持ちがいい。 水がぬるみ洗濯板手洗いの実感であります。 好天が続き、昼ごろ干したズボンでも夕方には乾いている。
干して置いた衣類を夕方取り込もうとするとカゲロウがとまっていました。
1cmにも満たない小さなカゲロウはスケッチのように翅が黒かったのです。
カゲロウの姿になっているが、これは成虫前の亜成虫と云うもののようで、あと一回この姿で脱皮し成虫になるようです。
「ほおっておいてよ」の願い事が、カゲロウからテレパシーとして私に届いたのかも知れない。干し物は取り込まずそのままにしておくことにした。下手に触ったり、刺激をあたえると彼(女)の脱皮にトラブルを生じさせ、一生をだいなしにしかねない。
時が過ぎ、黒い翅のカゲロウはいなくなった。最後の脱皮に成功し透明な翅をまとい仲間たちが作る空へと舞い上がれたのだろうか。 そしてメスなら、水面に飛び入り、卵を産み落とせたのだろうか。 一期一会といっていい、私とカゲロウとの出会いでありました。
「一期一会」は戦国時代の茶道:千利休に発端をもつ心構えとされています。
一期は一生。一生に一度と解釈すると、「一生のお願い」というのは、一期一願となる。しかしこの一生のお願いは、えてして二願になったり三願になったりするものです。四文字熟語と口語との硬軟の差だろうか、またはそう思えてしまえるのは国内的には戦から遠い時代を過ごせてきたからなのか。 でも一期一会の真剣な心構えで「その事は、今は語らず未来に解決しましょう」と先送りする領土を主とする外交は多い事でしょう。それは一期一会を二度…数度繰り返すことを「良」としている、または出来るとしたことでしょう。だから一生のお願いも真剣なものなら二度三度お願いが許される?
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2022_0503記 鳥の衣食住
ヒガラと云う鳥は木の高い所にいて、さえずりも天辺で行うといいます。しかしヒガラの体格は小さくその確認に恵まれることが少ないように思います。 ヒガラの衣装は同族のシジュウカラ・コガラに似、白黒の頭部にグレーがかった背を持っています。
そのヒガラが林道に下りてきていました。3mぐらいのところに私がいても逃げなかった。今日のスケッチはそのヒガラの姿です。 3mの距離から見ていると道路上におちている蛾の繭のように見えるものをしきりに突いていました。そして飛び去った。 繭のようなものに近づくと、それは獣の糞が風化したものでした。
キツネかタヌキの糞、消化しきれなかった小動物の毛とともに植物の実が絡まっていました。 「そうかヒガラは、キツネのした糞の中から植物の実をたべていたんだ!」
家に帰り調べ直す。 するとヒガラは冬は群れているが5月から7月が繁殖期で、この頃になると樹洞に巣をつくるとなっていました。その巣の材料に獣の毛や羽毛を用いるとなっていました。それで 「あの時突いていたのは、実ではなく、毛の方だったかもしれないぞ?」 「でも毛が目的であるならくわえ、そのまま持ち運べた重さではなかったか?」
実際はどうだったのでしょう、身近な環境には解け切れないナゾナゾが大変多いですね。鳥の口は食べるだけでなく物を運ぶ手の役目をしているのはたしかのようです。 連休にはいりコロナ情報が静かです。 日本各地の陽性者数の増減には左右されず、空港検疫での陽性者数は減りませんしGWに入り増加しています。4月中旬から東南および東アジアから入国する方々の陽性者は少しづつ減少傾向の中、アメリカからのそれが増えています。ベトナムからが今でも最も多い(32%)のですが、アメリカがついで陽性者の21%をしめるようになってきています、多くの国との関係がある国なので注視しています。
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2022_0430記 花は人を、葉は蝶の子を魅了する
カタクリの花が終わる頃、ヤマエンゴサクと云う花が咲き始めるのをカタクリのお寺としても有名な立科津金寺で毎年のように見せて頂いています。
津金寺に咲く野草のいくつかは、上流部にあたる筑摩山地山間に見つけることが出来ます。 ヤマエンゴサクの花は涼しげな青い色でメダカのような形をした花であります。そのヤマエンゴサクの花を今回 山間の林道わきにはじめて見つけました。それらしき草を写真に撮り、帰りしらべると葉の形を決めてにヤマエンゴサクと知れたのでした。今まで青い花のほうにばかり目がいってしまっていて葉の印象はうすかったのは、津金寺では群生しているせいもあり葉のシルエットをみにくかったこともあったのでしょう。
山間にあったものは枯葉のなか単体であり、その葉の形は今日のスケッチの左側のものです。こうやって津金寺という定点で見ていたものを他の場所で見ることは効果的な復習をしているようでヤマエンゴサクがより自分のものになったような気がするものです。
その花をつけたヤマエンゴサクの近くの枯葉の上にスケッチ右の黒いイモムシがいました。点線のように白い線とオレンジ色の点が背に二列に模様がありました。これはウスバシロチョウの幼虫のようです。 ウスバシロチョウの幼虫はケシ科のムラサキケンマ・ヤマエンゴサクらを食草にするとあります。そして枯葉に包まれるようにその中で繭になりサナギになり、約一ケ月後透明な翅をもったウスバシロチョウ成虫となるようです。スケッチの幼虫がこれから繭になろうとしていたのか、単に日光浴:休んでいたのかは?です。
津金寺でもゴールデンウィークに一度ウスバシロチョウ成虫を見たことがありました。その時はたまたま舞い込んできた個体と思っていました。でも本文のようなヤマエンゴサクとウスバシロチョウの関係を知ると津金寺にはかなりのウスバシロチョウが飛ぶひと時が毎年あるのではないでしょうか。一度見たゴールデンウィークは春が早い年で 蝶の姿に遭遇できたのかもしれない。 今年のゴールデンウィークがはじまっている。
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2022_0428記 ツメ草の春マスク
クマの行動範囲は40平方キロメートルとされているものが多く、これは20km×20km、東京山手線の内側の面積が約60平方キロメートルなのでかなり広い。冬期も活動するシカなどはもっと移動距離があるのではないでしょうか。 地に足をつけなくても移動できる鳥たちにおいてはどれくらいなのでしょう。
おおくの冬にリンゴ・バナナ・キューイなど果物の切りカスを刻み盛った皿を軒近くに置き冬の野鳥たちに食べてもらいます。春になると他に食べれるものが増え始めると来なくなる。そのタイミングでエサやりをやめるのですが、今年はまだヒヨドリがきているようです。翌朝には一片の食べ残しもないきれいな皿にまだなっています。 いつもより鳥が長く居ついているせいだと思うのですが、その近くにアシナガバチの巣が掛からないようです。いつも夏の終わりには2~3コ巣がかかっているので、この先どうなっていくか、ヒヨドリは留鳥としていつまでいるのか、ハチのよりつかないことは、虫たちにどんな影響をあたえるのか。 でも軒の上の二階の窓に立てかけてあるスダレをアシナガバチがしきりにかじりとっている。どこかに巣をかけはじめているようです。
自粛のないであろうヒヨドリやアシナガバチは、人の暮らしをどのようにみているのだろうか。人間たちのマスク顔にはもう慣れたのでしょうか。
今日のスケッチは、シロツメ草が葉を広げた上に、東信濃では桜の花びらが着地するようになっています。 桜だけでなくクワやエノキなど木々の芽吹きもはじまっています。 でも寒さが戻る日もあるので、灯油を買ってきました。でも5リッター。冬のシッポの上にありながら それぐらいあればしのげそうな今日このごろです。
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2022_0424記 緑増す頃
半月もっと前かな、スケッチ上のような細長い双葉の草が裏庭に芽生えてきました。
その双葉の片方の大きさは巾1mm長さ5mm。それが あるところではぎゅうぎゅう詰めにたち上がり、その姿は容器に詰められた極短なカイワレ大根のよう。 これだけ立ち上がると上からは地面が見えない。
となると、他の草の種は発芽しにくいことでしょう。春早く発芽し太陽の光をひとり占めするは、この草の戦略ではないのか。昨年はそのあたりにヨモギが数株あったが1株しかまだ芽生えてきていないのです。 しかし、モグラが直下を通過の時 土を持ち上げところどころに隙間をつくり土が見えるようになる。陽が差した地面から他の種が発芽するか、また同じ種がいち早く発芽するか、雑草たちの今年の陣地取りがはじまっています。
この双葉は、やがて四葉となり、今 六葉となっています(スケッチ下)。ここまで育ちスケッチの草たちはシロザだと見当がつきました。昨年この場所に1株生えていた種たちが発芽したものと思います。 人家のまわりは、人が選別して雑草を抜くので人に役に立つものは雑草であっても成長できることでしょう。シロザは食材となるし、ヨモギもケガをしたときの止血に使えるので毎年数本は刈らずに生やしておく草たちになります。 裏庭に野菜は一株もないが、食べられる雑草たちが多種あります。
シロザの種の数は大変多いようです。
ミツバ、オオバノギボウシ、ノビル、タンポポの若葉、そして判別がついたシロザの芽吹きなど天ぷら・味噌汁の具に本年もすでに頂いています。
抜いたり、葉をむしられたり、草たちからすると私はひどい事をするやつになる。私にとっての平穏は、かれらにとっては非平穏になる。生きることは切ない物語を秘め、連続する。せめて少量の幸で頂くことを心掛ける。
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2022_0421記 旅に鳴物の所持品
