スケッチとつづり方でblogとしています。
その日の題材について、私にとって「新しきを知る」スタンスで週1~2回程度の更新予定です。
 

2021_1229記
根雪の国紀行

 昨日は、山間の温泉施設で体を温めてきました。
 湯舟には地元の年重ねた方々が数人つかり話込んでいました。自分が体を洗い再び湯につかった時もまだ話が続いていたので、結構長い団らんであったようです。
 その会話を聞くでもなく私の耳に飛び込んできた言葉がありました。それは「日陰の雪がとけない、根雪だな」の根雪でありました。
 長野中部東部は寒い事は寒いので降った雪が解けないことは承知していても私の住む標高650mぐらいでは根雪の言葉を使うほど広範囲ではないイメージなので、根雪の言葉は新鮮だった。温泉施設は標高850mぐらいの山間の地、受け継ぐように「根雪」の語を使ってきた地域なのでしょう。
 そう考えると昨日は、車で一時間とかからない県内でしたが、根雪の国紀行をしてきたのでした。

 今日のスケッチは、山路に冬も見かけるスイカズラの葉たちです。
 スイカズラは一部の葉と黒い実を付けているものを冬、目にします。
 スイカズラの漢字書き「忍冬」は中国名とも。
 冬は葉の両端を裏側に丸めながら筒状になりかけながら春を待ちます。
 コロナ空港検疫陽性者数は過去の月の最高は364人でした。今月は検査や待機体制の強化があるのかもしれませんが、28日までで700人近くすでに小計されています。
 倍近い最高値の更新がほぼ確実の中 今後の注意と共にで感じることのもう一つに、中国からの陽性者がいないことです(行動歴「香港・中国」が一人いる)。厚生労働省発表:空港検疫では陽性となった方の[年齢][性別][居住地][症状]とともに[行動歴]が表として見れます。その行動歴はどこの国から来たということです。赴任先も多いのだろうアメリカが多い。中国も行き来の多い国のはず。そういう行動歴のむこうに海外の事情を感じられるように思ったのです。

追記:12/31までの空港検疫陽性者月合計は922人。その内訳の中で行動歴で多い国地域(922の5%以上)はフランス49人(5%)イギリス75人(8%)アメリカ474人(51%)。おさえるに抑えられない つながりの深いこれらの国々のコロナが収まらないと現状では日本のコロナも連動するのではの素人感想です。

2021_1225記
私もあなたも静かな名コンダクター

 関節というとヒトの場合、骨と骨との間:つながっている所である事でしょう。それぞれ関節では用途により様々な結合方法が定着してきたようです。
 腕の付けねは大きくグルグル回せるが、肘の部分は折り返せる方向がきまっている。手首はクルッとある程度の回転ができる。それぞれの関節部に求められた進化が現在のものなのでしょうが、何食わぬカオをしてみな動いてくれているが改めて考えると様々な動作をしてくれている。それが私の体の中にも備わっていること、またそれを私の脳(?)が さりげなくそれら沢山の機能を引き出しているのは不思議にも思う。
 そう考えると私の能力も まだまんざらでもない。
 関節の周りには筋が接続され、じん帯や半月円板ら補強・クッションも備わっているらしい。
 これら複雑な組織を私の体において私がたぶん指揮し、今日に至っていることは当たり前の中にも結構すごい事に思うのです。

 今日のスケッチは冬枯れのイタドリです。
 イタドリはタデ科の植物ですが、冬枯れた茎を割るとスケッチ右端のように竹のような節が備わっていました。
 イタドリは草としては背丈があり茎の太さも3㎝ぐらいあるので立ち枯れていた姿は、竹が立ち枯れているようでした(色もそんな感じ)。植物の節はヒトの関節のように動かず違う機能を発揮している事でしょう。節と云う言葉も色々な所に用いられ ご苦労様です。
 節は区切り。コロナの節目は見えずとも 暦の上では丑年2021と寅年2022の節目があと一週間ともうすぐです。
 イタドリ、漢字では「板取」とも「虎杖」とも書かれるようです。
 一週間を残し12月コロナ空港検疫陽性者すでにオミクロン以外のものも含みながら今までの月計最高値(364)を大きく越え452人(12/24発表までの小計)となっています。

2021_1222記
頭、洗ってますか

 衣類の洗濯方法表示マークを久ぶりに見ることをしたのはサポーター(スケッチでは足用となっている物)を洗おうとしたときでした。
 国際規格ISOなるものに合わせJIS(日本規格)を2016年12月に変更したとき、洗濯のマークたちも目新しくなったようです。
 数字40が記されているマーク、アイロンマークは想像がつきましたが、他のものは?だったのでサポーターを上手に少しでも長く使いたいのでマークたちを調べてみました。[△は漂白に関する印][□は乾燥に関する印][〇はクリーニング屋に出した時の印]でした。知らないと見当のつけにくいマークたちの内容。洗濯マークに対する頭の刷新クリーニングも必要のようです。
 国際規格にすることは企業としては海外進出する時などやり易いようですが、一国の消費者としては時の流れに取り残されそうになり、こういうところにも生きているうちはサボれない歯がゆさがあるのであります。

 秋に膝を打ち初めて接骨院なる所に行くと「これは膝内側じん帯の捻挫です」と診断され「軽症の部類ですが、軽症はかえって使ってしまうので直るまでが長引く時があります。完治する前に膝の使い方によっては再発させ治りにくくなるケースがある」らしきお言葉。
 「完治には何か月ぐらいが普通ですか?」「3か月ぐらいです」と先生。
 接骨院には3回行ったぐらいで楽になってきたので、それからは通院せずていねいに歩く事を日々の暮らしで実行しています。
 今日のスケッチは、その治療初期に医療量販店で購入使っていた本来は膝用サポーターだったものです。保温用にじん帯には具合良かったのですが膝頭に違和感を感じ使わなくなったものを、足先の保温に再活用しているところをスケッチです。親指と人差し指の間にくるところを軽く縫ってズレないようにだけ工夫しました。締め付けによる不具合はなく、温かさは良好に今のところ過ごしています。
 ちなみにスケッチの洗濯マークで 下段左端の□は斜線が日陰干しを表し、中央の縦線が吊るして干す、とのこと。上段右端の□はタンブル乾燥禁止でした。

2021_1218記
里に雪、到着

 雪山賛歌・山男の歌、山のうたは数々あれど「あいつ」と云う山男を偲んだ歌があります。
 「なごり雪」の作者伊勢正三が1975年夏に発表した歌。
 アコースティックギターが全面にでた軽やかな曲調が好きな歌でした。
 詩はだいたいに聞いていたにしても詩頭の「雪の中一人の男が 山に帰って行った」から山で亡くなった山男の歌なのだと漠然と思っていました。
 詩は男に好意をもっていた女性の描写にうつり
「花束投げた あのの言葉が/こだまして帰ってくるけど/雪どけ水の音に消されて/また静けさがおとずれる」とし一番の歌詞が終わっています。
 伊勢正三(しょうやん)の詩には物語性があるものがあり、そんな歌たちは「なごり雪」を筆頭に多くの人々に愛されたのでしょう。

 雪山のことを以前のblog記事をまとめる中で、春先の雪崩で多くの登山者が戦後の昭和期に巻き込まれていることを知りました。「あいつ」の女性の描写に「花束投げた」「雪どけ水」、滑落または雪崩により男は谷または崖下にて山に帰っていったのではないか、そして雪が水と温まりはじめる春山の物語なのかな。

 クリスマスまで一週間。例年だとクリスマスのころ初雪かきとなる事がおおいのですが、今冬は今朝雪かき初日となりました。
 今日のスケッチは、長野の里山で冬目立つ、ウメツルモドキの赤い実(6-7mm)たちです。実をつぶせば中からコーヒー豆のような色の楕円の種が2つ入っていました。
 コロナ12月の空港検疫17日までで発表された抗原検査とされる陽性者だけで203人。外国人入国が制限されている状況ですので、日本国籍の方々が今までよりも多いのだろうと推測します。このペースは昨年12月(日本国堰170名、外国籍190名。合計360名)・今年7月(日本国籍213名、外国籍151名。合計364名)を上回る370名ペースです。

追記:その後18日から20日までの3日間で89名の空港陽性者発表あり、20日は東京感染者11名に対し空港検疫41名です。

2021_1215記
去りつつある民具

 Pm3:00とすれば午後3時のこと。
 Pm2は午後2時、ではpm2.5は?
 このように誘導されると2時半と応じたい所ですが「ピーエム2てん5」微小粒子状物質。
 Pm2.5にもあたるものもその中に含まれているのではないでしょうか「すす」。
 どこそこの神社仏閣から すす払いのお知らせが入る頃と今年もなってきました。ニュースによると「長さ6~7mもある竹で払いました」
 寺社内外の竹を用立てることは作法でありましょうが、賢い。さすがに現代のホームセンターには5mをこえるハタキは置いてないでしょう。それどころか1mにも満たない普通のハタキがホームセンターに置いてない現状があります。
 今秋、作業部屋のハタキが欲しくてホームセンターを3軒まわったのですが見当たらず店員の方にそのたび尋ねても「置いてないです」と言われたのでした。だいたいポリ製のホコリ払い具はあるが、和ハタキは無でした。
 ホコリを払う時、和ハタキは布が振られることで風が起こるので、常時ホコリが出入りするところでは結構便利グッツに私は思っているのです。なければ作ろうと今日のスケッチのハタキを作り使っています。

 ハタキの構造は簡単なものなので、竹の心棒の片端に短冊状の布を10枚ほど縛りつければハタキらしくなります。布は廃品利用でいいのですから、昔の民家では雑巾に次いで自作していたのでは…
 12月にはいってもコロナは落ち着いてくれています。ただ12月にはいり空港検疫等での陽性者が増えています、今月14日まで144人発表分があります。このまま月が進めばひと月で300人ペース。これまで日本では空港検疫等で300人を越えた次の月に感染爆発が起きてきました。ワクチン接種が推進されている12月とは感じますが、注視しています。

2021_1210記
お腹は菌ぎょばち

 腸というのは、やたら長いと聞いたことがある。それだけを印象的に覚えていて、あとは要らなくなったものを便として追い出すところと。

 あらためて見返すと腸は栄養を吸収するところとある。その余り物が便として排出される仕組みのようです。栄養の元は私たちが食べ飲んだ物たちからであります。腸内には細菌が沢山いるのだと説明されています。その腸内細菌は食物から得る栄養素をエサに発酵することで増殖し宿主であるヒトとうまく共生しているようです。ヒトに良き動きをしてくれるものもあれば悪しき動きを用意しているもの、一般群衆のように周りの様子を見ながら過ごしている細菌(この様子見が全体の7割とか)たちもいるようであります。
 普段は良き動きの善玉菌が悪しき動きの悪玉菌を上回っているので健康が維持されるようです。私が口から私の体内に食べ入れる物たちは、私のために食べている意識なのですが、腸内細菌のエサにも大いになっているようです。いってみれば金魚鉢の中のさまざまな金魚たちに、日に数回エサを与えているような感じなのでしょう。どうせなら善玉菌が好きそうなエサを与えたいものです。
 生前の私の母が「一日に30種類の食材をたべるのだ」とよく話していました。
 腸の本には「一日にとる食品の数を増やすことは腸内の細菌のバリエーションにもつながる」と書かれてもいました。母はこれを知っていたのか否かは知りえないが30の数字は頭に残っている。

 今日のスケッチは裏庭マメガキの実の渋が抜けたようで鳥たちがやってきています。いつもはヒヨドリなのですが、ムクドリが群れでついばんでいます。それをスケッチです。
 ムクドリは冬の季語のようですが、東信州では5月のイメージがつよく この時期のマメガキの実をついばみに来るのは珍しいです。ヒヨドリも来ていましたがこの冬、かれらにとってエサは満たされるのだろうか。
 ちなみに鳥類の腸の長さは体長との比率で人ほど長くはないようです。でも哺乳類でも草食性の牛・羊・馬などは非常に長い腸を持ち、肉食性のライオン・オオカミ・ネコなどは短い傾向があるようなので、鳥においても草食性がつよい種は腸が長めのこともあるのかな。牛なんか50mの腸の長さがあるとありました(ヒト7m)。ネコは体も小さいですが2m、ペットのイメージがつよいですが思いのほか肉食性がつよい動物なのでしょう。

2021_1206記
慣れた道を新鮮な作法で

 日の出は遅く日暮れは早く、北半球は太陽から一番遠い季節となっています。
 地球の上下を北と南として半球と区分することはよくあることですが、東西や右・左での半球はあまり耳にしません。しかし東半球・西半球と云う地域分けはあり、東経があてられている日本は東半球になるようです。さて右半球、左半球で理解されているものが地球上にあります?
 それは人の脳です。右脳と左脳をそのようにも言うようです。
 右脳と左脳は、感覚や論理を処理しながら、右脳は左半身(左手・左足・左胴)を 左脳は右半身を受け持ってくれているようです。 今日のスケッチは右利きの私ですが、本年左手に道具を持つことを試し始めました。その左印刀(彫刻刀)で作業している様子をスケッチです。

 左手を使ってみようと思ったのは、木材には逆目があり特にスケッチのような印刀では不便を感じることがあったからです。
 使ってなかった平刀を左印刀に研ぎ直し、いざやってみると最初はうまくはいきませんでした。何日かして思ったことは刀を持っている左手は未熟なのは納得の上ですが、利き腕の右にしても未熟なことを思いました。右手はスケッチのような状態ですと刀の下から親指で押し材を切る力を加えるのですが、うまく押せないのでした。
 1ケ月ぐらいから、すこし慣れてきた。左手のそれぞれの指の役割もあるのだなと自分の手指ながら観察しています。
 次に紙やすりを左手にてかけてみた。ちょっとづつ右手でやってたことを左手で、左手でやっていたことを右手でやってみる いたずら的工作を試し、左右の脳に小さな刺激を与えてみよう。
 私は箸の使い方が美しくない、罰点をつくってはさむ癖が習慣になっている。箸なんかも未知の左手でやってみるのも面白いかも、まずはスプーンあたりから…

2021_1202記
デジカメ2つ

 「そこがかんじんだよ」のかんじんは普通は「肝心」と書くのかと思うが「肝腎」と書くこともあるようです。
 どちらも人体で大事な臓器名を2つ持ち出し「大切なところ」の意味合いで使われます。肝臓と心臓、肝臓と腎臓。

 腎臓とはどんな臓器なのだろう。
 血液の中のくたびれた物質を取り払い、体内をまわっている余分な水といっしょに尿として体外に出す働きなどしているという。血液のろ過機能、いつも血液をよい形に保とうとしてくれている臓器でよいのだろうか。
 腎臓も外から見えない。どんな形と色をしているのだろう。

 腎臓はwebの画では赤黒い色をし、そら豆のような形をしていました。
 大きさは10㎝×5㎝×3㎝ぐらいとのこと、これは私のデジカメ(9.5×5.2×2.4)をほんの少しだけ大きくした大きさ。重さは120g-150gとありますので私のデジカメ137gと一致します。これが肺のように左右に一つづつあるのだそうです(肺より下、腰の上背骨を挟むようにあるらしい)。肝腎とされているだけあって 壊すと色々な症状を誘発するらしい、おだやかな状態に保ちたいです。
 腎臓を調べたのは、初冬の林縁で出会ったコクサギと云う低木のおかげです。
 今日のスケッチが、そのコクサギの実たちです(薄いベージュ色)。このカラとなった実たちが沢山残っていました。葉は落としきっていましたが初めて見たので「なんだろう」と調べみると、この実の形を「腎型」と紹介しているものがあったのです。
 中には黒い種が一つづつ入っていたようなのですが、すでに皆放出されたあとでした。カラとなった実の殻は口を閉じていたので、どうやって外に種が出たのか不思議です。

2021_1129記
ダム湖の岸辺にて

 内村ダムは現在の上田市の南西部松本市と境をなす山々から下ってくる水をせき止めた治水・上水を主な目的として昭和後期に完成したダムのようです。現地調査は1972年に始まっているので、ごく近くを通る三才山トンネルをふくめた国道254号線の工事と同じころに始まっているようです。関係しているかは?ですが、そのころ「列島改造」の頃。
 道路(三才山トンネル等)は76年から使っていますが、ダムは83年完成となっています。松本に行くとき必ずこの道このトンネルを通るのですが、昨年までトンネル部有料だったこともあり、国道254号から湖水が見える内村ダムの存在は知っていても寄り道しなかったのです。往復で1000円弱のお金を使わなくなったことで心の余裕ができたのか今年になり松本帰りに内村ダム界隈に立ち寄ってみたのでした。
 深山の趣のあるところで「クマに気をつけて」の看板が上流部にはあり、メタセコイヤの大樹が数本立つ公園・ダム湖で遮断されるまえの人の関りが道脇の木を組んだ鳥居に感じられました。下流部は畑を経て2-3km下れば鹿教湯かけゆ温泉中心地でありますが、それでも奥まった一帯。ダム下の沢筋に一つ前のblogで紹介した熊倉地蔵がそこにありました。

 ダム湖は、鹿教湯から鹿鳴ろくめい湖と名付けられています。ダム堤上から見下げる左岸水際にシカの足跡が沢山ついていました。
 今日のスケッチは、その湖水にオシドリが大群でいたのでオシドリをweb画像を参考にスケッチしました。デジカメで倍率を上げ撮ってもはっきりとはとれないぐらいの距離ではありますが、かなりの数のオシドリがダム湖右岸岸辺に集まっていました。
 ダム堤上にドングリが落ちていました。今年はしっかりとドングリが実ったようです。オシドリの冬の好物はドングリとあります。
 私の住むところで昨朝、屋根がわずかに白くなっていました。今朝―7℃。内村のダム湖は私の住む所より200mぐらい高地になります。

2021_1126記
三才山みさやま峠下のお地蔵さん

 浅間の上の方に雪を見始めています。
 今日のスケッチは奥まった集落の沢筋の道脇におられた熊倉地蔵なる地蔵尊のお顔です。場所は松本と上田をへだてる筑摩山地の三才山東側の集落です。
 この地蔵の説明板には「昭和8年…この沢の奥で雪崩が発生、山仕事中の一人が命を失い…地蔵尊を建立…」とありました。地蔵の背側には「昭和8年4月3日建立…」

 日本全国の雪崩をまとめたwebページにたどりつき、熊倉地蔵と関係がありそうな雪崩がありました。
 それは『昭和8年3月16日…小県郡西内村三才山熊床山林…炭焼作業中に雪崩、2名脱出、1名翌日正午掘り出されたが死亡…(1933/3/18発行信濃毎日新聞)』でありました。
 どうやら説明板の山仕事は炭焼仕事中に遭遇した災いだったようです。
 県内他の雪崩資料をみて見ると、戦前は長野において炭焼作業中が多かったです。雪の多い長野北部では、人家を直撃したとか、発電所工事飯場倒壊が目につきます。どれもいたましいのですがショッキングだったのは1922/12/22飯山の炭焼の親子が通行中雪崩にあい、雪の中から発見されたのが1923/4/29となっていたものでした。
 それが戦後(昭和30年以降)となると冬山登山中であったりスキー中であったりに被害概要が変わっています。

 炭焼きは現在なかなか作業しているところを見ることがないです。なので熊倉地蔵説明にも「山仕事」としたのでしょう。
 私は四国の旅で炭焼きの煙に出くわしたので「見せてください」とのぞかせて頂いたことがあります。「ちょうど若鳥が釜の中にいっしょに入っているから、いっしょに食べてけ」と誘ってくれたので「ありがとうございます。車にギターが積んであるのでそれで一曲やります」と自作の旅の歌を半返し(?)させてもらったことが懐かしいです。
 昭和前期の炭焼きは農間余業として従事したともあるので、きびしき気候の中行われることは結構あったのかもです。熊倉地蔵の雪崩当日の気象は山向こう松本気象台のものとなりますが気温平均-0.9(最高2.5最低-2.5)降水量27㎜となっています。
 昔話:笠地蔵の峠の地蔵たちには、どんな物語があり そこに置かれるようになったのだろう。

2021_1123記
同属の願い

 500円硬貨の材質は銅を主体としているようです。それにニッケルやら亜鉛を合わせ銀色のそれとなっているとのこと。
 銅は金偏に「同」ですが500円硬貨表のデザインは木偏に「同」の桐が描かれています。
 そういうことで日常的に桐の木はデザインとして見ているのですが、本物に出くわすことは少なく、非日常的であります。
 桐は色々な特徴を持っていますが、葉が大きいこともあげられるでしょう。
 真意はわかりませんが、葉の大きな樹木に桐の名が付けられているものがあります。ひとつは標高の高めの所に育つイメージのハリギリ。もうひとつは公園などにたまに見つけるアオギリです。どちらも桐(キリ科)とは異なりウコギ科(ハリギリ)アオイ科(アオギリ)に現在では分類されているとのこと。
 とりわけ人より歯の大きな人、おられましたらあなたは「キリ」の仮一族かも知れません。

 今日のスケッチは、松本あがたの森公園にあったアオギリの実たちです。
 葉っぱのように見えるのは実の皮になるそうですでにベージュ色で季節になじんでいました。
 あがたの森に私が気づいたものだけで2本のアオギリの木があり、どちらも実を付けていました。アオギリは暖かい地方の原産に思っていたので信州松本に出会えたことちょっと意外。
 そのうちの一本は「被爆アオギリ二世」と云う説明がされていました。これは広島原爆爆心地から約1.3㎞にあったアオギリが爆心地側の幹半分を熱線と爆風で焼けえぐられた、その後樹皮が傷跡をつつみこむように治癒成長、そのアオギリの種から育った苗木を各地に配布しているとのこと。その譲りうけた一本があがたの森にあったようです。調べてみると小諸の中学校にもあるとのこと。また私の故郷の公園(滝野公園)には「原爆犠牲者追悼碑」があり、そこにもアオギリ二世を見ています。その追悼碑に向かい祈る事は、体の向きとしても広島や長崎の方角を向く事にもなるそうです。故郷の地に原爆犠牲追悼碑が建ったことは、それだけ広島から戦後移住した人々が多かった土地柄もあったのかもしれないです。建立当時1981年では被爆地以外でのこのような碑が建つことはひじょうに珍しかったようです。
 寒地信州でもアオギリ二世が育っているのですから皆さんの近くにもあるのではないでしょうか。クスノキやナンテンハゼなどの木も被爆地から贈られることがあるようです。

2021_1119記
月と渋柿

 この一週間で裏庭のマメガキの木が裸木となりました。
 葉はすべて落ち渋みある実が残るのみです。
 その姿はかんざしのようでもあり、連なるものはソロバンの玉のようにも映ります。
 そんな晩秋の夕の東の空に月が満ちかけています。 ほぼ5時には暗くなる昨今、今夕5時57分が今月の満月時ピークにあたるようです。
 そのピーク時に今回は部分月食が見られるのだといいます。
 月が欠ける最大時刻は6時2分と予測されています。ですから満月のピーク時と5分しか遅れず、熟しきったところで夜空は月を食べるようです。
 月の味はいかに?
 その後 月食は解消され満月の姿に戻っていくのだから、月には毒またはマメガキのように渋みがあるのかも知れないです。

 今日のスケッチは葉を落としきったマメガキの枯れ枝です。
 月の味は知りえませんが、マメガキは寒気につつまれながら渋みが抜けていくようで年が明けたころ、しきりにヒヨドリが来てそれをついばむようです。
 今年は実が少ないので数日でなくなるのではないだろうか。
 今夕の部分月食はマメガキの裏庭から見上げやすいので、久しぶりに夜空を見上げてみようかな。

2021_1113記
風櫛がかかるころ

 今週は強めの風が数日吹き、木々の葉を沢山落としました。
 裏庭をにぎわしたのは、ツタの葉とマメガキの葉たちです。ツタは庭にはないのですが風が運んできます、どれも赤く紅葉しているので目立ちます。マメガキの葉は紅葉したものが落ちる時がありますが、通常は緑のまま落葉し、今年も緑の落下でした。
 そんな、裏庭の落葉をよけている中に 今日のスケッチのものがありました。
 縦横5㎝に満たないアシナガバチ類の巣(コアシナガバチかも)でありました。どこから飛ばされてきたのか、柄がとまっていた面はわずかにくすんだ青い色が付着しています。
 アシナガバチはあまりにも日常的でありますので名称を丸暗記していましたが、足が長い蜂となるようです。これは飛行するとき主に後ろ脚をダラリとぶら下げるように飛ぶ姿を足が長いととらえたようです。スズメバチはその後ろ脚をお腹に引き寄せ飛行しているようです。アシナガバチの名前には昔の人の観察が素直に表現されたのでしょう。

 来年の干支は「とら」。
 トラの外見は黄色地に黒い縞々。
 この取り合わせをアシナガバチやスズメバチたちも持ち合わせています。
 スズメバチは雀のほうに大きな蜂の意味合いのようで、地域によってはクマンバチと熊を持ち出す蜂名となっています。海の向こう台湾では虎頭蜂とされているようで、熊と共に出くわしには注意の獣名が頭についているようです。
 裏庭のマメガキの木は、今年はあまり実を付けなかった。
 わずかに実った小さなオレンジ色の実たちが この一週間でマメガキの枝の主役となったようです。 冬と冬に来る鳥たちを待っているようです。

2021_1110記
耳、動きますか

 人間は頭の右と左に耳を持っています。髪の毛が長かったりすると左右の耳は隠れています。
 動物の耳は正面からのイラストなどで表現するとき前向きに描くことが多いです。イヌ・ネコはもとよりキツネ・タヌキ・クマ、それにウサギやリスなども前向きに描き耳の存在が強調されます。特に野生動物たちとはなかなか出くわすことがないのでイラストの表現が本物の在り様と思い込んでしまいます。
 しかし動物たちの中には人間と同じような位置ではありませんが、横向きの耳を持つ動物たちがいます。
 そのことに気づかせてもらったのは県内複数の自然保護センターのはく製となった動物たちでした。
 今日のスケッチはそのはく製たちの中のウサギ(乗鞍センター蔵)をスケッチしました。ごらんのようにウサギは明らかに横向きに耳がついています。他にリス・ムササビかモモンガの類の動物が横向きであったようです。ただキツネやシカ、ネズミたちにしても普段を前向き(もしくは斜め前向き)としても横向きにできる器用な耳をもっているようなので、ウサギも前向きにすることができるのかもです。
 そう考えると人間の耳と云うのは、固定された形状で不器用でありながらも機能している耳に思えてきます。中には器用に耳を動かせる人もいるのか。

 そろそろ山のウサギたちも冬毛になっているのだろうか、先日山の散策路に張られたロープに(たぶん)シカの毛が数本はさまっていました。見上げる高山2000m以上では白い頂となってきた今日この頃、里はしばらく温かめの晩秋を過ごせています。

2021_1106記
トビの手

 冬が近づくとトビを空に見かけるようになります。
 時に集団で旋回して青い空を徐々に移動していく行き先を見守ってしまいます。今日のスケッチは、そんなトビの群れの一部をスケッチとしました。

 スケッチの一番手前のトビがそうですが、羽を広げその先端に人の手を広げたようなシルエットとなります。この手のひらのような部分の羽を初列風切羽かぜきりばねと呼ばれているようです。この初列の羽たちは人の手首から先にあたるとあります。私がスケッチした自分デジカメで撮った画像では6本指の手を広げているようでしたが、だいたい11枚で初列は構成されていて高度を上げ下げするとき・滑空するときなど臨機応変に動かしているようです。
 トビの羽を広げた姿を先に見てしまうと、羽をたたんだ時 尾羽の先に腕の羽たちがはみ出しそうです。しかし着地すると尾羽の手前にすべてが収まっているのが普通です。どうやら折りたたみ傘のように羽はしまい込まれるようです。
 鳥たちは様々な進化の工夫を体にため込み、人が生きる同じ環境内で空を飛ぶことを手に入れたもようです。
 様々な生き物・生き方に敬意を持ち接したいです。

 日本のコロナがおだやか状態にあります。
 各都道府県の感染者数マップでは、すべてが減少しています。
 ただ一区画だけ、かわらない数字を伝えているのが「空港検疫など」です。1日7人前後、月で240人ぐらい、これは9月以降も同じです。
 検疫で陽性とされた内訳が日本国籍と外国国籍に分けて発表されていました。だいたい外国国籍の方々の方が倍近く多いようですが、日本国籍の方々が外国国籍を上回るまたは迫る月の翌月にコロナの波が来ているようでした(総数でも多い月となっていた。今年の7月:日213、外151と昨年の12月:日170、外190)。「空港検疫など」、11月に入っても一日7人平均で推移しています。

2021_1031記
平安のにおいを受け継いで

 ヘッピリムシと呼び合った小さな昆虫が関東で過ごした小さい時いました。
 しかし今住む長野の暮らしでは見かけない。それは私が地面に近い高さであまり行動をしないがため見逃しているのかもしれない。しかし周辺の子供らもそれを話題にしている子を知らない、最近の子らも地面に近い高さであまり遊ばないのだろうか。
 関東東京区部の端っこだったがヘッピリムシは、オナラをする特技からカブトムシやクワガタがいない環境だったので甲虫としての知名度はヘッピリムシに勝るものはなかったように思い返します。どちらかというと湿地を整備したような地域だったので昆虫と言えばトンボ・バッタが主でセミ・チョウがそれに次ぎました。ヘッピリムシも1~2cmだったと思いますが甲虫というものは皆小ぶりのイメージがありました。
 ヘッピリムシの正式名は「ミイデラゴミムシ」というらしい、今日調べはじめて知りました。三井寺(みいでら)と云うお寺に『放屁合戦』なる巻物があり、その放屁はオナラ、これを武器にして合戦図は描かれています。そのブー器は煙が立ち上がるようなものでなく、どれもレーザー光線のように目標人物に直線的にとどく元気なブー器たちであるようでした。この巻物のインパクトも相当なものだったのでしょうワンクッションおいて所蔵のお寺の名がヘッピリムシについているようでした。

 今日のスケッチはお腹の大きなメスのクヌギカメムシと思われます。
 長野ではカメムシがヘッピリムシのような存在かと思っています。踏んでしまうと屁とは異なりますが嫌なにおいがします。嫌な臭いは彼らを天敵から守る武器となっているのでしょう。
 ヘッピリムシをトノサマガエルサイズのカエルは食べれないようです。生死を分ける放屁能力。子供の頃ふつうに話題にできたこのヘッピリムシことミイデラゴミムシ、東京都では現在 絶滅危惧種となっているとのこと。
 本文絵巻「放屁合戦」は平安末期(1100年代)の作、ヘッピリムシの正式和名には900年前のにおいが漂っているようです。

2021_1027記
虫の知恵、人の知恵

 秋の陽はつるべ落としといいますが、今秋の朝の温度計もつるべ落としでした。
 温かい朝(10℃以上)が続いた秋でしたが、10月中旬一気に10℃以下5度以下、ほぼ0℃まで昨週末は下がったようでした。
 あたふたしたのは人間だけでなく同じ環境の中生きている動植物も、その対応におわれたことでしょう。
 今日のスケッチは、洗濯し干しておいたズボンを室内に取り込んだのち 中からこぼれ落ちた昆虫でした。
 ミツバチ?などにも似ていますがハナアブのようです。針は持ってないようでしたし室内とはいえ低温で動きが鈍かったので縦横上から写真を撮り、その後スケッチしたのです。昆虫を含む動物は動くし小さくもあり、こういう時でないと なかなか写真にとれないものです。
 ナミハナアブと云う名がつけられたハナアブではないかと思いますが、スケッチ下の正面からの様子は一つ目アブとあだ名をつけたいです。
 針はないとはいえ室外スダレの内に出てもらいました、寒いだろうの配慮から、コーヒーフィルター紙に包み多少の気づかいをさせて頂きました。翌朝にはまだそのフィルター紙の中にいましたが、次の朝には空のフィルター紙となっていました。

 冬を彼らも越えるのでしょうね。
 昆虫針には用心の季節です。
 昆虫ではありませんが、針に刺されました。その針は刺される前に「説明書を読み、効果や副反応などについて理解しましたか?」などとチェックさせしたのでした。
 「質問ありますか?」
 「はい、副反応について。すぐではなく中長期的なそれはだいたいどれくらい後に出てくるものですか?」
 「10日ぐらいです。長いもので1ケ月後。いずれにしてもデーター蓄積がないので・・・」
 「インフルエンザ接種の副反応は見てきています。それらもそれぐらいで症状がでてきたのでしょうか?」
 「非常に少ない%ですが、出てきた時はそうです」
 接種直後の副反応についてはよく見るが、中長期的副反応のことは全くといっていいぐらい語られていない。知人で接種後、約1ケ月後、体に赤い斑点が現れ皮膚科医院に見てもらったと話された人がいました(それがあったので質問をしました)。その時聞いた病名の中にインフルエンザ副反応に載っていた病名があり、難病、命にも通じることがあるとも検索できました。知人はそのもっと手前の段階と思いますし、治療薬でとりあえず現時点では落ち着いてきているようです。この症が接種の薬によるものかどうかは分からない。知人のことでもあり接種後のデーターの一つに加算されるものとならない事を信じたいです。
 しっかりの限度がありますが、「デメリットがワクチンのメリットを上回る可能性はどの段階においても極めて低いと考えられる」と推進されている感染症対策はしょうがない一面もありますが、自分を多数派のメリット側普通人と決めつけずに自分を見つめ直しの心はもっていたいですね。

2021_1023記
ザンバラねぎ坊主

 「やちぼうず」と云う言葉は釣りキチ三平なる漫画本かテレビから知ったと思いかえします。漢字書きすれば谷地坊主は人の名前あだ名。北海道釧路湿原を主に北の大地で漫画の主人公三平とイトウなる巨大淡水魚釣りを競った人物で、大男、豪快さと繊細さを持ち合わせた釣師とのこと。
 私にとって未踏の地であった釧路湿原は得体のしれない領域であり、底なし沼がそこかしこにありそうな感じをもっていた。その釧路界隈には谷地坊主と愛称をもらった造形があるのだといいます。スゲ類の草が湿地に成長する過程で根茎が凍み上がるように地上部に露出し、その姿が人の頭に似ていることからそう呼ばれたようです。ザンバラ髪の巨大ネギ坊主の感じです。
 谷地坊主は愛嬌のある造形なので子供たちの遊び場所にもなったようですが、釧路開拓の時は切除が大変で厄介がられたとのこと。
 この谷地坊主の造形は本州内の高層湿原にも見られるところがあり、長野県霧ヶ峰踊場湿原にもそれが今も育っています。ただ湿原内水かさの多いときは根茎の部分は水に浸るので池に浮かぶ緑の飛び石のように点在しています(立入できない湿地なので遠目より見ると)。釧路あたりは普通に高層湿原が太古から形成されてきた所ではなかったか。谷地とは、このように湿地を表す言葉でもあるようです。

 今日のスケッチは、谷地の苗字をもった木の葉、ヤチダモの葉です。上が表側、下が裏側。
 葉の付け根部には特に裏側にフェルト状の茶色の毛が形成されていることは、この木の特徴のひとつと感じました。ヤチダモはスケッチのように広葉樹でありながら真っすぐな幹をなすので、家具材などにも利用できる大きさの材が取れるようです。その時はただ単にタモまたはホワイトアッシュと呼ばれているとか。私もかつてこの材をエレキギターのボディーに使ったことがあり、端材利用で竹とんぼなどにもしたっけ。
 このスケッチのヤチダモは松原湖畔に立っていたもので、ちょうど落葉してきた枝葉をスケッチしたものです(奇数羽状複葉で落下する)。松原湖は三平と谷地坊主が競った魚イトウはいませんが、ヘラブナ、ワカサギを主にイワナ・ナマズ他10種前後の魚がいると聞いています。初冬の松原湖にて。

2021_1020記
Gotoドライブ

 浜昼顔は歌謡曲の詩ではじめて知りました。
 五木ひろし歌唱古賀政男作曲で詩は寺山修司となっています。
 浜昼顔は海辺に生え、ヒルガオの仲間のようですが、ツルによって他の物に絡みつくようなことはせず、海岸地面を這うように成長していくようです。
 今日のスケッチは日本海直江津の海岸に生えていたものです。
 冒頭の歌「浜昼顔」の発売が6月であったように、花はその頃に咲くようであります。その後盛夏前にはアサガオみたいな種をつけるようでありますが、 今はもう秋深く葉だけでありました。
 やがて地上部を枯らし、地下茎は生き翌年 芽吹き花をつけるようです。旅先の砂浜によく見かけるが、私の育った東京湾堤防の隙間や埋め立て地には生えていたのだろうか あまり記憶にないです。よって中学ぐらいで耳にしたと思われる五木ひろし「浜昼顔」には浜で咲くヒルガオぐらいに思っていたようでした。

 工作用の石が不足したのでコロナ他の私事情もあり、たぶん4-5年ぶりに新潟の海に行ってきました。久しぶりの長時間の運転を何とかこなせたようです。
 長野から国道18号を北進し新潟県に入ると道が徐々に直線的になっていった。そうこうしているうちに道路の向こうの空に挟まれ上越の町が見えてきました。空はよく見ると二段になっていて、下段の空は少し濃い色をしていた。久しぶりにその水平線を見たとき少しワクワクしました。
 ガソリンスタンドはセルフが増え海行きの前日レギュラーを入れると1リッター170円だった。えらく高くなっているが強風豪雨のようにやり過ごすしかない。
 でも ガソリンの内容を調べてみましたよ。1リッターあたりガソリン税と云うものが54円、石油税と云うものが3円ぐらい掛かっているとのこと。これはガソリン本体価格が高かろうが低かろうが変わりなく1リッターにかかります。
 ガソリン本体価格はいじれないにして、ガソリン小売価格の40~50%が税金なのです。そこでアイデアとしてgotoキャンペーンでガソリン税を一時的に下げる政策はないのだろうか、燃料費が安くなれば旅行しやすいプラン・宅配しやすいプランも新に組めるのでは。トラベルでなくとも買い物へ行くのも車の地域も多いはず、gotoを再びやるなら広い対象者がその得を受けられるものにしていただきたい思いです。たとえ(暫定分)25円税を取らないとしてもレギュラーガソリン小売値170円は145円としかならない。庶民は145円を数か月前の当たり前の価格と受け止めるかもしれないが生活は助かる方向にあることはまちがいないと思うのです。

2021_1015記
高性能間接メガネ

 収穫の秋にあるようで、私の所にも有難いことにおすそ分けの果物が届いています。
 普段は台所で皮を剥き、その皮ゴミはチャック式の袋に入れて置き果実を食べるのですが、この秋はいくつかの果物を2階の部屋で皮を剥き二階のゴミ箱にそのまま投げ入れました。
 何日かして蚊ほどの虫がとんでいたのに気づいたのですが、蚊ではなかったので「まあ、いいか」と過ごしていたのです。その後ゴミ箱の整理をしたとき、そのコバエが沢山いることにびっくりさせられました。ゴミ箱の中で卵がかえったようです。
 室温は秋盛りとはいえ20℃から25℃ぐらいあったので、それもかれらには好都合だったのでしょう。
 私も、発生したコバエを攻撃しないので、かれらもお椀の縁に着地したりしていた。それをデジカメで撮ってみた。今時のデジカメの性能にはビックリする、わずか2-3ミリのコバエが図鑑のように撮れた。コバエはただ飛んでいると体の色までは私の視力では感じ取れなかったが、撮ると目だけがしっかり赤いことが分かりました。
 それでショウジョウバエということを体感できたのです。デジカメは間接メガネといってもいい、今回のように小さい物を拡大し見れたり、遠くの鳥をデジカメなら種を判別できることがあった。ピントを合わすテクニックを身につけていれば近眼・乱視・老眼問わずデジカメは視力アップ生活を体験させてくれる優れものに感じたひと時が結構あります。

 今日のスケッチは、そのショウジョウバエです。
 ショウジョウバエは、そもそも何処からやってきたのか?の問は、やはり外からやって来ているようです。蚊の発生で蚊取り線香を何回も焚いた部屋ですので、ほぼ同程度の大きさのショウジョウバエは侵入してきても当然かも知れません。ルーズに外との扉を開けたままの状態の時があるのは確かで、先日台所の調味料のキャップの上にお腹の大きなカマキリ譲がいたことがあった。
 カマキリ譲には調理用ザルに乗っていただき野外に帰っていただきました。

2021_1012記
舞い飛ぶ種子埃

 種の季節を迎えています。
 食べられれば、それを収穫の季節というのでしょう。

 種は 最終的には地面に到達し、そこから来るべきタイミングをみて発芽へのプロセスがあるのでしょう。
 その地面までの経路が植物によって様々なようです。
 タンポポのように風に多くをゆだねるもの、水辺を好むキショウブは水面への落下から流れにのり新たな岸辺にたどりつくようです。
 バカことセンダングサの種は人間の衣類に付くことを目的に進化したのではないかと思うほど、里においての獣:狐や狸、犬・猫ほどの背の高さではセンダングサの種子の高さにとどきにくいのではないだろうか。実際はどうなんだろう。
 今日のスケッチは、亜高山帯に多いサラシナショウマの種子です。
 数ミリの種子本体に羽根状のひらひらが両側に沢山付いていました。色は琥珀色と云えば品が良いのですがゴキブリの薄い翅のような色でした。まだ壺型の鞘の中にあったものを手のひらに落としのせました。
 その時ほんのわずかな風が。その瞬間手のひらに載せた種子が手のひらの外に出ていこうとしました。まだ観察途中だったので手を閉じ種子の逃亡を阻止しました。タンポポの綿毛のように見るからに軽そうな感じではないのですが、空気の動きにすごく敏感でありました。

 最近コロナが収まり加減でありますね。
 感染爆発のころ見た動画でマスクの付け方を工夫していたものを、木工機械仕事時やってみたところ効果が実感できました。
 それはマスクの周辺の隙間を作らないという基本なのです。不織布マスクで鼻のまわりやホッペの隙間があるとそこから空気が出入りするので、その上に二枚目のマスクにフィット感のあるウレタン製のマスクをし、これは一枚目の不織布マスクの隙間を抑える用途で使うと紹介されていました。
 この二重マスクの装着方法で木工粉塵の中作業をしたら、隙間ができないように装着した不織布マスク一枚の時とは明らかに異なりました。ウイルスと粉塵とは違うのですが粉塵で時々せき込んだ一枚不織布マスク、そういう事がなかった二重マスク。
 ウイルスの中で実験するわけにはいかないししたくないので、ご自身のホコリっぽい家事仕事などするとき、それぞれのマスクテストをしてみてもよいかもです。
 参考にしたURL(35分ぐらいからマスク内容)→サイエンス映像学会2021/0902

2021_1008記
申し訳ない蛾

 裏庭、東側の空に大きな蛾が宙に浮くようにクモの巣にかかっていました(今日のスケッチ)。
 このあたりでは、はじめて見たクスサンに相違ない。
 クモの巣はすでに使われてないものだったか、引っかかったクスサンがあばれたからであったか、クモの巣は壊れながら宙に渡っていた。すでに動きのないクスサン、クモの生活もあるのでそのままにしておく。
 翌朝、まだクスサンはそこにあった。そして少し翅が動いたのだ。
 「生きているんだ」と虫取り網で手繰り寄せた。
 クスサンの入った網を野外に口を開き立て掛けておいたが、その後飛び去りもせず、力尽き網の底に崩れおちていました。寿命でもあったようです。

 クスサンの成虫は夜行性とあり、昨年までにも飛んでいたのかも知れません。
 引っかかっていたクモの巣は家の一階の屋根とマメガキとに掛けられた巣でありました。
 クスサンの幼虫が、よく栗の葉を食べ困らせることを耳にします。クスサンの幼虫は一匹なら大きな明るい毛虫だと興味も湧きますが、栗の木全体にいる光景は気持ちのいいものではないでしょう。
 その幼虫がもっとも好むのは栗のようですが、多様な木の葉をエサにできるようです。その何番目かの好物に柿の木もありました。引っかかっていたクスサンは触覚のか細さからメスであったようなので来春裏庭のマメガキの木にクスサンの大発生なんてこともあるのかもです。おおむね地上2m以下に産卵するようなので、そのような壁や幹にそれらしい卵群が貼り付いていたら冬のうちに申し訳ないガ取り払うことにしよう。

2021_1003記
ドングリの歴史

 鳥にシギと云う仲間があります。主に水辺で見かけるものは、長めの足で移動しながら地面を口ばしでつつきエサをさがしている姿。
 シギの口ばしは長い。その口ばしで地面の中のゴカイや貝・カニ、ミミズや昆虫らを食べる。口ばしの形はまっすぐな物が多いが、鎌先のようにカーブしているものが印象に残ります。
 そのような曲がった口さきを持っていることからか、昆虫:ゾウムシの中にシギゾウムシと云う仲間がいます。
 これらのゾウムシはドングリに穴を開けるものが多いようです。まだドングリが青い頃、シギゾウムシは長くカーブ気味の口をドングリの帽子部(殻斗)に深く差し込み、その作った穴に卵を産み付けるとのことです。ドングリが茶色に色づき落下したのち中で孵化し育った幼虫はドングリから抜け出し地面に潜り蛹として冬を越すのだといいます。
 コナラシギゾウムシ、クヌギシギゾウムシ、クリシギゾウムシなどがそれぞれのドングリにいるようです。

 今日のスケッチは、小ぶりなヤマグリの実です(1.5㎝ぐらい)。
 クリの実がたわわに落ちる頃となっています。小さな穴が開いているものが結構あり、きれいな姿のクリは少ないです。野生のクリの実の生存できる確率は1%に満たないと読めるものがありました。ゾウムシの他にも人間も含め食害されるものは思いのほか多いようです。
 クリは縄文時代自分たちで植え、その実を食糧に、幹など材は建材等に使ったようです。稲作がはじまった弥生時代、縄文時代はそれ以前 おおよそ1万2千年以上前です。その頃すでにクリを好物にするクリシギゾウムシは、いたのでしょうか。
 スケッチのような実を20ほど持ち帰り、茹でおやつとしました。
 私が実を拾ったクリの木にしても縄文、いや地球誕生からの時の流れ命が受け継がれていると思うと、森は今でも神に思えてくる。

2021_1001記
秋の虫かご

 カエル、セミ、秋の虫。
 鳴く声を響かせるものたちが、今年も移り変わりながら減衰の頃をむかえています。
 大きな音を発せることは、耳をもっていることになります。
 カエルは目のうしろ、人と同じような位置に耳たぶのない耳があるようです。
 セミはというと、後ろ脚の付けねあたりのお腹に仲間の音声を聞き分ける器官があるようです。
 コオロギなどの秋虫たちはというと、前脚の中ほど。人間でいえば肘よりわずかに指先に近い所になります。
 たぶんそれぞれの生き物で聞き分ける音域・フィルターもちがうのでしょうね。

 今日のスケッチは少年の虫かごに入っていたスズムシの翅模様です。左がメス、右がオスです。
 遠き昔に夜の石垣の間に鳴いているスズムシの記憶がわずかにありますが、それ以外は虫籠の中のものです。今回も虫かごのそれでありました。
 かれらのプラスティック製虫かごにはオスメス一匹づつ。あとはキューリも入っていたが好みでドングリや赤い木の実が草の葉といっしょに入っていました。スズムシを自分も飼ったことがあったのですが、その時も楊枝に刺したキューリやナスの輪切りを土に刺して見ていたようでした。カツオブシでも与えたのだろうか?主に動物食とあるのでキューリなどは水分補給となっている。餌が足らないと共食いも有とのこと。
 江戸時代から虫を籠に入れ近くに置く風習が夏あったようです。今 虫かごに飼うのはカブトやクワガタが相場ですが、江戸期は鳴く虫たちであったようです。虫売りの期間は旧暦6月から同じく7月盆前まで。今の暦ですと6月下旬)から9月初旬。
 旧暦8月15日になるとその籠の虫たちを逃がしてやった行いもあったとのこと。それは仏教の不殺生やめぐる命への思いやりがあったとの事です。

2021_0927記
この島国のマスク

 奈良のナットウ(710)平城京。鳴くよ(794)ウグイス平安京。
 私が小学生時分 父が教えてくれた歴史年表でありますが、人の作った史はこうやって覚える対象となりやすい。
 その前の古墳時代、そして弥生や縄文、その先の旧石器時代などは皆年表末尾に「頃」が付くのであります。例えば縄文時代は紀元前14000年頃から紀元前10世紀頃。私たちが学校で習う歴史の前に途方もない年月がありそうです。
 旧石器時代には、寒冷な気候の中 大陸と日本列島は氷の橋も合わせ地続きだったといいます。これにより大型の哺乳類が人も含め入りこんできたようです。マンモスやナウマンゾウなどと云う象たちはこの頃の地層から発見されたようです。それどころか現在北海道を南限としているヒグマや日本にはいないヘラジカも本州深くまで南進してきたようです(マンモスは北海道まで入る)。これとは逆に南から北上していった動物にナウマンゾウがあり、ヘラジカと同程度の体格のオオツノシカと云うツノがリッパな鹿がいたとのこと。人はこれらの動物(=食糧)を追いきっと北からも南からも入ってきた事でしょう。
 その後、暖かくなり大陸と離れ、人も含め生態系が淘汰され奈良のナットウ(710)以降の歴史が今に続くのでしょう。