雪が一度消え、もどり雪が降った。 その林道では、そのもどり雪も日なたは解けていた3月下旬。日影に残った雪上に今まで見たことのない足あとが谷へと続いていました。
山につく足あとの多くはキツネかシカ(・カモシカ含)。それらの足あとに出くわすのは当たり前に近い確率です。ついでタヌキ、ウサギ、テンなどのイタチ類、たまにニホンリス。 その時見た足あとはそのどれにも当てはまらなかったのです。饅頭のようなやや面長の丸い足あとは私の靴底の約三分の二だったから、20㎝弱だった。 爪を引きずったような模様もあった。 「雪男の足あと」なら大発見。 「しなの原人の足あと」でも大発見。 足あとは謎のまま雪どけを終え、その林道にも芽吹きの春がやってきています。
可能性としてクマの足あとを上げてもらっています。人間での靴サイズ20cmは5~6歳であり、遭遇した足あとの主は知らぬが仏で子ぐマだろうと思っていました。今調べたらクマの足あと20cm弱なら立派な成獣となっています。ドキィ。
2年前から、雪残るその林道に浅く入っていますが本文のような動物たちの足あとにしか合わず「この一帯にはクマやサルはいない」と思い込んでいたところがあった。
夏に渓流釣りの人が2つ鈴をつけて歩いているのを見て「用心深すぎるのでは」と思っていたぐらい。私自身クマ知識が不足し、単独であったこともあり、残雪道での足あと遭遇は(小熊と思いちがいしながらも)緊張しました。
それで今日のスケッチの鈴を求め買いました。ホームセンターに行けば置いてあるだろうと行ってみると選べるぐらい沢山:10種類近くもあり、クマ除けの鈴は思っていた以上に山国では需要があるのでしょう。
昔の旅人は、歩いて巡ったので音の鳴る物は旅の必需品だったかもです。金剛杖の上部につく金属リングの束がシャクシャク鳴る部分を錫杖というらしい。実用的には獣や毒蛇除け、人への合図など。あの音で煩悩を除去する知恵を得るともあるので、クマ除けの鈴をつけ野山に入る時 煩悩をその鈴の音で拭い去ってもらえるかも、実際求めた鐘型の鈴は仏事にも聞いた事がありそうな甲高い良い音がしています。
コロナでの濃厚接触者の検査体制が3月下旬から狭められています、ですから今現在4月下旬の感染者数と3月までの感染者数とでは単純には比較できません。長野県内長野市では4月13日から「感染者全員に行っていた行動に関する聞き取りを、医療機関や高齢者施設、集団感染が起きた施設などの関係者に限る」の国の指針をはじめると12日のニュースでありました。人の動きを損なわないようにする経済対策をかねているのでしょうけど、内容が変化していることを知ったうえで5月にむかいたいです。
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2022_0417記 君は自由な空から下りてきた
人の感覚というものはわずかな物でも感じとることがあります。 その日は野外の日影に座っていた時、首のうしろに何かちがう感覚を感じ、その辺りを手のひらで払いのけた時 落ちてきたのが今日のスケッチの昆虫でありました。
調べてみると以前に一回かるく調べたことがあったオオトビサシガメと云う日本最大のカメムシのようでした。このサシガメは他の昆虫に普段は折りたたんでいる鋭い針のような口を差し入れ体液を吸うことでエネルギーを得ているとのこと。 人がこれに刺されると体液をやはりすわれるのだろうか?強い痛みを感じるのだとか、アシナガバチに刺されたような痛みとあるので侮れない。
人への突き刺しは稀なことのようですが、このサシガメは成虫でも幼体でも同じようなことがおこるそうです。幸い私の払いのけた手は、今回は何もなかった。
手を刺されると数日間手を自由に動かせないとありました。自由を束縛するものは普段気づかなくも目の前を行き来しているのかもしれません。そして私たちの不勉強が不自由な時間を招き入れてしまうこともありそうです。 自由を得ようとした人の知恵はいろいろある事でしょうが、憲法もその一つであることでしょう。人間らしく生活するための人権のため、沢山の自由が憲法の中に書きこまれているようです。思想・良心の自由。信教の自由。集会・結社・表現の自由。学問の自由。経済活動の自由。身体の自由。 それらの自由が今現在の日本国憲法の中で認められていることと思われ、それらの自由を束縛しない形で法律がつくられ、憲法に反する法律は司法がはね返してくれているものと思われます。 あいにくサシガメやアシナガバチに刺されたときにこうむる不自由は、憲法の外になるので個々が注意しなければなりません。信州でもハチが軒まわりを飛び回る季節となってきました。
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2022_0413記 かわらない空に会いたくて
赤トンボの唄を歌った空は なんにも変わっていないけれど は「あの素晴らしい愛をもう一度」の二番冒頭の歌詞であります。
私は赤トンボの空を見たことがあったのだろうかと考えると、実際にはそんなに沢山の赤トンボが飛んでいる姿は見ていないようにふりかえるのです。畑や水路はあったが田はなかった環境もあり、トンボでまず思い浮かべるのはシオカラトンボとムギワラトンボ。 でも赤トンボが秋空を埋めるように飛ぶ姿を一世代前の方々が色々な表現で伝えていたので、それらに触れ素晴らしい一場面と思い込んでいたところもある。「あの素晴らしい愛をもう一度」もそうであったが滝平次郎さんの「きりえ」による赤トンボの空が印象深いです。
稲作や産業のあり方が変化し、 赤トンボの唄を歌った空は なにも変わっていないけれど は現在では想像して聞く歌詞となったように思います。
それで愛にかぎらず旅の途上で「もう一度」「もう一度」と なにも変わっていない空や空気が恋しいのかもしれない。
今日のスケッチは、山間の沢沿いの道の低い空を群れをつくり飛んでいたカゲロウです(クロタニガワカゲロウかも)。
大ぶりなカゲロウでガガンボでも乱舞しているのかと見上げました。しかし見上げたシルエットはスケッチ右上のように尾の先が二またに開いていました。俊敏とはいいがたい飛行スタイルで沢山の数が私のまわりにとぶようになり、素手の手のひらで捕獲を試みてみました。手のひらを軽く開くと幸運にも一匹ゲットできていました。そのカゲロウは私の親指の背に移動し
しばらくスケッチのような姿で動かなかった(写真が撮れた)。
カゲロウの空は、雪が解けまもなく、早春 真昼の出来事でありました。今も人知れず変わっていない空に出会えた気がした。
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2022_0409記 森の高さは約30m
中央本線(東線)はトンネルの数を「正」の字を重ね甲府盆地へと向かっていく線路であります。その中でひときは長い笹子トンネル。 そこは江戸時代では甲州街道の難所:笹子峠の山体があるのでした。 私はその峠を高校の夏に、友人二人と徒歩で越えたことがありました。雨の多い天候は不運だったが、晴れていれば盛夏の頃なので汗だくにまいっていたかも知れない。
峠への途中、大きな杉の木「矢立杉」が道から近い所、山中にありました。徒歩に徹した旅ではそんなに大回りはしたくないので道に近い名所旧跡はありがたい。戦国の言い伝えだろうか、この大杉に矢を射立て、武運を祈ったとされる矢立杉は、中は空洞になっているとはいえ幹囲約9mと調べればなっているのでかなり太い。私が今住む環境近くのお寺(津金寺)にも大杉があるが幹囲が約6m、800年ぐらいの杉とされています。
ここで笹子の矢立杉と津金寺の大杉を比較の中で面白かったのは、胴回りや年数は違うだろうが高さがほぼ同じだったこと、環境が似通っているのか25-30mの樹高となっていました。杉にもだいたいの高さがありそうです(しかし高いものは50mをこえるともあります)。
今日のスケッチは、葛飾北斎富嶽三十六景の中に「甲州三嶌越」のラフスケッチです。
解説書では、この場所は山梨県東南部、御殿場経由で三島へと抜ける籠坂峠であろうとなっています。そして北斎はこの場所には人が何人もで囲うような大杉はなかったが、笹子の矢立杉を絵の中でコラボさせたのではないかと推測されていました。それほど甲州まわりで大きく著名な杉は笹子の矢立杉と当時認識があったのかもです。籠坂峠と笹子峠は直線距離で25㎞笹子が北方になります。絵は写真ではないので、様々なモチーフのコラボレーションが魅力といってもよいでしょう。今まで記念切手のデザインに見る程度だった甲州三嶌越にて、自分の思い出につながる旅がひと時出来たようです。
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2022_0406記 ブルーで山を描く
富嶽三十六景は葛飾北斎を後の世まで知らせることとなっています。 このシリーズの制作がはじまったのは北斎70才の1830年とされています。 私たちは当たり前に出来上がった三十六景を見ているのですが、この1800年代初期に「プルシアン・ブルー」という青が多用されるようになっています。高価だったこの色が庶民向け浮世絵版画にも使えるようになったのです。 北斎の富嶽三十六景はこのプルシアン・ブルー(日本ではベロ藍と呼ばれていた)を機敏に用い、北斎の才能と新しい藍色を伝えたようです。このベロ藍は鮮やかな透明感があり「ぼかし」を表現できたとありました。
三十六景とはいっても、全部で46枚。制作は1830-34年とありますので、一ケ月に一枚の月刊紙のような発行枚数です。
今日のスケッチは、その富嶽三十六景の中の一枚「甲州 伊沢暁」のラフスケッチです。
甲州はすぐ山梨県と思い浮かびます。伊沢暁とは・・・暁は「あかつき」であり時空を告げています。そして残る伊沢が地名なのです、どこかというと現在「石和」と呼ばれているところです。