 今日のスケッチは、現在日本に生息するニホンジカです。
 このメスシカは子を1つれ度々この夏遭遇し警戒音を発せられました。
 日本列島がそれ以降も大陸と地続きであったなら、私たちの習ってきた歴史は変わっていたことでしょう。島国であったための有利不利はあったことでしょう。現行の感染症対策でも、島国であることの利を考えて頂きたいです。港は空も含め、国の口鼻であり排泄口と思われます。その口において国としてのマスクの付け方を考えて頂きたいです。何度も新しい変異種が入ってきていることは末端の飲食店や家庭環境からでなく、きっと国の口鼻から入ってきたのではと考えるからです。どんな利用目的や職種の方々が空港などで感染が見つかってきたのか、そういう末端でなく源にもっと目を向けて頂きたいです。

2021_0922記
桃栗3年、10年は一昔

 今日のスケッチはツノハシバミと云うハンノキ科の木に生った面白い形の実です。
 この三方向にのびている角のような物の中にドングリのような実(スケッチ右下←)が入っています。
 クリが毬で防備しているようにツノハシバミの実は尖がった葉色の毛深の鞘でおおわれている分けです。クリの毬のように針に刺される用心は要りませんが鞘を覆う毛は触るとかゆみを私の手は感じました。敏感な方は用心です。

 上り行く自転車はのらくら登坂するので、林縁にも目が向きます。そんな時2年前この特徴ある実に出くわしました。 家に戻り調べみると「ツノハシバミ」と名が付けられている低木とその時知りました。
 今年そのツノハシバミの実があちこちに。今年はこの木の実の当たり年なのかも知れません。もう一度ツノハシバミを調べみると「実は殻を割れば、中の物は炒っても生でも美味しく食べれる」と追加の知識を得ました。
 そんな分けで次に見つけたら中の実を食べてみようと思っていたのです。

 角袋を割くとドングリ状の物が出てきたのは上記の通り、その皮を爪で裂くと薄いピーナッツ色の中身が出てきました(スケッチ右下→)。しっかりガードされて枝についている状態でしたのでかじってみる。
 「ほんとうだ美味しい」

 ツノハシバミの実は柴栗と呼ぶところもあるようです。
 またヨーロッパでの同属セイヨウハシバミの実はヘーゼルナッツととのこと。意識して食べたことはないのですがチョコと相性がいいとなっているので多くの日本人の口にも著明なメーカーのチョコレートとして馴染みの木の実なのかもです。ツノハシバミの実は、和製ヘーゼルナッツの呼び名もあるようです。でもそんなに大きな実ではないし、野生のものはその中で大小があり、つまみ食い程度で頂いた次第です。
 ヤナギの幹の枯れた部位から、キノコを1持ち帰り味噌汁にも入れました。秋になりましたね。コロナは2年目。キノコは10年前からほぼ同じ地域で採取注意が続いています。長野県特に東北側はグレーゾーンなので、地面から出るものは採らないことにしています。そういった環境の変異は、コロナの下敷きになり、多くの日本で すっかり昔のことになっていませんか。

2021_0919記
北海道のヒ熊とマ熊

 北海道でも行商をお願いした所がありました。船で付いたその日の夜近く湖のほとりのお土産物店を訪ね「(とある雑誌で私の行商風景を紹介してくれたページを開きながら)これこれこういう物をつくりながら明日一日お店の前で行商させていただけないでしょうか?・・・買ってくれた人にはこのギターで感謝の歌をうたいます(と感謝の歌ではない自作の歌を歌ってみせた)」
 ここの店主は後で知ったのですが尼さんでもあったようで、行商をOKしてくれた。翌日行商し、その旅の心意気と資金の上乗せができた。

 北海道はただ道を行くだけでも本州の景色とは異なるので思い出にできたのであまり山には登らなかったです。それに薄暗い山道にはヒグマが出そうで嫌だと思っていたこともありました。
 意を決して登った山に樽前山がある。おおいかぶさるような樹林の中道を無事通過後、登山道は大きな左カーブをえがき山頂へと続いていました。

 北海道には有珠山・昭和新山などもマグマの押上で山が形成された山々がありますが、樽前山にも台形の溶岩ドームがあります。
 今日のスケッチは秋のモグラ新山(裏庭目立つところにできたモグラ塚)です。
 モグラは一年中エサを得るため地下に隧道を整備するようです。冬寒くなるとエサとなるミミズらは地下深くもぐるので、それに合わせ冬は深い隧道を使うとの事。ここ何日かモグラの掘り返しが多発しています。まだミミズたちの糞を夜明けの地面に確認できるので冬支度のための穴掘りゆえのモグラ塚には早そうなのですが・・・
 直径約30㎝、高さ約15cm。土をていねいによけていくと掘り出し口は約10㎝ぐらい。土ばかりでなく古い果物の割れた種(桃?)や3㎝ぐらいの石もありモグラの体で地上に掘り上げるのは労働であったことでしょう。
 大きな地震から約10年、際立った東日本での火山活動は御嶽山になるのでしょうか。この2014年9月27日の噴火では昭和以降日本で最多の犠牲者63人(不明を含む)を出したとの事です。ストレスのたまっている山がないといいですね。

2021_0917記
セピア色海獣記

 昭和初期に日本も南極海のシロナガスクジラ捕鯨に参入したようです。
 今 横浜ベイスターズはインターネット関連のDeNAが母体となっていますが、私の少年時代は水産業関連の大洋漁業がそれと知られていました。
 その大洋漁業の南太平洋における底引き網トロール船において怪獣ではないかと騒がれた腐敗した生物が引き上げられた事がありました。時は1977年、新聞はまだ白黒印刷。その紙面に宙吊りにされた謎の生物が大きな写真と共に記事になっていました。
 高校生だった私はほんの一時期でしたが新聞の切り抜きをしていました。続かない日記帳のようにじきに切り抜きをやめてしまいましたが、他の切り抜きはさておきこの南太平洋で引き揚げられた『南太平洋にネッシー?!』の記事は今でも保管したことを覚えているのであります。
 その新聞記事にネットで再開できました。その文面には「ニュージーランド沖…大洋漁業トロールの網に大きなヒレのある爬虫類らしい死体がかかりネッシーではないかと乗船員たちのあいだで騒がれ…その死体は腐敗が進んでいたので取った魚に影響するということで船長が投棄を命じた…体長約10m、首の長さ1.5m、尾の長さ2m」

 その後の解明・推測もネットで覗けました。
 サメの一種のウバザメの腐敗したものではなかったかの一説がありました。ウバザメはサメの仲間では20mぐらいになるとされているジンベイザメに次ぐ10mぐらいになるサメのようです。その最大級のものがトロールの網にかかったとの推測がなされていました。ウバザメの次に大きいホオジロザメは人をも襲うがウバザメの主食はプランクトンみたいです。 人の興味を長く引き付けてくれてこそ未確認生物、そこにはかすかな大発見との遭遇を期待してしまいます。その点、新聞写真が白黒であったこと、写真は撮ったが業務上、船から投棄され現物がなくなったこと、新聞で記事になったのは7月下旬だったが海獣が網にかかったのは3ケ月前の4月下旬であったことは、想像と期待をもちながら見た新聞記事でありました。
 今日のスケッチはそのウバザメをwebより参考に描きました。現物が保管されているわけではないので、ウバザメは推測された生物です。
 東南海はしばらく風がつよそうです、関東から東海あたりで勢力を弱めながらも迷走しそうな台風が来ています。人は戸締りを、海の魚たちは深みにでも入るのだろうか。

2021_0911記
船に乗ってきたネズミとキツネたち

 北海道の東海上に北へとせり上がるように千島列島がつづいています。
 その先はカムチャッカ半島。その半島中ほどから東海上に、コマンドルスキー諸島を含むアリューシャン列島が北米大陸まで連なっています。日付変更線がその列島の間を縦断し、アジア大陸と北アメリカ大陸を分けるベーリング海峡を経て北極海へ。
 そのベーリング海峡のわずか南にセントローレンス島と云う日本の都道府県では京都府の面積程度の大き目の島があります。物語は19世紀後期この島からのネズミの移動により始まったようです。 ネズミは野ネズミ、これをアリューシャン列島内のベーリング島にキツネの餌として運ばれ、キツネは当時毛皮をとるため飼育されていたそうです。
 ここのキツネが千島列島当時日本領だったシムシリ島に送られたそうです。
 その約10年後、日本では大正が昭和に代わるころシムシリから北海道稚内沖の礼文島に、毛皮用途だけでなく野ネズミの駆除目的で持ち込まれたとのこと。このキツネたちが人への感染をもたらすエキノコックス症を島で一時期を過ごした方に発症させ、日本でのこの病の口火を開いたとのことです。

 アラスカと北海道の距離は、東京とベトナム:ハノイとの距離に匹敵します。エキノコックス包虫はネズミ体内で成虫、そのネズミを食べたキツネ体内で卵を産みます。アラスカと北海道のエキノコックスDNAが一致しているとのことです。
 礼文島でのエキノコックスは、かなり前に絶えているとのこと、礼文での感染のピークは昭和10~15年ぐらい、潜伏期間があり死亡のピークは昭和30~35年。
 礼文に移入されたベニギツネは12つがいと記述されているものがあり、正式に持ち込まれたのか、個人が知恵の一つとして持ち込んだのかは?です。
 その後なりを潜めていたエキノコックス症は昭和後期に礼文対岸の道北でなく千島列島隣接の道東から全道に広がり、虫下し用の餌をまくなりの対策もとられているとのことです。
 最初のセントローレンス島の野ネズミがベーリング島に運ばれたころはアラスカ一帯がロシアからアメリカに売却されています。そしてシムシリ島から礼文島へのキツネの移入はロシア戦争後の日本国内での移入。当時の産業をバックに人の歴史がここでも大いに関りをもっていることが感じられます。また生物の移動に、きめの細かさが必要なことも感じました。
 今日のスケッチは山のキノコ、姿まんまるホコリタケ。別名キツネノチャブクロ。

2021_0909記
山のフルーツの種は胡麻粒サイズだった

 実りの秋に入りつつあります。
 山ではサルナシの実が熟してきました。サルナシは小さなキウイフルーツ、一度食べてみれば それを実感できます。しかし弦植物のサルナシは高木の枝先に巻き付き成っている事が多く「やはりヒトナシではなくサルナシだよね」と見上げるだけの秋味覚になりがちです。
 雨が降った時、その実を落とすことがあり、サルナシにありつけることがある。
 先日そんな雨上がりの林道に落ちていたサルナシの実(俵状3㎝ぐらい/色はキウイの中身みたいな灰ミドリ色)を6つほどズボンの左前ポケットに詰め込み帰宅しました。しかしサルナシのことをすっかり忘れてつぶしてしまい食べられずもったいない事になってしまいました。
 ズボンは洗濯板手洗いなのでその部分だけ洗ったのですが、シャボン泡や泥水にまじり黒っぽい点々が沢山あることに気づきました。今日のスケッチはその黒い点々(乾くと薄茶色の点々)たちです。サルナシの種のようです。
 ちょっとしたアクシデントから新事実をひきよせる事ができる時があり、サルナシは今まで実ばかりに気を取られその中の種など気にしていなかったのでした。キウイも同じように黒い実があり果肉と共にみな食べてしまいますね。「サルナシの種」を身近に出来たしだいです。
 30倍の虫眼鏡で見れば、種の表面は落花生の殻にも似た凸凹が全面をおおっていました。これはキウイの種も同じようでした。

 山野の食材は楽しみでもあるのですが、最近エキノコックスの記事を読み注意しなければの思いを持ちました。
 エキノコックスは北海道のキタキツネ経由でうつる感染症と思っていましたが、本州内の犬でもわずかですが報告されているようです。どういう経路でそうなっているのか?ですが、エキノコックスはキツネ・犬・猫・イタチらの糞と共に卵として排出され、それを山菜などと共にネズミが食べ、ネズミの体内で成長し、そのネズミをキツネが食べるとなっています。このサイクルの中には人は入っていないのですが、感染しているキツネほか動物にさわったり、虫卵がくっ付いている食べ物飲み物を口から取り込むことで人への感染症となるようです。潜伏期間が長く、ただちに影響がない月日が流れたのち内臓・脳を患い命にかかわることがあるとのことです。
 沢水や路地に落ちた木の実などはサルナシを含め注意が必要なのかもです。もう沢山お腹の中に数年来そういうものが入っているから、すでに何らかの病の元を取り込んでいるかも知れない。時すでに遅しかもですが、ガードをもう少し整えてみよう。

2021_0906記
祭りに蜜あり

 虫取り網でつかまえたいのは、カブトやクワガタ、蝶やトンボ、セミにバッタ。
 針を持っている蜂などは虫取り網ではつかまえたくない虫になりましょう。その蜂が涼しくなってく秋口に降る雨の日よく室内に入ってきます。団体で入ってくると大騒動ですが、たいがい1匹か2匹。
 そんな時外に出て行ってもらう誘導具として虫取り網の登場となります。今年もそのような季節に入りかけているようです。
 雨の夜のトイレにカマドウマとコオロギタイプの小さな虫が入り込んでもいました。どこから入り込んできたのだろう。この程度のわきの甘い家なので様々なそれらより小さい生物・物質が入り込んでいてもおかしくない。
 いったいこの家の中に、どれぐらいの命が同居しているのだろう。調査するにもあてもなく。ひょっとしたら この家から毎朝出勤するように飛び出し日暮れの頃戻ってくる生き物たち。あるものは軒下を住みかとし、あるものは縁の下、あるものは天井裏、あるものは物陰に。あるものは私の中に。

 今日のスケッチは白いアケボノソウの花に来ていた黒い蛾シロオビクロナミシャクと思われます。白と黒のメリハリがそれぞれを引き立てていました。
 虫取りで、取った記憶がない昆虫に蛾の仲間がいます。普段は気にとめられず、増えれば厄介がられ、植物でいう雑草のような立ち位置。
 オリンピック以外の祭事が次々と中止されている人の世を横目に、数株の花を咲かせたアケボノソウの周りに沢山のシロオビクロナミシャクたちが秋の騒ぎのようでした。

2021_0901記
スイカの匂いはすこし甘い

 そういえば夏の盛りに深山のイチゴが赤く熟していたので口に入れました。
 一つ目は美味しかった。が、二つ目は苦かった。
 吐き出し「やっぱり」カメムシ(成虫前の翅の短いカメムシ)ごと口にいれてしまったのでした。
 カメムシは山地性の傾向があるのか関東の海岸部で過ごしていたころは無縁の昆虫でしたが、山周辺に住むようになるとカメムシはその独特の匂いと共に身近な存在なのであります。
 まさかカメムシがイチゴに潜んでいたとは、持ち帰る目的でなくその場で食べる5コぐらいを選び採るので陰や裏側に潜んでいたか、私の視力が衰えたか、小さな教訓となりました。

 そして夏が残る河原の水たまりに今日のスケッチのアメンボを身近に見たのでした、アメンボもカメムシの仲間になります。
 「アメンボは甘い匂いがするからアメンボ」を知っていた知人家族奥さんがアメンボを網で掬い旦那さんの手腕に載せたのでした。そして娘さんと私も含めアメンボにそれぞれの鼻を近づけて匂いをかいでみました。すると、どんな匂いがしたと思います。
 スイカの匂いがしたのでした。

 アメンボは甘い匂いがするとしても強い匂いではないようです。
 アメンボ取りをする前、持参していただいたスイカを河原で切り割し皆で頂いたので そのスイカの匂いが手に残っていたようです。もしかしてアメンボの匂いであったかも?
 旦那さんの腕に置かれたアメンボは意外や意外 ジーッと動きませんでした。
 デジカメで撮ったものをスケッチとしましたが、お腹側がいくぶん白いことが分かりました。普段アメンボを俯瞰するように人は見るので背側の泥色をいつも見ています。水の中の天敵:魚たちには発見されにくいお腹の色なのでしょう。そして空からの天敵:鳥たちには泥色の背中が目立たないのではの観察ができました。
 コロナのweb観察でデルタ株が拡大しない国が南米にあり、そこではラムダ株とされたものが蔓延しコロナ禍が進行したとのこと「ラムダが広がっていたからデルタが2%しか入っていない」との話もありました。デルタは空気感染が広く指摘された、感染能力においてラムダはどんな方法にすぐれているのだろう。ラムダ株はオリンピック開幕前に日本にも入っているとオリンピックが終わってからニュースがありました。そういう報道体制がとられるラムダ株、要注意でありそうです。

2021_0828記
医療スロー現象

 昨日 国道を行くと長らく見ていなかった「県をまたぐ移動…」への注意が電光掲示板に映し出されていました。3つぐらいの標語のような文が順々に繰り返し映し出され、その一つが「県をまたぐ移動…」でありました。
 長野県でも感染者が今までにない領域まで増えてきている。「県をまたぐ移動…」の後に表示されたのが「緊急事態・・・発令中」でなく、見慣れない「医療非常事態宣言発令中」。

 家に帰り調べみると20日に医療非常事態宣言が発出されていました、それに先駆け8月6日に「医療警報」が出ているようでした。
 そういえば、自分の3ケ月前に予約を取っておいた検診日を数日後に控えた21日午前中に診察所から「混みあっているからもっと先の日程にして下さい」の電話があったっけ。
 自分にとっては見慣れない医療非常事態宣言でありましたが、長野県では2度目の発出とのこと(一度目は本年1月8日医療警報→14日医療非常事態宣言~2月3日解除)。
 この医療非常事態宣言解除には「長野県全圏域…1週間当たりの新規陽性者数概ね 100 人未満かつ、受入可能病床数に対する入院者の割合 25%未満」となっています。
 受入可能病床数長野県内では1月の350から8月は490に増えてはいますが、現在50%前後の入院割合とのことです。ちなみに県発表<入院等内訳>には 入院中、宿泊療養中、自宅療養中、調整中が含まれ入院中が受入病床に関わるもののようです(内訳割合/入院中:宿泊療養中:自宅療養中:調整中=24:21:31:24)。直近の1週間で700人以上の感染者がゆうに出ています、100人未満に落ち着くまでは結構長い期間がかかるかも知れない。なるべく穏便に暮らしていこう。

 夏休み期間中でありながら19歳以下が全感染者に占める割合が増えてきているようです。東京では夏休み前の12%から15%まで上昇しています。全国的には20%に迫り、長野県では帰省の方も入っているかも知れませんが直近の一週間ではちょうど20%。
 月曜日の夕方家に帰ると、玄関前にスケッチのミンミンゼミが横たわっていました。
 二学期がはじまったのです。誰かがあいさつ代わりに墜落ゼミを置いていったものと思っています。長野県では二学期が始まりすでに一週間、ミンミンゼミが残暑とともに里の静けさを例年通りに追いやっている。

2021_0826記
曇空の下の雨蛙

 動物性たんぱく質は購入するのが一般的なので、その生きた姿を連想できないです。豚肉とラベルが貼ってあるから「豚なのだろう」と買ってきて食し頂いているのです。
 魚は一匹の姿で頂くシシャモやサンマ、加工後のメザシ・アジのひらきなどがあるので生きた姿を少しは想像できます。
 その魚で鰭(ひれ)はどのように付いていたかと聞かれれば「胸びれ、背びれ、尾びれ」とは即答できるが、それ以外の鰭がどのようにあるのか?なのであります。そんな事を考えたのは、今日のスケッチのアマガエルが柿の葉に貼り付いていたことに発し、これは指先に吸盤を備えているからできるから転じ、吸盤をもつ生物に魚のハゼがあったことによります。
 ハゼの吸盤はお腹の下、腹びれが進化し水底で安定をもたらしているようです。ハゼは小学生時分自転車で釣りに行った経験を持つのですが、フナのような流線形ではないずんぐりとした体形のみは覚えていても腹びれの記憶はすっかり消えていたのです。腹びれを持つ魚の多くは胸びれと同じく左右一対あるもののようです。これが胸びれと共に進化しその後の生物の手足になったとなっているようでした。ハゼの場合はこの一対あるはずの左右腹びれが合体し一つの円状になり吸盤化し水底での安定に威力を発揮しているようです。

 魚には、そのほかにしりびれ・脂ひれと云う鰭があるようです。
 スケッチのアマガエルは柿(マメガキ)の枝先のほうの葉にくっついていましたが、この地上からの高さは5mくらいありました。ちょうど二階物干しのベランダから見るによい高さでした。この枝の下には他の枝葉はなく自分がそこに貼り付かなければならなかったならゾ~とするロケーションでした。
 それぞれの生物に備わった能力はかけがえのないものですね。その能力を駆使しそれぞれが生きているのでしょう。そして、それは他を自分のエネルギーにかえ、かえられていく宿命でもあるのでしょう。
 予約を3ケ月前に取っていた診察の延期の電話がかかってきました。その理由が「混みあっているから」。予約というのは、それを避けるため取るシステムと思われますので非日常を感じます。長野県でのコロナ事情なのでしょう。

2021_0821記
雨後のオセロは白の優勢

 まだ曇空が続いています。
 お盆のころ、降った雨は家の自家製ペット雨量計で220㎜を超えていました。その時の雨は、風が強くなることも風向きが変わることもなく、いつまでこの雨が降るのか見当がつかない降り方でした。
 台風なら風模様で雨の見当を付けられることがあるので、停滞前線と云うやつだったのか前線がもたらす大雨は予想がつけ難かったです。それだけ珍しいパターンで雨を降らし続けていたようにも思ったのでした。
 雨の隙間を見つけ山の林道にいってみれば、沢は増水し、下の方の沢はあふれ道が川のような所がありました。しかし中腹から上は落下した枝葉の散乱はありましたが普段と同じようでした。幹が折れ倒れるような木は見当たらず、そんなところにも風が弱かった事を感じました。
 今日のスケッチは、そんな林道に落ちていたミズキの葉です(左上、細いのはカラマツの落葉)。10mぐらいにわたりこのミズキの落葉が点々と道をにぎわしていました。
 それがいつも見ているミズキの葉の色より白っぽいのです。つまり木に付いている時は葉の下側になっているウラ面が表となり落ちている葉が7~8割なのです、不思議だった。
 なぜだろう?

 推測ですが・・・落ちたときは葉表を上にした葉ももっとあったのではないでしょうか。その後の微風や降雨が下る水(山なので傾斜がある)でウラ返しとなった葉がおおかったのではと考えました。スケッチの下二つはミズキが枝に付いている時の葉の様子です。反り返っている様子が感じ取れるかと思います。これらの反りが表を上にし落ちた時 風をうけ易く、ウラを上に落ちた時 風をうけ難い。よってやや白っぽい緑色の葉裏が7~8割を占めていたとしてみました。
 その林道ではシカを時たま見かけるのですが、アメリカ農務省が発表したアメリカに生息するオジロジカの血液の約4割(6割の州もあった)から新型コロナの抗体がみつかったと8月上旬のweb記事がありました。
 人間からシカに感染が広がった可能性を伝えていました。その逆はあるのか?ですが、コロナの感染源が人や特異な動物でなく普通の野生環境に広まっているかもしれない状況は生活環境での動物たちも含め保管しておきたい記事でありました。

2021_0818記
蝉は何時なく雨続く日々

 雨が続いています。
 記事によっては、この雨を秋雨前線によるものとされていました。
 梅雨には入りと明けがあるのですが『女(男)心は変わりやすい』の例えにされる秋空≒秋雨には入りと明けの区切り日を見つけるのが難しいようです。よって、その発表も耳にしないのでしょう。
 秋雨は西日本より東日本で雨の量が増すことが多いようですので、これまで今降っている西での大雨は例年とは異なるようです。これから通例に軌道修正していくなら 東日本の雨も心配されます。今日で一週間、雨や曇りの日が続いています、近くの気象台発表の日照時間は0時間の日が昨日まで5日間つづき今日もしっかりした雨の日となっています。
 人々の体調管理もそうですが、お米を含めた農産物に影響がでないか心配されます。日照時間がこんな日数0時間が続く事は梅雨のころにしても見かけない気象記録と感じます。

 今日のスケッチは、秋口に咲き始めるミズタマソウなる野草です。
 今降っている雨は13日より降り始めましたが、いつもはどれくらいから秋雨が降っているのか近くの佐久気象台過去の天気から見てみました。秋雨の入り日を雨の日と日照時間4時間以下の日を素に個人的に探ってみたのです。
 すると、8月20日前後から9月第一週あたりから秋雨の傾向がありました。過去にもお盆あたりから降り出したことが2011年にありました。震災原発事故の年と本年コロナの年にそのような気象現象がくしくも起こっています。
 秋雨の明け日は台風との絡みもあり読み取りにくいのですが過去10年では9月末から11月文化の日まで。
 今年の秋雨はどのような経過をたどるのか。
 雨音が止み、ミンミン蝉が曇空の下 わずかに鳴きはじめたようです。

2021_0813記
お盆前の合掌

 春から蚊が多く裏庭にでるとすねをよく刺されました。
 蚊取り線香を補充し夏となっていました。
 しかし、ここにきて蚊があまりいない。裏庭周辺の状況は変わってなかったので、蚊が自ら魅力の薄いエリアと移動したとか、蚊を食べる人間には気づきにくいものたちが現れたとか。
 そういえば最近、赤トンボが竿先に止まっているのをよく見かけます。大葉の上に成長途中のカマキリをたまに見かけます。蚊の天敵は4~5日前から鳴きだしたコオロギなどもそれに入るようです。
 そんな自然の摂理を認め入れ、蜘蛛の巣やハチの巣を私はあまり取らないで過ごす方です。アシナガバチはよく我が家の軒下にも巣を掛けます。手を出さなければ刺されないので多くは益虫として放置します。が、今年は梅雨が明けてから急速に玄関前の軒下に巣が掛かってしまいました、その数3つ。どれも10cmにとどこうかと云う大きさに見上げればなっていました。「放置するか」と一時は思ったのですが、その下にはポストがあり「やはり取り払おう」と昨日巣の撤去となりました。

 比較的低温の朝がた、近く風上に蚊取り線香を焚き、できるだけ巣にはり付くハチを遠ざけ。長い棒で払い落しました。払い落した後も、戻ってきてまた巣を掛けないように蚊取り線香を半日焚きました。
 今日のスケッチはその払い落した巣の一部です、合掌。
 巣にはイモムシ状態の幼虫が周辺の穴に、白くふたがされた穴にはサナギがいたものと思われ、その白いふたが破られかけた隙間から成虫のアシナガバチの顔らしきが見える穴もありました。すでに成虫として巣を運営していたハチたちの多くの命は助かっているものと思いますが…
 自然界の摂理、コロナの天敵はいないのでしょうか?人の生き方は現在その人が暮らす土地で獲物や作物を得るものでない以上、国境、県境町境をまたぐことはどうしようもない自然の摂理というものでしょうか。
 お盆の頃合いですね。改めて合掌です。

2021_0811記
壁の中に何かいる

 二階の北側窓カーテンのかわりに薄い黒紙を垂らしています。
 その部分だけカーテン生地が足らなかったのです。右端(東側)に薄黒紙、すぐ右が化粧べニアでおおった窓とは垂直な壁があり、そのあたりにパソ机があるのです。
 数年前から、そのパソ机近くの壁の中から夏になると「カサコソ」「ガサゴソ」音がするのでした。夏が過ぎると音はしなくなり、また次の年 夏が来ると音がなり始めます。
 この家に住む前に住んでいた家では、玄関外のひさしの下にセキレイが巣をつくっていた事がありました。
 『鳥でも巣をつくったかな?』
 しかし、いっこうにそれらの鳴き声が聞こえないのです。
 「カサコソ」「ガサゴソ」
 『そういえば、ヘビが窓外の瓦に座り込んでいたことがあったぞ。ヘビかな?』
 「カサコソ」「ガサゴソ」
 『ハクビシンなる小獣が屋根裏に住み着くことを聞いたことがある。まさか狭すぎるだろう?』
 「カサコソ」「ガサゴソ」音がなった時、『ドンドン』壁をたたく。「カサコソ」「ガサゴソ」壁音は動じず不敵なのでありました。

 その謎の生物の正体が昨夜ようやくわかりました。
 それは風、たぶん西風であったことでしょう。

 解説:盛夏は昼、室内も高温となります。日が暮れた後は徐々に野外は涼しさを増しますので窓を開け過ごします(二階の窓は開けっぱなしで朝まで)。そこにやや北よりの西からの風が網戸越しに吹き込んできたのでしょう。中にいる私にとっては涼しく気持ちのいい風。その風が窓右端(東側)に垂らした薄黒紙を揺すったのです。その紙が化粧べニアの壁に擦れたのです。その音があたかも壁の中から聞こえるように「カサコソ」「ガサゴソ」なったのです。
 「カサコソ」「ガサゴソ」はセキレイでもヘビでもハクビシンでもなかったことは、少しがっかり感もありました。でも西風が揺すっていたのですから西風はいたずら好きの風と知れたこと少し楽し。
 今日のスケッチは、森で見たビンズイと思われる小鳥です。
 ビンズイは森中でみる他の野鳥とおなじような長さの尾でありましたが、これでセキレイの仲間とのことです。

2021_0807記
夏蝉のころ

 原発事故のあと、電気を主になるべくそれらに頼らない暮らしをしようと少しづつ工夫をしてきました。
 近くのガキんちょ達は「原始人」とはやしたてながらも、珍しい作法に興味を持ってくれた子らもいました。
 夏の家周りへの水まきも2013年夏から続けている夏の涼です。
 だいたい一日の平均気温が25℃を上回った日が3日続いたあたりをその年の水まき初日とし、3日間それを下回ったところで水まきは終日とし、その頃は秋の風が吹きコスモスが野の主役になっていく頃となります。8月上旬が毎年暑さが安定していて水まきシーズンとなります。今年も日の平均が28℃ぐらいの日々がつづいています。最高気温は35℃ぐらい、室温でも32℃まで上がる時間帯は午後0時半から午後4時半あたりの4時間であります。
 水まきをすると決めた年に、水まきについてwebなどで研究(?)しました。それによると「日影になったら水をまけ」という常識をしりました。今年はこの常識をアレンジし日中の日向(主に2階の窓外のトタン屋根・ベランダ)にも水をまいています。常識では水をまいた所は一時的に冷えるので周りの空気が流れ込んでくるため日中の水まきは暖気を呼び込んでしまうので×なのです。でもまいた所(土・コンクリ・瓦etc)は冷える効果があるのでトタン屋根などが保管した熱を少し下げ照り返し熱を抑えられると考えました。まいた後 すかさず窓を閉めるのが必須ですが、こまめに水をまき地熱を奪うことで室温32℃まで上昇するところが31℃まで下げられることを感じています。
 わずか1℃。生身の人の行動で温度を下げるのは容易ではない。そこで「やはり電気が必要ではありませんか」とミンミンゼミが鳴きだした。8月の上旬は二つの原爆が投下された頃でもありますね。広島・長崎の夏蝉たちもキノコ雲の下 被ばくしたんだろうな。水まきのほうは体調凹んでない時はもう少し続けてみようと思っています。

 コロナ夏の中でも、盛夏があぐらをかいている中部山岳であります。
 今日のスケッチは、水まきの時に使うバケツとヒシャクです。バケツは千曲川上流から岸に流れ着いていた20㎝強の小バケツです。これに乗ってきたと思われる一寸法師はどこに行ったのか、コロナとの和議に力を貸して下さいませ。
 コロナは変異、変異と先にすすむ変化が論じられていますが、コロナの祖先系統はサーズとかマーズとか云う、大変致死率の高い伝染病でもあったようです。現在の新型コロナウイルスの一派が、そういうものに里帰りするような変異も想定の内に置いておく必要性はないだろうか。

2021_0803記
微生物の世界:カビ

 トイレに臭い消しに置いておいたコーヒーのカスからカビが生えてきたのは、梅雨が明けない頃ではありましたが、コーヒーカス自体が湿っていたのでしょう。
 そのまま放っておくと3色になった。白と薄緑と薄オレンジ。
 その中で白い物をピンセットで取り出し、虫眼鏡で覗いて見たのが今日のスケッチです。そんな事をしたのは、ちょうどカビの本を借り読んだところだったのです。
 カビは胞子と云う種から芽を出し、菌糸が伸び始めるそうです。そこから立ち上がる物がでてきて、その立ち上がったところに次の胞子がつくられ まきちらすと説明を読みました。スケッチの白いカビはたちあがったあたりかな?胞子をとばし終えた時分か?白い繊細な待ち針が刺さるようで虫眼鏡の中の世界は綺麗なものでありました。
 カビは30℃をこえると多くはばててしまうのだといいます。むしろ冬がカビにとっては適温のものもあるようです。カビは文化財の保存で苦労する物のようです。壁画で知られる高松塚古墳は開封後カビが発生し、定期的にそのメンテをおこなっているとのこと。それにたずさわっている著者であるようで「肉眼で観察できる生物の生態ならまだしも、見えない微生物の生態を解明するのは至難の業である。環境条件のどの要因がカビ生育に関わっているか究明の水準にまで、微生物生態学は達していない」との一文がありました。

 ホコリは部屋の隅に吹き溜まりとなり細菌やカビの温床になるとあり、エアコンや冷蔵庫、洗濯など現代人の生活様式を適地としたカビたちがいるようです。
 人は生活環境内で出会う物がその全体像と思いがちですが、実際にはその一部分とだけ接しているようです。カビも人の暮らしに適合できる性質の種が人の周りに居、未開の地には未知のカビがきっとあることでしょう。山奥に行くときは肉眼に見える獣と共に肉眼に見えない微生物たちにも注意をもってみることにしよう。

2021_0730記
鎌首を下げて下さい

 幼き頃ヘビの思い出は、そう多くはないが近所の庭で遊んでいる時出没したたぶんアオダイショウだったのだろう。
 たまたま来られた(?)御用聞きの方がエイヤ-とそのヘビの首をつかみ、つかんだ姿でその家の路をはさみ北側に東西に流れていた新川と云う水路まで歩き、その川のコンクリート堤防越しにヘビを放したのが印象に残っています。
 ヘビは沈まなかった、放たれたヘビは、くねくねと体をくねらせ斜め対岸へと水面を渡っていきました。
 その川では一年に1人ぐらい誤って落ち亡くなられてしまう口伝えのニュースを聞いていたので、子供たちにとっては怖さを兼ね備えた川でありました。ヘビは波少ない川面をシュプールを描くように沈まなかった「ヘビは泳げるんだ」とヘビの泳ぎを見守ったひと時だった。
 あの時のヘビは、その後どこに行ったのか。
 私は少年の心を置き去りに、ふるさとも都市化していった、あの時のヘビの末裔はどうしていることか、時の流れを渡らなければならないのはヘビたちだけではないはずだった。

 今日のスケッチは林に見たクロヒカゲと云うジャノメチョウの仲間です。
 ジャノメチョウはその翅に蛇の目模様を持っていることで日本ではそう呼ばれるようになったようです。
 大雑把に蛇の目模様と云うと二重丸◎の中の丸を塗りつぶしたものになります。実際にヘビの目はアオダイショウの例だと金色の中に黒く塗りつぶした中丸があるようです。
 コロナ感染者が長野でも鎌首をもたげてきました。
 コロナの変異の経緯は、人の歴史に似ている。ある者がある地域を支配し国を完成させる。しばらくして環境がかわりその中から新しい勢力が旧勢力をはじき新たな国を成立させる。あるときは外からの勢力が旧勢力をのみ込むように国を治めたり。とにかく「人」と云う一種類ではあるが、「人」その中で新しい形態に変化して現在に至っていることが、新型コロナの変異に似ている。
 人と人とがぶつからない世なら平時が長く続いたことでしょう。コロナとコロナがぶつからない世界とならなければ、少ない方がいいに決まっている。

2021_0725記
山の無人検疫場

 200年前、産業革命が蒸気による動力を活用しはじめていたようです。蒸気機関車、蒸気船、これらは世界の距離感を当時としては短縮する能力を大いに発揮しました。
 この交通機関に便乗し南アジアの風土病だったコレラがパンデミックとなったとされています。ガンジス川はヒマラヤを源にインドの東側に河口を持つ大河でありますが、その河口部にて発生したコレラは周辺東西へ広がったようです。
 蒸気機関があったとはいえ1917年に発生した東インドのコレラは1922年に本州西端上陸、京都あたりまで到達し十数万人の患者を出したとのことです。日本はこの時のコレラの東の端となり、西は中東 現在のイスラエルあたりまで広がっています。その後100年余りの間に繰り返しコレラの流行が発生しています。
 明治時代にはコレラ流行時の検疫でドイツともめ事もあったりして、感染時には感染時ならではの国と国との駆け引きがあったようです。
 現在コロナの検疫と言えば国際空港を連想しますが、明治前期の検疫所は横須賀あたりの港に設けたとなっています。

 検疫と云うと、感染症だけでなく様々な項目があるようです。人間以外の動植物が生態系に影響を与えてしまうこともあるので、持ち込み、持ち出しに厳しい物もあるようです。
 ガラパゴスに入る時は足を洗うとなっているとか。今日のスケッチの玄関マットは国定公園歩道の入り口にさりげなく置かれていたものです。
 このマットは ガラパゴスの足洗に似たような効果を狙っています。靴ウラについた下界の植物の種子をここで払い落して下さいの設備と思われます。
 私たちに出来るささやかな検疫行為です。身近なところに、そんな気付きにくいが、押し付けない気配りは、結構あるのかもしれない。

2021_0722記
2度目の暑中

 コロナ感染で昨年と今年で異なる傾向を感じとれる点に、低年齢層における割合が増えてきていることがグラフから見れます(日本経済新聞web参考)。
 じわりじわりですが20歳未満の感染者数が増えてきている。
 20歳未満の人口が日本の総人口に占める割合は16%ぐらい(東京都に限っても15%ぐらい)。コロナ一波(昨年5月)のころこの20歳未満感染者は全体の5%前後にとどまり「罹りにくいのではないか」とまで憶測されていました。また常にニュースのボリュームを大きく占める東京都感染状況:年代別割合でも今年の春3月まで10%にとどきませんでした。それが年度がすすみ夏に入り東京でも11~12%となっています(NHK新型コロナwebより)。全国では14~16%となっている(日本経済新聞webより)。これは東京都を除けば20歳未満の感染者数割合がもっと増えていることを感じ取れます。
 このように小中高校生の児童・生徒がすっぽり入る20歳未満において、じわりじわり増えている中、夏休みを迎え、また迎えることになりました。
 本日、大暑とのこと。コロナ下での2回目の暑中お見舞い申し上げます。

 今日のスケッチは、山のアジサイ:ツルアジサイです。
 真っ白い装飾花が夏の林縁に涼し気に美しい野のアジサイです。
 ちかくの小学生たちとは、たまに話をします。1年以上もコロナが続いていますのでお互いに「ゆるむ」傾向があり、初期はドアホン・玄関ドアなど人が手をかけたところを消毒液を湿らせた布で拭いたりしていましたが、最近はおざなりになっていることが多いです。
 現在の東京都直近1週間で人口10万人あたり59人の感染(あくまでも統計が取れたものでしょうが)となっています(日経webより)。1万人で約6人(≒5.9人)は、約1700人に1人の感染者になる、しかし同じく東京都人口10万人あたりの累計感染者は1373人、これは73人に1人が感染したことになります。沖縄ではこれを上回る66人に1人とのことです。
 私の隣地小学校はまだ夏休みには入っていない、ここでのオリンピック4連休のあと月・火の2日間学校に行き28日より夏休みとなります。

2021_0718記
長野県の山々

 ネットでの記事・映像はオリンピック開催地でもある東京のコロナ感染状況に集中している。人口比に、比べると長野県内の発表される感染者数は抑えられている。
 7/17:人口1406万人の東京1410人に対して、205万人の長野は6人。首都圏とされる千葉(629万人)244人、埼玉(735万人)318人、神奈川(924万人)539人。
 オリンピック開催で、オリンピック自体への異質の関心が集まるところです。オリンピックの観客を含めた関係者の動き、コロナの動き。あまり話題になっていない事で、私が気になっている事を書いてみます。
 それはオリンピック特例でオリンピック開催日に合わせ国民の休日を次の木曜22日・金曜23日に持ってきた事です。それにより土日を含め4連休になります。この4連休への警戒が薄いように感じています。すでに高い水準の感染者数がカウントされている中、また首都圏道路はオリンピック規制が引かれスタジアムは無観客が発表されている中、人々の移動は周辺へと流れるのではないかとの予想があるのではの心構えです。
 長野県の昨年からの感染者グラフを見てみると、皆がいう第一波・第二波と云うグラフの山が長野県なりに見ることができます。それが周辺他県には必ずも当てはまりませんが、連休のあと2週間後に必ず来ています。年度末・ゴールデンウィーク・お盆・正月。そういう傾向が今年だけ作られた7月の4連休が当てはまるならオリンピック後半(8/5-8)に山が来ることになってしまいます。夏の涼を求められる観光県でもあるので去年以上に注意をもっています。

 今日のスケッチは裏庭エノキの葉裏に昼間休んでいた白い蛾:ウスキツバエダシャクです。
 長野県は、他県からのお客さんが来られることで潤っていた観光県の一面があると感じています。そういう事の恩恵を私も行商地にて受けた時々があったように感じています。
 去年2020年普通のカレンダーで迎えた7/17時点での感染者数は東京293人(本年の4分の1)、千葉20人(本年の12分の1)、埼玉51人(本年の6分の1)、神奈川43人(本年の12分の1)、長野2人(本年の3分の1)でした。このように今年は昨年より高い状態からオリンピック特例で作られた4連休を迎えることになるのです。

2021_0715記
無表情の雲の下

 雨の季節が続いていますが、ツユクサの青い花も咲き始めています。
 梅雨の雨量・期間とも私のあたりでは平均的であるように感じています。
 今日のスケッチは、裏庭のツユクサの葉の上に止まっていた翅のある虫。たぶん羽蟻と思われます。ジューンブライドからは半月ズレますがそんな季節(蟻の結婚時期)でもあるようです。
 地方であっても身近な出来事から歴史や、中央が見える時があります。
 県のプレスリリースのページをのぞいて見れば、この一ヶ月間で長野県庁では88人の新型コロナ感染者が発表されているようでした(ただし長野市は別に発表しているようなので県全体の人数ではない/今年4月より松本市も別発表とのこと)。感染者のうち、首都圏を主とした滞在が2週間以内にある方は11人。よって残り77人の約9割は県内にて感染をもらっている可能性が強いようです。また濃厚接触者らは48人、「ら」としたのは2人の単なる接触者とされた人がありました。
 「?」が浮かび上がったのでプレスページに記載されていた番号に電話質問してみました。
 Q1「濃厚接触者と単に接触者とされている方々があります。違いがあるのですか?」
 A1『濃厚接触者は国が定義したものに当たる方々、それとは当たらずも県が定めた同職場内などの枠に入る方々を接触者としている』
 Q2「無症状感染者がこの1ケ月で11人出ているようですが、一人だけ濃厚接触者でない人がいますね。この方はどうやって見つけられたのですか?」
 A2『その方の詳細はわからないが、そのような場合、民間で検査をやり陽性になった時点で行政にきた可能性・またコロナと別件での入院時の検査で陽性になったなどです』
 Q3「無症状感染者は、その1人を除き10人すべてが濃厚接触者として判明していますが、行政では無症状者への検査は行っていないのですか?」
 A3『はい、行っていません』

 まあ、要約するとこんな問答でした。
 中央:東京など感染者数の多い所では濃厚接触者・都独自の接触者らの追跡が行きとどいていないのではないか、そしてその事は無症状感染者の発見タイミングを地方以上に狭めているのではないか。
 コロナ感染は症状が出る前2日程度前から発症後10日程度までの情報をwebで見ることが出来ます。
 症状が出た人だけを対象にし、無症状者は民間(個人実費)に任せている現状。無症状感染者検査を行政では行わない方針なのだからコロナが途切れることは奇跡に感じてしまう。抜け道を狭めようとしない検査体制で海外からの方々を招き入れる不安は多い。日本の教育・メディア情報に漬かっていない海外の人たちは、マスクや対人接触に対する感受性が異なり自国の感染対策で日本に滞在することでしょう。
 私が、今回のように行政に分からない事を質問するようになったのは、10年前の東日本大震災福島原発事故以降であります。行政側は区市町村であれ県であれ国であれ、質問に対する回答まではいかずとも返答をくれることを教えてもらったのは10年前から続く禍からのことなのです。

2021_0710記
南北のクジャク

 国鳥とされる鳥の傾向は強者のイメージからか猛禽類が多いです。
 それも昼間の猛禽、すなわちワシ・タカたちが世界的に多くハクトウワシ・コンドル・オジロワシ・・・。
 その中で日本はキジを国鳥としています。アジアではこのキジの仲間を国鳥としている国が大変多いです。どれも雄が美しい羽を持ってもいるのですが、同一の宗教ヒンドゥー教らが広まった地域にもダブるのであります。
 キジ科の鳥で、最も身近なものはニワトリ、豪華な極みはクジャクになります。クジャクは日本動物園などでは馴染みの鳥ですが原産地はより暖かい東南から南アジアのようです。

 インドの国鳥はインドクジャクだそうです。
 今日のスケッチは信州亜高山帯にいたチョウはチョウでも蝶の方でクジャクチョウの前翅であります。クジャクのように目玉模様がクジャクチョウ4枚の翅にそれぞれ1つづつ付いています。本物のクジャクは雄のみが目玉模様を持つのですが、クジャクチョウの場合は雄雌同じようにあるようです。
 それにクジャクチョウの生息範囲はユーラシア大陸中部北部ですからヨーロッパからアジアと広範囲ですが、クジャクとは反対に寒い気候帯にあたるようです。
 日本でも北海道。それと東北と中部山岳となっているようです。
 久しぶりの再会は梅雨の止み間のコバイケイソウの白い花にきていました。

2021_0704記
前線の下で生きる

 今日のスケッチはアサギマダラの卵と思われます(大きさ1~2mm)。
 アサギマダラはアゲハチョウ程の大きさの薄水色のまだら模様を持つ蝶です。
 卵はツル植物の葉裏に付いていたものをひっくり返しスケッチしています。
 イケマと云うつる植物で、信州では1000m以上の山地に見かけ、スケッチの物は1300~1400mぐらいの道端に生えていました。
 この卵に出会ったのは6/17でありましたので、ほぼ半月前です。
 卵は一週間ほどで孵り、その後幼虫は数日ごとに4回の脱皮を繰り返しながら成長とありますので、今頃無事でいるならイモムシ状幼虫期に入っていることになります。
 東海地方を中心にここ数日豪雨があり、ニュースには上がらずも被災した方々もおられることでしょう。信州でも断続的に降り、止み間は蒸すような昨日は午後でありました。関東甲信東海の梅雨明けは7/19と予想されています。これは信州においては平均的な頃になります。
 この雨期もそうですが地震火山を含めた自然の中に人の暮らしがあることを忘れてはならない。日本の過去の豪雨災害をおさらいする時、最近は8月も増えてきているが、圧倒的に7月が多い、そして台風本州上陸の9月。
 そういった気象履歴を踏まえ過去の祭事日程が定着してきたことでしょう。
 自分が発見できたアサギマダラの卵は、無事に成長できるなら梅雨のあいだイケマの葉を食し、梅雨明けの頃、成虫として8月の空に舞うことになります。

 植物食の昆虫たちは、幼虫の食べる草に卵を産み付けることが多いようです。それを画像付きでまとめた図鑑を冬の間図書館で見ていたので、アサギマダラの卵と見当をつけました。こんな事ははじめて、よってうれしいです。
 季節の変わり目は自立神経が乱れ風邪をひきやすいともあります、人の移動に関してオリンピックはすでにはじまっているといっていいのでしょう。入国後は入国時のPCRでなく精度の低い抗原検査を重視するそうです。出入りするスタッフ・来賓(・観客)のその都度の検査があるのかは知らない。コロナは初期の認識から訂正され空気感染が常識となっているそうです。
 そこに自然災害や人的アクシデントが重ならない事を祈ります、各所で手薄な状態を作り出し、あいまいさを容認となりかねない。今感染者の少ないグラフが長野県では見られるのですがオリンピック開催地隣地として注意したいです。