それにしても暁の頃から道に沢山の旅人が動き始めています。私はよく野宿旅をしましたが、野宿だと空が薄らげば行動を始めていました。江戸時代の宿をとっただろう旅人たちも、私の野宿感覚で歩を進めたようです。宿の営業もセブンイレブンではないが、夏は現在の時刻で4時ぐらいから対応していたのかもしれませんね。 伊沢宿は、富士山へ向かう街道もありにぎわいがあったようです。
私の父は、この伊沢こと石和から遠くない場所が故郷でした。私たちはよく父の実家に春に夏に冬に遊びによせてもらいました。当時は「石和駅」が駅名だったが今は「石和温泉駅」となっているところ。 父は、山梨の実家やその父を大切にしていたと察します。その一例は正月の初詣は靖国神社に行くことが多かった。これは父の父の手記を父のご兄弟によりまとめられた内容に書かれていたものに、靖国神社に奉納したものがあるらしきを読んだことがあり「父は(私からみて)おじいさんの歴史」にふれてみることをしていたのではと今は思っているのです。
朝ごはんには生卵をかけよく食べていた記憶。あれも何か父の生家での思い出に通じているのではないか・・・ともあれ、そんな石和が図書館から借りた本:富嶽三十六景の中にあったことをはじめて知り今日のblogとしてみました。
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2022_0402記 冬期の模様がえ
林道の伐採は道が冬期閉鎖されていた間に行われたようでした。
晩秋では植林ではありながらうっそうとしていたカラマツを主体にした林は早春に訪れると距離で1km程度 谷側を主にすっかり開けた道中になっていました。夏は直射の道になることでしょう。 道脇には丸太が積み上げられ、カラマツが多いのですが、ヒノキの丸太山の横を通るとヒノキ特有の匂いがしていました。今まで林に隠れていた谷川が道から時下に見下ろせ、景色も一変しました。
今日のスケッチはその切株のひとつでした。
カラマツの切株と思うのですが、年輪の数をおおざっぱに数えてみると約60本。約60のうち周辺の白い部分(白太)の年輪数は15~20本でありました。昭和30年代植林されたものだったかもしれない。 スケッチでは左側が谷側になるのですが、どの切株も山側と谷側から鋸が入っていて、谷側がより低い位置に鋸目が入っていました。年輪のかたよりで方角:南がわかると思いきや、年輪の広い方は明らかに東側に寄り東南をむいていました。
これは思い込み違いであったようで、斜面で踏ん張ろうとする木も力の重点を下方に置くとのこと。斜面だけでなくその根ざした環境によって頑張って立っている反映が年輪のかたよりになるのだとか。山で迷っても切株で方位はあてになりそうもないです。
木と人の違いはあれど、私の年輪もかたよっているはず。
コロナの空港検疫発表、日々の感染者数が連日3桁を伝え本年1月同等ですが、変異種の情報も数日置きに発表されています。オミクロンが主流になってからは、BA.1,BA.1.1,BA.2などとオミクロンの中でも変異を知らせています。一番近い発表データ3月中旬までのものでは発表された変異種全体の85%がすでにBA2となっています、残りがBA1。
年末年始の米欧からの入国陽性者は明確にBA1でありました。しかし年明け1月以降、南および東南アジアからの入国陽性者はBA2主流でありBA2はアジアに適合しているとも感じられる。現在ベトナムからの陽性者が群を抜いて多いです、年末のアメリカの時もそうですが、その時々で最も流行している地域からは、その地域で流行が静まったとき時期を遅らせて「お待ちいただきすいませんでした、貴方たちはこの国に必要な方々です」と受け入れ入国をしてもらう、そんなやり方はないのでしょうか。
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2022_0329記 詰草のパラソル
春の歩みは、ゆっくりときているようです。 裏庭のクルマユリの芽がようやく出てきました。いつもなら春分あたりの出来事なので一週間ぐらいおそい感じです。 とはいっても、ツバメはその春分のころ空に鳴声をきいている。 春は信州の山里にも近づいてくれているようです。
シロツメグサの芽もでてきました(スケッチ)。葉傘を今開こうとしています。 シロツメグサの高さに目をもっていくと、その葉裏にぶら下がっている昆虫を発見。カゲロウが翅を休めていた(コカゲロウの仲間と思う)。カゲロウの成虫は短命とあり、種によってと思われますが数時間とされるものも見ます。 シロツメグサの葉陰に見たカゲロウは尾の髭が通常2ないし3と思われるものが一本になっていた。幼虫末期に失ったことも考えられるかもですが、その体の変異に、いくぶんの時の積み重ねを感じさせてくれました。
太陽のエネルギーは絶大であります。日が当たるところと当たらないところでは別天地となります。 ツバメたちが来ていることは、食べ物があると判断したからでしょう。 カゲロウたちが成虫になり卵を産むことは、その子たちが食べる藻類が水辺に豊富になってきたからでしょう。 春休みの少年少女と千曲川に下りますと、河川敷の水たまりを歩けば水中の石ころに藻がすでに発生していて、油断して歩けば靴を滑らせるようでした。 「冬の川とちがうから、気をつけてあるくのさ」声をかけ春の水遊び。 いちばん幼少の子がプールのように水たまりを駆けまわるものですから、上着までびしょ濡れ。水溜まりの水温は15℃だった。流れのある本流は11℃この水温だとあきらかに冷たい。夕方の影が河原にも伸びてくるだろうから びしょ濡れになった少年に、「寒くない?」と尋ねれば「へいき!」と答えていましたが、いっしょに来ていたその子の兄ちゃんが気を配り早上がりしていきました。春休みも残り半分ぐらい。
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2022_0325記 河鹿城
まだカエルの季節ではないのが普通でありますが、昨年の今頃 山の水たまりにカエルの卵を何か所かで見つけました。 その時 雪どけがすんで間もないころ産卵するヤマアカガエルのことを身近に感じたのです。日本のカエルは大きく分け黄緑色と土色の2グループに分けれると思いますが、ヤマアカガエルは土色タイプ、名にアカと付くので少し赤っぽいのかもです。 土色の体色は砂地や石などの水辺環境では保護色になり具合がよいことでしょう。そんな土っぽい体色をもったカエルにカジカガエルと云う清流にすむとされるカエルがいます。 松本市街中:繩手通りはカエルを祀り大切にされている一地域なのですが、その繩手通りは女鳥羽川と云う信濃川水系の川筋に沿うおおよそ250mほどの通りであります。その祀られたカエルはカジカガエルが女鳥羽川にすんでいた昔を思ったとも説明されています。その女鳥羽川にここ数年カジカガエルの鳴き声が戻ってきているようです。そのことを覚えておき、カジカガエルが鳴く初夏に松本を訪ねたい。 松本城の城下町として発展した松本市。繩手通りの一帯は、その城下、外堀の外側にあたりました。そのまたすぐ外側には女鳥羽川が外堀と平行するようにはしっていて「縄のように細い土手道」であったようです。古地図では他にそのような地形は松本城界隈にはなく、明治以降に外堀は埋められ神社も含め市街地化しました。そして現在のような女鳥羽川に沿う北岸の道となっています。江戸時代、松本城天守にもカジカガエルの鳴き声が届いたのだろうか。
今日のスケッチは、松本あがたの森公園にてニシキギの枝先です。 長野県のHPで、興味深いコロナ関連情報がありました。 コロナの無料検査を実施しているという情報です。 これは年はじめの1月に起動したはずでしたが、オミクロン株感染者多発により検査キットが不足し途絶えていたものが再開されたようです。 県の感染対策課に電話を入れお聞きすると、国の方針を県が実施しているらしき内容だったので全国で同じと思われます。
実施される場所が保健所とか限られた所でなく、近在の事業所、薬局であったりクリニックだったりするので受けやすく感じます。私が車で行けそうな実施事業所たちを佐久市と小諸市とすれば30か所に近い数がありました。その事業所によって検査方法が「PCR検査」「抗体検査」の違いがあります。所在地・電話番号など県HPからリンクで実施事業所が閲覧できます。 イベントや帰省など行き来のとき検査が無料でできそうです。事業所により一日の検査回数の上限があるらしき電話での説明があったので、PCR抗体検査実施事業所に連絡確認してから行ったほうがよいようです。
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2022_0321記 春辺に咲く花たち
アヤメの仲間と云うとわりと水辺のイメージが私などはありました。 しかし、山道の脇にも咲いていたりする。
アヤメの仲間も色々で水を好むもの、そうでないもの色々あるようです。千曲川原でも洪水前はよく見かけたキショウブは水辺に咲くアヤメの仲間、この場合の水辺は水に近い所、根が水の高さに到達しているぐらいなのだろうと思っています。アヤメの仲間で水の中から育つものにはカキツバタがあります。 みんな花期は初夏から夏にかけて、信州では桜もまだ蕾の春分にアヤメの話をしたのは、クロッカスが咲き始めたからです。
このクロッカス、アヤメの仲間とのこと。小学校時分はヒヤシンスと共に水耕栽培でおなじみの草花。信州ではよく春先の庭に黄色や紫に咲いている姿を見かけます。別に水辺に近い分けでもなく。