2021_0629記
ねむの木のハッパ

 ネムノキの花にはまだ早いし私の近くではそれほど見かけない樹種。
 私がネムノキにはじめて印象深く出会ったのは飛騨の山間の国道でありました。
 その道の背後には細長く横たわる湖水が広がっていました。その湖は1960年完成御母衣みぼろダムによるものでありました。このダムは岩石を分厚く積み重ね水圧に耐えるという仕組みで、国道はダム下流真下足元といっていい地点に突き当り、そこから見上げる御母衣ダムの景観は夜なら不気味であり昼でもはじめてなら車を降り見上げる人も多いことでしょう。
 ダム上端の高さに上ったなら、湖岸を蛇行しながら南北に伸びる道に幾つも隧道があり それが広くなく「ダム工事のとき使った道が転用されたのだ」の噂を聞いたが、今調べてみるとそれらしき情報にたどり着けなかった。
 隧道と隧道の間に岩土が露出した広々とした一帯があったので、その路側帯に軽ワゴンを止め その岩土の中に腰を下ろし炊事の煮炊きをしました。
 もう四半世紀前の話。久しぶりに御母衣を思い出し、web上地図で煮炊きの場所を見直してみると「福島谷」と云う箇所と見当をつけました。
 御母衣ダムは岩石およびシルク土にて構成されているとのこと、その岩石やシルク土を周辺の山からダイナマイト使用で調達したとのことです。ですから日本屈指の規模のロックフィルダムの素材は地産の物が多いようです。その地産の岩石は、私が何も知らずに四半世紀前に煮炊きをした所付近から持って行ったもののようなのです(ダムより2㎞上流西側)。シルク土は対岸(ダムから3.5㎞上流東側)の山体から持ち運んだようでした。それらはyoutube映像でも察しできますし、現在の地図を見ても、それらの2地区は崖のマークが大きく囲む谷となっています。

 私が四半世紀前に煮炊きをした場所は、半世紀ちょっと前のダム建設当時発破ハッパ作業が繰り返された所だったようです。ロックフィルダムは大量の岩石・シルク土が必要そうなので、御母衣のように近くの山から調達する事が普通なのかもです。
 合掌造りの集落を旅したくて通った初秋の道が御母衣ダム西岸の国道156号線でした。煮炊きの場ではススキらしき植物が岩石の中に描かれているスケッチも残っています。山間においても人が関わった風景が地下も含め ことの他多いようです。

2021_0624記
昆虫感染症

 感染症をあらためて見返すと「微生物が原因として起こる病」。
 微生物の詳細は…ウイルス・細菌・真菌・原虫・ぜん虫・回虫らとあります。
 人の定めた定義を他の動物にもあてるなら、感染症は動植物の広い範囲に及ぶことでしょう。
 今日のスケッチは、枯草にいた大きな毛虫(たぶんですがシロヒトリかヒトリガの幼虫:別称クマケムシ)でした。
 これが全く動かないのです。そして触れてみると硬くなっていた。
 このようなミイラ化したイナゴ系のバッタをよく秋に見かけるのですが、どうやらイモムシ毛虫にも同じことがあるようです。これらはたぶんですが菌に感染した昆虫の姿ではないかと思います。
 菌の中の糸状菌によるもの。養蚕が盛んなころはカイコにも甚大な被害をもたらしたとありました。この菌の巧みさは昆虫の外皮に付着したのち外皮を溶かす酵素を合わせ使い宿主体内に入り込むこと。そして増殖の宿主を最後は高い場所へ誘導させてしまうことです。高いところから菌は次の宿主目指し飛び立つのかと思います。もしかしたら高く目に付くので鳥などに食され糞を経て・・・
 取り付かれた昆虫は体調を乱され免疫機能や体力を失い、体液循環に支障がおこり栄養の補給が途絶えミイラ化する。人とコロナで馴染みの用語もいくつか並んでいますね。野山の感染症は人の目にも目に付くような高さに放置されていることがけっこうあるようです。

 大自然は今も奥深く、わからない事でいっぱいです。
 地球は6/21に夏至に入ったようです、地球自体が何かに感染することはないのでしょうか?
 海が泣くなら陸地は減るだろう。温暖化が人の仕業なら、人の暮らしは地球のウイルス。それを地球が困るなら、地球の免疫機能が働いて正しい軌道にもどすだろう。

2021_0620記
雨後の落とし物

 雨の日の割合が徐々に増えてきています。本格的な梅雨が内陸信濃にも届こうとしています。
 雨が降ると空の塵埃を落とすように、アスファルトの林道を行くにしても様々な落下物が落ちているものです。木々は晩秋の落ち葉だけでなく季節々々で色々なものを落としています。
 秋口のドングリなどは印象に深いのですが、春から秋にかけての高い所で咲いていただろう花びらの落下物もよく見かけます。その落ちていた花の一部から「ここにはこんな木があったんだ」と発見がよくあります。いつも行き来し見ている森であっても発見がなおあるようです。慣れていると油断のようなものが生じ、サッとやり過ごし見落とす。そんな所にアクシデントも同居しているので気を付けたいです。
 先日慣れた林道の下りカーブでこけたのは、そんな油断があったようでした。カーブは左カーブで得意としている側のカーブでスピードが出すぎていたものと思われます。久しぶりにすり傷を左手足一部顔につくり、同じく左腿を多少打ったことになっています。得意な場所での注意おこたりなく。運動のため排気ガスのより少ない林道を自転車で走っています、年とともに注意事項が多くなっていることの自覚は持っているつもりですが、多方面で自問が足らないこともある。

 自転車に乗れたばかりの頃、放課後の小学校まで走り行き その校庭で転倒、右膝の下を深くすりむいた記憶があります。小学校時分はよくすり傷をつくっていた半ズボン少年でした。当時はバンドエイドのようなものがなく、毎日のように赤チンのお世話になった一時期があったようです。
 今日のスケッチは、雨上がりの道に落ちていた木の落花物でした。
 雫が水面にはねたような感じの白い1cm程度のものでした。エゴノキ科のオオバアサガラと云う木の花のようです(花は房状に垂れ下がっています)。
 本文のように、今まで何度も通っている(木の根元に山菜も何度か摘まんだ)所でしたが、この落花物ではじめてこの木の存在を身近にしました。

2021_0616記
夏の蓑

 まだ梅雨は本州中部において本格的では無いのですが、先日カタツムリをギボウシの葉の上に見ることをしました。
 この時期繁殖のころなのかシジュウカラのツッピーツッピー・・・の鳴き声をよく聞きます。
 エノキの葉の裏に蓑虫を見つけました。蓑虫は冬の木枯らしに揺れるものとの先入観があったせいか、ちょっと意外。
 今日のスケッチはその姿なのですが、上のは15日朝、下のは16日朝のものです。蓑虫はエノキの葉を降雨時の破れ傘にしているにあらず、食料としているようであります。
 蓑の材料は大豆程度の枯れ葉が見られるので 何処からかやってきてエノキの茎を上りこの葉に到着したのでしょう。メスは一生 蓑の中からでないのだという。夏が遅れてくる信州においてこの蓑の中に まだオスの幼虫が入っていることもあるのだろうか。いずれにしても この蓑は性能のよい防御服、カタツムリの貝殻のような役目をしているのだといいます。

 蓑虫の幼虫のはく糸で紡がれた蓑繭は、そう簡単には破れません。
 天敵はシジュウカラとなっています。シジュウカラは巧みな足さばきとくちばしで蓑虫を食べてしまうとのことです。
 蓑虫の蓑はカモフラージュの効果もあることでしょう。なんと大東亜戦争時蓑をまとった日本兵を偽装服を着た狙撃兵と警戒したマニュアルがアメリカの資料にはあるようです。沖縄戦終盤は梅雨のただ中であったようです。応援部隊の装備が単に整わず蓑や笠を使用したとの説明もあります。
 沖縄の梅雨は5月上旬にはじまり6月下旬に明けるのが平年のようで梅雨明けが7月になることは極めて稀のようです。梅雨明けの頃6月23日は沖縄において県市町村機関は休日扱いとなる「慰霊の日」。県が定めるものであり日曜に重なっても振替休日にはならないとのこと。その休日の式典の中に「平和の歌の朗読」があり毎年小中高校生の作文が読み上げられてきたようです。今年は中学生の詩「みるく世のうた」がそれのようです。詩は「私たちの中にある暗黒の過去を溶かすことなくあの過ちに再び身を投じることなく繋ぎ続けたい / みるく世を創るのはここにいるわたし達だ」で終わっています。[みるく世]とは何となく平和をイメージしたのですが、平和の単語は同詩の中ほどで使われている。平和と同じようなニュアンスを持ちながらも琉球の魂が埋め込まれているような単語にも感じます(仏教から、みるく世⇒弥勒菩薩の世、の解説も有)。
 信州中部では沖縄よりほぼ1ヶ月遅れの梅雨明け。雨の影響はいかほどになりますか。

2021_0612記
山に五輪

 昨年の12月下旬、今年の3つの祝日の移動が発表されています。年も押しせまった発表でありますので ほとんどの2021年(令和3年)カレンダーは、3つの祝日が従来の変更移動前のままであることでしょう。
 すなわちオリンピックに関わる特例措置として「海の日:7月の第3月曜日(今年は7/19)」が予定が組まれた開会式前日の7月22日木曜日になり。「スポーツの日:10月の第2月曜日(今年は10/11)」が予定開会日当日に、「山の日:8/11」が閉会式当日の8月8日になっています。
 このオリンピック仕様カレンダーは開催非開催に関係なく、実行されるとのことです。
 はたして本当にオリンピックは行われるのだろうか。
 オリンピックに空気感染まで心配される症流行が重なった。
 今回のオリンピックは、私の中でオリンピックに対するイメージを大きく変えている。今回の開催国や支援国その企業財団の+-はひとまず置いておいて、今後のオリンピックにも興行的側面があるなら今後のオリンピックに対するマイナスイメージやオリンピック自体への人々の熱気低下につながらないのだろうか。
 今回のオリンピックは大会招致の「(福島)アンダーコントロール」、開催日程が前回の東京オリンピックのようにスポーツに適しているだろう秋(または春)とされなかったこと、covid-19感染只中のこと。私が大人になったからだろうか、小学校のころ白黒テレビで見ていたオリンピックとだいぶ違うようなのです。

 今日のスケッチは、林縁に咲いていたコゴメウツギの白い花たちです。 コゴメウツギは5枚の花弁と5枚のガクともに白く、6輪が咲いていました。スケッチは五輪となっています。

2021_0607記
夏の雪虫

 私の父は、よく本屋に連れて行ってくれました。また本の上を跨ぐとよくない事だと叱られた。本屋は父の勤め先近くの神田神保町界隈だった。
 父は本から色々学んだことを子にも伝えたかったのだろうが私は本好きにはならなかった、でも本嫌いにもならなかったようでした。
 そんな父に買ってもらった本の中に「しろばんば」という本があったのを記憶しています。読んだことは確かなのですが内容を覚えていない、ただその「しろばんば」のタイトルは覚えているのです。
 しろばんばは雪虫のことのようです。それを秋おそくに飛び舞うのを追いかけるのが子供たちの遊びとなっていた風習が江戸時代以降長く続いていたようなのです。ですから「しろばんば」は「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」につながる言葉でもある一時代があったのでしょう。
 作者:井上靖の伊豆での少年時代がつづられているようなのですが、その辺のことは全くおぼえていない。今一度、読み返してみようか、実は初夏の低い空に雪虫が飛ぶのを見たのです。

 何処からともなくやってきた種が芽を出し、裏庭にエノキの木が1mぐらいに育っています。そのエノキに春から白い出来物がたくさん茎や葉に出来ていました。
 それが動いていることに気づいたのは何日も経ってから、密度の低いアブラムシのような集合体をつくりながらエノキを住みかとしていました。
 それが、ここ数日 空を飛ぶようになったのです。タンポポや柳の綿毛が浮遊するように空を移動していました。無風でもそれは舞っていたので自分の掌を差し出すと、その内のいっぴきが掌に着地してくれました。
 羽が生えている白い1-2mmの生き物を確認。しばらく私の掌・甲を歩き、羽を立て飛び去っていきました。
 雪虫は秋遅く目に付く種類だけでなく、通年人家近くに存在する種類があるようです。エノキの木には、エノキワタアブラムシという雪虫がよくつくようです。エノキは広く自生していると思われるので近くに生えていたら観察してみて下さい。今日のスケッチはその夏の雪虫:エノキワタアブラムシです(2mm弱の大きさ)。

2021_0603記
火器および夏季注意

 昨年の盛夏、ポンプ式(?)の消毒液をコンビニで買いました。
 湖畔の行商に行くとき、ハイターを薄め作った自家製消毒液のビンを家に忘れてきてしまったことに気づき。マスク不足は無くなっていた頃、もしかしたら消毒液もあるのではとコンビニの自動ドアを入ったのでした。
 すると・・・「あった。あった」
 それから約10ケ月経つが約半分を使ったところです(透明容器なので一目瞭然)。買ってから1ケ月ぐらいして製造会社へ「どれくらいまで消毒効果があるのですか?」の質問をすると「1年です」との回答だった。あと2ヶ月ですべて使いきるのは難しい。手の消毒以外にも試してみることになりそうです。
 商品は「アルコールハンドジェル」。主成分にエタノールがまず記されています。
 エタノールというと薬局または塗料店のイメージですが、お酒の成分であるとなっています。引火点が低く燃え易いともなっていました。引火点とは、近くに火種があった時 火がつく最低温度とあり、エタノール50%で24-25℃とあり夏日中の気温は楽にそれを越えているようです。エタノール以外にも配合されているので一概に鵜呑みにはできないでしょうが私の購入したものはエタノール75%となっています(引火点21℃)。
 容器の蓋がゆるんでいると揮発したガスが漏れるので要注意とのこと。詰め替えはエタノール耐性の容器をえらばないと溶け ガスの揮発をまねきかねないかもです。
 コロナのおかげで、酒好きでなくともエタノールとの出会いが多い。スーパー出入り口には消毒容器が必ず置かれています。とある日「お金が一番あぶない」情報を聞いたころから、買い物をしたおつり(小銭)を手と共に消毒することをしたりしました。あるとき小銭といっしょにレシートも握っていた手に消毒液を吹きかけると 感熱紙であろうレシートの液が当たった部分が黒く一瞬にして変色していました。瞬間に消毒が完了するようなものは、身体への負荷もあることでしょう。できれば石鹸の方がよさそうだけど出先ではそれもむずかしいですね。

 今日のスケッチは新葉の合間に花を咲かせていたコナラの幹です。
 エタノールは、多方面で活用されていて飲用工業用はむしろ少数派で燃料用として需要があるようです。
 原料としてトウモロコシ・サトウキビは有名、麦類、イモ類。炭水化物や糖が含まれていればエタノールは作る事が可能なようです。木材もその原料の一つのようです、ただまだ精製につかう添加物のコストが高すぎるとのことです。
 バイオエタノールには新しきガソリンの錯覚をもっていました。石油増産以前は米仏などでエタノールをガソリンに入れていたとあります。
 このことからも引火性の強い性質を感じ取れるのではないでしょうか。

2021_0530記
空に消えた峠道

 草が茂る頃となってきています。
 草を刈る時は、紫外線対策もしたいのですが、スズメバチなども徘徊しているので蚊取り線香など腰にぶら下げ行うのがいいとしています。
 スズメバチの思い出は、初めての一人旅:信州和田峠でのそれにさか戻ります。その旅は徒歩にて江戸時代の中山道を歩くと云うものでした。当時(東京東部在住)最寄りの図書館で借りた『中山道』という渋茶色したハードカバーを旅リックに積め、東京から木曽路の終わる岐阜県中津川を旅したのでした。
 その中山道ルートでの和田峠は、水清く沢水を救い上げ冬期のスキー場らしきを登っていくまでは良かったのです。峠を越えた辺りから本の地図に記されている歩道が段々細くなっていったのでした。「まずい道を間違えたか!」・・・とにかく下れば車道(国道)にぶち当たるだろうぐらいの見当しかなく、クマやマムシなどの心配をしながら道の細さは心の細さに重なって行ったようでした。ヤブ中となっていたとき大き目のハチが頭のまわりを旋回しはじめた。たぶんそれはスズメバチだったことと振り返るのです。
 事なきを得て、車道に交わる事ができたのです。森中で迷いかけた時、微かに車のエンジン音が聞こえていた事は心を少し安心させていた。やがてその車の音は大きさを増し、古道はたまた迷道は国道142号線に合流し下諏訪へと向かえたのでした。

 今日のスケッチはその国道142号線和田峠トンネル付近の風景です。
 このトンネルは昭和一桁代に造られたようです。
 私が歩いた旧中山道ルートはスケッチ右側の山をひとつ越えた鞍部にあたります。明治になり新道がスケッチの和田峠トンネルの鞍部に移行したようです。これから先は私の想像がはいりますが、トンネルの上部スケッチ下①の斜面鞍部を通っていたものと思われます。その後明治中期、当時の蚕糸産業の輸送路とし重要視されていた和田峠は②のラインまで峠部を切り通される大工事が行われました。そしてその30数年後、スケッチのようなトンネルが貫通したようです、昭和初期に造られたトンネルは現在も対面通行が出来ず南北の坑口に信号機が設置されています。今はさらに利便性よいトンネルがもっと標高の低い所を坑道口とし常時対面通行の長いトンネルを通ることが可能になっています。
 とある資料館の掲示で和田峠トンネルの上が、昔 切り通しの道があったことを知りました。スケッチではとらえにくいのですが現地に行くと、そう聞いていればなるほどの地形が垣間見れます。スケッチをクリックでその画像にリンクします。

2021_0525記
草にデコピン

 ハコベは注目すると身近にある草でありますが、気づかないで過ごす人も多いことでしょう。
 町中であっても、街路樹の根元のわずかな土部によく生えていたりします。
 ハコベの花は、なに色ですか?細い白い花弁がならびます。
 ではハコベの種は?
 自分は今までは花が終わると興味の対象ではなくなりハコベの種のことも知らなかったのですが、ここで雨上がりのハコベをのぞき込むと種のようなものが葉色の花が咲くときのツボミのような形の組織(スケッチ左下)の中に詰まっていました。
 黄色のつよい黄土色した径1mm程度の種が10コ。その中からでてきました。その種の入った莢に 上から水を満たしてみても種は外に出る気配はなかったのですが、デコピンのようにはじくと、中の種たちはきれいに飛び出していきました。

 ひとつ気づくと周りにも沢山の同じような種を抱えたツボミ型の莢がありました。
 その莢たちを見廻している中でスケッチ右のようなイモムシが密着しているものが幾つかありました。イモムシの足の配置(前から後ろまで途切れなく足が並んでいる)から何らかのハバチの幼虫と思われます。
 このハバチの幼虫たちは、ほとんどは種のある莢に止まっていました。ハコベの種を食べているようです。他の莢では側面に穴が明けられているものも少なくなかったです。
 ハコベはほぼ一年中(2~11月)花をつけるようですが、ピークは春から入梅ぐらいまでのようです。裏庭のハコベたちも花が少な目の状態です。梅雨が明けたらまた花を活発につけ始めるのだろうか。
 ハバチは直接、人にはかみつくようなことははいようですがバラなどを育てる方には厄介なハバチも多いようですね。コロナ2年目にしても夏へむかう季節、生物の動きが活発になってきました。蚊やダニに噛まれたようです、ご注意下さい。

2021_0520記
ダイナミックな鳥たち

 オオジシギと云う鳥の滑空を見聞きした事があるでしょうか。
 北海道には身近でも本州以南では稀と思います。信州の高原にはその姿を見たと情報がありますが、私はまだ見ていない。私がオオジシギを見たのはやはり北海道の平野部でありました。
 5月下旬の催事の稼ぎを元に新潟から北海道苫小牧へ渡ったのは十数年前、野にタラノ芽が北海道では摘み頃であり十勝あたりの空にオオジシギの滑空を見る事になりました。見るより聞くといった方がよく、その滑空音は他に類するものがなく初めて聞く人は印象深く記憶することでしょう。オオジシギは空高く舞い上がるときも鳴きながら飛行するのですが、滑空音の前奏にすぎません。
 今日のスケッチ左下のような体勢で上空から高度を下げてきます、その時 尾羽を開き、その風切り音がどうやら独特の滑空音を生み出しているようなのです。一連の動作は求愛のディスプレイとなっているとのこと。
 オオジシギは本州以南の日本列島では稀ですが、けして北方系の鳥ではありません。冬ははるか南、オーストラリアにあり、夏赤道をまたぎ、はるばる北海道同等の環境下へ来て繁殖をしているようなのです。そういう意味でもダイナミックな鳥であるのです。

 ウルトラ怪獣でペギラと云うスケッチ右上の物がありました。
 ウルトラQでの登場は2回、一回目は南極大陸でのもの。もう一回は南極から北極へ移動の途中東京(羽田空港)へ現れたとなっていたようでした。この時の設定は南極が温かくなったのでペギラは移動したらしく、けしてオオジシギのように季節移動ではないようです。
 今そのあらすじを読み返すと当時のQシリーズには社会的な味付けがしてあるものがあり、このペギラ登場の「東京氷河期」では、南極の温暖化もそうなのでしょうが、ひょんな事から関わった元特攻隊員だった男性がペギラの苦手とするコケ成分ペギミンHを爆薬とともにセスナ機(?)で特攻しペギラを東京から追い払って終わったようです。
 ドラマの中のペギラ登場は戦後二十数年後の1966年前後、当時幼年だった私は怪獣ペギラへ興味が集中していましたが、大東亜戦争の残像がドラマには盛り込まれていたようです。また前後するかもしれませんがベトナム戦争の世相の中であったのかもしれません。

2021_0518記
とある「わすれた事件」

 山に旬の菜があるように海にも旬のものがあることでしょう。
 内陸の信州においてホタルイカは初夏のイメージがあります。つい先日 久しぶりにホタルイカの煮物を小碗に頂きました。
 ホタルと名がついていますが、私が出会う料理後のホタルイカは青白く光ることはなく、いつも鈍い赤色をしています。
 ホタルイカの思い出をたどると江戸時代の家並みが並ぶ観光宿場町で店頭行商をさせて頂いていた時、そのお店の方が「食べてみて」と行商中に差し入れてくれたフキとホタルイカを煮込んだものにたどり着きます。
 このお店に行商場所を数週間前お願いしたところ「観光組合に話を通して」らしき話だったので、組合長と教えられたお宅へ伺い「これこれ こういう訳であのお茶屋さん(喫茶店)の前で自分の作った物を〇月△日に売らしていただけないでしょうか?」
 すると組合長さんは「次の会合が近々あるからみんなに聞いてみる」との返答を頂いたのです。そして〇月△日が迫った日にお聞きしていた組合長さん電話番号に電話すると・・・「あ。わすれてた。・・・親戚ということでやらせてもらえや」との成り行き(この「わすれた」は本当に忘れたのか、そうした方がやりやすいだろうの配慮だったかは分からない)。喫茶店の方にも話を通してくれ江戸時代の街道筋にて目出度く店開きでき、何回かやらせていただいているうちにホタルイカとフキの煮物や桜の葉が入ったお茶などを出していただいたのです。

 今日のスケッチはホタルイカをwebよりスケッチしました。
 ホタルイカの旬は3月から5月となっていました。
 本文のお店の店主ご夫婦とは、その後も行商をお願いしましたし年賀状を交わさせていただきましたがお二人とも他界されたとのお手紙を数年前頂いております。
 ひょんな事からお知り合いとさせて頂いた縁でありました。いつか訪れ墓前に手を合わせたいと思っております。

2021_0516記
タラノメ欲の目

 何年か前の夏、林道に鋭い棘のある木を見て、それはどうやらウコギと云う木であることに気づきました。ウコギは東北米沢で棘のある特徴をみこまれ防犯を兼ね垣根につかわれたとの事、そして山菜として食べれる事も合わせて知っていたので、それを偶然見つけたことがうれしかった。
 山菜として食べるのは新葉が展開したばかりの頃で、その年は時すでに遅く「ここにウコギがある」としておいたのです。
 その次の年も同じ林道に入ると、またしても山菜の頃合を過ぎていた。しかしその周辺に幼木が沢山生えていることに気づけたのでした。そんな事をしながら、今年はじめてウコギの新葉を摘み食べることをしました。
 同じように「特徴あるロゼット葉はなんだろう」から知ったシャクと云う白い小花を付ける草も新葉の茎が食べれることを知り、二年後の今春はじめて摘み頂き天ぷらとしました。人に教わるわけでなく自分で覚える作業は時間がかかる。つまり効率的ではないが、プロセス(過程)を持って近づいていくことは個人的に好きな作業です。