水仕事は楽になってきていますが、まだまだ、行ったり来たりの陽気にあります。 雪もちらつく日もあり、関東平野では今降る雪はなごり雪の言葉も当てはまるのかもしれません。しかし信州では戻り雪の感覚です。この先の週間天気予報でも雨と雪のマークがあるようです。 私たち人間たちも暖かい日は手を太陽にかざしてみたり、寒い日は手をかじかませたりしているようです。今日のスケッチはフクジュソウなのですが、この日は時折ミゾレが落ちる日だったので花びらを閉じていた知人宅のものでした。 少しオレンジがかったクロッカスの花も、スケッチのフクジュソウの株から数十cmのところに傘をたたむようにしていました。
3月7日にまん延防止等重点措置が解除された長野県ですが、ここにきてコロナ感染者数が増加に転じている1週間です。サイトによってまちまちなので何ともですが、感染者が増えているのに検査数が減少しているグラフも見れるものがありました(陽性率が過去最高水準の%)。空港検疫においては再び三桁の数の陽性者の日が出てきています。
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2022_0317記 春の丸み
寒さ暑さも彼岸までの言葉のように 昨日16日に信州でも20℃に届く気温の上昇があったようです。
今日17日は今年の春彼岸の入りとのことです。
先日千曲川原にてフワフワの綿毛をつけているネコヤナギを3年ぶりに見かけました。台風による洪水の時、表土はすっかり流されていたのです。月に1-2度、子どもたちが川にいこうと遊びにきたときぐらいした川原に下りる機会は限られているのですが、洪水後昨年までは穂をつけているネコヤナギを見なかったのでした。旧友再会のようで、何となくうれしかった。いっしょに行った私を千曲川原に引っ張り出した子どもたちに「よろこぶかもしれないから家の人に枝を一本もらっていったら?」と言うと「毛虫みたい」と取り合わなかったです。
見た目は石ころがまだ目立つ川原なのですが、足元から旅鳥のシギもとびたち、鳥の種類を見かけました。少しづつですが再生の春を感じられる千曲川でありました。
いろいろな事柄をかかえながらも、今年の春がふくらみかけています。 今日のスケッチは、こちらは山 林縁に見かけたダンコウバイのつぼみです。 ダンコウバイの春はまん丸なつぼみがふくらみ、冬をほどいていくように開いていきます。今年もその時期にさしかかったようです。 春先のつぼみたちが開く様子は、私たち人間たちの心をひと時おだやかにしてくれるように思います。 昨夜は信州佐久でも長い揺れがありました。
天井に掛けた洗濯ハンガーが揺れているのを、寝床から見上げながら揺れがおさまるのをまちました。大きな出来事が、これ以上おこらないことを祈ります。
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2022_0313記 雪どけの落葉の地面に
信州でも朝でもプラス気温の日が現れ始めています。 春は名のみの信州の春ですが、山際の道を蝶が飛び始めていました。
今日のスケッチは、その小型の蝶:テングチョウです。 テングチョウはスケッチのような翅を閉じた姿ですと落葉と一体化する色彩を持っているので動かないと見失ってしまいます。スケッチではテングチョウだけを描いていますので見やすいですが、この時も落葉の上に着地していました。 雪が解け、落葉面が現れた、そこに現れる春先の使者とも言えるかも知れません。以前、春先に一番最初に見る蝶はこの蝶と教えてもらった事があります。
長野県のまん延防止は閉じられましたが、図書館は平常時に戻らず幾つかの規制が掛かった状況が更新されていました。
大人向けの本は、厚くむずかしいので児童生徒向けの本で触れてみようというものが時にあり、今回はそんな憲法をあつかった本も借りてきました。憲法が日本にもあることは知っていてもなかなか内容にふれることはありませんでしたので。 よく憲法9条とか「第何条」で耳にすることが多いのですが、その全103条の事柄は11の章に分けられていました。章別でもっとも条数があるのは「国民の権利及び義務」の章でした(この章だけで30条ある)。次に「国会」→「内閣」の順でした。 この本では憲法の前文と憲法第9条を焦点に憲法周辺のことを子どもたちにわかりやすく井上ひさしさんの文といわさきちひろさんの絵で構成されていました。
第9条はニュースでもっとも話題になってくる「戦争の放棄」に関する内容のところです。この条は第1章「天皇」(1条~8条)についで第2章に配置され、2章は第9条の一条のみでなりたっています。このように一条で構成された章は他に第9章「改正」があります。
たまに 気が向いたら憲法のことにもふれておいてみよう。
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2022_0310記 冬芽に春陽さす
まだ残り雪があるなら無理はしない。 昨年同時期には峰近くまで林道の雪はなかったので、今年は雪が多かったまたは普通に降ったのでしょう、山道は麓よりわずかのところまでしか入れませんでした。
今日のスケッチは、その道脇にあった枝先でした。
そのあたりにはクサキが青い実を秋つけていたので、それの冬姿かな?と思いきや、見返せば紫の実をつけるムラサキシキブの冬姿のようです。まだ根元は雪の中でしたが、信州の低山でも10℃ぐらいには温まる日も出てきています。
ムラサキシキブ名は、江戸時代の植木屋がそう呼び始めたと見れるページがあります。気の利いた商品名または仕事言葉が定着してしまったのか、ほかにも幾つか由来に関わるものがあるようですが、紫の実に着眼したものがほとんどのようです。
里の雪はほとんど解け、寄せ集められた道路の雪たちも離島の島影のように離れ々々あるようになってきています。 とはいっても地面はまだ泥化しています。泥化していることは、地下の凍った土がまだ解けきっていないのでしょう。そんな地に踏み入り移動すれば、月面の足あとのように、長靴跡が地(球)面にスタンプされていきます。 水際対策が緩和されています。検疫における陽性者の数は高いレベル(50-70)で横ばい状態が1ケ月ほど続いています。近い政府の発表では入国申請があり受けた数に応じ受け入れる感じのニュアンスだったので、注視したいです。
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2022_0306記 黒い土と黄色い砂
2月の最終週から、天気が良い日がつづきながらも雨だれの音がしきり、うるさいぐらいの日もありました。
屋根に残っていた雪が解け下る音です。
この一帯は瓦屋根の家が多く峰をつくっているのです。峰南側の屋根雪は早々に解けなくなるのですが、冬の太陽は低い角度から光を当てるので、北側の屋根には陽が当たりにくく遅くまで雪が残るのです。
そんな灯油の減りがゆっくりになってきた頃、ウクライナ事情?ガソリンが182円となっていました。
雨だれの音を聞きながら、裏庭を掘ることにしました。 石油や天然ガスを掘り当てるのだ!?
5cmほど掘るとシャベルがささらない、地表は黒い泥状になっているがまだ凍っているのです。
陽気も続いたのでさほど厚くは凍ってはいないはず、鏨とハンマーで打ち砕くことにしました。
今日のスケッチはその使った道具たちです。
その後15cmまで凍っていました。その下に土の感触が。
なお掘り行くと大きな石が穴の3分の2ぐらいをふさいでいるではありませんか。 掘れる土部を25cmぐらいまで掘りました。が、なかなか手ごわい。
石油や天然ガスのあわい計画をご和算に、冬の間処理できなかった食材の滓を埋めるという本来の目的に修正変更。
最近はお米を8㎏なりで買うとその袋にはチャック式のプラ製袋が使われています。その空き袋に冬の間、食材の滓を入れておいたのです。そんな袋2つ分、埋めることが出来ました。春は近づいているようです。
冬は水瓶代わりに使っている樽の水も室内であるにしても凍るので、残材も腐ることは心配しなくていいのです。
また、チャックで閉じられる袋は穴があいてなければ臭いも漏らさないのでよいのです。車で長期移動の時に会得した具合の良いゴミ保管具であります。 昨日は黄砂が長野県上空を通過したようです。午前11時ぐらいだったか車で外出の時15㎞ぐらいの浅間連峰の山々が見えませんでした。最初、温かかったので春霞と見ていたのです。行き会った人たちが黄砂と話されていました。
黄砂は、関心がうすいと梅雨前線がやってくる方から来るのだと思いついてしまいます。しかし昨日の黄砂は気象庁ページで閲覧すると大陸内部から満州やウラジオストックの方に延びた黄砂の一帯が長い尾を北から南にふり抜くように日本海そして日本列島を南下したようです。
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2022_0303記 てふてふの空
ここ3~4日で日中温かく道脇にかき集められていた雪がだいぶ解けました。月もかわり3月になった。
「春」と云うタイトルの詩は多かろう。次の短い詩も春のタイトルが付いています。
てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った
海峡をわたる一匹の蝶の構図は若き志も感じられる。 五七五にはなっていないが俳句に似た受け止め方もでき、日本語ならではのリズムもありそうです。 韃靼海峡とはどこにあるのかと云えば、現ロシアの海峡になり、この詩が発表されたころの昭和初期には日本統治の樺太と大陸側ロシアの国境となっていた間宮海峡あたりらしいです。
韃靼海峡の地名は詩の作者安西冬衛がそうしたとされてもいます。おおきくとらえ日本と大陸を隔てる海域、すなわち日本海ではなかったか?自分ははじめてこの詩にふれたとき漠然と、その時あった少年の知識の中で日本海を越えていくモンシロチョウのイメージを持って、この詩を感じていたようです。
作者冬衛は作詩時中国:大連にあったようです。ですからイメージは大陸側から蝶は樺太側へと渡って行ったのでしょう。今日のスケッチは、昨年山で花に止まっていたスジグロシロチョウを元に創作しました。
韃靼とは元:モンゴル帝国後に北に逃れた末裔を当時の中国:明ではそう呼んでいた地域名または部族名でもあるようです。満州と呼ばれた地の北側あたりか。韃靼と日本はうまくやれていたのだろうか、家康など徳川幕府は、秀吉の朝鮮出兵後の中国:明に琉球経由で気を配っていたようです。また蝦夷地のアイヌが北で隣り合わせの韃靼と組んで攻撃してくるのではの心配も持っていたようです。外交というのは、気配りが色々なところにあったのですね。てふてふの空でありますように。
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2022_0227記 それぞれの足跡
学生時分のひとり旅の帰りの鈍行電車ボックス席で対座した北陸福井の人が「小学校へ行くとき、途中に雪のとき休める小屋があった」と聞いたことがあり、北陸はさぞかし豪雪のところと思ったものでした。
今年は全国的に雪の多めの冬と思いますが、今ネットで見ると北陸も海沿いは思ったほどの豪雪ではない。きっとあの方は山近くの通学、もしくは風雪からの避難小屋を話してくれたのかも。 北陸富山に生地と云う海辺の町があり、そこを訪ねたことがあります。それは、たまたま読み気になった詩がこの地に由来するものだったのです。作者は田中冬二、詩の断片は「ほしがれいをやくにおいがする・・・ふるさとのさびしいひるめし時だ・・・街道を山の雪売りがひとりあるいている」 旅のにおいを私はこの文章に感じたのでした。
この詩で今は消えた「雪売り」と云う行商人が登場する。作者名の「冬二」の冬が重なり、ズッーとこれは冬の情景なのだろうと思い込んでいました。しかしこの雪売りとは、盛夏の雪売りとのこと。冬降る雪を蓄えておく大きな室のある山麓の村から箱詰めされ夏「立山のカンカン立山のカンカン」などと売られたようです。
その後、冷蔵や製氷が一般化し、雪売りは古き里の情景となったようです。
雪はいまでも田畑の夏を潤していることでしょう。
アフガニスタン・パキスタンで医師でありながら井戸・水路を造り命の水をとどけた中村哲らペシャワールの会の引き込んだ水路の水は6000m以上の山々を水源とするようです。
今日のスケッチは雪野に残っていたたぶんキツネの足あと。ぴょんぴょんウサギが跳ぶようにキツネ・イヌらがスケッチ上から下へと①②③④の着地順序で移動した足跡と推測しました。
コロナ感染者数が前週より減少ぎみのニュースが見れますが、空港検疫においては反転し陽性者増加ぎみとなっています。
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2022_0223記 雪のさいてん
雪が降ると家の前の雪をかく。
竹ぼうきで済むときもあれば、シャベルで押し寄せるときもあります。小雪で雪質がべたついてないときは竹ぼうき、これはある程度冷える地方でないと雪を掃く実感は味わえないかもしれません。「雪」と云う字は掃ける雨と書き雪となると読んだことがあり、私はまさしく漢字感覚で雪を処理する事があるようです。
ある朝、降った雪を寄せている時、スケッチのような奇妙な足跡が残っていました。 なんだろう?きっと、こんな足跡を残す獣は人の目には見えないのかも、しかし盗人だって足跡を残してしまう白い雪の上、未確認獣もその例外ではなかったようです。 耳の奥の方でニャーゴロと声がした。
これはネコの左側の前足跡の上に後足跡が少しずれて着地したものと思われます。
ネコの歩行はおおざっぱに右側2本→左側2本→右側2本・・・の順で移動しているようです。しかし速度を上げる時は何種類もの足の運びをするようで全速力の時は、ウサギのように跳ぶように前足を交互に付いたあと、後ろ脚をほぼ同時に着地するようです(ウサギのように後足が平行には付かず斜めに着地。あらためてネコの幾つかの足の運びをyoutube内で再生速度を0.25倍にし観察しました)。 歩行のとき身近な野生動物のなかでもシカもネコと同じ足の運び。キツネも基本は同じ感じ。タヌキは2本の足が同時期に浮くことはあまりないようで移動の足が着地したのちに次の足を離陸させている感じでありました。
普通歩行時のネコの足跡はピタッと前足の足跡の上に後足の足跡がかぶさるように着地するのでしょうから、スケッチのような足跡の残り方は珍しいのです。 これを雪上のネコフィギアー競技では加点ポイントととるか、減点の対象になるかは、ネコフィギアー協会の連絡先が分かりかねますので、確認はとれていません。
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2022_0220記 無の世界感
今日のスケッチはオオダイコンソウという高原の草の種子の姿です。
一つ一つの種子は鉤状の腕をもっていて、通りかかった物たちにくっついて生息範囲を広げているようです。よく言う「ひっつきむし」。 コロナウイルスは「ひっつきむし」のような鍵と鍵穴の説明をされることがあります。人の体の中に入ったとき、体内細胞に引っ掛かりやすいと。そう考えると浮遊するコロナウイルスは見えない種子になりそうです。
コロナ対策の不十分に感じるところは、国内においてのPCR検査または抗原検査の不足です。空港検疫でのこの国の考え方は「感染を遅らせること」と先日説明をされていました。その遅延に成功したとして、国内に入ってしまえば無症状では検査はしないのですから、速かれ遅かれ拡散していくことはいつもあったことでしょう。そういった無症状感染者をキャッチする政策がまったくとられていない、濃厚接触者となった無症状感染者は見つかるが、他は野放し状態。その試みらしき政策も見られない状況に思います。抗体を得ることで抑え込もうとするやり方はこの変異の激しいコロナウイルスには決定打にはならないのでは、人の数が抑え込まれてきていることをどう考えているのだろう。
検査キット数不足からの「みなし陽性」や「検査数の上限を定めた行政検査」は改善して頂きたいです。
空港検疫を緩和する理由の中で外国との融合性の説明がありましたが、足並みをそろえるなら、本文のような国内での検査体制をイギリスやらアメリカと同じ体制を整えてからでないと、外れクジをひく事に なりはしないか心配です。
その空港検疫では、依然高いレベル(一日50~60人の陽性者)が継続しています(昨年2月は一日2~3人の陽性者)。昨年の3月:年度末はオリンピックを控えていたせいか一日2000人に入国を制限していたようです。ここでの説明では現行3500人から5000人に広げると話されていました。昨年はそれでも4月下旬から6月初旬にかけ日本国内でコロナによる感染者および犠牲者が増え、主だったイベント催事は中止となったのです。
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2022_0216記 北方のチョコっと昔あるところに
チョコのプレゼント日もすぎたところです。
今 アイヌの本を借りてきて読んでいると、女性が男性へ、また男性が女性へ贈り物をするときの情景がアイヌの語り継がれたお話:ユーカラなどの日本語訳の中にみられました。お店でチョコレートなどの物品を選びプレゼントのはずもなく、女性は刺繍をほどこした布品、男性は彫り模様をほどこした木品を
それぞれ自作し贈った一場面がありました。それはイヨマンテという儀式の期間中に贈り贈られをしていました。イヨマンテの大祭は本の物語の中では5~6日の期間があり、近くない集落コタンから客人・若人らも集まったようです。「イヨマンテ当日は朝から小雪がちらついたが微風、まずまずの天気」とあるので冬の祭りと語られていました。
イヨマンテの項が一番多いページ数でほか婚・葬・戦・旅らを伝える物語がありました。全般にそうなのですが、植物が太陽や水・土から栄養をえて育つように、アイヌの人々の暮らしは自然と距離の近いものを感じました。物事の代価は物々交換で描かれていました。病んだ子に良薬を与えてくれた人にお礼として、漁で得たマスを沢山とどけた一例がありましたので、チョコをどうしてもプレゼントしたい情熱ある娘は物々交換でそれを用意し贈ったのかもです。
今日のスケッチは、長野県では高原に見かけるキンミズヒキの枯姿です。 アイヌ物語でも感染症の話がありました。交易帰りの者が持ち込んだと思われる疫痢(幼児の赤痢)に罹ったと思われたひどい下痢の2歳児に、キンミズヒキの根の一部分をすり潰し飲ませ回復させた話でした。
狩猟および武器となる矢には野草トリカブトが利用され、食材とした山菜類と共に長野の高原に現在自生するものと重なるものが多かったです。
女の子に初めての生理が来た時 ハポ母さんが言った「今夜の月の形を覚えておくんだよ、次の同じような形に月がなったとき、また月の滴が・・・」。人を含めた自然の各所に神がいて、その自然環境から得られるもの、現代人が置き去りにしてしまったものを感じさせてくれるものがここかしこにありました。
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2022_0213記 氷の歳時記
年越しの頃、とても寒さがありどんな冬になるかと思っていましたがその後は朝-10℃に達しても、終日零下という日はないようです。 諏訪の御神渡りも今年はどうやら見られないようです。 長野県では諏訪湖の結氷を話題にできますが、北の大地では川が結氷するとのこと。 北海道は天塩川。 北海道でも指折りの大河ですので川幅も太いです。それが百数十kmにわたり厳冬期は凍るとなっています。氷の厚さは60cmぐらい。大河天塩川は11月中旬以降に氷が張り始め、小川のように細くなり、そして川面は氷で埋まるとのこと。 1月2月は氷雪の白い天塩川をキツネの足跡が渡ることもあるのでしょう。この氷結は多くの年3月中旬まで続くようです。 結氷が解かれることを解氷といい、ダイナミックに氷のプレートが下りはじめる様は見ごたえがありそうです。北の現地では、この解氷日を春の訪れととらえる見方もあるようです。