 勘違い・場違いかも知れませんが拓郎の詩に「教えられるものに別れをつげて とどかない物を身近に感じて」と云うものがありました。
 ところで春の山菜と言えばタラノ芽です。タラノ芽は人気があり摘む人も多数で、路端の物はなかなか摘む機会に恵まれません。私は本文のウコギやシャク、今盛りのコゴミなどにしても道脇に生えている物を摘むのです。タラノ芽はだいたい摘まれた後の物がほとんど。私は二番芽(一回もがれた所から新たに生えた芽)は摘まないとしているのですが、今年は一つもタラノ芽を取れないでいたので二番芽で1~2コ頂こうと今日のスケッチのタラノキに近づいたのでした。
 近づくとタラノ芽の二番芽と見えたその新芽はタラノキを巻き上がって芽吹いたツル植物の新芽でありました。私の欲の目が幻想を見せたようでした。その後林道を進むと道から7~8m入った藪森にてもがれてない一番芽のタラノ芽を2つ見つけ頂きました。
 自粛は現在日本全国に通用する身近な単語ですが、長野の山にはまだタラノ芽・コシアブラらにおいてセシウム137濃度において採取の自粛が呼びかけられている山帯があります。

2021_0511記
もなかのオリンピック

 長野県上田佐久地方と松本とを車で行き来するなら三才山トンネルを通るのが一般的なコースに思われます。このトンネル部は昨年秋口まで有料区間でしたが無料となりました。私は長野に引っ越してしばらく三才山を「さんさい山」としていたようでしたが、これは「みさやま」と読みます。
 約半世紀前の東京オリンピックは1964年。その時「日本のコロシアム:鎌倉時代の競技場」として「みさやま」の地名が紹介されたようです。そのみさやまは「御射山」と書き諏訪市の北部亜高山帯にあるものでした。
 そこはすり鉢状の地形を利用した一帯で周辺の山をスケッチのように段々にし、そこを桟敷(≒観客席)としたとのこと。夏場行くとその階段状の斜面は分かりにくいがその形跡が今もスケッチ程度に確認できます。競技種目は陸上や水泳とは当然ならず、鹿狩り(≒巻狩)・相撲・弓を用いた競馬など武芸を競う物だったとのこと。
 当時この鎌倉時代競技会は諏訪神社で前時代から受け継がれていた御射山祭であり、鎌倉幕府は諏訪の氏を大切にしたのかおそれたのか諏訪の信仰を尊んだようです。諏訪神社以外のあらゆる鹿狩りを禁止したため全国唯一の練武狩猟場として御射山祭の風習が諏訪信仰と共に全国に広がったとあります。鎌倉幕府の主要な御家人が桟敷に集まり祭の競技が進行したようです。
 今その跡地を訪ねるとつわものどもの夢の跡。牧歌的な野原が広がっています。

 御射山祭事場には競技者だけでなく、一般見物人も許され、芸能や茶屋売店もにぎわった大祭としてしばらくあったようです。祭事の期間は旧暦7月27日からの3日間が本祭、前後を含め5日間が祭期間。初秋の月明りのない頃合になります。現在も同じ場所:霧ヶ峰八島湿原南東旧御射山社で新暦8月27日に約1時間ほどの祭事が近年の記事では午前中行われているとのことです。
 令和の東京オリンピックはどうなることやら、鎌倉幕府や信濃さむらい衆は流行り病の最中でも御射山祭を後押ししたのかな。

2021_0506記
もっともたるゴミな~んだ?

 ゴミの分別は1976年に静岡県沼津ではじまったのだそうです。
 日本のゴミ廃棄物に関するグラフなどが並ぶとき、1975年以降のものが多いのはそんな所と関係しているのだろうか。
 約半世紀たった現在とはいえ各自治体の事情により分別の仕方は色々なことでしょう。私の自治体では可燃ごみ、資源ごみ(容器等プラスチィック・ペッボトルト・鉄アルミの金属・ビン・紙類・布)、埋立ゴミといったところです。
 実は昨年の5月から自分がどんなゴミをどれくらい出しているのかこの一年間メモしてみました。その統計は容器プラスティックが45%、可燃ごみ20%、埋立ゴミ15%、紙類10%、鉄アルミ5%、他となっていました(回数はそれぞれ9,4,3,2,1で合計19回のゴミステーションの利用)。また ペットボトルやプラスティック皿、紙パック(牛乳・野菜ジュースなど)はスーパー回収ボックスを利用、小家電は役場回収ボックスを1~2度利用、生ごみはコマめに土に埋めています。 何となく感じてはいたのですが、改めてプラスティックと生活のつながりが太いようです。

 今日のスケッチはスダレを立てかけているベランダに仮置きしていたプラスティック資源ゴミ袋に止まっていたカゲロウです。彼(女)は朝からそのまま午後までこの格好を崩さず止まっていました。成虫期が短いと聞くカゲロウ、何のタイミングを待っていたのだろう。
 その後カゲロウは消え、数日後ゴミ袋も指定日の朝にゴミステーションへ移動しました。
 いらない物つかいおわった物をゴミとするなら、排水や糞尿もゴミとなりそうです。糞尿は汲み取りである我が家は1年数か月に1回、排水はバケツで受けすべて裏庭や道にまいています。
 こうやって項目を並べてみると回数としては容器プラスティックが多いのですが、金額にすると、ゴミを出す袋は10枚で150円前後ですが、糞尿汲み取りは1回が数千円かかるのですから(水洗の方は下水道代)、やはり人間生活での最大のゴミはプラゴミではなく今も昔も糞尿な事でしょう。

2021_0503記
ロッキー山脈と千曲川

 北アメリカ大陸のほぼ中央にコロラドと云う地域があり、デンバーと云う都市があります。この都市名にあやかったジョンデンバー。
 コロラドの西側一帯はロッキー山脈であり、彼の楽曲には「ロッキーマウンテンハイ」と云う1972年発表の歌があります。
 高校時代から英語は低空飛行だった私は逆戻り聞く「ロッキーマウンテンハイ」の英語歌詞は理解できなくもロッキー山脈の青い風を演奏の背後に感じていたようでした。
 歌の繰り返しの一部に“…Colorado Rocky Mountain high I've seen it rainin' fire in the sky…”があり、「ロッキーでの星降る一時に安らいだ」らしき事のようです。Web記事ではペルセウス流星群をロッキーで見たとありました。ペルセウス流星群は日本ではちょうど小中学校夏休みの夜の天体現象になります。W型のカシオペア座の近くの星座にペルセウス座はなるようなので時間帯は分かりませんが北の夜空に1970年前後にジョンデンバーは近い人(々)と見上げたのかもです。当時小学高学年の私は翌朝早くいとこ達の案内で行くカブトムシの森を夢見て寝入っていた頃。

 今日のスケッチは千曲川の河原で少年が見つけた葉型の化石です。
 葉型の大きさは10cm×8.5cmです。よく河原に落ちている「ページが重なったような」頁岩けつがんにはよくこのような植物の化石が見つけられます。スケッチのようなサイズは珍しいです。下の葉型は拾った時の物の周辺部を削り葉縁を確認したもので、葉の縁がギザギザの鋸葉が感じ取れた。
 ロッキー山脈はアメリカからカナダへと続く大山脈。そのカナダのバージェス山という山付近では世界的にも貴重な化石地層があり、それが頁岩地層であるようなのです。そこからは三葉虫など古生代の動物化石が見つかっているようです。
 スケッチの化石を見つけた小6の子には「これはしっかりと全体が残っている学校の先生に見せてみたら、なんの植物かきっとわかるよ」とその時は話したのですが、この葉型の化石にしても古生代はないにしても中生代または最近ではない新生代の物と思うのです。そうすると三葉虫のようにすでに絶滅した植物であることも十分考えられるのです。そんな想像をめぐらすと はてしない旅人になれる。こんど化石の子にあったら「あれは絶滅した植物かもしれない」と知識の引き出しにない物にであったのかもと話してみよう。

2021_0428記
小さな季節役者たち

 今 二十四節季においては穀雨から立夏にむかっています。
 立夏直前には立春から数えて88番目の八十八夜があります。この3ケ月の歩みはどうだったでしょうか。
 ニュースはコロナコロナで明け暮れていますが、打つ手が「動かないでください」の一点張りに動かない季節を四季の中にも感じています。ワクチンも初期の新型コロナ対象に作られたのでしょうから不確かさがこぼれてしまいます。世界各地で変異の情報。
 変異報道を聞いてると悪い方 悪い方に変異することが頭に焼き付きますが、人間に優位にというか感染の連鎖がおこっても病害のないような変異をする事もあることでしょう、そんな性質に変異した新型コロナウイルスが主流となり全世界で(ここが難題だ)置き換わった時、コロナは収まるストーリーを話される人もおられたようです。悪玉コレステロール善玉コレステロールのように、善玉新型コロナウイルスに期待をしたいです。
 イギリス株やらブラジル株、南アメリカ株。今 変異はインド種が注視され始めています。その先もあげられています。
 ワクチン報道からは個人的には初期的な段階を感じられ、今のワクチンの数量や体制(日本は1.2億の人口がいます一日100万人にワクチンを打っても全てに打つなら120日かかります、二回摂取なら240日かかる例)には、感染者まわりを重点的に行っているPCR検査と同じような範囲能力で実施しますとも受け取れます。

 2階ベランダに一年中立てかけているスダレに昨年の秋カマキリが卵を生みつけました。それは珍しくないのですが、それが孵ることは珍しいです。
 この4月下旬それが孵り、その小カマキリたちが今日のスケッチです。
 こんな小さなカマキリを見ると夏蜜柑らしき樹の枝に産み付けられた卵のうから次々に小カマキリがあふれ落ちていくのを見ていた小学低学年の初夏を思い返せます。そんな木々や空き地は時の流れの中、排水場や集合住宅に代わっていったようでした。
 旅芸人のように季節を演じてくれる役者たちが今も近くに存在していますか。二十四節季をさらに三分割した七十二候では「蟷螂生(かまきりしょうずる)」と云うものがあります。この蟷螂生は二十四節季:芒種(6月上中旬)に属しますので、地域差はあるでしょうが今年は東信濃において小カマキリ発見日において かなり早い季節の歩みとなっているようです。

2021_0426記
信濃の山は星の雪隠せっちん

 長野県中央部に位置する和田峠周辺は「県の石」に選定されている黒曜石こくようせきの産地であり山地でもあります。
 黒曜石は溶岩が冷え固まった澄んだ黒っぽい石、割ると鋭利なガラスのようによく物が切断できるとの事です。金属をつくることができなかった太古の人々は、これを包丁や槍の先に使ったようでした。美しくもあったことでしょうが、当時は用具として尊ばれたことでしょう。
 その石を黒曜石と名付けたのは近代に入ってからと思われ、旧石器時代の人々はこの石や加工品をどのような名称で呼んでいたのだろう。
 和田峠東方周辺では「星」のつく地名がいくつか残っています。これは黒曜石を表すこの地域での方言からきているようなのです。江戸時代では現在の黒曜石は「夜空に輝く星のかけら」との美しい見立てから「星クソ」と呼んだようです。現在のクソ≒ウンコの感覚と、当時のクソの感覚は異なっていたとも考えられますが、現在人の感覚からすると星のカケラを星のクソとしたのは異次元の飛躍があり面白いです。和田峠東方にはその名もズバリの「星糞峠ほしくそとうげ」や「星ケ塔」と云う地名が現存し、どちらも太古の人々の鉱山跡地 :黒曜石遺跡として散策できるようです。
 星糞峠の遺跡地にいってみると。その散策路入口に注意書きの看板が面白かったです。「ゴミの注意」「自然を大切に」「観察路以外には入らない」まではよくあるお願い事でしたが「地面を掘らない」などの注意書きもあったようでした。

 今日のスケッチは、その星糞峠への上り道に芽吹いていたニワトコの新芽です。
 ニワトコは、ちょうどスケッチぐらいの時、山菜として食すことができます。味はタラノメよりも淡泊。
 星糞峠の里は、本冬は開きませんでしたがブランシュたかやまなるスキー場があるところになります。山々の景観は美しいものが点在していました。

2021_0424記
黄色いテーブル

 今 冊子型「時刻表」をカバンにつめ旅をする人がどれくらいおられるだろう。
 私の父母は子供が小さいころ車の免許を持たなかったので、旅行は列車を利用するものであり、時刻表は重宝しました。
 時刻表のページをめくりながら高校生時分は旅をしたりしました。それは高校に入った時、授業科目のクラブで人見知りをする自分はすぐ後ろの出席番号の子が「旅行研究?」らしきものに入ると言ったので私も便乗し入ったような気がします。そのクラブは時刻表の中で「北海道札幌に行くにはどの線路を使い、どの駅で乗り換え到着するか」をやったような遠い記憶であります。
 そんな時刻表の中で特に鈍行だけでの旅をしてみると、電車の乗り継ぎが悪かったりでパズルを組み替えるように目的地に向かっていったようでした。
 もともと旅は好きでありましたので一般の本(読書)や教科書より、その後も時刻表はよく開いたように思います。当時の列車の中には、夜行鈍行列車も各地にあり、それを利用するのも架空の旅パズルを組み立てる面白さにもなっていました。

 時刻表のことを英語ではタイムテーブルといいます。
 タイムテーブルは学校やテレビラジオの時間割にも使われる単語のようです。
 今日のスケッチは虫たちのテーブルとなっていた黄色いタンポポの花でありました。
 野道のきわに花盛りをむかえています。スケッチでは甲虫とハエ類ですが、羽化したてと思われるアゲハ蝶や冬を越えたと思われるキチョウが同じようにタンポポにとまっていました。
 人の飲食店事情とはことなりタンポポのレストランは何処も来客が通常通りのようでした。山は新緑の色合いをにじませはじめています。

2021_0418記
類型コロナどこに行く

 行政では感染症をいくつかの類型に分け対処等の役立てとしているようです。
 私がのぞいたページでは1類、2類、3類、4類、5類の他に新型インフルエンザ等感染症や指定感染症・新感染症があるようでした。
 (以下素人の要約ですので興味を持つ人はご自身で調べなおしてください)
 1類は感染方法に関係なく危険なもの。
 2類は飛沫感染による危険なもの。
 3類は消化器由来(糞など)による危険なもの。
 4類は1~3類以外の主に動物等を介し人へ感染するもの。
 5類は性感染、その他。
 そして現在1~3類までが重要注意の枠組みがあるようで特定感染症と呼ぶこともあるようです。
 指定感染症は、すでに知られた感染症で1~3類同等の措置が必要と位置付けられるもの。新型コロナウイルスは昨年2月1日にこの『指定感染症』に指定され「検疫感染症」にもなっています。新型コロナは飛沫感染なので2類に当てはまりそうですが、指定感染症なら感染予防措置で公費適用のものが2類変更となると自己負担になるものがあるようで、無症状者からの感染リスクを考慮し来年1月31日までの2年間に延長されたようです(当初は今年の1月31日までの1年間だったらしい/また昨年2月1日以前の感染者少数の時は2類としていた経緯がある)。
 この指定感染症の決め事(実施できる措置等)に「延長を含め最大2年間に限定」があるようでした。
 来年の2月以降新型コロナはどのような類型、政策になるのか、自分の健康を気に留めながらも気になるところです。

 今日のスケッチは小さきベンチと水道だけがある公園で芽吹き始めたハナミズキです。時は冬芽から新芽へと動いています。
 昨年から今年にかけ たまたま掛けている保険の更新の約款に、保険を払わない事項に、故意によるもの・地震津波…戦争・放射能事故の後に『特定感染症』の一文が加わっていました。保険会社に問い合わせてみると「新型コロナは特定感染症ではありません」の回答は本文の通りでしたが「保険期間中に国が新型コロナを第2類などに変更した場合は?」の問いかけに、しばらくして「その場合その時点で特定感染症扱いになります」との回答でした。
 来年2月までは指定感染症で動かないとしても、それ以降の動向は注意が必要。国の対応が、保険業・保険を掛けている人々に大きな変化影響を含んだ新型コロナウイルスでもあるのかもです。

2021_0415記
青は緑の春となる

 何年も前から、謎の遠吠えを森に聞くことがありました。
 一年に一二度「ウォーウーウォーウー」と森の奥の方から聞こえてくることがあり、狼や犬のように力強く天をつらぬくようなものでなく、低い空を這い伝わってくるような音。人知れず猿人でも住んでいるのではないかと、その音声に出合うたびに「遠吠え」に絡め[獣 遠吠え][サル 遠吠え][キツネ 遠吠え]…youtnbe検索をかけるが一向に正体がつかめなかったのです。
 保留している謎は、自然界のことから自分の体内のことまで ことのほか多いのです。忘れずにいると ひょんな事から解明される時があります。

 冬が明け久しぶりの行商地は寺院の花祭りでありました。花祭りはお釈迦様の誕生を祝うもので寺院では甘茶や団子がふるまわれるのが恒例であります。今年はコロナ下での祭事となったので、寺院のいたる所にスプレー式の消毒液が設置され、少数精鋭?のコンパクトな形態でその日をお祝いしていたようでした。
 そんな行商展示場所のうしろ側に池があり松がありました。その松の高枝のあたりで弓の弦が唸るような「ビュン」という音が何度もしたのでした。人出はまばらであったので境内の野鳥たちはノビノビ感を失わず、松の木には2羽のキジバトが来ていたようでした。たぶん求愛のとき発するオスのたてる音ではないかと帰宅し調べている中で、文頭の謎の遠吠えにtoutubeで再開できたのでした。
 それはハトの仲間のアオバトという、今まで私には図鑑の中だけで知るハトの鳴き声だったのです。このハト 東北では魔王鳥とされていた地域があるようでした。たしかに声は大きくないのですが密林深くからようやく届く声のようにも思い返せるのです。

 今日のスケッチは、アオバトと遠吠えのイメージです。
 アオバト(ミドリ色した彩色豊かなハト)。耳から知る鳥は少なくないのですが、まだ私にとっては目から確認は出来ていない鳥です。情報過多の錯覚を持つこともある昨今ですが、人が知っている範囲というのは案外少ないのかもです。
 花祭り境内での唸り音に似た音は、やはりオスが求愛のとき発するものではないかと検索をとじました。ハトも「ポッ ポッ ポー」「デ デ ポッ ポー」だけでなく色々なコミュニケーションをしているようです。

2021_0411記
いにしえの三密医院

 人の歯は乳歯から永久歯に生え代わります。
 その乳歯がとれた時、縁の下や屋根に投げいれたことがあるでしょうか。最近の新築住宅には縁の下に投げ込むのが大変そうです。
 乳歯を投げ入れるとき唱え言葉があったのですが思い出せない、でも丈夫な歯が生えてきますようにとの、その時ばかりの歯の健康を祈るのでありました。他力本願の願い事なので、その次の日からよく歯をみがくはずもなく。歯医者さんまでの道を20分ぐらいかけその後も毎年歩いたようでした。当時は予約というものがなく診療が始まる時間の3~4時間前に出かけては早い診療順番を取って来るのでした。歯科医院前に早朝行くと その前に順番を取りに来た人が居残っていて「私は2番(目)だから、あなたは3番です」と伝達しその人は番取りの手順を終え家に帰れるのです。3番を言い渡された私は4番目の人が来るまで医院の前に居残る。そして家に帰ったあと診療が始まる時間が9:00とすれば3番目はだいたい9:15ぐらいかなと自ら見当をつけふたたび歯科医院へ行くことをしていました。
 順番を取らずに診療が始まってから行くと、待合室(広くはないせいぜい4畳程度ではなかったか)のドアを開けると満員状態。当然その満員の一番最後の診療順番になるので、長い時間滞在となることもしばしばだったのです。

 今日のスケッチはフキノトウなのですが、一番外側の葉がフキの本葉の形を連想するものが育っていました。
 フキノトウを摘むとき、まわりに付いている葉たちは乳歯ならぬ乳葉なのかもです、そして本葉は人で言えば永久歯といったところでしょうか。
 東信濃も草木の芽吹きの頃に入ってきています。やがてそれらの草木にも大人の葉が茂ることでしょう。

2021_0407記
視力

 クマにあったら、動かないで立ち尽くすという対処方法もあるようです。
 動くことで生き物であることが知れてしまう。
 私たち人間も動くものがあることで生物を感じることは日常と思います。飛んでいれば鳥や蝶は見つけやすい。地面でもアスファルトの道路を横断するクモや昆虫の方が森中の土道の上よりはるかに気づきやすく見つけやすいです。
 昆虫たちの中には人間(私)に見つけられてしまうとジィーとしてしばらく動きを止めることでそれ以上の接近を回避しているような物によく出くわします。ジィーとしている事で対象相手に気づかれない方法をとる生き物にリスもはいるのではないでしょうか。私が馴染みの林道は二ホンリスでなくシマリスと遭遇することが全てなのですが。
 そのシマリス、道に出ている時 出くわし多くは道脇のヤブに逃げ込むのです。しかし中には、動作をとめて動かなくなるリスに何度か出会っています。
 今日のスケッチのシマリスはその立ち姿でした。
 スケッチのシマリスに私が気づいたのは林道アスファルト上25mぐらい手前でした。リスの目の機能はどのようなものなのでしょう、人と明らかに目の位置が異なり右左にあるので見えている範囲は広そうです。私はその距離でシマリスに気づいたので立ち止まり動きを止め、出来るだけリスから見てシルエットの変化が無いようポケットからカメラを取り出しました。シルエットを意識したのはクマとのアクシデント回避の記事でそのような事を以前読んだことがあったので、目的が違いますが動物を撮るチャンスがあった時はそのようにしています。
 今回はシャッターを標準で1、望遠で2、計3回。

 苦手な相手に気づかれずにやり過ごす小動物たちの仕草は、共感できるところがあります。
 人間の視力を含んだ目の能力は、どの程度のものなのだろう。人より小さな生き物はなお小さい生き物を判別しているのだろうか。大きな力を持つ物たちは、小さな力しか持たない物たちを見えていることでしょう。しかしもっと微細な力しか持ちえない物たちは見えないこともあるのではないだろうか。

2021_0404記
落葉と落羽

 山にはツル植物も多くその中には冬も葉をからさないスイカズラや枯莢や綿毛の目につくものも少なくありません。
 そんな林縁のツル植物にクマヤナギと云う赤・黒い実を付けるものがあります。このツル性の低木はクロウメモドキ科でこの科の葉を幼虫の時、食草とする蝶に今日のスケッチのスジボソヤマキチョウがあるようです。
 黄色いモンシロチョウ:キチョウが以前越冬している姿を高山に見たことがあります(背の低い茎にジィーとつかまっていた)が、このスジボソヤマキチョウも成虫のまま越冬するとありました(スジボソヤマキチョウもキチョウも同じシロチョウ科の蝶)。越冬の場所は枯葉の下に入ると読めるものがあり、落ち葉の敷布団と掛布団の中、冬を越えるのかもしれません。
 スケッチの蝶には一時、はねにハエが止まっていました。スケッチの表現では感じとれないと思いますが、このスジボソヤマキチョウは翅をねかせて着地していました。つまり見た目 枯れ落ち葉の上に蝶が一枚の葉のようにペシャンコに舞い落ちた感じです。それでその上にハエが着地したようでした。

 花に止まる蝶たちの姿を思いますと、春先のスジボソヤマキチョウの寝ころび止まりは特技のように感じます。落葉の間で越冬する時も、こんな感じで左目を上にして横になっていたのかもです。
 春はじめに見かけるチョウたちは越冬型の成虫蝶が多い事でしょう。タテハチョウの仲間(エルタテハ・キベリタテハ)やテングチョウを山に見るようになっています。
 信濃の山里でも桜が咲き始めました。モクレンやコブシの白い花が旬となってきています。蟻が地表を歩いているのを今春はじめて昨日見ました。
 4月に入りすぐオリンピック聖火リレーがごく近くでもあったようですがお知らせ薄く日程を消化したようです。かたや蔓延防止等重点措置適用地域(阪神圏)では実施日直前に春の高校野球の日程を消化したようです。