天塩川沿いの中川町では解氷日を当てるクイズで賞金や特産品がもらえるようです。ただし「解氷日時」となっています。
今日のスケッチは、私の隣地:千曲川原にあった氷の一片です。遊びに来た子供たちの一人がお土産にもっていった氷は、霜柱のように縦にいくつもの筋模様があったので写真をとらしてもらったものです。まだ寒いのですが日が長くなったのでマスク姿で遊びに来ました。
氷も出来るところで泡が閉じ込められていたり色々です。男の子たちは冬の肝試しで氷の池(幅2m程度)を走り渡っていました。ある子は足の裾をまくりあげ、タッタッタッタッタッ、成功!駆け抜けた氷上にヒビが入る少しスリリングな千曲川原の無観客リンクで。
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2022_0210記 湯屋の張り紙
根雪の湯に1ケ月半ぶりに行ってみました。 前回行ったとき、湯舟の中で会話していた地元の方々が「根雪」の話をしていたので個人的に根雪の湯としたところ。 近くに私の無雪期の息抜き山コースがあり、猟期の終わりも見えてきたので視察も兼ねて。雪は少し多めの感じだったが、日向は土が見えている状態だった、そして帰路根雪の湯へ。
湯舟につかると2ケ月前より多少多い利用者。 コロナ時でなくとも混んでなければ他人とは距離をとり湯に浸かりますが、コロナ拡大時の現在はなおさらです。
浴室内 壁に「黙浴」の張り紙を見つける。初見、前回はなかったはず。
共同浴場でクラスターが発生したとは、公には聞いたことはない。 テレビなどメディアなどで注意された項目なのだろうか。この湯も玄関入口に検温の器具が今回から置かれていた(手のひらを近づけるタイプ)。黙浴も検温器具も御上のお達しだったかな。
今日のスケッチは根雪の湯近くの、なんか沢山花粉がとびそうなスギの枝先です。 湯には、大概体重計が置かれているので行くと計ることが多いです。 裸での体重と服を着た時の体重を計ると2・5㎏の衣類を冬は着ているようでした。それにカバンにあたるリックを背負うと1.3㎏が上乗せされました。
10%の現行の消費税ほどではないにしろ冬の私は体重の5-8%ぐらいは添加されているようでした。 今日は日中は雪のようです、いくらか湿っぽく落ちてきているイメージの雪。
コロナの空港検疫において、陽性者の数が抑えめになってきたようです。まだ50名ぐらいですが、最多の頃の三分の一程度になってきました。プラスで注視したいのは年度末(3月下旬~)の移動時、昨年はその後のゴールデンウィークにかけ増えていきました。先は読めないのですが、ワクチンをうつなら感染増加期に有効なものにしたいですね。モデルナは厚生省のページを見ると武田・モデルナ製となっています。ファイザーに追記はないようでしたがモデルナは「初回の半量を接種する」の加え書きがありました。さてどうしよう?自分は遅く2回目を打ったので6月上旬以降と配布紙にありました。
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2022_0206記 土の人
トーテンポールはネイティブアメリカの彫刻された柱が素晴らしいです。日本では小学校で児童たちの手によりよく作られた一時期がありました。
今日のスケッチは、そんなひとつであったことでしょう。北海道オホーツクよりの内陸にあった校内トーテンポールでした(15年前の旅から)。
学校はすでに廃校になっていました。その道向かいに国鉄の駅があったようですが、その路線も廃線となりレールのないプラットホームに座り込めば、向かいの山まで
伸びはじめた夏草が土色の野を埋めていました。
ところでネイティブは先住民の訳のほか、土地の人・土民や土人の訳もあるようです。日本では日常会話の中で土人の言葉をあまり使いませんが、元を正せば皆が土の人だったことでしょう。それに日本の法律の中にも旧土人保護法と云うものが近年まであったようです。
この旧土人は明治政府以降、抱え込まれてしまう北海道まわりのアイヌの人たちを指すものでした。北海道へ入植した本州以南からの移民たちが生産性を上げるなか
アイヌたちの生活はしだいに窮屈になったようです。政府は明治32年北海道旧土人保護法を制定(北海道において明治初期約9万人だった人口がこの頃約90万人に達している)。狩猟・漁労が主だったアイヌに土地を与え農業の奨励、学校により教育の提供、医療や生活扶助の保護を行うものでした。こうやって少し、また少しアイヌの人たちは和と同じくなっていったようです。
明治政府は北海道:アイヌモシリ全土を持ち主無き土地としてアイヌたちから取り上げ そこに開拓移民を送り込んだようです。そして明治後期には本州以南からの入植者によって営農によさそうな土地の多くは押さえられていたようです。旧土人法でアイヌに与えられる開拓地は奥地であったり大変な環境もあったとのこと。
日本語や道徳習慣を覚える動機でアイヌの子だけを対象につくられた尋常小学校は旧土人学校とも呼ばれていたとか。
二次大戦終了ぐらいまでは世界的に植民地の時代、世界中また東アジアでこれと似たようなことが行われていたのだろうか。
現在はアイヌを法の上で日本に存在する民族とした略称アイヌ新法が公布されています。私たち個人も、時に差別の歴史や今を学んでおきたいものです。そして次に北海度を旅することがあるなら、新たな心持で北の大地を旅するのではないだろうか。
まだ寒し多数ですね、春が待ち遠しいです。
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2022_0202記 日高のホロ涙
手持ちの昭和後期の短編ルポを集めた本(本多勝一著)を読み返せばその中に、北海道日高地方の僻地小学校を取り上げたものがありました。
今日のスケッチは15年前の北海道の旅で日高本線プラットホーム縁石で毛づくろいをしていたスズメです。
そのルポは赴任された先生方と子供たちとのやり取りを柱にまとめられていました。その最終行の後に(注)として「この集落はその後全員が引揚消滅し、学校も閉校となった」と綴じられていました。
本を買った当時は読み終えればそれ以上の進展はまずなかったのですが、今はネット検索環境があるので多少の読書旅を続けてみます。 その学校は戦後満州引揚者が入植した海岸部から川を40㎞ぐらい入ったあたりとあり、川の水源地:日高山脈ペテガリ岳らには10㎞ちょっとなので山近くに位置したようです。
初期の学びは入植者たちの協力で、青空の下はじまったとあります。開拓者に対する補助制度なども活用しやがて校舎が建ちました。満州から入植した当時は20戸66名となっています、児童生徒は何人ぐらいだったのでしょう。
しかし自然環境が営農に適さず、入植十数年経つと転出者の数の方が上回っていった。その後 全戸離農を決め、それを受け中学校も兼ねた小学校は閉校となりました。
この集落の跡地は今、ダム湖に多くは沈んでいるとのこと。このダムについて調べると校舎が建ったその頃に、地元電力会社はこの水系のダム計画を始めてもいるようなので、集落から人々が去ったのは複数の内容が重なっているのかもしれない。
開校から閉校まで18年間の高見小中学校には次のような校歌がつくられました。
♪遠くに望むペテガリの 流れる雲の青空に
♪明るい声が聞こえます 強く正しくむつみ合い
♪高見の良い子になりましょう
♪山百合匂う窓のはて 山鳩の声のどかなり
♪ひらける土がにおいます 教える心を学びつつ
♪高見の良い子は育ちます
”White Dove”というアメリカのブルーグラスの歌に、日高の情景をもり込んだ高石ともやさんの「日高の山」という歌があります。
♪日高の山の雪はとけても 種まく人もない 青い空は更に青く 想い出がとけるよ
♪オイラのおやじのおやじたちが 開いた村 春の祭りのにぎやかさ 遠い昔話 ・・・
♪どこの町へ行ったものやら 懐かしい人たち 遅い桜が咲いています くずれかけた校舎に
♪白樺のかなたのかなた ペデガリが眠るよ 母の歌を口ずさめば 夕焼けが寒いよ
♪誰もいないふるさとに また春が来ました 山鳩が鳴いています ホロ ホロ ロン
ともやさん自身のことではないのかも知れないが、この詩の内容が上記の離村した集落に重なります。この歌の発表はダムが完成する約5年前となっています。
この集落があったあたりは戦前昭和初期にも政策に基づき入植が試みられたようです。しかし間もなく満州事変の勃発のころ開拓を断念、国有地扱いにされ戦後、満州引揚者の入植地と再びされたようです。ともやさんの詩中「オイラのおやじのおやじたちが…」は昭和初期の入植世代、「くずれかけた校舎に」は戦後の第二期入植期に建てられ放棄された校舎、「ペテガリが眠るよ」は山の名、北海道に生まれたともやさんが、ご本人とのつながりは分かりませんが、ダムに沈む前の山間の風景を見ておきたいと訪れたのではの想像をふくらませ、そう思い「日高の山」を聞き読むと、北海道:アイヌモシリの近代史がうっすら見えてくるようで、ホロ ホロロンと山鳩が鳴く。
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2022_0129記 リスは眠りながら足跡をのこす
長野県もまん延防止等重点措置の適用地となり、図書館利用において館内の椅子に座れなくなりました。と同時に3週間の貸出期間となり30冊まで借りられるとなりました。
「冬眠」の本を借りてきました。今日のスケッチはその本からのリスの冬眠姿です。
はて?冬 山に入った時、雪上のリスの足跡を見ています(スケッチ下)。 冬眠しながらもたまに起きるのだろうか?
これは2種類のリスが生息していて、片方は冬眠し、もう片方は冬も活動しているのです。ネット上では長野隣県の岐阜・山梨・新潟にはシマリスがいるとなっていますが長野県にはいない地図が描かれているものが多いようです。しかし長野県内でもシマリスの多い山帯があります。本州でのシマリスはペットが野生化したもの(チョウセンシマリス)のようですが、自然分布はシベリアから極東:朝鮮半島・北海道あたりの寒い地域にあったようです。寒い地域に生息してきた小柄なシマリスは冬眠派(半年ちかく眠るとか)です。 それに対し二ホンリスは大きさでシマリスより一回り大きな体を持ち冬も活動をします。本州の雪上でリスの足跡を見つけたら二ホンリスに相違ないことでしょう。 大寒の中にあり、それぞれの生き物がそれぞれが会得した生き方で越冬をしているようです。
web上のニュースは表題で引き付ける工夫をしていることがあり、ニュースを見る方の知識が追いつかないと現実と離れたイメージを得ていることがありますね。 コロナ対策で昨年12月ぐらいから水際対策(空港検疫etc)をきびしくする報道で「日本鎖国」などの見出しがありました。しかし管轄のHPをみると「新規入国を原則禁止」となっています。これはすでに中長期での在留資格をもっている方々は出入りが可能とのことです。ここで12月の空港等検疫陽性者の日本国籍と外国籍の総数がそれぞれ発表され「日本国籍662名、外国籍414名」となっていました。日本鎖国のテロップに従えば0またはそれに近い制限を想像しますが、現状は昨年の約6割ぐらいの出入国制限だったのではと思っているところです(割合は私算、改めてお調べ下さい)。 1月下旬米欧にかわり南アジアからの陽性者が空港検疫では主となり、一日あたりの総数はたいへん陽性者の多い状態が昨年年末より継続しています。
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2022_0126記 空の波
高校時分だったと思うのですが、近くの幹線道路沿いに相撲部屋があることに気づきました。板に部屋名が書かれた看板も下がっていたのですが、その道前には昆布色の洗濯したと思われる「まわし」が干されていました。その部屋は何年かして移転したようですが、当時トンガの力士たちが居られた部屋でありました。
トンガと云う国:地域を知ることになったのは大相撲が最初だったと思います。そのトンガで海底火山の大噴火があったとニュース、それに伴い日本沿岸にも1m強の津波があったといいます。その後の発表で噴火における空振がその津波を起こしたのではないかと聞きました。 私が今住む佐久地方は防災マップに浅間山噴火による災害リスクが千曲川水系の洪水とともに表示されています。浅間山の現在の火口から直線距離で20㎞ぐらいになる住処付近は「火山灰・軽石が30㎝以上積もるおそれがある範囲」と「空振による被害を受ける予想範囲(半径18㎞)」に入っています。
浅間山の噴火による空振被害は近代では観測所の火山側窓が押し外れながらガラスが多数割れたり、江戸期の天明大噴火では屋根の重しの石が落ちたことが上がっていました。 原発事故の時も、200㎞以上離れていても落ちてきたヨウ素セシウムたち、今回の南半球での空を介した津波。ふだんの人の尺度は自然現象を計るには不適当なことでしょう。
雪が最も深くなるのは春先3月、この頃 大きな空振を伴う噴火がおこると雪崩なども心配です。今回のトンガ噴火に思えば浅間山でもしそのような噴火がおこったら周りのスキー場だけでなく、中部山岳・富士山・関東北部の山々への気圧変化が多少なりとも伝わるのではと思ったりしました。また浅間山自体の東斜面崩壊などを誘発しないのだろうか。時々のニュースを自分まわりに置き換え、正誤はさておき少し考えてみました。
トンガ海底火山のニュース、コロナ下においても気にとまるニュースとなっています。 今回の噴火(地の動き)が空と海とを動かしたこと、陸・空・海は分離されているようでつながっているのですね。 今日のスケッチはヤカンの水蒸気です。
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2022_0122記 下校野原に行商人がいた時代
昭和40年代の小学校は土曜日も半日通っていたので、その分 平日は下校時間が今より早かったことと思います。児童数も多かった。
そんな帰り路に、時折行商のおじさんたちが店開きしていた事がありました。色ヒヨコや磁石人形、これらは売る買うの行商だったが、「どっこいしょ粘土」という体験型行商がありました(スケッチはそのイメージ画)。
これは和菓子の木型のようなレンガ色素焼きの小さな型を子供らに売り、次にというか同時にその型に押し込む粘土((文房具屋で売っているようなものでなく地中から掘り出したような黒い粘り土)と、型抜きした後の粘土にまぶす色の粉(金銀も含め何色もあった)を子供らは求めます。 出来上がった作品を子供らはどっこいしょ粘土のおじさんに持っていきます。すると出来映えによっておじさんが採点、私のいったところでは作り持っていった作品は最初は地面に近い高さの段に置かれ、そのうち良いと判断されたものは一段高い箱上に昇格しよい点数がもらえたようです。そのもらった点数は貯まると欲しい型と交換してくれるやり取りでした。 普通は「型屋」と云うのかもしれませんが、行商に来た方は子ども向けの口上商人でありました。「♪どっこいしょ・どっこいしょ・・♪色が10円10円10円・・♪粘土が10円10円10円・・・」と抑揚が少ないながらも歌をうたうようにその場の雰囲気をつくっていました。それで「どっこいしょ粘土」と皆で呼んでいたのです。 小学校と家との中間あたりの草の空き地に日和の良い頃合いやってきては二週間程度(?)陣取り行商をして行かれました。行商期間最終日を子どもたちには伝えないまま行商最終日に「♪どっこいしょ・どっこいしょ・・どっこいしょ・どっこいしょ・・♪おじさん、今日でおしまいね・・♪」と歌口上の中でそれを伝え季節が進み終わるようにどっこいしょ粘土のおじさんは消えていった。
しばらくすると、また現れ、そんな数年間を思い出します。私が覚えていることで、おじさんは太陽と腕時計で南北方角を知る技を知っていたことです。そんな野における行商人たちは、その後どこを旅しているのか。
(上記は少年期を過ごした東京東部での思い出です)
コロナ事情が長野県でも増加しています。大袈裟かと思われるかも知れませんが大人数が集まる場では肌とマスクの隙間を無くすよう二重マスクも考えてみようとも思っています。 長野県で昨日発表された感染者数は435人、その内 無症状が32人。無症状者は濃厚接触ゆえ判明している、感染者全体の約7%が無症状感染者となります。
これに対し空港検疫1月(1-20日)において2800人越えの感染者数で無症状感染者は約2300人。この%は81%です。またデルタ株の頃昨年8月(1-20日)において感染者約240人で無症状者は200人。%は84%。無症状者割合は空港検疫データではオミクロン・デルタでほぼ変わらない。
空港では抗体検査にしても全員検査実施に対し、国内検査は症状が出た人とその濃厚接触者対象なのです。まん延防止時は規制をかける方向性だけでなく、検査を無症状感染からの感染を防止するシステムに方向付ける策はないのだろうか。
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2022_0120記 業は菓子類行商なり
「紙芝居を見たことがある」 というと平成生まれ以降の方々には先生保母さんはじめとする隣人が演じてくれる紙芝居を思いだされるだろう。
わたしが今いう紙芝居とは自転車の荷台に商売道具のすべてを乗せやってくる街頭紙芝居屋のことであります。 とはいっても数回だけ、後ろの方で見ている少年でありました。飴やせんべいらを買い求めたことはなかった。それは家の近所には来ず、たまたま低学年時に遊びにいった友達の家の近くで出くわすものであったからです。 街頭紙芝居は昭和の初期「黄金バット」の人気とともに全国に広がったとあり、昭和一桁年台の写真を見ると下駄履きの少年少女・子守の人々が集い見入っています。その後紙芝居の作風は様々であったがその伝搬能力を見逃さずすぐ軍部が国策として利用しました。 戦後、GHQの検閲を経て、解放されたころ街頭紙芝居業は最盛期を迎えたようです、昭和25-32年。演ずる紙芝居自体はお金を取らず飴やせんべい・カタヌキなどでお金をもらっていた街頭紙芝居、東京都の条例では「紙芝居業者は菓子類行商」とされていたとのことです。
今日のスケッチは、図書館の本からスケッチしました。 紙芝居業はテレビ(白黒)・幼稚園保育園の普及、物価の急騰に昭和33年ごろより廃業が相次いだとあります。 私が紙芝居体験をしたのは昭和41-42年ぐらい、かろうじてその行商風景を想い出と出来た世代だったかもしれません。 今回紙芝居の本を読み「紙芝居業は菓子類行商」と改めて知りました。家の住んでいた近くに紙芝居屋がこなかったのは、私の家が駄菓子屋を営んでいましたので、そういうスタイルは違えども同業者の店舗からある程度離れたところで店開きしていた行商人の気配りだったかもしれないと思いました。そういった菓子販売店らが存在しない筋違いの道沿いに建つアパートが数棟並ぶようなところで紙芝居を演じていたようです。
また本では戦後の混乱期に復員者が日銭の稼げる紙芝居業に集まったの一文がありました。戦後20年余りで私は街頭紙芝居(・どっこいしょ粘土)らの行商を見たのですが、もしかしたら演じていた人たちは戦地を体験した方々だったのかもと思いを馳せました。
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2022_0116記 夜白の盛りつけ