2021_0331記
ジャガイモ史は四百数十年

 20歳の時の徒歩旅行の到達地は友達のお兄さんが下宿していた長崎でありました。当時一番遠い所に住む知人が長崎だったので、その地に2~3日お世話になりました。
 長崎到着前日までの雨は上がり、好天の中 平和公園やらグラバー邸・大浦天主堂など市内見物もしました。夜景のきれいという「稲佐山」や「二十六聖人殉教地」という所も訪ねました。
 だいたいこれらはお世話になった友人兄さんの下宿の大家さんが長崎到着の日に大家さん宅に招いてくれた時それらの見学地を教わったことを参考にまわったものと思います。特に二十六聖人殉教地は馴染みのない史跡でありましたし、その後も接点うすく時が過ぎています。26人のキリシタンが処刑された場所。江戸時代の歴史教科書で踏み絵などの写真は見ていたので、それにつながる出来事だったのだろうと思いながらまわりました。
 今日のスケッチのジャガイモはインドシナのジャカルタから伝来した事に由来しその名が付いたとの一説があるようです、それは鉄砲およびキリスト教伝来の時期と重なり西暦1500年台半ばごろになります。インドシナ:ジャカルタ周辺は当時スペインの植民地下にあり、そのスペインの触手が日本にも届こうとしていたのでしょう。国内戦国の当時、彼ら欧州人がもたらす新手の武器や食品生活品らメリットはキリスト教布教を許すに余りあるものであったことでしょう。
 二十六聖人の処刑は秀吉の統一後1597年、「布教は植民地化の礎」のうわさが元になり実行されたようです。26人のうち20名は日本人でありますがスペイン人4ポルトガル人1メキシコ人1。史跡地だけを思うと九州長崎界隈のキリシタンたちが処刑されたと感じられるのですが、実際拘束したのは京都大阪であり、当時京都奉行だった石田光成が任を受けこれを進めたようです。京阪で捕まえた人々は寒中期の約1ケ月をかけ長崎まで歩かされそこで殉教されたとのことです。
 長崎西坂での処刑当日は、市内には混乱をさけるため外出禁止令が出されていたようです(他の処刑でも外出が抑えられていたのかは不明)。しかし4000人を超える群衆が処刑(殉教)場の西坂の丘に集まったともありました。4000人以外の人は集まらなかったともとらえられます。当時長崎には何人ぐらい人が住んでいたのだろう。

 ちなみに私の徒歩旅行は夏の1ケ月間でした。何十年ぶりに知る旅先の歴史があります。長崎は坂の多い町でもありました。
 谷川俊太郎作詞小室等作曲に「いま生きているということ」と云う歌があり、その詩に「生きているということ・・・すべての美しいものに出会うということ そしてかくされた悪を注意深くこばむこと」があり、ときどき思い出すフレーズです。
 生きものたちが信州でも動きはじめています。ツバメが鳴く声を4日前に空に聞きました。昨日ミミズのフンを地面に初見。梅の花がきれいです。
 冬越しのジャガイモにも芽が出てきました。ジャガイモ原産は中南米となっています。その辺りもスペインの植民地とありスペイン(もしくはポルトガル)の進行と共に東南アジアを経て日本ジャガイモ史は始まったようです。

2021_0327記
3月の雪と炎

 一つ前のblogで小学校時分に一度カマクラが作れるくらいの雪が南関東でも降ったと書きましたが、今便利なネット検索に調べてみると「1969年3月12日  首都圏大雪」の記事が目にとまりました。春先の南岸低気圧がもたらしたらしい雪が東京で30数cmの積雪は昭和以降ならベスト3にはいる雪嵩であったようです。
 1969年であるので同時期だと思うのですが、テレビニュースで連呼されていた言葉が子供たちの流行り言葉に取り込まれていました。それは「安保反対_安保反対_…」のシュプレヒコールです。同年代の近所の子で3~4人連なりその言葉の意味も知らないで「あんぽはんたい・・・」と連呼して路地を行き来することが遊びとなっていたような一時がありました。
 いわゆる日本での70年安保闘争前年の69年はアジアではベトナム戦争、アフリカではナイジェリアxビアフラ戦争が世界的問題となっていたようです。これらの戦地に心をいためた女性がフランスでの国際会議会場近くで1969年3月30日に抗議の焼身自殺をしたとのこと(その手に戦地ビアフラと思われる飢饉記事の切抜きを握りしめていた)。子供であった私はそのことはまったく覚えていないが、その数ケ月後にヒットした歌『フランシーヌの場合』は覚えています。「フランシーヌの場合はあまりにもおばかさん フランシーヌの場合は あまりにもさびしい 3月30日の日曜日 パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ」

 私たち昭和30年台生まれ世代はプロテストソングや反戦歌の当事者ではありません。でも団塊の世代の人たちが支持した歌や文化たちを子供の耳と心で深い意味は分からずも無意識に聞いていた世代であります。『フランシーヌの場合』は80万枚の大ヒットとなっています。
 今日のスケッチは3月下旬に山野草として咲き始めるアズマイチゲのつぼみです。
 昨日図書館に半月ぶりに行きますとコロナ前とほぼ同じ人出を1年数ケ月ぶりに感じました。学生が春休み中でもありますが平日としてはにぎわいを感じました。国は国を守る性があることでしょう、企業や団体は企業や団体を守る性がある事でしょう、ですからせめて個人は個人を守ることを怠らないことにしたいです。

2021_0325記
白い雪、透明になり下る

 遠き日に「雪どけ水」と云う詩をつくったことがあります。
 生地関東平野南部は雪は降りましたが、雪どけ水を体験として感じれるはずも無いので、想像のもと、または憧れのもと“春を告げる山の神々が 雪どけ水を流しだす”のかき出しでつくったのです。
 雪は降れば「うれしいな」の感覚が子供時分にはあり、雪合戦など雪をつかった遊びができることもうれしいのですが、当時は雪が降ると登校困難になる学校の先生たちが多かったのでしょう、休みになることが度々あったのです。班で私は1~6年すべての日を登校していたのですが、雪の日は途中の金魚池あたりまで行くと先に登校した班の人たちが引き返してきては「今日は休み」と告げられニコッと登校は下校に変ったのです。
 「雪もっと降れ、もっと降れ、カマクラがつくれるぐらい降らないかな」と思っていた。6年間で一度だけ家の庭の雪をかき集めカマクラがつくれたことがあったのですが、壁がうすくもしくは中が小さく誰かが入ったときこわれたようなうすい記憶があります。
 そんな環境の中で根雪の感覚は全くなく、雪どけ水はそれ故に聖神なあこがれの水ととらえていたようです。

 雪どけ水は、清くもありますが、濁流であることもありますね。
 今春の山地で雪どけ水が流れ始めたようです。信州では土が凍るので中流域でも護岸からの湧き水が冬期は少ないのですが、山の水源近くの最上流部では水がない状態になります。
 水の流れが戻ってきた山の湿原周辺に広い水たまりが出来ていました。今日のスケッチは、その水を飲みに来ていたキレンジャクなる鳥であります。春スキーの方々ももちろんおられますが、バイクが入れる道路状況になっていました。
 高校卒業時分つくった「雪どけ水」の詩はフィクションでしたが、キレンジャク戯れる水辺にノンフィクションの聖神な「雪どけ水」を感じました。
 “春を告げる山の神々が 雪どけ水を流しだす”
 “希望をはこび この一年の わずらわしさを押し流す”

2021_0320記
スイカじゃなくてスズキのケイトラ

 少年少女たちとの「しりとり」をやってみたとき、「す」になった時 家にそれがあるのか、テレビでの宣伝で今身近なのか(私の家にはテレビはないので?です) “スズキのケイトラ”と言う子がいました。
 彼はスズキと云う単語を軽トラックで覚えたのかも知れないです。
 私の小さい頃は車自体が少なく軽トラ文化は熟成しておらず、三輪の小型自動車が印象的でした。生家は駄菓子屋を営んでいましたが、その商品は「あきたやさん」と云う方が定期的にホロで後部をおおった小型自動車でやってきたものを仕入れていたようでした。あれが今でいう軽トラであったのかも知れない。私の幼年時代は1960年台、だいたいその後半から、荷台が三方に開く軽トラが一般的になったとなっています。

 今日のスケッチは魚のスズキです。
 昨日スーパーの鮮魚コーナーにこの魚の切り身が置かれていました。
 スズキは故郷の東京湾で釣れる大物2種の片方でした(もう片方はボラ)。小さいものはセイゴといい、わりと身近な魚でありました。 スズキは故郷の東京湾で釣れる大物の片方でした。もう片方はボラ。小さいものはセイゴといい、わりと身近な魚でありました。都内であっても東京湾は1960年台、間近まで豊かな海であったようです。父が当時の堤防に一番近い道をバイクの後ろに私を乗せ周回ドライブしてくれました。その海から堤防は反り上り、父はバイクを走らせながら後部座席の私に「あれは昔の臨海学校だった建物だ」と通り過ぎた堤防に隣接した無人の建物があったように記憶しています。戦後まもなくの一時期 故郷の海はそのような親しまれ方をしたのかもしれない、詳細は聞かぬまま父も記憶の人となって久しいです。
 スズキの話に戻しますと、わたしがスズキの単語を身近にしたのは、小学1年同級にいた「鈴木」くんでありました。魚のスズキは高学年になって知り、西数百mに養豚場もあったのですが(スズキの)軽トラははるか時を経て大人になって気づいた単語です。

2021_0314記
古里の草むら

 4年生ぐらいまで遊びによせてもらっただろうか近所の子供たちの遊び場は庭の一番広かったコウちゃんの家でありました。そのお宅は茅葺き屋根にトタンをかぶせた大黒柱がある家でありました。土間があり、そこでメンコをやった。東側に縁側があり、そこで夏はスイカなどを頂いた。はじめて行ったのは私の祖母が私の手をひき「いっしょに遊ばせてください」らしきところから馴染みの場所となっていったようでした。
 庭が広いといっても少年らが遊べる平らな場所は3m×8m程度ではなかったかと思います。他の庭は庭園のようになっていて、その向こうに納屋があり畑が地続きであったのです。でもその3×8のスペースなりに「一歩三歩」や「だるまさんがころんだ」などをやりました。もっともやったのは文房具屋でかったビニールボールと手バットによる野球の真似事だった。近い年齢の男子4人が恒例のメンバーだったので、ピッチャー・バッター・キャッチャー・アンパイヤーになりやるのです、それなりに熱が入り思いっきり投げた球がアンパイヤーの後ろの板壁の板を落としてしまったりした。「巨人大鵬卵焼き」の全盛期、その草野球は3×8スペース後方広角に広がる庭園中ほどの松の木までバッターが飛ばすとホームランのルールだった。ホームランになるとボールを皆でさがしまくる、サッカーボールでは味わえない野球は球技なのです。

 球さがしはボールの大きなサッカーボールではつまらない、草野球ならではの+α。当時はスポーツと言えば野球か相撲でした、サッカーは小学校の授業ではやりましたが近所での遊びにそれをやる子は見ませんでした。また草が遊びの場に今より身近でありました。
 今日のスケッチは山地に落ちていたアカマツの枝先です。
 故郷は標高数メートルの潮の匂いのするところ、海に近いところはアカマツよりクロマツが多いとのこと、たぶんホームラン松もクロマツだったのではないでしょうか。
 ホームラン松のコウちゃん家の庭園は、しばらくそこにあったようですが10年ほど前 時の流れが持ち去ったようです。開発や発展というものは故郷にも確かにあったのでしょうが、古里と云う語はそれらの成果として使う語と用意されていたものに思われてくるのです。

2021_0312記
べた雪の冬

 今年もこれまでは昨年ほどでは無いにしろ小雪の冬であったようです。
 それも真冬であっても水っぽい雪でした。そのせいか雪が解けた路面に数多の梢が落ちていました。水っぽい雪は樹木や電線に着雪しやすく、過去には大停電を起こした記録があるようです。
 おおよそ50年前の1972年11月下旬から12月はじめの北海道で大規模な着雪による停電があったようです。
 日本北端の宗谷留萌とくに稚内あたりで5日間も停電が続いたというのです。送電線鉄塔群の倒壊は国道らを不通とし木柱は立っている方が珍しい状態となり、暗黒の夜が続いたのだといいます。一年前マスクが不足したように、この時北の地ではロウソクが不足していったようです。冬至を二十日後に控えた12月初旬の道北では7時前日の出夕方4時前に日没なので夜が15時間の計算になる。「長い夜」という松山千春さんの歌があったが、あれはやはり冬日短な北海道:道東出身の千春さんならではの染みついた感覚がタイトルとさせたのかもと勘ぐってみたくなる。
 着雪するような雪はほとんど降らない地方でもあったのでしょう、季節の境目の想定外の低気圧の停滞。人の想像は自然の脅威や脱線を囲いきれない歴史をくり返しているように思え、過去のデータを整理すると共に人が新技術を手に入れるように自然も新たな自然現象に進化しているとの想像力が必要なのではないでしょうか。
 電線への着雪は団子状または直径10cmの竹輪状にくっ付いたとのこと、強風、雪雲の停滞、50年前の北のライフラインをストップさせたとのことです。ストーブも電気仕掛けの物が普及していたため送風において効率の悪い暖房になりストーブに寄り添いすごされた日々でもあったようです。

 今日のスケッチは、雪解けた路面に数多の梢が落ちていた林道脇に、雪解けと共に見えてきたコケの一種です(黄緑色、カサゴケモドキかもです)。直径1cmちょっとでした。周りに昨秋までのカラマツの落葉が埋めていました。
 落ちていた梢たちの多くもカラマツのものでありました。標高で1500m付近まで雪解けが進んでいます。

2021_0307記
水の神さま

 水神は水害から守る祈りが、また適量の水を願うものであったことでしょう。河川の決壊回避や 田への水を願うものであれば淡水域におけるものが多いことでしょう。
 10年前には大規模な太平洋からの津波は長い海岸線において遡上が大水害をおこしました。
 水神の化身:象徴として、龍や蛇、河童が使いのものとされてきた所もあるようです。
 その中で河童は、人に近い存在として色々な生態が伝え残されています。好物は魚も食べるがキューリが大好き。人の体から尻子玉と云う臓器を抜き取る。頭の皿はいつも濡れており乾くと妖力を失う。
 水に浸されてない状態が続くと危機的な状態になるということでは、10年前から続いている原子力緊急事態宣言に似ています。原発はあの日、発電所から水神に変身したのかもしれない。水が枯れることは大いに困ることになっていくのでしょう。

 今日のスケッチはイチゴのヘタ部。カッパの頭に似ていました。
 2月の福島沖の地震から約3週間たった3/5早朝4時のニュースに「福島第一原発一号機において4日の会見で、格納容器の底の部分から1メートル90センチほどあった水位が、70センチから1メートルほど下がったことを明らかにし、注水量を増やす計画」と報じられています。これまでよりも多くの水が抜けやすくなった可能性があるようです。
 また2月の福島沖地震の発生直後、原子力規制委員会が発表した各原子力施設への影響のお知らせがあったようです。すべからく「異常はありません」の発表でしたが、その原子力施設の所在地にそうだったんだと思った事がありました。発表対象となったのは17ケ所で、原発だけでなくウランを加工したり試験をしたり再処理保管をしている所も含めての数と思われます。その所在地は東北5(福島2宮城1青森2)、新潟1に対し関東は11(茨城10神奈川1)でありました。

2021_0302記
つまらない話のほうがいい

 新型コロナの感染者はどの世代でも報告されていますが、高齢者の人の方が重症化しやすいとよく聞きます。また今まで普通に暮らしていた人が突然亡くなってしまう事もたびたびニュースに見たわけです。
 サーズやインフルエンザといった感染症では報告があるようなのですが心筋梗塞や狭心症がおこるらしい。そして新型コロナでも同様のことが起こっているらしいのです。これらの病気は心臓まわりの血管がつまってしまう危険度の高い病状に進展しやすいものらしいです。血管にまつわる病気です。血管は年齢とともに硬化していくらしいので高齢の人ほどリスクが高まっていくことでしょう。
 高血圧は、このような血管をふさいでしまう血栓の土台となる血管内のこぶ:プラークをつくる一要因としてあげられていました。高血糖、脂質代謝異常、喫煙…と気を付けたい項目がならぶようです。
 呼吸器:肺炎、肺に注目されがちな新型コロナは血管をふさぐ病としても重要注意と思っているところです。

 雪でふさがっていた林道の雪解けは進んでいます、今日のスケッチはカラマツの冬芽です。
 早春の道をいけば、沢山の落ち枝が道に落ちています。風雪がおとしたのです。季節の歩みは秋冬の落葉落枝から雪解けと共に春は再生の季節を今年も感じさせてくれることでしょう。
 人は大人になると年齢とともに、外的機能の衰えは見せずとも、身体のいたるところで摩耗・劣化を日々積み重ねているところがあり、春は気持ちの上で再生の季節にできることもありますが、身体はなだらかな下降線を歩んでいると認識を持たなくてはならないでしょう、たとえ30歳でも。
 血管が詰まったり裂けたりする管は大きなものから微小さなものまであり、それらは手のしびれや物忘れ認知症らにも関係していると読みました。血圧でなく血管の状態について、もっと注意を持つべきではないかと一冊の本を読み終えたところです。
 新型コロナによる血栓症で気になる点に、血管内でのウイルスとの攻防の末、血栓には至らなかったにしても 微量のこぶが血管にでき(血管年齢を加算して)以後の人生を送らなければならないのではないかの思いです。攻防跡ができると仮定し できた微量のこぶや不完全ですんだ栓たちは自身体内の能力や現在の医療で発症前の状態にもどせるのだろうか?

2021_0228記
霧のう回路

 レンゲツツジの描写からその小説は始まっていました。
 レンゲツツジは初夏のころ高原に赤みがかったオレンジ色の花を付ける低木であります。時に群生しているので一帯としてそれを見る時、印象強く持ち帰る方々がおられます。そのレンゲツツジの花期が終わると あたりはニッコウキスゲの黄色がかったオレンジ色におおわれる、小説の舞台は長野県霧ヶ峰でのものでした。
 霧ヶ峰から美ヶ原まで、今の名称でビーナスラインと云う高原道路があります。小説は現ビーナスライン:霧ヶ峰道路を造るにあたっての行政と市民のやりとりが残されているようでした(新田次郎「霧の子孫たち」)。
 霧ヶ峰道路初期ルートは中世の遺跡や希少な高層湿原をかすめるものでした。それを市民有志たちの働きかけによって南へ迂回変更され遺跡・湿原への直接的打撃はさけられました。が、道自体の中止計画には至らず完成し、さらに先へ先へと山腹を美ヶ原まで伸びていったようです。
 霧ヶ峰道路らは造られた初期は有料道路としてあったので、車でやってきた人たちは「お金を払っているのだから」と草原の植物を持ち帰ったり、浪費したゴミを置き去りにするケースも少なくなかったようです。また私が思っている以上に人間の糞尿が壊滅的に植生に影響を与える地帯があるとありました。
 人は人として人の目を気にして行動しますが、人目が無ければの心もあるのでしょう。でもそこにも草木の芽があったりするようです。置き換えれば関心のある市民の目が無ければビーナスラインは今と異なるルートであったのだと思います。

 今日のスケッチはレンゲツツジの冬芽の姿です。
 ビーナスラインは現在無料ではいれます。私も利用させてもらうことがあります。だいたい気晴らしの自転車での行き来なので、車両(車・バイク)の少ない好天の日を選びたいです。ビーナスラインはカーブやアップダウンはありますが分岐点にも信号が一つもないのでドライブ・ツーリングにはよいはずです。自転車ですと排ガスを吸い込みやすいので、コロナ以前からこの道を行く時はマスクをつけてハンドルを握った時も少なくなかったです。
 11月下旬から4月下旬までビーナスライン多くの区間は冬期通行止めの只中です。

2021_0223記
幕末の木枯し

 昭和に終戦した戦争は色々な名称で語られ十五年戦争とも呼ばれています。満州事変1931年から敗戦1945年までのあしかけ15年を戦期ととらえた名称。
 その100年前は1831年~45年は江戸時代になり、元号では天保元年から天保末年にちょうど一致するようでした。この天保年間がドラマの設定となっている時代劇に「木枯し紋次郎」があります(スケッチ)。天保年間は次の時代:明治が水面下で育ちはじめたころになります。木戸孝助・高杉晋作・板垣退助・坂本竜馬ほか多くの誕生年がこの天保にあったようです。
 紋次郎を、その当時20~35歳と想像したなら維新の志士たちのお父さんにあたる世代になることでしょう。「上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれ・・・十歳の時に故郷を捨て・・・なぜ無宿渡世の世界に入ったかは定かでない」
 新田郡を「にったごおり」と聞かせ、木枯しの季節を協調したのかもしれない。テレビ放映も木枯しただ中の頃合い(1972年1月)に始まり夏前(5月)に終わり、次の木枯しが吹き始める頃(11月)再び新作で放映再開、南風優勢になる1973年3月に終了しています。
 新田郡の生い立ちをみると平安後期の浅間山の大噴火が大いに関係しているようでした。その時の噴出物は相当なものだったようで風下の上州:群馬県は田畑に壊滅的な打撃を受けたとなっています。その整備に入った豪族が荘園化した、新田一族の郡。その新田郡を現在の地図で見ると浅間山に近い群馬県内ではなく、むしろ群馬県内では一番浅間山から遠い栃木や茨木に近い一帯になっています。10年前の好まれなかった風も風下の地に現在の物語とは別に数百年後のドラマをつくるのかも知れないです。

 木枯し紋次郎の映像は、すすけた野中を歩いていく風景をよく見せてくれていました。知らずにあのような土路を旅してみたいととらえていた思いもあり、歩き旅での憧れの風景があの映像の中にあったように思います。
 現在多くの人がマスクをつけている。マスクは左右の耳を留め具に装着するわけですが、紋次郎をスケッチしてみて、笠はアゴをはさむように巧みに絡ませ装着しているようでした。
 「紋次郎さん 楊枝をくわえながら、マスクはつけられそうですか」
 「あっしには かかわりのないことで…」

2021_0219記
ミカンの地殻

 先日、長野県でも長く感じられる地震が夜中伝わってきました(2/13福島沖本震の時)。
 地震と云うのは地殻の中の一部が壊れ伝わる動きとおおまかですがなっています。その地殻とはどれくらいの厚さのものなのだろう。海では6㎞ぐらいで陸にいくと厚みを増し数10kmとされているようでした。地殻の下のマントルと呼ばれる部分が流動性があるようで、水に浮かぶ氷のように地殻は地上部が厚くなると地下部も厚みを増し均等をとっているようなのです。
 標高0mで10kmの地殻の厚みがあったとして、大まかな定義を仮定し計算した例としてエベレスト山頂で70㎞近い厚みがあるとなっていました。その式で私の今住む標高650mぐらいで計算を求めると14㎞ぐらいの厚みになりました。
 日本の地震たちの多くはこの地殻の10数㎞の厚みの中の動きで起こっていることになるのか、地球の半径は約6400㎞とされています。

 今日のスケッチはミカンの皮を破いたところです。
 ミカンの皮の厚みは1.9mmでした。そしてミカンの半径は26.5mm。その半径に対する皮の厚みの割合を地球の半径6400㎞に当てはめると450㎞の数字が出てきました。地球の地殻とミカンの皮との比較はナンセンスですが、ミカンの皮と半径の割合は、地球の地殻の30倍程度厚い組織でおおっていることになりました。そう求めると地球の地殻と云うのはミカンやバナナの皮でなく、リンゴやナシの皮ぐらいの存在になるのかと思いました。
 地震の時はその厚みの中の動きでドキリとさせられるのですから、やはり人の暮らしというのは謙虚にと再確認です。

2021_0215記
雨の月曜日

 まとまった雨が降りました。家の雨量計で17mm。
 空気が寒かったら20cmぐらいの積雪になっただろうから温かかったのは幸いしました。
 雨もそうですが自然現象には文句を言っても始まらない。それらを受け入れるしかないのです。雨のうたで「雨が空から降れば」と云ううたがあります。♪雨が空から降れば…オモイデも あの町も 電信柱も ポストも…雨の中、しょうがない 雨の日はしょうがない♪。
 「しょうがない」と吸収できる雨やオモイデはどのくらいのもの?
 しとしと降っても沢山降っても「しょうがない」スイッチをONにしつづけ過ごしている、オモイデも あの町も 電信柱も ポストも 人の匂いのする物たちも雨の中。