今日のスケッチは雪が夜の内に、盛りつけた雪のパンケーキです。 この20㎝ぐらいの直径平皿はヒヨドリの食事用にもうけたものです。この冬は年越し前に庭木の実が無くなっていたので、リンゴの皮などを盛り食べてもらっている平皿であります。 リンゴは朝食に三分の一個もしくは四分の一個食べるのですが、その皮と芯の部分をヒヨドリのくちばしで取りやすい大きさ(5-7㎜)に刻み平皿に入れ軒の手の届く屋根上に置いておくと、本当にきれいに食べつくしてくれます。 今年のヒヨドリは静かにやってきて静かに食べ静かに立ち去ります。昨年までのヒヨドリのイメージはにぎやかな「ギャー鳥」でありますので、性格やふるまいというもので同種の鳥であっても色々な鳥がいるようです。
鳥もむやみにエネルギーを使い鳴かないでしょうから、ギャーギャー鳴かないのは競争相手や仲間が少ないのか。ヒヨドリ輩、とりあえず有難く頂いたリンゴたちが当分の間あるので、寒中の朝にリンゴを共に食べることのしましょう。
コロナで日本国内の米軍基地(沖縄・岩国を主に横須賀・横田・三沢・佐世保ら)が注目されています。
第六波と数えられている現在のオミクロン株ですので、くりかえし感染の種が海外から入ってきた可能性があります。その都度、対策において訂正を加え今回に至っているのでしょうから、感染者多数ながら
それらが功を奏し今の状態に収まっているのとらえ方もできることでしょう。地位協定らにおいても、それを踏まえた上で感染対策が練られてきたと思いたいです。 年末年始の空港検疫陽性者全体に対し[行動歴]においてアメリカからの入国者が50%を超えていました。そしてその60-70%の日本での[居住地]が神奈川県と東京都となっています。 年が明けてからはアジア諸国からの陽性者が増加傾向にあるようです。
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2022_0112記 小正月の整頓神
私のような生活スタイルでも外に出る時の持ち物は多い。少年少女らが学校から帰って「あそんでくるよ」と何も持たずに出ていく姿はうらやましい。 車で移動なら免許証。メガネ(遠目用)。プリペードながら携帯電話。記録用のデジカメ。家と車の鍵。この辺りが私の四季を通じての必須の持ち物となっています。 外出するとき、それら携帯品をバックに揃えるときすんなりいかない時がある。大体は同じ場所においているのですぐに揃うのだが、ある時は「携帯電話はどこ?」「家の鍵はどこ?」となるのであります。そんなある日 デジカメが見つからなかった。免許証ほどなくてはならない物でもなかったのでその日はデジカメなしで出かけました。翌日にかけ何度か探す。デジカメの記録SDカードはパソコンに突っ込んだままで行方不明となったので、その周辺でカードを抜き置いたと考え探すが、見つからない。どこにいったのだろう? しかし このような探し物をするとき部屋が片付くのも事実。パソコンまわりのテーブル・棚は久しぶりに整理されたがみつからない、捜索の範囲を広げ探し整理する。物がなくなるのは整理整頓神が「なあお前もっときれいにせんか!」のお告げなのではないか。いつもより整った室内。
そんなあげくに「あった!」と見つけられたのは本棚の下に滑り込んでいました。真実は分からないにしてもSDカードをぬかれたデジカメは右机のノート類が積まれた上においたようです。何かの拍子にノートをすべり机上を離脱、その落ちたところにあった立て掛けてあったベニヤ板の斜面を再び滑り本棚の下のスペースに見事奇跡的に滑り込んだようでした。 小正月が終わる頃、そんな謎解きができ、ホッとしているところです。神さまありがとうございます、整理行き届かず反省しています。
今日のスケッチは、台所シンクの下のバケツの底にいたカマドウマの少年もしくは少女です。 さすがに夏にでくわすビックリ箱のようなカマドウマではなく、動きがにぶく、つまみあげ軍手の上に乗っけしばしのあいだ、冬の昼下がりを共に過ごしました。 植物のロゼット葉のように昆虫でも卵ではなく幼体として越冬しているものがいるようです。苦手でなく出会ったら「やあ」と声をかけてみよう。
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2022_0109記 歌をうたえば
7日は「七草」でしたので、粥でないのですが雑炊を、朝でなく夕に食べました。 雑炊の食材はよく知られた七草とはならず、ダイコン(根)・ニンジン(根)・サトイモ(根)・モヤシ・ネギ・コマツナ・ニンニク・ナメコ・納豆・・・などなど冷蔵庫にあった菜その他。 それらを刻む時 近在のおばあちゃんに数年前教えて頂いた「♪七草ナズナ 唐土の鳥が 日本の国に渡らぬ先に ストトントン」と七草の囃子うたを歌いながら(メロディは忘れたので大体ですが)刻んでみました。そうしたら夕餉のしたくがちょっと楽しかったです。
朝はー10℃前後の日が1月上旬の気温。昔の人々は七草を摘むにしても日中の日ざしのある時にきっと摘んだのでしょう。 今日のスケッチはタネツケバナのロゼット葉です。この草もナズナのロゼット葉と同じように食べられます。
竹の子が伸びるようにグググイッと長野県でもコロナ新規感染者グラフがアッという間に一日100人をこえてしまいました。 島国である国のマスクでもある空港検疫において年を越してからの方がより多くの陽性者を伝えている。12月一ケ月で900以上の陽性者を伝えたが、今月は8日間でその数に達してしまったようです(1009人)。
「12月は、外国人の入国は受け入れていません。ただ日本国籍を持つ外国人(例:配偶者や相撲取りで日本国籍を取得しているような外国生まれの人)は入国しています。ほとんど多くは日本人です」の電話での説明を聞いたことがあります。
国や地域によっては協定などで出入国しやすい人ももしかしたらいるのかもしれない?「日本国籍のみ」であるのなら、昨年10月までの月々は日本国籍の検疫陽性者+外国籍の検疫陽性者で200人なり300人だったわけですから日本国籍にかぎればひと月100~200人です。12月以降は空港検疫においてデルタ拡大時の5~6倍の日本国籍検疫陽性者が今も継続している状況が発表からうかがえます。この数が(日に日本国籍だけなら安定時は2~3人だった)下がってから国内の感染者数が下がっていくのが今までのパターンだったような気がします。
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2022_0106記 指でたどれば
今日のスケッチは全面結氷に近かった池の脇道に葉を茂らせていたキヅタ類の葉です。
私の住む佐久平あたりは北緯36.2~.3度。
同じ緯度を地図上で指でたどれば、西へ向かうと北アルプスの穂高連峰南よりを通過し、合掌造りの集落で知られる白川郷あたりを横切り福井県と石川県の県境福井側に到達します。逆に東へとたどると関東平野に出て渡良瀬遊水地を経て茨城県大洗あたりの海岸に出るようでした。
この正月5日までの同緯度気候の比較では福井や白川の日照時間が長野中部から東の地域よりあきらかに少なく6時間から7時間短いようでした。風は日本海海岸と関東平野中部のからっ風が強い風が吹いていました。気温では内陸白川から佐久あたりが低いみたいですが、どこも±3度ぐらいの中に平均気温が入っているのでどこも冬の中にあるようです。
佐久平は低温でありながらも比較的日照に恵まれた冬期がすくいのようです。山間でもあり風も控えめ、そんな中 冬を体感しているようです。
北緯36.2~.3度の旅を福井から西へ続けてみれば、中国:遼東半島南側を通り黄河の流れを右に左に見、やがてチベット高原へ。世界第2の標高となるK2の北側を抜け中東テヘランを経て地中海を東から横断し大西洋へ。アメリカ大陸東海岸においての36.2~.3度はノースカロライナ州、内陸テネシー(ナッシュビル)→オクラホマ→ネバダ(ラスベガス)を経てカリフォルニア州サンフランシスコよりに到達。その先の太平洋には島らしい島が同緯度上になく茨城の海岸にたどり着きます。 実感は湧かないのですが、色んな町・山・海・気候が私の暮らす北緯36.2~.3度上にあるみたいです。
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2022_0102記 旅の後先
旅をしている醍醐味は、偶然の出会いの中あたらしい事物や発見にあるのだと感じています。 山陰を旅していた時、たまたま仙崎なる海辺を訪ねたときそんな風に 金子みすゞに出会ったのです。その頃金子みすゞはすでに取り上げられていたようでしたが、私はテレビラジオを全く見聞きしてなかったので、みすゞの暮らした町をたまたま訪ねたことにより金子みすゞを知ったのでした。旅を終えてから彼女の詩集を図書館などで借り読んだのです。 仙崎の港では、お尻を桟橋の床につけるようにし釣り人が3~4人糸を垂らしていました。
みすゞさんは明治36年(1903年)生まれで二十歳頃から詩を雑誌投稿はじめたようです。おおよそ100年前創作活動に光を求め始め、半世紀以上の時を経てその作品群は以後の人々に光を放ち始めたようです。
今日のスケッチは、常緑樹の赤い実、クロガネモチかと思います。
みすゞが創作開始少し前の大正中期に「赤い鳥小鳥」と云う童謡が雑誌『赤い鳥』から北原白秋作詞で発表されています。その創作の段階で北海道帯広開拓地で歌われていたうた『赤い山 青い山 白い山(ねんねの寝た間に)』を白秋は聞いていたとされています。 “ねんねの寝た間に 何しょいの 小豆餅の とち餅や 赤い山へ持って行けば赤い鳥がつっつく 青い山へ持って行けば青い鳥がつっつく
白い山へ持って行けば白い鳥がつつくよ“
2番の歌詞には開拓を感じさせる”赤い馬が曳いてみれば赤い土がほれた/青い馬が曳いてみれば青い草がちぎれた/白い馬が曳いてみれば白い根っこが抜けたよ”があります。
北海道には明治期屯田兵とし様々な団が入ったようです。帯広には晩成社と云う開拓団が静岡伊豆から入ったとあります。私は十数年前北海道を旅した折、帯広の海岸部に感銘を受けました。その朝はいり込んだ所が「晩成」と云う地名だったことを覚えています。6月上旬その界隈ではタラノメが盛りでした。林床には大きな白い花びらを3枚開いたオオバナノエンレイソウが本州中部での水芭蕉の群生のように咲き誇っていました。晩成の地名は開拓団の名前だったようです。旅を終えてから、ふたたび出来る旅もある。
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