 今日のスケッチは電信柱に埋め込まれている陶器製のマークをスケッチしました。
 だいたい人の目のとどく高さにこれらに似た物が埋め込んであるようです。右は集落内の物、左は林間部の物でありました(山間部にも結構電柱は立っています)。あまり実用性は無いのですが、この数字らが読み解けると電信柱の高さが分かります。
 この二つのマークでは「14」と云う数字が電柱の埋まっている部分も含めた長さになります、14m。だいたい電柱は2割を地中に埋める約束事があるようなので1.4x2=2.8mが地下に 残りの約11mが地上に出ている事になります。
 残りの数字たちは、型番であったり、強度であったり、最上部の直径であったり、製造年(1986/16=2016)であるようでした。造った会社の名もトーカイ*/NCと明記。
 高さが分かればその近くにある樹木や屋根の高さがだいたい分かることになり、自然や環境観察の目安にできそうです。

2021_0211記
山が再びつくった想像上の海

 富士山北麓には青木ヶ原の樹海があります。
 入ると出て来れなくなる 磁石が効かないなどの噂、不気味さが漂う一帯でもあります。しかしこの原生林の歴史は比較的浅く、平安時代前期の富士噴火の溶岩らがこの一帯を埋めつくしたことから始まっているようです。
 1200年前富士により草もない大地が再生され、そこから草が生え、やがてミズナラやアカマツが生え、ツガやヒノキが立ち上がってきたものと思われます。そして荒野は海のように見える森林:樹海と云う呼ばれ方がされるようになっています。
 この青木ヶ原を溶岩らが埋めた噴火の前には、今と異なる富士の湖たちが存在していたようです。現在の精進湖と西湖はそれ以前は一つの大きな湖『せの海』としてあったようです。もっと前には現在の本栖湖もそのせの海とつながっていたが、やはり溶岩らで分離されたとなっているようです。
 昔は湖を海と書くことが一般でしたが、今は湖と書きます。しかしせの海の跡地は、今ふたたび樹海として海とされている巡り合わせです。

 せの海の「せ」は漢字では付箋の箋の竹冠をとった物をへんに 刊の右側(りっとう)をつくりにもった字であります(フォントにより表示できない字のようです)。  今日のスケッチはクリの冬芽です。
 クリは漢字で書くと西の木と書き栗となります。富士五湖の一番西に位置する本栖湖の栖も西の木と書くのでした。
 栗の枝は遠目にみると普通の枝先だったのですが、スケッチをしてみると一つ一つの冬芽が栗の実に似ていました(右スケッチ)。
 縄文時代の家の柱などには腐りにくい栗が用いられ、最近は鉄道自身が道路交通に押され気味ですが枕木も栗材であることが多かったようです。家の土台や枕木が現在コンクリートに代わっていることが多いので、栗材の強靭さをさかもどり感じとれます。

2021_0208記
西風のプレゼント

 春一番が関東で発表された4日、長野県内でもそれなりの風は吹いていたようですが、長野県は隣県山梨と同じく春一番を発表しない地域となっています(ほかに北海道・東北・沖縄も発表しない)。
 同日 南西から西南西の風が標高で600~700mの県中央部の都市部観測所でも平均で7~10mの風が吹いた時間帯があるようなので、山岳部ではさらに吹いたことでしょう。
 その後、温かめの日が数日、しばらく入らなかった冬期通行止めの県道に徒歩で入ってみました。1月に様子見にいったときは接続の道路が雪嵩厚くそこまで行きつかなかったが、この日はだいぶ解けていたので車で閉鎖ゲート近くまで乗り入れられました。
 道の残雪は5cm程度、斑にまだ残っていたが、道脇を雪解け水がU字溝をあふれ下っていました。日向は完全に解けていたので歩を進めたのでした。
 歩いていくと倒木に度々でくわす。根元から倒れたオニグルミの木、枝先の一角を落としたクリやヤマハンノキ・ウワズミザクラの木々。そして幹折れしたミズキの木に出くわしたのでした。今日のスケッチはそのミズキの塊の2枝をスケッチしました。
 このミズキは冬期閉鎖中の道の3分の2をたわわの枝々が厚みをもち通せんぼしていました。スケッチの左枝は道路面から1.8mぐらいの高さに位置していた枝先、右は0.5mぐらいの高さに倒れていた枝先です。この枝に限らず、1.5mより低い枝たちはスケッチ右のような冬芽がない枝先でした。
 「シカかな」「カモシカもあるかも」

 斑の残っていた雪面には「いの字」の足跡が大中沢山あり、実際に戻り路の時、直線路はるか向こうに小ジカにも出会いました。森の動物たちは閉鎖中の道を分かっているでしょうから日中でも道路に現れることは多いことでしょう。とはいってもまだ15日まで銃による猟期の中です。私も誤射されてはかなわないので、いつもの地味な服装ではなく、赤と黄色の衣類を身にまとい入山していたのです。雪道には人の足跡はゲートから数百mぐらいまででそんなに奥まで道路上には入っていなかったようでした。
 ちなみに、他の木々の枝の冬芽はクリにしてもオニグルミにしても食べられた形跡に気が付かなかったです。ミズメの木は樹皮もよく食べられていますが、シカ類にとって好物のようであります。山中での強風・大雪着雪は皆に怖いものだったかもしれません、シカたちへの恵みはミズキたちにとっての災いであったことでしょう。
 追記:後日同じ道を訪ねると倒木のオニグルミの冬芽もミズキの芽と同じように低位置のものはなくなっていました。

2021_0206記
立春のピナツザウルス

 立春の朝、少年2人が「道に落ちていた」と謎の物体を届けてくれた。
 その少年たちの家から我が家まで500~600m、その間に落ちていたようでありました。
 ウイルスや細菌が表舞台で右往左往する昨今、目に見える謎が出没しても何もおかしくはないのです。
 「ほー、何かの卵かな あずかっておくよ」とその物体を半日、机の上に置いておいたら。
 びりびり、ばりばり…
 今日のスケッチのものがでてきたのでした。
 小さいので手足や背びれをつけるのにくろうしたのです。
 後日、他の少年にこれを見せると「ただの豆」
 それでも私は提案したのでした「これをピナツザウルスと名付けよう」

 節分の豆がどこかの家の外に落ちていたようです。もしかしたら少年たち自身の家でまいた豆だったかも知れません。大人ばかりの家でもやるのだろうか、豆まきをする家は現在どれほどがあるのでしょう。
 子供が住む家に節分の鬼は存在し、子供が成長すると鬼は鬼なりに世を渡っているのかもしれない。しかし実際には、わざわいと云う鬼は大人たちの背をも叩いて止まないこの一年になっているのでしょう。鬼、近づいても入りこまないでね。

2021_0203記
ウサギも使う自動販売機

 人は右利きが9割なのだとされています。
 幼少の頃は左利きも多いようでありますが、暮らしの中で右利きになっていくとか。手ばかりでなく、足にも利き足があり、これも右利きが多いようです。
 右利き有利な物として①自動販売機があがっています。コインを入れるとき右利きのほうが入れやすい。②陸上のトラックの周り方は、右利きの足の使い方に適した周り方として反時計回りの方向で競技が行われている。
 足においての利き足は、一歩踏み出す時の足、缶をつぶす時に使う足がその足とされていました。

 今日のスケッチは雪のについたウサギの足跡です。
 進行方向はスケッチでは下から上になります。ウサギは移動の時まず手(前肢)をつきますが、両手一緒につくのではなく片手をつき、残りのもう片方をわずかに進行方向先に着地させます。その後、足(後肢)をついた手たちのさらに先の地に両足同時に着地させます。
 人の利き足判別での 踏み出す足をウサギの前肢に当てはめるとスケッチの足跡主のウサギは右利きであることになります。ウサギの世界にも青汁ジュースの自販機があるのだろうか。
 また雪野ではシカなどでもそうなのですが、指を開いて着地もしくはキックをしているのが感じられます。
 人は靴を履きあるくので、緩めの地面を歩くときも靴底の形状で地を捉えていますが、もしかしたら野生の名残が残っていて「靴の中でも指を広げている」なんてことはないのだろうか。
 何はともあれ、雪のにつく動物たちの足跡はウサギにしてもキツネにしても魅力的に見えることがあります。それは多くの足跡が一個体の足跡である事が多いことにもあるのではないかと感じています。ひとりの作る路はただそれだけで美しい要素を含んでいるのです。

2021_0130記
ブナは遠き旅人

 ライフラインの乏しい荒野には中々住み着くことは難しい。
 色々なものがやってきては手ごわい思いを感じ去っていくのでしたが、そこに胞子という子がやってきて荒野に暮らすことになったのでした。胞子はコケたちの卵、コケたちは大気中の水分と太陽から栄養を得て、役目を終えた体は土に溶け込んでいったのでした。
 そうして少し荒野は野に近づいたのです。栄養を少し得たので草たちが徐々に住めるようになってきました。春に芽を出し秋に種を付け、それらの体も土に溶け込んで土に栄養を加えました。中には冬にも根は枯らさず何年も生きる草がありました。根は岩や石の間にも入り込み荒野は野原になったようです。
 そうして、ようやく樹木の子が住み着けるのでした。はじめは太陽の光を大好きな乾燥にも強い木たちが大人の木に育っていきました。そして年月が流れ背を高くした木々たちの下に日陰ができました、野原は森林にかわったのです。その日陰に森影が大好きな草木が林の床を住処にしはじめます。その中にも大きく高く育つ樹木もあり、森はにぎやかにしばらく過ごしたのでした。
 今日のスケッチは、森影が好きな樹木とされているブナの冬芽たちです。

 やがて森は日陰を好む陰樹いんじゅが優勢になっていくようです。陰樹が森を覆うとその林床も日陰なので陽樹ようじゅは育たなくなるそうです。
 荒地(噴火後など)→コケ・地衣類→一年生の草→ススキなどの多年生の草→陽樹→陰樹の移り変わりが日本の大地ではくりかえされて来たようです。陰樹の森は、山火事や強い気象による倒木、時に戦争を含む人為的要素などにより陽樹の森や草原にもどることもあるとのこと。
 私が訪ねる近い山々は陽樹で形成されている森が多いようです。それは少し前まで薪や炭を供給してくれたコナラ・ミズナラ・クヌギなどの木々たちが陽樹であったことに由来するかも知れません。ちなみにカラマツは陽樹、スギやヒノキは陰樹となっているので植林をするとき異なる植え方育て方をしているのかも?
 ブナは少し寒めの温帯での陰樹を代表する木のようでした。
 頃合いとしては寒さの底にあたるころとなり峰々の頂は真白に見えています。

2021_0126記
6本の話

 六本木と云うのは、きっとはじめは6本の木があったんだろうと考えた。その後10本になり、それがすべてビルに替わってもなお六本木は六本木。つまり地名と云うのは成長や後退りがゆるされないのです。
 ところで、足が6本のクモ(スケッチ)が雪のうえを歩いていました。
 足が6本と云うことはクモであるならずば抜けた特徴になるからロッポングモと名付けたいところですが、昆虫類の一種がクモに似ているらしいのです。
 標高1550mぐらいの雪上をクモのように歩いていた昆虫はガガンボの仲間らしい。
 ガガンボは巨大な蚊のイメージがありますが動物の血を吸うようなことはありません。もっとも蚊にしてもメスだけが血を吸い、メスにしても卵を産むころ以外は植物の蜜などを吸っているとのことです。スケッチのガガンボの食べ物は半腐敗植物や植物の根と検索できました。
 さてスケッチの虫がガガンボなら翅がないじゃないかの疑問がわくのですが、冬に成虫として現れるこのクモガタガガンボは雄雌とも翅を持たないとのことです。天敵の少ないだろう真冬に登場、そして交尾産卵。
 クモガタガガンボは北海道の記事がネット上に多いです。人間が野外なら厳しいとする環境にも生き物のジグソーパズルのパーツはありそうです。そうやって地球という星の表面は人知れずくまなくあることでしょう。

 他にユスリカの成虫が飛んでいました。
 ユスリカも蚊に似ていますね。この種ももしかしたら冬を成虫の季節とし現れ交尾繁殖するタイプのユスリカだったかもです。ご本家の蚊たちは成虫として春まで縁の下やうす暗い洞穴で休眠する(アカイエカの場合)と読んだことがあります。
 二回目の緊急事態宣言のとりあえずの期限日2月7日を向かえれば、暦の上では春となっています。人の命は複数の春夏秋冬を経験できる、そのことは良い事なのか悪い事なのか分からないです。でも一年々々少しづつ違う春をむかえ夏をすごし秋をいわい少しづつ違う冬をしのんでいるのでしょう。2月3日の立春まであと一週間となりました。

2021_0122記
もしやの民が、ここにあそこに

 わたしたちは、現在お店を通して色々な物を手に入れています。それで肉や魚などは、どんな生きた姿であったものか想像もせずに手にした時から食べ物として理解している。
 そういう事は食べれない物においても同じなのです。わたしはフォークギターを弾いたりしましたがそれに使われている木材の種類はわかっていても、その材たちにおいて木目がつんでいるとか柾目まさめ・板目・追柾おいまさなど材の方向を見る程度でその材の生きた立ち姿を気にしないのが常なのであります。
 先日 森中に針葉樹が葉を茂らせていたので近づいて、手の届く枝をたぐりよせ針葉を見るとヒノキや松というよりモミやツガに似、樹形もモミに似るものだった。が、葉の付けねあたりがそれらの特徴とは異なったので、写真に撮り家に帰りしらべるとトウヒの木が浮かび上がってきた。
 今日のスケッチは、そのトウヒと思われる葉裏をスケッチしたものです。葉枝の上:日向側はグレー色がつよいが、下:スケッチ側は肌色に近かったです。葉の基部はジグソーパズルのブロックのように筋が明確で その1ブロックを描いたものが右側のものです。裸の人が大きな剣を手に付けているみたいで面白い。
 トウヒはスプルースとも呼ばれる樹木で、産地によって色々ですがフォークギター表板に最も使われてきた材と承知していました。その生きた立ち姿に初めて意識して出会ったようです。どうせ現在日本で流通する木は輸入材さの商品感覚があった、見過ごしてきた者たちと積雪15cmの森で出会えた物語。

 ここ一週間ほど体温が高目でありました。高目といっても平熱が5度台なので6度5分ぐらい。激しめの行動をすると頭がふらつきそうになったのでしゃがみこんで呼吸を整えたりした。体の怠さも多少あったので「もしや無症状」の単語が頭をよぎった(現在5度台にもどる)。
 おおかた健康にやれているこの一年でしたが、お腹が下っては「もしかして」背筋の微寒気に「もしかして」。
 コロナは肺の病が前に出ているようですが、肺は心臓と一体感がありそうなので血管を巡回しウイルスが様々な部位に影響をあたえそうでやっかいそうです。基礎疾患の有る無しは人間界で診断されてもウイルス含めた外物の診断は異なる事はあるのでしょう。ねているまたは起動前の疾患のスイッチを押されかねない。できるだけ穏便に、よく噛んで時間をかけて食べる。最近心がけています。

2021_0117記
祭りの縁の下

 もうそろそろ一か月ぐらいたったクリスマスツリーにはモミの木が話題になります。 ヨーロッパ、特にドイツあたりではモミは身近な木であるようです。冬も常緑なので冬の室内にも力強い気を与えキリスト教でも大切にされたようです。
 日本の宗教でも、モミを重要なものとしている所があります。それは神社ですので神道においてです。
 信州諏訪を本社とする諏訪大社の御柱がそれにあたります。上社と下社がそれぞれ受け継いできた社有林から6年に一度モミの大木がそれらの山から引き出されます。こちらはご存じかと思いますが樹皮を剥がされ柱状の形態で使うのでクリスマスツリーとはだいぶ異なります。その一本の御柱の大きさは直径1m長さ19mが閲覧できます。その大きさ故と思いますが、上社側の山は六十数年前の伊勢湾台風害で適齢期のモミがその後不足し、ここ二十年余りは他地から確保しているとのことです。
 またモミに定着したのは明治以降の記述もあり、それ以前はカラマツや杉などでも行ったようです。近世までは地域で最も社格の高いとした神社たちを一宮としましたが、諏訪大社は信濃国の一宮でありました(当時名称は諏訪神社だったかも)。その後、明治期の神仏に関する令たちが諏訪神社を社格(大中小)として国幣中社と位置付けました。その中でモミによる御柱が定着したようです。大正期に官幣大社と位置付けられています。

 諏訪大社の知名度は御柱にまつわる行事が6年に一度行われることで人々に忘れさせないことでしょう。来年の2022年がその御柱祭の年になります。
 今日のスケッチはそんな諏訪大社下社の社有林と思われる県道周辺に育っていたモミの枝先です。その一帯は色んな樹種が生えているようでしたが、モミの木の根元1.5m~2mぐらいだけが 金属製の網で巻かれていました。私は最初御柱や社有林のことは頭になかったのでシカが好んで食べる樹皮にモミがなるんだろうと考えました、でも他地でよく食べられてるミズキの幹は巻かれてなかったような。地元の方にそれを質問すると「きっと将来の御柱用のモミでしょう」と教えて頂きました。諏訪のお祭りの縁の下を見たようで旅をした気分。
 常緑枝で邪気をはらう心で、この冬は家内に一枝差してみようか。

2021_0115記
アオダモの花も白い

 北の道都札幌は一年を通しお祭りがたくさん。
 本来なら今時は雪まつりの話題のころ。雪まつりは大東亜戦争終戦後5年の1950年に地元の中高校生が6つの雪像を大通公園につくったのが始まりとなっています。1950年=昭和25年で中高校生でありますので昭和10±3年生まれ、国民学校を実体験している世代かと思われます。そこから雪まつりは成長してきたようです、人ではありませんが札幌雪まつりも団塊の世代となるようです。
 その雪まつり、今年はオンライン開催とすでになっているようです。
 その内容は札幌の冬の魅力や雪まつりの歴史などの発信、雪の写真コンクール、HPを通じた物品販売。12月中旬に来場型の開催はしない事と準備が進んでいるようです。

 札幌での初夏のお祭りにライラックまつりと云うものも知られるところです。
 ライラックはリラとも呼ばれモクセイ科の樹木になります。モクセイ科の花は香りが好まれるものが多くライラック・ジャスミン・キンモクセイなどそれにあたります。
 今日のスケッチは、モクセイ科トネリコ属のマルバアオダモの冬芽です(たぶん)。
 アオダモはバット・ラケットなどに利用されるようですが、和カンジキにも用いられるようなので曲げ加工もし易い材となるようです。私はこれで竹とんぼを作ったことがあります。羽根の部分を水と熱でわずかにひねり曲げ角度を付け作ると高い空に舞い上がってくれた。

2021_0110記
風使いの話

 種をつけない花を咲かせない植物があり、なかなか花が開かない人には朗報。それはシダとかコケとかでくくられた物たちであります。
 どちらも注目を浴びにくいのですが、シダの中では春に現れる土筆などもそれにあたります。
 それではどのように種をつないできたかというと、胞子という1000分の1㎜単位の粉を単独または雌雄でつくり風に放ち繁殖しているとのことです。
 シダにおいては単体で葉の裏側に胞子がつまる組織をつくる事が多いようです(ワラビ・山でのオシダetc)。コケにおいては雄株と雌株があり、雄株から精子が放たれ雌株に到達し受粉らしいのですが、多くのコケの精子は雨の水を利用し雄株から船出し雌株と云う港に運よくたどり着いたものが受粉につながっているようなのです(コケと名の付く物には地衣類やモウセンゴケなどのような種子植物もあります、ここでのコケは鮮苔類)。コケの受粉した胞子もその後、天候のほどよい日の風に離陸していくようです。

 風を利用するものは目に見えるタンポポの綿毛に代表されますが、様々な微粒子が風に浮遊しているようです。
 ウイルスなるものは本文胞子の1万分の1程度の大きさかと思います、単体ならきわめて感度のいい浮遊物になっていることでしょう。
 今日のスケッチは、シダの仲間で葉の裏に胞子の袋をつくらず胞子の葉を別につくる物があるようで、その一種イヌガンソクの胞子葉です。
 先行していた密集都市部に地方都市・田舎がこれからは差を縮めていくのではないかのコロナ事情を感じずにはいられません、ここ一週間で人口約20万の佐久圏域で一日平均20人陽性者が出ている。医療崩壊の警告、感染経路不明の増加が心配です。これまでの長野県での感染者の特徴の一つは20代も多目ですがむしろ40~50代の感染者が多いことに思います。

2021_0107記
山詣でのからだ慣らし

 ヤマツツジの冬の枝先に小さき黒い毛深な葉が数枚づつついていました、長さで2cm程度。
 この姿がヤマツツジの冬越しの姿なのでしょう(スケッチ)。初夏の山で人気があるのはレンゲツツジ。ヤマツツジは群生するよりポツンポツンと林縁に点在し花を咲かす。レンゲツツジより標高の低いところにも生息しているので、そのせいか開花するのもヤマツツジの方が早いようなイメージを持ちます。
 ヤマツツジの足元根元には10cmぐらいの積雪がありました。ああやって幾年も冬を越え、夏を過ごしてきたことでしょう。

 初詣代わりに、ほどほどの山の路をカンジキで歩いてきました。冬期閉鎖の車の入らない県道でありました。雪上にはホチキスのように二つづつ飛び飛びにつづくテンの足跡。
 三蜜とは縁遠い場所ですが、にぎわいうすい山では人工物の上であっても倒れたら人の助けは長期間期待できない、初見の路でもあり控えめに歩きUターン。
 冬芽からですが、ミズキやアオダモ、朴ノ木、ツルアジサイ、サワグルミ、ミズナラ・白樺。それに家具屋の友人たちが使用材として以前話していたミズメの木もはじめて「たぶんこれだな」と確認できた私の山初詣。
 ところで住処周りも遠く山に囲われたところですがその盆地内でコロナクラスターが発生しているようです。年末の局所的にぎわいも感じているので1月中旬までは最重要注意と思っています。人が集まる所のデーターが街ごとに例えば東京銀座とかで発表されているのですから、ちょっと嫌なのですがそれを発表は出来ないにしてももっとポイント(家や店舗、駅一箇所)でも大まかに出来ているのでしょう。そういうデータも行政からの要請や宣言の細部に盛り込まれてきているのかな。

2021_0102記
開かずのポケット

 今着ている服やズボンにいくつポケットがついているだろうか。
 鍵が入っていたり、メモ紙が入っていたり、昨日の風が入っていたり。
 ポケットには、色々なものが入る。
 少年の夢や希望、ビスケットが入っていることもある。
 物も入れば空間も入る。
 いま人の世界はコロナのエアポケットを意識している。
 昨年、今までにない面白いポケットの使い方を試しました。
 今日のスケッチは、そのポケットたちです。
 つまり、ズボンのお尻が擦り切れたのです。そこで同じような布がないかと古着を探したのですが手持ちになかったのです。そしてそのズボンを見直すと後ろのポケットが縫い付けてあるポケットでした。ポケットにも幾つかの工作法があるようで切れ目を入れたスリッドタイプの物がズボンでは多そうですが、そのズボンの後ろポケットはシャツの胸によく見るタイプのパッチ式の物でした。
 色もズボンの使い込んだ生地と変わりなく「このポケットをほどいて、破れそうなお尻部に縫い付けよう!」と修繕をしたのでした。最初片側だけでしたが、もう片方も傷んできたので左右の後ろポケットは左右のお尻に移動。物を入れる役目はなさなくなりましたが、日々なくては困るありがたいポケットとなっています。

 年末スーパー店内は仲見世を歩いているようなにぎわいでした、それでいて地方都市の駅前商店街はすでにお正月がはじまったような静まりようでした。四つ角で正月飾りを売っている出店が一軒、12月の風の中にありました。
 コロナで復習し思うことに、コンビニなどでのトイレと公共交通の注意があります。コンビニにはトイレを借りたいがため入り小品を買う事があり、トイレのノブなどへの気配りはするにしても、おおくの人は「水洗トイレにおいて流す時、フタをする」の作法はしないだろうと思うこと(自分の排泄物がそうでなくても、前にされた排泄物の残りが水流により風が起こり舞い上がりまた周辺室内に付着)。公共交通の注意は、海外から来た人が「空港から目的地まで公共機関を使わない」の項目がある事にいつもおろそかに出来ないものと感じています。
 いつの正月も私の場合正しき月とはなっていないのですが、正月となったようです。あけましておめでとうございます。